昔話『おいてけ堀』のあらすじ・内容解説・感想|おすすめ絵本
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 怪談かいだん落語らくご演目えんもくとして有名 ゆうめいな『おいてけぼり』は、江戸えどまち本所ほんじょ舞台ぶたいとした「本所七不思議ほんじょななふしぎ」のひとつとしてかたられてきました。

 今回こんかいは、『おいてけ堀』のあらすじと解説かいせつ感想かんそう、おすすめ絵本えほんなどをご紹介しょうかいします!

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概要

 『おいてけぼり』は、江戸えどまちの“本所七不思議ほんじょななふしぎ”にてくる「置行堀おいてけぼり」をもとにしたおはなしで、ふるくから落語らくごなどはなしのネタとして庶民しょみん好奇心こうきしんをくすぐりしたしまれてきました。

 江戸えど下町したまちは、江戸えど時代じだい以降いこうてがおこなわれてつくられた土地とちだけに、あちこちにほりつうじていました。

 ほりぬまは、みずがよどんでいるところおおく、そばにやなぎさえあれば、もうそれだけで奇談きだん怪談かいだん舞台ぶたい出来上できあがりです。

 江戸えどはもちろん、全国ぜんこくにもたようなおはなし存在そんざいします。

 絵本えほんおいてけぼり (日本にっぽん民話みんわえほん)』は教育画劇きょういくがげきから出版しゅっぱんされています。さねとうあきらさんのリズムかんのあるぶんと、いのうえようすけさんの不気味ぶきみなのにどこかたのしいによって、“こわ面白おもしろい”絵本です。おさま自身じしんんでもそれなりにこわいですが、どちらかといえばかせのほうがよりたのしめる絵本です。

 絵本えほん本所ほんじょななふしぎ』は偕成社かいせいしゃから出版しゅっぱんされています。江戸時代えどじだいからつたわる奇妙きみょう不思議ふしぎ怪談かいだんが7へん収録しゅうろくされています。山本孝やまもとたかしさんによる挿絵さしえ躍動感やくどうかん色使いろづかいがとてもく、斉藤洋さいとうひろしさんによって「本所ほんじょ七不思議ななふしぎ」がとても簡単かんたんにまとめてあります。

 『東京とうきょう江戸えど かたり (ふるさとおはなしたび 4)』はほし環会わかいから出版しゅっぱんされています。「昔話むかしばなしやそれにみみをかたむけるどもたちがいなくなった」とわれる昨今さっこん、「それでは子どもやしん文化ぶんかそだたない」とがった現代げんだいかたたちによる昔話集むかしばなししゅうです。だい4だんは、「本所ほんじょ七不思議ななふしぎ」をはじめ42へん東京とうきょう江戸えど昔話むかしばなしげています。

 『江戸えどの「都市伝説としでんせつ』はPHP研究所けんきゅうじょから出版しゅっぱんされています。妖怪ようかい幽霊ゆうれいのおはなしだけではなく、俗信ぞくしん伝承でんしょう実際じっさいこった事件じけんかんする噂話うわさばなしなどが100ぺん収録しゅうろくされています。まさに題名だいめいどおり「都市伝説としでんせつ」をあつめたほんです。1みじかくサクサクすすめることができます。

 CD『五代目ごだいめ古今亭ここんていしょう』はキングレコードから発売はつばいされています。落語らくご全盛期ぜんせいき活躍かつやくした江戸落語えどらくご名人めいじん十八番じゅうはちばん収録しゅうろくした『昭和しょうわ名人めいじん 古典落語こてんらくご名演集めいえんしゅう』です。五代目・古今亭志ん生による「大工だいく調しらべ」と「化物娘ばけものむすめ(おいてけほり)」が収録しゅうろくされています。

あらすじ

 むかしむかし、江戸えどまちに「おいてけぼり」とばれる大きないけがありました。

 この池にはふななまずがたくさんいたので、ちかくのひとたちは、ここによくりをしにていました。

 一日いちにち釣りをしてかえろうとすると、何処どこからか「おいてけ~おいてけ~」というこえがするといわれていました。

 こえがすると、よわものは、釣ったさかなほうりだしてしました。

 では、気のい者はというと、かぜなにかの具合ぐあいでそんなおとがするのだろうとおもって、平気へいきかえりました。

 しかし、小僧こぞうたり、ひと小僧こぞうが出たり、ろくろくび一本足いっぽんあし唐傘からかさのおけが出たりしてみちふさぐので、気の強い者でも、ふるえあがって、魚はもとより魚籃びく釣竿つりざおも放りだして逃げ出しました。

