昔話『かぐや姫』のあらすじ・内容解説・感想|おすすめ絵本
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 『かぐや姫ひめ』の原話げんわは、平安へいあん時代じだい前期ぜんきに成立せいりつした日本にっぽん最古さいこの物語ものがたりとされる『竹取たけとり物語ものがたり』です。天上界てんじょうかいの女性じょせいが地上ちじょうに降おり、再ふたたび天上界てんじょうかいに帰かえるという“昇天しょうてん”を題材だいざいにした説話せつわです。

 今回こんかいは、『かぐや姫ひめ』のあらすじと内容ないよう解説かいせつ、感想かんそう、おすすめ絵本えほんなどをご紹介しょうかいします!

概要

かぐやひめ 復刊 日本の名作絵本2 円地文子 秋野不矩 岩崎書店 『かぐや姫ひめ』の原話げんわは、平安へいあん時代じだい前期ぜんき(9世紀せいき後半こうはんから10世紀せいき前半ぜんはん頃ころ)に成立せいりつしたとされる『竹取たけとり物語ものがたり』を子こどもにも分わかりやすく要約ようやくしたお話はなしです。

 『かぐや姫ひめ』は、天上界てんじょうかいの女性じょせいが地上ちじょうに降おり、再ふたたび天上界てんじょうかいへと帰かえって行いくという、神かみの住すむ天上界てんじょうかいへの憧あこがれと畏おそれを描えがいた物語ものがたりです。

 ちなみに、『竹取たけとり物語ものがたり』の作者さくしゃは不明ふめいで、正確せいかくな成立せいりつ年ねんも未詳みしょうです。

 平安へいあん時代じだい中期ちゅうき(11世紀せいき初はじめ)、紫式部むらさきしきぶによって創作そうさくされた日本にっぽんの長編ちょうへん物語ものがたりである『源氏げんじ物語ものがたり』には、「物語ものがたりの出いで来きはじめの祖そなる竹取たけとりの翁おきな」とあることから、『竹取たけとり物語ものがたり』は日本にっぽん最古さいこの物語ものがたりといわれています。

 絵本えほん『かぐやひめ (復刊ふっかん・日本にっぽんの名作めいさく絵本えほん 2)』は、岩崎いわさき書店しょてんから出版しゅっぱんされています。円地文子えんちふみこさんの文ぶんは、古典こてん『竹取たけとり物語ものがたり』を現代風げんだいふうにアレンジしたものではなく、原作げんさくに忠実ちゅうじつでありながら、易やさしく伝つたえた現代語げんだいご訳やくです。そこに絵巻物えまきものを見みているような秋野不矩あきのふくさんの美うつくしく生いき生いきとした絵えに、子こどものみならず大人おとなも惹ひき付つけられます。本格的ほんかくてきな絵本えほんです。

 絵本えほん『かぐやひめ (日本にっぽんの民話みんわえほん)』は、教育きょういく画劇がげきから出版しゅっぱんされています。岩崎京子いわさききょうこさんの文ぶんは滑なめらかで子こどもでも読よみやすく、そこに長野ながのヒデ子こさんの独特どくとくなタッチの絵えが重かさなることで、とても楽たのしい絵本えほんになっています。

 絵本えほん『かぐやひめ (日本にっぽん名作めいさくおはなし絵本えほん)』は、小学館しょうがっかんから出版しゅっぱんされています。舟崎克彦ふなざきよしひこさんの古典こてん『竹取たけとり物語ものがたり』を忠実ちゅうじつに表現ひょうげんした流麗りゅうれいな文ぶんと、金斗鉉きむとうげんさんの繊細せんさいで美うつくしいイラストレーションとして完成かんせいされた現代風げんだいふうの絵えが、読よむ者ものを古典こてんの世界せかいへと誘いざないます。

 「講談社こうだんしゃの絵本えほん」として昭和しょうわ12年ねん(1937年)に刊行かんこうされた『かぐや姫ひめ』が、平成へいせい13年ねん(2001年ねん)に現代げんだい仮名かなづかいで復刻ふっかんしました。一流いちりゅうの日本にほん画家がかによって緻密ちみつに描えがかれた絵えには、とても迫力はくりょくがあります。歴史れきし画がや物語ものがたりの世界せかいを得意とくいとする織田観潮おだかんちょう氏しが描えがく『かぐや姫ひめ (新しん・講談社こうだんしゃの絵本えほん)』は、とても美うつくしいです。おすすめの絵本えほんです。

