昔話『さだ六とシロ』のあらすじ・内容解説・感想|おすすめ絵本
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 『さだろくとシロ』は『いぬぼえのもり』や『忠犬ちゅうけんシロ』ともばれています。江戸えど時代じだい実際じっさいきた事件じけんもとにしたおはなしです。シロはとてもかしこいぬで、大変たいへん忠義心ちゅうぎしんぬしです。シロが秋田犬あきたいぬといわれています。

 今回こんかいは、『さだ六とシロ』のあらすじと解説かいせつ感想かんそう、おすすめ絵本えほんなどをご紹介しょうかいします!

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概要

 『さだろくとシロ』は秋田県あきたけん鹿角市かづのし十和田草木とわだくさぎつたわる民話みんわです。『いぬぼえのもり』や『忠犬ちゅうけんシロ』ともばれています。この民話は実話じつわであるとされ、物語ものがたり登場とうじょうする狩猟しゅりょう免状めんじょなどがいまのこされています。

 物語に登場する“さだろく”は、東北とうほく地方ちほう方言ほうげん猟師りょうし意味いみする「マタギ」です。マタギの成立せいりつかんしては平安へいあん時代じだいとも鎌倉かまくら時代じだいともいわれ、今なおさだかではありませんが、猟銃りょうじゅうあつかうことから、だれでも簡単かんたんになれるものではなく、条件じょうけん資格しかく健康けんこう精神状態せいしんじょうたいまできびしく審査しんさされ、狩猟しゅりょう免許めんきょ猟銃りょうじゅう所持しょじ許可証きょかしょう取得しゅとくしなければならなかったとの記録きろくがあります。

 そして、さだ六がう“シロ”といういぬは、「秋田あきたマタギいぬ」とばれる猟犬りょうけんで、秋田犬あきたいぬといわれています。秋田マタギ犬は、山岳さんがく地帯ちたいでもつかれることなくはしまわれる膨大ぼうだい体力たいりょくそなえ、勇敢ゆうかん大型おおがた動物どうぶつ攻撃こうげきあたえる闘争とうそう本能ほんのうち、性格せいかくそのものは猟犬らしく好戦的こうせんてきといわれています。

 絵本えほんいぬぼえのもり (ふるさとの民話にんわ 2)』は草土文化そうどぶんかから出版しゅっぱんされています。ノンフィクション作家さっかである野添憲治のぞえけんじさんのぶん宮腰喜久治みやこしきくじさんのかさなると、独特どくとく緊張感きんちょうかんまれます。終生しゅうせいのこる絵本になること間違まちがいなしです。

 かつてテレビで一大いちだいブームをつくった『まんが日本にっぽんむかしばなし』が、二見書房ふたみしょぼうより新装改訂版しんそうかいていばん登場とうじょう。『さだろくとシロ』のおはなしは『まんが日本昔ばなし だい6かん』のなか収録しゅうろくされています。

 『秋田あきた民話みんわ ([新版しんぱん]日本にっぽん民話みんわ 10)』は未來社みらいしゃから出版しゅっぱんされています。秋田県あきたけんむかしから文化ぶんかがひらけ、鉱山こうざん農業のうぎょう漁業ぎょぎょうなどに活発かっぱつ生業せいぎょう歴史れきしをもっていることから、それぞれにまつわる民話みんわかずがとてもおおいです。「さだろくとしろ」をふくむ53ぺんの民話とわらべうたが収録しゅうろくされています。

あらすじ

 むかしむかし、下草木しもくさぎ左多六さだろくというマタギ(猟師りょうし)がんでいました。

 左多六は日本中にほんじゅうどこでも狩猟しゅりょうができる巻物まきもの(免状めんじょう)をっていました。これは佐多六の先祖せんぞ源頼朝みなもとのよりとも富士ふじ巻狩まきがりで手柄てがらをたてたことから、南部なんぶのお殿様とのさまからもらった巻物であり、全国ぜんこくでの狩猟が子孫しそん代々だいだいまでゆるされる天下御免てんかごめんのマタギの免状でした。

 佐多六は、“シロ”というの、とてもかしこくて主人しゅじんおもいの秋田あきたマタギいぬ猟犬りょうけんっていました。

 あるとし二月にがつふゆとしてはめずらしくれた日のことでした。佐多六はシロをれてりょうて、しかくだけのふもとでおおきなカモシカをつけました。左多六がカモシカをねらって鉄砲てっぽうがねを引くと、カモシカはちょっと棒立ぼうだちになりましたが、ゆきうえ点々てんてんとしげていってしまいました。左多六とシロは、血のあとをたどりながらカモシカをいました。

 いつのにか鹿角かづの三戸さんのへさかい来満峠らいまんとうげまでてしまいました。あかい血のながれは、とうげのほらあなえていました。左多六は、とどめの一撃いちげきくわえました。