 このうわさきつけた、魚屋さかなや金太きんたは、
 「そんなものこわくて魚屋が出来できるか」
威勢いせいいことをいって、女房にょうぼうめるのもかず、おいてけ堀へ釣りにかいました。

 おいてけ堀で釣りをはじめると、金太は最初さいしょのうちはお化けのことがになりましたが、鮒がつぎからつぎへとたくさん釣れるので、もうほかのことはわすれて、一所懸命いっしょけんめいになって釣りをたのしみました。

 そして、ちかくのてらからひびいてくるかねおとに気がついてかおをあげました。

 周囲しゅうい徐々じょじょくらさがし、つめたいかぜいてきました。

 金太は釣竿をあげて、いとまきつけ、みずなかけてあった魚籃をあげました。

 魚籃には一貫匁いっかんもんめ(3.75キログラム)あまりの魚がいました。

 帰ろうと金太ががると、
 「おいてけ~おいてけ~」
と何処からかひとこえのようなものが聞こえてきました。

 金太はみみを塞ぎ、
 「釣った魚をおいていけるか」
啖呵たんかをきり、さっさとはしりました。

 声の聞こえないところまでやってると、金太の耳に「カラン、コロン」と下駄げたおとが聞こえたので、まりました。

 そこはやなぎしたで、立ち止まった金太のまえには、いろとおるような美人びじんがひょいとあらわれました。

 その女は、
 「その魚をってくださいな」
と金太にいました。
 しかし、金太は、
 「魚をみなせるまではだれにも売らねぇ」
と言いりました。
 すると女は、
 「これでもダメかね」
と言って片手かたてでつるりとかおでると、なんと“のっぺらぼう”になってしまいました。

 金太は悲鳴ひめいをあげて、こしけた状態じょうたいでそのから逃げ出しました。

 そして、たどりいたのが一軒いっけん茶店ちゃやでした。

 茶店の主人しゅじんふるえながら金太はこと顛末てんまつはなすと、いた茶店の主人も何と“のっぺらぼう”でした。

 金太は悲鳴をあげて、腰が抜けた状態でその場からまた逃げ出しました。

 <は/rt>うようにしていえにたどりいた金太に、
 「おまえさん、どうしたんだい」
と女房がたずねました。

 「出たんだよ~アレが」
と金太は女房に言いました。
 女房が、
 「アレじゃ分からないよ。でも出たっていうのは、こんなのじゃなかったかい」
と言って片手でつるりと顔を撫でると、何と女房までもが“のっぺらぼう”になりました。

 腰を抜かした金太は、そので気をうしなってしまいました。

 金太が目をますと、そこは金太の家ではなく、色が透き通るような美人と出会であった柳の木の下でした。

解説

 “七不思議ななふしぎ”とは、全国ぜんこく存在そんざいし、その地域ちいきにまつわる不思議ふしぎ事象じしょうをまとめ形成けいせいされていったものです。

 江戸えどにおいては、江戸時代えどじだい中期ちゅうき当時とうじ感覚かんかくで不思議だとおもわれた自然現象しぜんげんしょう怪異かいいなどをななえらして、定着ていちゃくしたものであるといわれています。

 江戸には「本所ほんじょ七不思議ななふしぎ」をはじめ、「麻布あざぶ七不思議ななふしぎ」や「八丁堀はっちょうぼり七不思議ななふしぎ」などがあります。

 本所七不思議は、河川かせん掘割ほりわり旗本はたもと大名屋敷だいみょうやしきおおかった本所地域ほんじょちいきにまつわる伝承でんしょうです。その内容ないようは、自然しぜん動物どうぶつ異変いへん伝説でんせつ妖怪ようかいかんする伝承をまとめたものです。

 ちなみに、本所とは、江戸時代えどじだいから使つかわれていた地名ちめいで、現在げんざい東京都墨田区とうきょうとすみだく南部地域なんぶちいきしていました。

 江戸の大半たいはんいたとされる明暦めいれき3ねん(1657年)の「明暦めいれき江戸大火えどたいか(振袖火事ふりそでかじ)」をきっかけとして、隅田川すみだがわ以東いとう地域ちいき開発かいはつはじまりました。万治まんじ3年(1660年)には本所に本所築地奉行ほんじょつきじぶぎょうがおかれると、武家屋敷ぶけやしき区画整理くかくせいり道路どうろ、河川や掘割の開発がおこなわれ竪川たてかわ大横川おおよこがわ横十間川よこじゅっけんがわ六間堀ろっけんぼりなどの整備せいび、それから排水はいすい目的もくてきとした南北割下水なんぼくわりげすいなどがつくられ、防火計画ぼうかけいかくともな市街地しがいち拡張計画かくちょうけいかく一環いっかんとして開発がすすめられていきました。

