南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
遠く離れた二体の観音様が、「繋がりたい」という強い想いから、時空を超えてお互いを呼び合います。不思議な現象やご縁、そして真の信仰を題材にしたお話が『身がわり観音』です。
今回は、『身がわり観音』のあらすじと内容解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介します!
概要
『身がわり観音』の舞台は、中国地方に属する岡山県の美作市土居地区にある「芋が岡の観音」といわれています。
お話の中で、「元亀元年に、植木氏の居城である佐井田城を、尼子氏と宇喜多氏の軍勢が攻める」とあり、特定の時代・場所・事柄が具体的に語られていることから、この出来事は史実として伝承され、その時々の時代によって、社会情勢などを反映しながら変化していった昔話だと考えられます。
そして、それと同時に、阿弥陀如来によるお慈悲の温もりと信仰の大切さ、そして人とのご縁を感じることができるお話です。
※尚、現時点では『身がわり観音』に関する絵本は存在しません。
『岡山の民話 ([新版]日本のむかし話 36)』は、未來社から出版されています。岡山県に古くから伝わる民話を、吉備文化の中心地である吉備高原地方をはじめ、横仙・山中地方、内海地方の三つの地域に分けて、「身がわり観音」「空を飛ぶ狐」などの岡山に古くから伝わる珍しくても親しみのある50篇の民話と、子どもたちに歌いつがれている郷土のわらべうたが収録されています。あらすじ
むかしむかし、備中国に中津井という村がありました。
中津井は、深い山々に囲まれた険しいところにありました。その中津井に、庄作という老人のお百姓がおりました。
庄作は、生まれてからずっとこの村に住み、牛を飼い、棚田を耕しながら、炭を焼くといった日々を過ごしていたら、いつの間にか七十歳になっていました。
村の外れには、芋が丘と呼ばれる場所があり、そこにはお堂が建っていて、その中には金色まばゆい十一面観音が安置されていました。
庄作は、その十一面観音をお参りすることを日課にしておりました。
毎朝、庄作は、どんな鳥よりも早起きをして、観音様へ朝のお参りをしてから仕事に出かけました。仕事が終わり、日がどっぷり暮れても、芋が丘に寄って観音様をお参りしてから家に帰りました。
中津井の村は貧しかったけれど、観音様のおかげで、庄作をはじめ村の人々の心は豊かでした。
しかし、そんな平和な村にも、戦は足音を立てずにすぐそこまで近づいていました。噂によると、山ひとつ向こうの隣村では、戦国の世に生き残りをかけた戦が勃発していました。
そして、元亀元年のある冬の日のことでした。佐井田城を攻めるため、手を結んだ尼子氏と宇喜多氏の軍勢数千騎が、真夜中の中津井の村を舞台に、城主の植木氏と戦を繰り広げていました。
村人たちは、戦火が通り過ぎるのをじっと待ち続けるだけでした。植木氏はよく防戦しましたが、ついには尼子氏と宇喜多氏の軍門に降りました。
中津井の村は焼け野原になった上、芋が丘の十一面観音は盗まれてしまいました。
庄作は、深く悲しみ、田を耕すことも炭を焼くことも止めてしまい、村人たちの前から姿を消してしまいました。
しかし、庄作は、ただ単に仕事をしないで家に閉じこもっていたわけではなく、家に閉じこもり観音様を彫っていたのでした。
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
庄作は、ろくに食事もとらず、夜も眠らず、念仏を唱えながら、一心不乱に観音様を彫り続けました。
こうして二十一日目の早朝、庄作の家から、ノミと玄翁で打ち出す観音様を彫る音がピタリと止まりました。
薄暗い庄作の家の奥には、ほのかに浮かび上がる観音様が、静かに微笑みかけていらっしゃいました。そして、観音様の足元には、庄作がノミを握ったまま横たわっていました。
庄作は観音様を彫り上げると、そのまま息絶えてしまったのでした。
こうして、半年振りに新しい観音様が芋が丘のお堂に安置されました。
中津井の村の人々は、以前のような豊かな心を取り戻し、いつしか観音様のことを「身がわり観音」と呼ぶようになりました。
やがて一年が過ぎ、庄作を偲んで、村の人々は芋が丘のお堂に集まりました。すると、お堂の中から読経の声が響いてきました。
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
