昔話『身がわり観音』のあらすじ・内容解説・感想|おすすめ絵本
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 南無なむ阿弥陀仏あみだぶつ
 南無なむ阿弥陀仏あみだぶつ
 とおはなれたたい観音かんのんさまが、「つながりたい」というつよおもいから、時空じくうえておたがいをいます。不思議ふしぎ現象げんしょうやごえん、そしてしん信仰しんこう題材だいざいにしたおはなしが『がわり観音かんのん』です。

 今回こんかいは、『がわり観音かんのん』のあらすじと内容ないよう解説かいせつ感想かんそう、おすすめ絵本えほんなどをご紹介しょうかいします!

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概要

 『がわり観音かんのん』の舞台ぶたいは、中国ちゅうごく地方ちほうぞくする岡山県おかやまけん美作市みまさかし土居どい地区ちくにある「いもおか観音かんのん」といわれています。

 おはなしなかで、「元亀げんき元年がんねんに、植木うえき居城きょじょうである佐井田城さいたじょうを、尼子あまご宇喜多うきた軍勢ぐんぜいめる」とあり、特定とくてい時代じだい場所ばしょ事柄ことがら具体ぐたいてきかたられていることから、この出来事できごと史実しじつとして伝承でんしょうされ、その時々ときどき時代じだいによって、社会しゃかい情勢じょうせいなどを反映はんえいしながら変化へんかしていったむかしばなしだとかんがえられます。

 そして、それと同時どうじに、阿弥陀あみだ如来にょらいによるお慈悲じひぬくもりと信仰しんこう大切たいせつさ、そしてひととのごえんかんじることができるおはなしです。

なお現時点げんじてんでは『がわり観音かんのん』にかんする絵本えほん存在そんざいしません。

 『岡山おかやま民話みんわ ([新版しんぱん]日本にっぽんのむかしばなし 36)』は、未來社みらいしゃから出版しゅっぱんされています。岡山県おかやまけんふるくからつたわる民話みんわを、吉備きび文化ぶんか中心ちゅうしんである吉備きび高原こうげん地方ちほうをはじめ、横仙よこせん山中さんちゅう地方ちほう内海うちうみ地方ちほうみっつの地域ちいきけて、「がわり観音かんのん」「そらきつね」などの岡山おかやまふるくからつたわるめずらしくてもしたしみのある50ぺん民話みんわと、どもたちにうたいつがれている郷土きょうどのわらべうたが収録しゅうろくされています。

 オンデマンドばん岡山県おかやまけん民話みんわ (県別けんべつふるさとの民話みんわ)』は、偕成かいせいしゃから出版しゅっぱんされています。ふる歴史れきしと、温暖おんだん自然しぜんめぐまれた備前びぜん平野へいや吉備きび高原こうげん舞台ぶたいに、「もも太郎たろう」や「一本いっぽんあしのげた」など、勇気ゆうき知恵ちえはたらかせて大蛇だいじゃおになどを相手あいて活躍かつやくする主人しゅじんこうたちの民話みんわが33ぺん収録しゅうろくされています。

 『立石たていしおじさんのおかやまむかしばなし だいよんしゅう』は、吉備人きびと出版しゅっぱんから出版しゅっぱんされています。民話みんわたのしさ、かたりのたのしさを、もっとおおくのひとあじわってもらおうと刊行かんこうしている「立石たていしおじさんのむかしばなししゅう」のだいよんだんです。岡山おかやま県内けんない採録さいろくした民話みんわを、四季しきごとにはないろよっつに区分くぶんして、それぞれの季節きせつごとに14ぺん合計ごうけい56ぺん収録しゅうろくされています。巻末かんまつでは、立石たていし憲利のりとしさんが、民話みんわ調査ちょうさかたりをするなかでしょうじた質問しつもんなどにもこたえています。

 『おかやま石仏せきぶつ紀行きこう』は、吉備人きびと出版しゅっぱんから出版しゅっぱんされています。岡山県おかやまけん民話みんわ採取さいしゅ第一人だいいちにんしゃである立石たていし憲利のりとしさんが、石仏せきぶつたずねてひがし西にしへ。てたひとびとへのおもいをはせながら、岡山おかやま県内けんないのこ石仏せきぶつとそこにまつわる伝説でんせつやおはなしを57へん紹介しょうかいしています。ゆっくり、ゆったり、石仏せきぶつたずねるたび出発しゅっぱつしましょう。