 『かぐやひめ (せかい童話どうわ図書館としょかん 31)』は、いずみ書房しょうぼうから出版しゅっぱんされています。通常つうじょうの児童書じどうしょより『かぐや姫ひめ』のお話はなしが詳細しょうさいに記しるされているので、小しょう・中学生ちゅうがくせいから大人おとなまで楽たのしむことができます。幻想的げんそうてきで美うつくしい物語ものがたりでありながら、同時どうじに比類ひるいなき非情ひじょうさをも秘ひめた、古典こてん『竹取たけとり物語ものがたり』の世界せかいを忠実ちゅうじつに表現ひょうげんしています。

あらすじ

 むかしむかし、竹取たけとりのお爺じいさんが山やまで竹たけを取とっていると、一本いっぽんの光ひかり輝かがやく竹がありました。

 不思議ふしぎに思おもい、その竹を切きってみると中なかには三寸さんすんほどの小ちいさな可愛かわいらしい女おんなの子こが座すわっていました。

 これは神様かみさまからの授さずかりものに違ちがいないと思い、お爺さんは女の子を家いえに連つれて帰かえり、かぐや姫ひめと名付なづけてお婆ばあさんと二人ふたりで大切たいせつに育そだてることにしました。

 その日ひからお爺さんが山へ竹を取りに行いくと、竹の中に黄金おうごんを見みつける日が続つづき、お爺さんとお婆さんは豊ゆたかになりました。

 かぐや姫はどんどん大おおきくなり、三ヶ月さんかげつほどで美うつくしい娘むすめに成長せいちょうしました。

 美しいかぐや姫の噂うわさは瞬またたく間まに広ひろまり、五人ごにんの立派りっぱな若者わかものから結婚けっこんを申もうし込こまれますが、かぐや姫は結婚の条件じょうけんとしてそれぞれに難題なんだいを課かしました。

 そして結局けっきょくは、かぐや姫が課した難題をこなした者ものは誰一人だれひとりとしていませんでした。

 また、かぐや姫の美貌びぼうに心こころを奪うばわれた帝みかどは、かぐや姫に宮仕みやづかえを命めいじますが拒否きょひされます。

 やがて十五夜じゅうごやが近ちかづくと、かぐや姫は月つきを見みて物思ものおもいに耽ふけるようになりました。

 お爺さんとお婆さんが理由りゆうを聞きくと、
 「自分じぶんが月の都みやこの者であり、十五夜に月から迎むかえがやって来くる」
とかぐや姫から打うち明あけられました。

 お爺さんとお婆さんは、かぐや姫を月の使者ししゃから守まもるため、帝にお願ねがいをして、十五夜の日にたくさんの軍勢ぐんぜいを手配てはいしました。

 ところが、月の使者がやって来ると軍勢は動うごけなくなってしまいました。

 かぐや姫はお爺さんに不死ふしの薬くすりを渡わたして別わかれを告つげ、月の使者とともに月の都へと帰っていきました。

 お爺さんは、
 「かぐや姫がいないのに長生ながいきしてもしかたがない」
と言いいました。

 そして、帝も薬をご覧らんになり、
 「かぐや姫に逢あえないのに、不死の薬に何なんの意味いみがあるだろうか」
と言って、臣下しんかに命じ、天てんに一番いちばん近ちかいとされる駿河するがの山やまの頂上ちょうじょうで、かぐや姫からもらった不死の薬を燃もやしてしまいました。

解説

 『かぐや姫ひめ』の原話げんわは、「今いまは昔むかし、竹取たけとりの翁おきなといふ者ものありけり」で始はじまる『竹取たけとり物語ものがたり』です。

竹取物語

 日本人にっぽんじんなら誰だれもが知しっている『竹取たけとり物語ものがたり』は、実じつは童話どうわでもSFでもなく「反権力はんけんりょくを風刺ふうしした物語ものがたり」といわれています。

 それが如実にょじつにあらわれているのが、『竹取たけとり物語ものがたり』のお話はなしの中なかで、求婚きゅうこんする五人ごにんの貴公子きこうしと入内にゅうないさせようとした帝みかどを描えがいた箇所かしょです。

