昔話『お月さん金の鎖』のあらすじ・内容解説・感想
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 人間にんげん人生じんせい経験けいけんもっともすばらしい人間にんげん関係かんけいは、あいちた家族かぞくなかにあります。家族かぞくあい親子おやこあい兄弟きょうだい(姉妹しまい)あい永遠えいえんわらぬ家族かぞく大切たいせつさをいたおはなしが『おつきさんきんくさり』です。

 今回こんかいは、『おつきさんきんくさり』のあらすじと内容ないよう解説かいせつ感想かんそうなどをご紹介しょうかいします!

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概要

 『おつきさんきんくさり』は、東北とうほく地方ちほうから九州きゅうしゅう地方ちほう、さらに南西なんせい諸島しょとうまで日本にっぽん各地かくちひろ分布ぶんぷします。

 とくに、九州きゅうしゅう地方ちほうなど日本にっぽん列島れっとう南部なんぶ地域ちいき数多かずおお類話るいわ存在そんざいします。

 あらすじには、その土地とちごとに若干じゃっかん差異さいがありますが、典型的てんけいてき内容ないようは、かぎりなくふか母親ははおや愛情あいじょう兄弟きょうだいあいえがいているため、こころかなしみがのこります。

あらすじ

 むかしむかし、あるところに、母親と太郎、次郎、三郎の三人の子どもが住んでいました。

 母親は三人の子どもを大変に可愛がっていて、片時もそばを離れることはありませんでした。

 ところが、ある日、どうしても母親が一人で出かけなければならないことが起きました。

 母親は心配して、上の二人の子どもの太郎と次郎に向かって、
 「お前たちは、十分に気をつけて、家を守るんですよ。お母さんがいない間は、誰が来ても戸を開けてはなりません。油断をすると、恐ろしい山姥がやってきますから」
と言って、一番下の子どもの三郎を託して出かけていきました。

 山姥と聞いただけで、太郎と次郎はガタガタと恐怖に身を震わせました。

 母親の出かけるのを見た山姥は、先ずは母親に襲いかかり喰ってしまいました。

 山姥は、母親の着物を着て、母親に成りすますと、三人の子どもたちがいる家にやってきました。

 しかし、戸がしっかりと閉まっていました。

 「トントントン」
と家で留守番をしていた子どもたちに、戸をたたく音が聞こえてきました。

 「誰ですか」
と家の中から太郎が尋ねると、
 「お母さんだよ」
と外にいる山姥は答えました。

 でも、太くてガラガラな荒い声だったので、
 「嘘だ、嘘だ、お母さんの声はもっときれいで優しいぞ」
と太郎と次郎は言って、戸を開けませんでした。

 仕方がないので、山姥は山に戻り、きれいな声のでる草を食べ、またやってきました。

 「お母さんだよ。戸を開けておくれ」
その声が今度はきれいで優しかったので、太郎は少し戸を開けて、
 「戸の隙間から手を入れて見せておくれ」
と用心して言いました。

 山姥は戸の隙間から手を差し入れました。

 すると、その手は黒くて毛むくじゃらでした。

 「お母さんの手は、こんなにガサガサしていない。スベスベしていてきれいな手だ」
と言って、太郎は戸を閉めてしまいました。

 またしても山姥は、子どもたちに、母親ではないことが知られてしまいました。

 山姥は再び山へ戻ると、山芋を手に塗ってスベスベにして、またまた家で留守番をしている子どもたちのところへやってきました。

 山姥は、きれいな声のでる草を食べているので、きれいな優しい声で、
 「お母さんだよ。戸を開けておくれ」
と言いながら、山芋を塗ったスベスベした手を太郎と次郎に見せました。

 声がきれいで優しく、手がスベスベしていたので、
 「スベスベの手だ。本当のお母さんが帰ってきた」
と喜び、家の中にいた太郎と次郎は、すぐに戸を開けてしまいました。

 まんまと山姥は、子どもたちのいる家の中へ入ることに成功しました。

 山姥は、母親の着物を着て、母親に成りすましていたので、子どもたちはすっかり安心してしまい、いつものように馴れ馴れしく振る舞いました。

 夜になって、山姥は、三人の子の一番下の三郎を抱き上げ、寝間へ入り寝てしまいました。

 別の部屋で寝ていた上の二人の子どもの太郎と次郎は、カリカリと何かをかじる音が聞こえてきたので、夜中に目を覚ましました。

 太郎と次郎が、
 「お母さん、何を食べているの」
と聞くと、山姥は声づくりをして、
 「とても美味しいものだよ。少しあげるから食べてみなさい」
と言って、一本の指を投げたのでした。