 そのとき、三戸のほうから来た五人ごにん猟師りょうしが、
 「おまえのったカモシカは、おれたちがさきに撃ったものだ」
つよせまってきて、
 「おまえはどこのものだ。そのさかい小屋ごやにはいらないか。おまえも猟師なら勝手かってほか領内りょうないで猟をしてはいけないことをっているだろう」
と佐多六をつかまえようとってきました。

 左多六は、鉄砲をまわしてげようとし、シロも主人しゅじんたすけようと五人にかってえましたが、五人に一人ひとりではかなうわけがなく、佐多六はらえられて、無理むりやり三戸城さんのへじょうてられてしまいました。シロは、主人のあとをこっそりとついてきました。

 牢屋ろうやれられた左多六は、天下御免の巻物をわすれてきたことを後悔こうかいし、
 「ああ、あの巻物があればたすかるものを…」
とためいきをつき、なみだを流しました。
 他の領内で狩猟をしたつみのため、明日あすにもくびになるかもしれないとおもうと、左多六はくやしくて仕方しかたがありませんでした。

 シロは、牢屋のまえしのんで、やつれた左多六をると「ワン」と一声ひとこええ、かぜのようにはしりだしました。

 主人を思うシロは、やまたにも走りに走り、ようやく下草木に到着とうちゃくすると、がついたかのように吠えたてました。左多六のつまは、かえりのおそい左多六のあんじていたので、雪だらけのシロを見ておどろきましたが、なにをすればいかかりませんでした。シロは、またとお山道やまみちえて、すごすごと左多六のもとへもどりました。

 左多六は、シロが巻物をっていないのを見てがっがりしたが、ちからをふりしぼって、
 「シロ、あの巻物、竹筒たけづつれてある巻物だ、ほとけさんのしに入れている巻物を持ってきておくれ、たのむ」
なみだをためていました。

 シロに左多六の気持きもちがつたわったのか、「ワン」とおおきく一声吠えて、また下草木へかって雪のなかを走りしました。

 いえくとシロはありったけの力をふりしぼって、仏壇ぶつだんへ向かって吠えました。左多六の妻は、ハッと思いいそいで引き出しをけてみると、佐多六が猟にでるときはかならず持って出るはずの巻物がそこにはありました。妻は顔色かおいろがサッとわり、ふるえるをおさえ、巻物の入った竹筒をシロの首にしっかりとむすぶと、シロの背中せなかをなでながら見送みおくりました。

 シロはつかれを忘れ、左多六のために無我夢中むがむちゅうで走りつづけました。

 シロが来満峠を越えたときには、三戸のそらけようとしていました。明けのかねとともに左多六のいのちは、このからえてしまいました。

 シロが命をかけて牢屋に着いたとき、主人はこの世のひとではなくなっていたのでした。処刑場しょけいじょうよこたわる佐多六の姿すがたを見て、シロのかなしみはつきませんでした。うらみはつきませんでした。そして、しばらくはんだ左多六のそばについていました。

 何日なんにちかして、シロは三戸城の見える大きいもりの山の頂上ちょうじょうのぼり、三戸城に向かって恨みの遠吠とおぼえを幾日いくにちも続けました。

 シロが吠え続けたこの森は、いまでも「犬吠森いぬぼえもり」と言われています。

 そのもなくして、三戸には地震じしん火事かじなど、災難さいなんが続き、人々ひとびとは「佐多六さだろくたたり」だとうわさしました。

 佐多六のおかした罪のために、おかみのとがめをけた一家いっかむらに住むことができなくなり、村から出ることになりました。佐多六の妻とシロは、南部領なんぶりょう草木くさぎから秋田領あきたりょう葛原くずわらというところにうつり住み、村人むらびと親切しんせつにされてらしました。そして、葛原で暮らしたシロはいつからか「老犬ろうけんさま」とばれるようになりまた。

 あるとき、村人がうまっていると、馬がおどろき、どうしてもすすまない場所ばしょがありました。不思議ふしぎなことだと思い、その周辺しゅうへんさがしてみると、シロがんでいました。あわれに思った村の人々は、シロのきがらを南部領の見える小高こだかおかほうむったそうです。

 現在げんざい、その場所には老犬神社ろうけんじんじゃがあり、シロがまつられています。

解説

 『さだろくとシロ』は、実話じつわもとにした民話みんわなので、おおくの資料しりょうのこされています。

 “さだろく”は名跡みょうせき代々だいだい継承けいしょうされてきた名前なまえ記録きろくにはあります。初代しょだいは、岩手県いわてけん二戸にのへ地区ちくからやってきたマタギで、右大臣うだいじん藤原不比等ふじわらのふひと次男じなん藤原房前ふじわらのふささきとする藤原北家ふじわらほっけ血筋ちすじ人物じんぶつとあります。また、初代はりの最中さいちゅうやまから見下みおろした鹿角かづの盆地ぼんち(花輪はなわ盆地ぼんち)のうつくしさにとれ、一族いちぞくれてうつみ、秋田県あきたけん草木くさぎ地区ちく開拓かいたくしたとあります。