 五人ごにんの貴公子きこうしと帝みかどは、実在じつざいした人物じんぶつを参考さんこうにしたといわれています。

 帝みかどとは天皇てんのうの尊称そんしょうなので、まさに日本にっぽんを治おさめる最高さいこうの支配者しはいしゃです。そして、五人ごにんの貴公子きこうしも飛鳥あすか時代じだいから奈良なら時代じだい初期しょきにかけて、大変たいへんに高たかい位くらいと多おおくの富とみを持もつ人物じんぶつです。

 では、『竹取たけとり物語ものがたり』に登場とうじょうする五人ごにんの貴公子きこうしと帝みかど、そして主人公しゅじんこうのかぐや姫ひめがどの様ような人物じんぶつなのかを一人ひとりずつ紐解ひもといていきましょう。

石作皇子

 かぐや姫ひめから石作皇子いしづくりのみこへの要望ようぼうは、天竺てんじくにある「仏ほとけの御石みいしの鉢はち」を取とってくるようにいわれますが、大和国やまとのくに十市郡とおいちぐんの山寺やまでらにあった古ふるい鉢はちを持参じさんし、見破みやぶられてしまいます。

 石作皇子いしづくりのみこのモデルは多治比嶋たじひのしま(624~701年ねん)といわれています。

 多治比嶋たじひのしまは、飛鳥あすか時代じだい後期こうきの公卿くぎょうで、第だい28代だい・宣化せんか天皇てんのうの玄孫やしゃごにあたります。697年ねんに左大臣さだいじんに任官にんかんされ、701年ねん(大宝たいほう元年がんねん)には正二位しょうにいに叙じょされた人物じんぶつです。

車持皇子

 車持皇子くらもちのみこは、かぐや姫ひめから要望ようぼうされた根ねが銀ぎん、茎くきが金きん、実みが真珠しんじゅの木きの枝えだである「蓬莱ほうらいの玉たまの枝え」の贋物にせものを、秘密ひみつの工房こうぼうで千日せんにちかけて作つくらせ持もって行いきます。翁おきなはすっかり信用しんようして、かぐや姫ひめも諦あきらめかけたところに報酬ほうしゅうを支払しはらわれていない職人しょくにんがやってきて嘘うそがばれ、なんともお粗末そまつな結末けつまつに終おわります。

 車持皇子くらもちのみこのモデルは藤原不比等ふじわらのふひと(659~720年ねん)といわれています。

 藤原不比等ふじわらのふひとは、飛鳥あすか時代じだいから奈良なら時代じだい初期しょきにかけての公卿くぎょうで、父ちちは「大化たいかの改新かいしん」の中心ちゅうしん人物じんぶつである藤原鎌足ふじわらのかまたりです。第だい41代だい・持統じとう天皇てんのうに仕つかえ、『大宝律令たいほうりつりょう』や『日本書紀にほんしょき』の編纂へんさんに関かかわりました。708年ねん(和銅わどう元年がんねん)に正二位しょうにいと右大臣うだいじんに任官にんかんされ、720年ねん(養老ようろう4年ねん)8月がつ3日かに死去しきょした際さいには、正一位しょういちいと太政大臣だいじょうだいじんを追贈ついぞうされた人物じんぶつです。

右大臣阿倍御主人

 右大臣うだいじん阿倍御主人あべのみうしは、かぐや姫ひめから要望ようぼうされた、唐土もろこしにあり燃もえないとされる布ぬの「火鼠ひねずみの裘かわごろも」を唐とうの商人しょうにんから高値たかねで購入こうにゅうしましたが、それは燃もえてしまう贋物にせもので、右大臣うだいじんの願望がんぼうも燃もえ尽つきてしまいます。

 右大臣うだいじん阿倍御主人あべのみうし(635~703年ねん)は実在じつざいの人物じんぶつです。

 阿倍御主人あべのみうしは、飛鳥あすか時代じだいの高官こうかんで、最終さいしゅう官位かんいは右大臣うだいじん従二位じゅにいです。子孫しそんには平安へいあん時代じだいの陰陽師おんみょうじ・安倍晴明あべのせいめいがいます。また、奈良県ならけん高市郡たかいちぐん明日香村あすかむらにあるキトラ古墳こふんの被葬者ひそうしゃであるとする説せつが提唱ていしょうされています。