あらすじ

 むかしむかし、備中国に中津井という村がありました。

 中津井は、深い山々に囲まれた険しいところにありました。その中津井に、庄作という老人のお百姓がおりました。

 庄作は、生まれてからずっとこの村に住み、牛を飼い、棚田を耕しながら、炭を焼くといった日々を過ごしていたら、いつの間にか七十歳になっていました。

 村の外れには、芋が丘と呼ばれる場所があり、そこにはお堂が建っていて、その中には金色まばゆい十一面観音が安置されていました。

 庄作は、その十一面観音をお参りすることを日課にしておりました。

 毎朝、庄作は、どんな鳥よりも早起きをして、観音様へ朝のお参りをしてから仕事に出かけました。仕事が終わり、日がどっぷり暮れても、芋が丘に寄って観音様をお参りしてから家に帰りました。

 中津井の村は貧しかったけれど、観音様のおかげで、庄作をはじめ村の人々の心は豊かでした。

 しかし、そんな平和な村にも、戦は足音を立てずにすぐそこまで近づいていました。噂によると、山ひとつ向こうの隣村では、戦国の世に生き残りをかけた戦が勃発していました。

 そして、元亀元年のある冬の日のことでした。佐井田城を攻めるため、手を結んだ尼子氏と宇喜多氏の軍勢数千騎が、真夜中の中津井の村を舞台に、城主の植木氏と戦を繰り広げていました。

 村人たちは、戦火が通り過ぎるのをじっと待ち続けるだけでした。植木氏はよく防戦しましたが、ついには尼子氏と宇喜多氏の軍門に降りました。

 中津井の村は焼け野原になった上、芋が丘の十一面観音は盗まれてしまいました。

 庄作は、深く悲しみ、田を耕すことも炭を焼くことも止めてしまい、村人たちの前から姿を消してしまいました。

 しかし、庄作は、ただ単に仕事をしないで家に閉じこもっていたわけではなく、家に閉じこもり観音様を彫っていたのでした。

 南無阿弥陀仏
 南無阿弥陀仏

 庄作は、ろくに食事もとらず、夜も眠らず、念仏を唱えながら、一心不乱に観音様を彫り続けました。

 こうして二十一日目の早朝、庄作の家から、ノミと玄翁で打ち出す観音様を彫る音がピタリと止まりました。

 薄暗い庄作の家の奥には、ほのかに浮かび上がる観音様が、静かに微笑みかけていらっしゃいました。そして、観音様の足元には、庄作がノミを握ったまま横たわっていました。

 庄作は観音様を彫り上げると、そのまま息絶えてしまったのでした。

 こうして、半年振りに新しい観音様が芋が丘のお堂に安置されました。

 中津井の村の人々は、以前のような豊かな心を取り戻し、いつしか観音様のことを「身がわり観音」と呼ぶようになりました。

 やがて一年が過ぎ、庄作を偲んで、村の人々は芋が丘のお堂に集まりました。すると、お堂の中から読経の声が響いてきました。

 南無阿弥陀仏
 南無阿弥陀仏

 驚いた村人たちがお堂を振り仰ぐと、読経されているのは観音様でした。

 それから二十年の月日が流れました。

 中津井の蝋燭売りの女が、伯耆国の根雨の旅籠に泊まった時のことでした。

 夜も更けた頃、隣の部屋から聞き覚えのある読経の声が漏れてきました。気になった女は、襖越しに声をかけてみました。

 「もし、お隣さん、読経をなさっている方はどこのどなた様ですか」
と女が尋ねると、
 「夜分遅くに、大変に申し訳ありません。読経の主は私が連れている観音様です」
と隣の部屋から男が答えました。

 続けて男は、
 「実はこの観音様は、村の者が中津井での戦の折に盗んできた物で、夜になると読経をされて恐ろしいので、元の場所に返してきて欲しいと頼まれ、これから向かうところなんです」
と言いました。