 太郎と次郎は、それを見て驚きました。

 それは、山姥が母親に成りすましていることが分かったからでした。

 「あいつは山姥だ、三郎は喰われた」
と叫んで、二人は逃げ出しました。

 夜が明ける頃、家の外に出た二人は、走りに走って川に出ました。しかし、橋がなく渡ることができないので、
 「どうする、どうしよう」
と二人は言いながら、オドオド、キョロキョロしていたら、すぐ先に大きな一本の木があるのを見つけました。

 二人はその木に登って身を隠しました。

 追いかけてきた山姥は、川面に二人が写っているのを見つけまいた。

 「そこにいたのか、もう逃さないぞ」
と言って、山姥は川の中に入っていきました。

 それを木の上から見ていた二人は、おかしくて笑い出してしまいました。

 笑い声に驚いた山姥が上を仰ぐと、探していた二人の子どもが、木の上に隠れていたのでした。

 山姥は二人の子どもに、
 「どうやってそんな高い木に登ったんだね」
と尋ねました。

 子どもたちは、
 「油を足に塗って登ったんだよ」
と答えました。

 山姥は、その通りに油を足に塗って木に登ろうとしましたが、ツルツル滑ってどうしても登れませんでした。

 何回やっても木に登れないので、ふうふうと山姥が肩で息をしている姿を見ると、ついおかしくなって、
 「木にナタで切れ目をつければ登れるのに」
と次郎が言ってしまいました。

 山姥はそれを聞くと、足に塗った油をとると、木にナタで切れ目をつけて登ってきました。

 山姥はドンドンと木を登ってきて、木のてっぺんまで追い詰められた太郎と次郎は、
 「お天道さま、お天道さま、どうか助けてください。天から金の鎖を下ろしてください」
と叫びました。

 すると、天から金の綱がゾロゾロと下りてきました。

 太郎と次郎は、それにぶら下がると、ズンズン天に引き上げられていきました。

 間一髪のところで二人の子どもを捕え損ねた山姥は、残念がりながら、二人の子どもが行った通り天に向かって、
 「鎖をよこせ」
と叫びました。

 すると、今度は、天から腐った縄が下がってきました。

 山姥は、それにぶら下がり天に登りかけましたが、途中でプッツリ切れ、蕎麦畑に落ちてしまいました。

 蕎麦畑に落ちた山姥は、そこにあった石に頭を打ちつけて、そのまま死んでしまいました。

 山姥の流した血で、蕎麦の茎が真っ赤に染まったので、今でも、蕎麦の茎は赤いといわれています。

 そして、金の鎖で天に登り、助かった太郎と次郎は、やがて夜空に光り輝くお星さまになったのでした。

解説

 『おつきさんきんくさり』の昔話むかしばなしは、東北とうほく地方ちほうから九州きゅうしゅう地方ちほう、さらに南西なんせい諸島しょとうまで日本にっぽん各地かくちひろかたられています。

 とくに、九州きゅうしゅう地方ちほうなど日本にっぽん列島れっとう南部なんぶ地域ちいき数多かずおお類話るいわ存在そんざいします。

 かたられる地域ちいきによって、展開てんかいこまかい設定せっていちがいがみられますが、おおむね筋立すじだては共通きょうつうしています。

 『おつきさんきんくさり』は、怪談かいだんばなしおもむきつよ内容ないようですが、その一方いっぽうで、瀬戸内海せとないかいかぶ塩飽しわく諸島しょとう中心ちゅうしん香川県かがわけん丸亀市まるがめしぞくする本島ほんじまをはじめとして、中国ちゅうごく四国しこく九州きゅうしゅう地方ちほうでは『蕎麦そばくき何故なぜあかいかのはなし』というだいで、ややあかみかがっている蕎麦そばくきいろ由来ゆらいばなしとしてかたられています。

 沖縄県おきなわけん八重山やえやま列島れっとうにある石垣島いしがきじまなどでは、『兄弟星きょうだいぼし』や『おつきほし』というだいで、「二人ふたり兄弟きょうだいほしになった」または「二人ふたり兄弟きょうだい一人ひとりつきでもう一人ひとりほしになった」として、つきほし由来ゆらいばなしとしてかたられています。