大納言大伴御行

 大納言だいなごん大伴御行おおとものみゆきは、かぐや姫ひめから要望ようぼうされた五色ごしょくに輝かがやくという「龍たつの首くびの珠たま」を探さがしに、財ざいをはたき行いき先さきもわからず船出ふなでしますが、大嵐おおあらしに遭あい、さらに重病じゅうびょうにかかったため諦あきらめてしまいます。

 大納言だいなごん大伴御行おおとものみゆき(646~701年ねん)は実在じつざいの人物じんぶつです。

 大伴御行おおとものみゆきは、飛鳥あすか時代じだい中期ちゅうきから後期こうきの高官こうかんで、有力ゆうりょく氏族しぞくである大伴おおとも氏しの氏上うじのかみです。最終さいしゅう官位かんいは正広肆しょうこうし大納言だいなごんですが、701年ねん1月がつ15日にちに死去しきょした際さいには、正広弐しょうこうに右大臣うだいじんを追贈ついぞうされたほどの人物じんぶつです。

中納言石上麻呂足

 中納言ちゅうなごん石上麻呂足いそのかみのまろたり、かぐや姫ひめから要望ようぼうされた「燕つばめの産うんだ子安貝こやすがい」を取とるために籠かごに乗のって大炊寮おおいりょうの小屋こやの屋根やねに上あがったところ、燕つばめの糞ふんをつかんで転落てんらくして腰こしを打うち、命いのちを落おとしてしまいます。

 中納言ちゅうなごん石上麻呂足いそのかみのまろたり(640~717年ねん)は実在じつざいの人物じんぶつです。

 史書ししょでは石上麻呂いそのかみのまろと記しるされ、飛鳥あすか時代じだいから奈良なら時代じだいにかけての高官こうかんです。最終さいしゅう官位かんいは正二位しょうにい左大臣さだいじんですが、死去しきょするまでの数年間すうねんかんは太政官だいじょうかんの最高位者さいこういしゃでした。717年ねん(霊亀れいき3年ねん)3月がつ 3日かに死去しきょした際さいには、従一位じゅいちいが追贈ついぞうされています。

帝

 かぐや姫ひめを入内にゅうないさせようとし、月つきへ還かえってしまってからも未練みれん心ごころを抱いだいていた帝みかどとは誰だれでしょうか。

 五人ごにんの貴公子きこうしが都みやこにいた時ときの天皇てんのうは天武てんむ、持統じとう、文武もんむです。このうち持統じとう天皇てんのうは女性じょせいだから除外じょがいします。天武てんむ天皇てんのうの在位ざいい期間きかんに藤原不比等ふじわらのふひとなどはまだ若輩じゃくはいで表舞台おもてぶたいには現あらわれていません。従したがって、『竹取たけとり物語ものがたり』に登場とうじょうする帝みかどとは、第だい42代だい・文武もんむ天皇てんのう(在位ざいい697~707年ねん)となります。

 文武もんむ天皇てんのうは、当時とうじとしては異例いれいの14歳さいの若わかさで即位そくいしますが、朝廷ちょうていの人事権じんじけんや政治せいじの実権じっけんは祖母そぼである持統じとう上皇じょうこうが握にぎっていました。

 たぶん持統じとう上皇じょうこうより、「かぐや姫ひめがいくら光ひかり輝かがやく娘むすめだとはいえ、どこの誰だれかわからない田舎いなか娘むすめを宮中きゅうちゅうに迎むかえ入いれるなんてもってのほかだ」と言いわれてしまったのでしょう。

 文武もんむ天皇てんのうのやるせない気持きもちを、かぐや姫ひめに対たいして未練みれんたらたらと表現ひょうげんすることで、落胆らくたんする文武もんむ天皇てんのうの複雑ふくざつな感情かんじょうが物語ものがたりから手てに取とるように分わかります。

かぐや姫

 かぐや姫ひめは五人ごにんの貴公子きこうしに無理むり難題なんだいを吹ふっ掛かけて退散たいさんさせ、さらに失敗しっぱいを嘲笑ちょうしょうしています。

 その中なかでも、この世よの繁栄はんえいを謳歌おうかする車持皇子くらもちのみこ(藤原不比等ふじわらのふひと)は最もっとも悪わるく描えがかれています。

 さらに、帝みかど(文武もんむ天皇てんのう)からの入内にゅうない命令めいれいにも従したがわず、最後さいごには朝廷ちょうていから派遣はけんされた武力ぶりょくにも屈くっせず、故郷こきょうの月つきへ還かえってしまうというたくましい女性じょせいです。