驚いた村人たちがお堂を振り仰ぐと、読経されているのは観音様でした。
それから二十年の月日が流れました。
中津井の蝋燭売りの女が、伯耆国の根雨の旅籠に泊まった時のことでした。
夜も更けた頃、隣の部屋から聞き覚えのある読経の声が漏れてきました。気になった女は、襖越しに声をかけてみました。
「もし、お隣さん、読経をなさっている方はどこのどなた様ですか」
と女が尋ねると、
「夜分遅くに、大変に申し訳ありません。読経の主は私が連れている観音様です」
と隣の部屋から男が答えました。
続けて男は、
「実はこの観音様は、村の者が中津井での戦の折に盗んできた物で、夜になると読経をされて恐ろしいので、元の場所に返してきて欲しいと頼まれ、これから向かうところなんです」
と言いました。
それを聞いた女は、驚いて飛び起きました。
なんと読経の主は、中津井の村での戦の際に盗まれた、芋が丘の十一面観音だったのでした。
「庄作爺さんが彫り上げた身がわり観音と盗まれ十一面観音が、お互いを呼び合っていたのだろう」
と蝋燭売りの女は思いました。
こうして、二十年ぶりに中津井の十一面観音が、ふるさとに戻り、芋が丘のお堂に安置されました。
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
今も芋が丘のお堂には、辛く長い旅をなされた十一面観音と、庄作が命と引き換えに彫り上げた身がわり観音が、仲良く並んで安置され、中津井の村を見守っているそうです。
解説
「『言葉』は時間と空間を超える」といわれます。
その顕著な例が宗教でしょう。
「仏教」は2500年前にお釈迦様の悟りから出発しています。
「キリスト教」も2024年前のイエス・キリストの教えが始まりです。
その宗教の歴史の中で生まれた言葉たちが、時空を超えて現代まで届いています。
そう考えると、言葉は、単なる情報を伝えるためだけの伝達手段ではないことに気づかされます。
つまり、言葉とは聞き取るものではなく、触れるものなのかもしれません。
だから、神の実体がないとしても、人の心の中で神の言葉は永遠に生き続けることができるのでしょう。
そして、『身がわり観音』では、強い想いと深い愛をもった言葉だからこそ、その存在が時空を超えることを知ることができます。
感想
人生は、出会いの連続です。
人との出会いで、世界は広がります。
人との出会いで、新しい自分にも出会えます。
人との別れという辛い出会いによって、深く傷つくこともあります。
出会いと別れ、喜びと悲しみを繰り返しながら、人は今日も生きています。
出会いは、偶然ではなく必然です。
そして、そこから導き出された結果が運命となります。
だからこそ、仏教は、そんな人との出会いを大切にする宗教といわれています。
その中でも特に大切にしている出会いが、阿弥陀如来との出会いです。
仏教で唱えられる念仏の一つに、「南無阿弥陀仏」というものがあります。南無阿弥陀仏は、「阿弥陀如来にすべてお任せします」という意味になります。
また、仏教では、「生きとし生けるもの、すべての“いのち”は『平等』である」という教えがあります。
そして、「すべてかけがえのない尊い“いのち”」とみてくださり、人に寄り添ってくださるのが阿弥陀如来です。
つまり、南無阿弥陀仏を唱え、阿弥陀如来に出会うということは、尊い自分自身に出会うということに繋がるということです。
阿弥陀如来に出会えるという希望。
阿弥陀如来に出会えたという喜び。
『身がわり観音』は、今を生きる私たちも、きっとそれを感じることができるお話です。
まんが日本昔ばなし
『身がわり観音』
放送日: 昭和52年(1977年)06月18日
放送回: 第0145話(0089 Bパート)
語り: 市原悦子・(常田富士男)
出典: 『岡山の民話 ([新版]日本のむかし話 36)』 稲田浩二 (未來社)
演出: 小林三男
文芸: 沖島勲
美術: 青木稔
作画: 白梅進
典型: 霊験譚・観音信仰
地域: 中国地方(岡山県)
最後に
今回は、『身がわり観音』のあらすじと内容解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介しました。
仏教では、お経やお題目を唱えることによって、仏さまと一体になると考えられています。『身がわり観音』では、悲しい時には自然と涙が流れるのと同じように、心が込もれば込もるほど、口から声が自然と出てくるのが本来の姿ということを知ることができます。ぜひ触れてみてください!