 それを聞いた女は、驚いて飛び起きました。

 なんと読経の主は、中津井の村での戦の際に盗まれた、芋が丘の十一面観音だったのでした。

 「庄作爺さんが彫り上げた身がわり観音と盗まれ十一面観音が、お互いを呼び合っていたのだろう」
と蝋燭売りの女は思いました。

 こうして、二十年ぶりに中津井の十一面観音が、ふるさとに戻り、芋が丘のお堂に安置されました。

 南無阿弥陀仏
 南無阿弥陀仏

 今も芋が丘のお堂には、辛く長い旅をなされた十一面観音と、庄作が命と引き換えに彫り上げた身がわり観音が、仲良く並んで安置され、中津井の村を見守っているそうです。

解説

 「『言葉ことば』は時間じかん空間くうかんえる」といわれます。

 その顕著けんちょれい宗教しゅうきょうでしょう。

 「仏教ぶっきょう」は2500ねんまえにお釈迦しゃかさまさとりから出発しゅっぱつしています。
 「キリストきょう」も2024ねんまえのイエス・キリストのおしえがはじまりです。

 その宗教しゅうきょう歴史れきしなかまれた言葉ことばたちが、時空じくうえて現代げんだいまでとどいています。

 そうかんがえると、言葉ことばは、たんなる情報じょうほうつたえるためだけの伝達でんたつ手段しゅだんではないことにづかされます。

 つまり、言葉ことばとはるものではなく、れるものなのかもしれません。

 だから、かみ実体じったいがないとしても、ひとこころなかかみ言葉ことば永遠えいえんつづけることができるのでしょう。

 そして、『がわり観音かんのん』では、つよおもいとふかあいをもった言葉ことばだからこそ、その存在そんざい時空じくうえることをることができます。

感想

 人生は、出会いの連続です。

 人との出会いで、世界は広がります。
 人との出会いで、新しい自分にも出会えます。
 人との別れという辛い出会いによって、深く傷つくこともあります。
 出会いと別れ、喜びと悲しみを繰り返しながら、人は今日も生きています。

 出会いは、偶然ではなく必然です。

 そして、そこから導き出された結果が運命となります。

 だからこそ、仏教は、そんな人との出会いを大切にする宗教といわれています。

 その中でも特に大切にしている出会いが、阿弥陀如来との出会いです。

 仏教で唱えられる念仏の一つに、「南無阿弥陀仏」というものがあります。南無阿弥陀仏は、「阿弥陀如来にすべてお任せします」という意味になります。

 また、仏教では、「生きとし生けるもの、すべての“いのち”は『平等』である」という教えがあります。

 そして、「すべてかけがえのない尊い“いのち”」とみてくださり、人に寄り添ってくださるのが阿弥陀如来です。

 つまり、南無阿弥陀仏を唱え、阿弥陀如来に出会うということは、尊い自分自身に出会うということに繋がるということです。

 阿弥陀如来に出会えるという希望。
 阿弥陀如来に出会えたという喜び。
 『がわり観音かんのん』は、今を生きる私たちも、きっとそれを感じることができるお話です。

まんが日本昔ばなし

がわり観音かんのん
放送日: 昭和52年(1977年)06月18日
放送回: 第0145話(0089 Bパート)
語り: 市原悦子・(常田富士男)
出典: 『岡山おかやま民話みんわ ([新版しんぱん]日本にっぽんのむかしばなし 36)稲田いなだ浩二こうじ (未來社みらいしゃ)
演出: 小林三男
文芸: 沖島勲
美術: 青木稔
作画: 白梅進
典型: 霊験譚れいけんたん観音信仰かんのんしんこう
地域: 中国地方(岡山県)

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最後に

 今回こんかいは、『がわり観音かんのん』のあらすじと内容ないよう解説かいせつ感想かんそう、おすすめ絵本えほんなどをご紹介しょうかいしました。

 仏教ぶっきょうでは、おきょうやお題目だいもくとなえることによって、ほとけさまと一体いったいになるとかんがえられています。『がわり観音かんのん』では、かなしいときには自然しぜんなみだながれるのとおなじように、こころもればもるほど、くちからこえ自然しぜんてくるのが本来ほんらい姿すがたということをることができます。ぜひれてみてください!

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