 このようにして整備された本所地域ですが、江戸の市中しちゅうからみると隅田川すみだがわ川向かわむこうに位置いちし、一歩いっぽ横丁よこちょう裏道うらみちはいるとさびしい土地柄とちがらでもありました。

 本所七不思議は、このような立地りっち背景はいけいなかまれ、人々ひとびとあいだ形成けいせいされ、現在にかたがれています。

 七不思議という言葉ことばはじめてみられたものは文政ぶんせい年間ねんかん(1817~29年)、本所に上屋敷かみやしきかまえていた大名だいみょうである松浦静山まつらせいざんによってかれた『甲子夜話続篇かっしやわぞくへん』であるとされています。

 また、七不思議の個別こべつ内容ないようが七つまとまって記述きじゅつされているのは、江戸時代えどじだい後期こうき戯作者げさくしゃである柳亭種彦りゅうていたねひこの『七不思議葛飾譚ななふしぎかつしかものがたり』です。その中の元治げんじ2年(1865年)に書かれた部分ぶぶんに、「所謂いわゆる本所ほんじょ七不思議ななふしぎハ、片葉かたはあし、おいていけぼり埋蔵うめぐらとぶ足洗あしあら屋敷やしきおく提灯ちょうちん小豆婆あずきばばあ、あかりなしの蕎麦屋そばやなり」とあり、本所の七不思議について七つげられています。

 明治時代めいじじだいになると、三代目さんだいめ歌川国輝うたがわくにてるによってえがかれた錦絵にしきえ松林伯知しょうりんはくちによって口演こうえんされた講談こうだんで本所の七不思議はげられ、人々ひとびとひろまっていきました。

 つまり、本所七不思議は、初めは個別の事象としてあったものが、江戸時代えどじだい中期ちゅうき以降いこうに七不思議として認識にんしきされるようになり、ときには錦絵や大衆芸能たいしゅうげいのうの中で、創作性そうさくせいふかめながら現在にいたっています。

感想

 『おいてけぼり』は、ほりなかから「いていけ~」というおそろしいこえ印象的いんしょうてきで、ふるくから落語らくごなどに多用たようされ、大変たいへん有名ゆうめい怪談話かいだんばなしです。

 『おいてけ堀』でもっと不可解ふかかいてんは、不気味ぶきみな声のぬし正体しょうたいではないでしょうか。

 怪異かいい正体しょうたい諸説しょせつあるようで、調しらべてみると、河童かっぱ仕業しわざというせつとタヌキの仕業という説であつ論戦ろんせんひろげられています。

 ただ、本所ほんじょ隅田川すみだがわには河童の伝承でんしょうがあるため、河童説かっぱせつがやや優勢ゆうせいのようです。

 そのほかにもカワウソ、ムジナ、スッポンによる仕業などと様々さまざまにいわれているようで、いはぎによるものという説もあります。

 いずれにしても、江戸えどまちは怪異が身近みじかであったようです。

 そして、『おいてけ堀』をはじめてとした「本所ほんじょ七不思議ななふしぎ」は、いまなお日本人にっぽんじん好奇心こうきしん刺激しげきしてやまない、本所ほんじょ一番いちばん不思議ふしぎ場所ばしょであります。

まんが日本昔ばなし

おいてけぼり
放送日: 昭和51年(1976年)07月03日
放送回: 第0066話(第0039回放送 Bパート)
語り: 市原悦子・(常田富士男)
出典: 表記なし
演出: 石黒昇
文芸: 境のぶひろ
美術: 下道文治
作画: 高橋信也
典型: 怪異譚かいいたん
地域: 関東地方(東京都)


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最後に

 今回こんかいは、『おいてけぼり』のあらすじと解説かいせつ感想かんそう、おすすめ絵本えほんなどをご紹介しょうかいしました。

 『おいてけ堀』はなんともえない不思議ふしぎなおはなしです。しかし、この不条理ふじょうりこそが江戸文化えどぶんかのおかしみであり、落語らくごなどはなしのネタにされる所以ゆえんでもあります。ぜひれてみてください!

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