 マタギのはじまりは平安へいあん時代じだいである西暦せいれき800年代ねんだいといわれているので、初代が草木地区に移り住んだのはそれ以降いこうとなります。

 『さだ六とシロ』のおはなし登場とうじょうするさだ六は、そこからさらに数百年後すうひゃくねんご子孫しそんで、戦国せんごく時代じだいわり、江戸えど幕府ばくふ統治とうちはじまった西暦1603年ころではないかといわれています。

 日本中にほんじゅうどこでも狩猟しゅりょうができる大事だいじ巻物まきもの(免状めんじょう)は、鎌倉かまくら幕府ばくふ初代将軍しょだいしょうぐんである源頼朝みなもとのよりとも在位ざいいした鎌倉かまくら時代じだいとありますので、西暦1192~1199年のあいだに、その当時とうじのさだ六が源頼朝のまえで、おおきなイノシシを見事みごとったので、その功績こうせきをたたえておくられたそうです。

 次に、さだ六がうシロといういぬは、「秋田あきたマタギいぬ」とばれる猟犬りょうけんで、秋田犬あきたいぬといわれています。

 くに天然記念物てんねんきねんぶつ指定していされている秋田犬の定義ていぎは、いまからやく100年前ねんまえさだめられました。つまり、江戸えど時代じだいは秋田犬ではく、秋田マタギ犬と呼ばれる猟犬だったということです。

 資料しりょうによると、シロは仔牛こうしほどもあるおおきないぬだったそうです。じりっけのないしろ毛並けなみがめずらしく、そして秋田マタギ犬のなかでもとくすぐれた犬だったとあります。

 また、伝説でんせつの秋田マタギ犬であるシロをまつ老犬神社ろうけんじんじゃ秋田県あきたけん大館市おおだてし葛原くずわら鎮座ちんざします。老犬神社の宝物ほうもつには、ふるくはマタギは山立やまだちと呼ばれていたことから山立やまだち家系かけいまきと、狩猟に必要ひつよう免状めんじょう証文しょうもん二巻ふたまき現在げんざいつたわります。

感想

 日本にっぽん昔話むかしばなしおおくは仏教ぶっきょう思想しそう根底こんていにあります。この『さだろくとシロ』もそうであり、日本の思想しそうにおける“殺生せっしょう”を題材だいざいにしたもので、「いのちはありがたい」といった価値観かちかんをあらためてうおはなしです。

 「命はありがたい」というのは、そのとおりです。まれたりんだりといった生死しょうじいとなみは、人間にんげんのはからいをえたものです。人間が操作そうさしようとするのは不遜ふそんです。人間が本来ほんらいできるのは命をたまわることです。

 それでも命にはときとして残酷ざんこく側面そくめんがあることもわすれてはなりません。

 そもそもきていくことは大変たいへんなことで、理不尽りふじん無慈悲むじひ不平等ふびょうどう不公平ふこうへいたりまえのことです。

 仏教ぶっきょう出発点しゅっぱつてんは、人生じんせいおもどおりにはならないという「一切皆苦いっさいかいく」をることからはじまります。そして、その悲観的ひかんてきかんがえをれ、こころしずかに生きていけばくるしみから開放かいほうされ、こころらくになると仏教では解決かいけつ方法ほうほうしめしています。

 つまり、
   思い通りにならなかったこと → しんどい
ではなく、
   思い通りにならなかったこと → 当たり前
と考えると心がかるくなるということです。

 理不尽であり無慈悲なことも当たり前ととらなおすことによって、考えかたかんじ方、毎日まいにち生活せいかつすこしは楽になるということでしょう。

まんが日本昔ばなし

さだろくとシロ
放送日: 昭和51年(1976年)06月19日
放送回: 第0062話(第0037回放送 Aパート)
語り: 市原悦子・(常田富士男)
出典: 表記なし
演出: 亜細亜堂
文芸: 沖島勲
美術: 西村邦子
作画: 亜細亜堂
典型: マタギ伝説でんせつ由来譚ゆらいたん犬譚いぬたん
地域: 東北地方(秋田県)


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最後に

 今回こんかいは、『さだろくとシロ』のあらすじと解説かいせつ感想かんそう、おすすめ絵本えほんなどをご紹介しょうかいしました。

 『さだ六とシロ』は、だれすくわれない、とても理不尽りふじんであり無慈悲むじひ物語ものがたりです。ぜひれてみてください!

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