 さらには、九州きゅうしゅう地方ちほう北方ほっぽうにある玄界灘げんかいなだかぶ長崎県ながさきけん対馬島つしまとうなどでは、『天道てんどうさまきんくさり』というだいで、母親ははおや蘇生そせいする展開てんかいのおはなしかたられています。

 また、「おつきさまいくつ、十三じふさんななつ、まだとしわかいな」という歌詞かしられる、わらべうた『おつきさまいくつ』のうた由来ゆらいとしてもかたられることがあります。

 それから、日本にっぽんには、『おつきさんきんくさり』とおなじように、山姥やまんばからどもがげる『三枚さんまいのおふだ』という有名ゆうめい昔話むかしばなしがあります。

 この『三枚さんまいのおふだ』も日本にっぽん各地かくちひろかたられていますが、面白おもしろいことに『おつきさんきんくさり』とは対照的たいしょうてきに、類話るいわ東北とうほく地方ちほうなど日本にっぽん列島れっとう北部ほくぶ地域ちいき数多かずおお存在そんざいしています。

感想

 どもが成長せいちょうしていくうえで、家庭かていというのは大切たいせつ役割やくわりになっています。

 おや成長せいちょう最後さいごまで見届みとどけることはできません。

 一人ひとり家庭かていであれば、友達ともだち大切たいせつさをおしえなければいけませんが、兄弟きょうだい姉妹しまいのいる家庭かていであるならば、兄弟きょうだい(姉妹しまい)あいおしえることがとても重要じゅうようです。

 兄弟きょうだい(姉妹しまい)あいは、がつながっているから自然しぜんまれるものではありません。

 わがたいしておやが、時間じかんをかけ、はぐくみ、おぼえるものです。

 兄弟きょうだい(姉妹しまい)あいはぐくむためには、おや兄弟きょうだい(姉妹しまい)をくらべることはせず、平等びょうどうあいすることです。

 それだけでどもは安心あんしんします。

 また、兄弟きょうだい(姉妹しまい)あいはぐくさい年齢ねんれい一番いちばんうえしたたちの面倒めんどうをみるようにする傾向けいこうがありますが、それよりもどもはそれぞれが自立じりつするよう方向ほうこうづけることがのぞましいです。

 だれかに責任せきにんしつけてしまうと、ほかどもたちは依頼いらいするくせがついてしまいます。

 そして、年齢ねんれい一番いちばんうえ責任せきにんおもくのしかかってしまいます。

 もしくは、はやまれただけなのに、「自分じぶんえらい」とか「特権とっけんがある」とか、年齢ねんれい一番いちばんうえ勘違かんちがいをするようになってしまうかもしれません。

 もちろん、年齢ねんれい一番いちばんうえしたたちの面倒めんどうをみることを否定ひていしません。しかし、したたちがうえたすけることだってあります。

 つまり、兄弟きょうだい(姉妹しまい)はチームということです。

 リーダーは、兄弟きょうだい(姉妹しまい)のなかで、日々ひび場面ばめん場面ばめんわるということです。

 愛情あいじょう素直すなおあたえたりれたりするものが兄弟きょうだい(姉妹しまい)の関係かんけいです。

 そして、兄弟きょうだい(姉妹しまい)が、おたがいに尊敬そんけいい、信頼しんらいい、たすえる関係かんけいきずくことこそが、おやのこすことのできる最高さいこう財産ざいさんだとおもいます。

まんが日本昔ばなし

『おつきさんきんくさり
放送日: 昭和52年(1977年)03月19日
放送回: 第0124話(0076 Aパート)
語り: 市原悦子・(常田富士男)
出典: 表記なし
演出: 芝山努
文芸: 沖島勲
美術: 芝山努
作画: 芝山努
典型: 逃竄譚とうざんたん由来譚ゆらいたん妖怪譚ようかいたん山姥譚やまんばたん
地域: ある所

最後に

 今回こんかいは、『おつきさんきんくさり』のあらすじと内容ないよう解説かいせつ感想かんそうなどをご紹介しょうかいしました。

 冒頭ぼうとうから母親ははおや山姥やまんばわれてしまうという展開てんかいおどろかされ、結末けつまつでもてんのぼったどもたちがつきほしになるという、おそろしいだけではなく悲劇ひげきかんじるおはなしが『おつきさんきんくさり』です。ぜひれてみてください!

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