 かぐや姫ひめは決けっしてかよわい・・・・お姫様ひめさまではありませんでした。

かぐや姫が月へ還ってしまった日

 おまけとして、「かぐや姫ひめが月つきへ還かえってしまった日ひ」を検証けんしょうしてみましょう。

 「かぐや姫ひめが月つきへ還かえってしまった日ひ」は、文武もんむ天皇てんのうの在位ざいい期間きかん(697~707年ねん)の「中秋ちゅうしゅうの名月めいげつ」から推定すいていできます。

 文武もんむ天皇てんのうは、697年ねんに14歳さいの若わかさで即位そくいしますが、実権じっけんは祖母そぼである持統じとう上皇じょうこうが握にぎっていました。その持統じとう上皇じょうこうは702年ねん(大宝たいほう2年ねん)12月がつ22日にちに崩御ほうぎょしました。そして、文武もんむ天皇てんのうは707年ねん(慶雲けいうん4年ねん)6月がつ15日にちに24歳さいの若わかさで崩御ほうぎょしました。

 つまり、「かぐや姫ひめが月つきへ還かえってしまった日ひ」は、文武もんむ天皇てんのうが名実めいじつともに祭祀さいしと政治せいじを司つかさどることになった703~706年ねん(大宝たいほう3年ねん~慶雲けいうん3年ねん) の「中秋ちゅうしゅうの名月めいげつ」となります。

 この時代じだいの「中秋ちゅうしゅうの名月めいげつ」は旧暦きゅうれき8月がつ15日にちになります。それを現在げんざいの暦こよみに当あてはめると、
  ・703年ねん9月がつ30日にち
  ・704年ねん9月がつ18日にち
  ・705年ねん9月がつ7日か
  ・706年ねん9月がつ26日にち
上記じょうきのようになります。

 あらすじには、「天てんに一番いちばん近ちかいとされる駿河するがの山やまの頂上ちょうじょうで、かぐや姫ひめからもらった不死ふしの薬くすりを燃もやしてしまいました」とあります。

 物語ものがたりに登場とうじょうする駿河するがの山やまは「不死ふしの薬くすりを燃もやした山やま」ということから、「不死山ふしやま」と呼よばれるようになり、そして現在げんざいは日本人にっぽんじんなら誰だれもが知しっている「富士山ふじさん」になりました。

 また、飛鳥あすか時代じだいの歌人かじんである柿本人麻呂かきのもとのひとまろの撰せんとされる『柿本集かきもとしゅう』には700年ねん(文武もんむ4年ねん)頃ころの富士山ふじさんの火山かざん活動かつどうの様子ようすを詠よんだ歌うたがあります。

 700~1000年代ねんだいは比較的ひかくてき多おおくの噴火ふんかが富士山ふじさんでは起おこっていたようです。

 そのことからも、上記じょうきの四よっつの日付ひづけは一致いっちするので、そのいずれかの日ひに、かぐや姫ひめは月つきへ還かえっていったと考かんがえられます。

 『竹取物語たけとりものがたり ([新版しんぱん]角川かどかわソフィア文庫ぶんこ)』は、角川かどかわ書店しょてんから出版しゅっぱんされています。注釈ちゅうしゃく付つきの原文げんぶんが全部ぜんぶ・現代語げんだいご訳やくが全部ぜんぶ・解説かいせつが全部ぜんぶという構成こうせいになっているため、注釈ちゅうしゃくを参照さんしょうしつつ原文げんぶんを丁寧ていねいに読よみ進すすめることも、現代語げんだいご訳やくをみながら原文げんぶんを読よみ進すすめることもも可能かのうです。とても読よみやすい構成こうせいのため、色々いろいろな解釈かいしゃくをめぐることができ、想像力そうぞうりょくを掻かき立たてられます。大人おとなも楽たのしめる一冊いっさつといえます。

感想

 『かぐや姫ひめ』は、いつ頃ごろかは分わかりませんが、しかし、はるかずっと昔むかし、幼おさなかった日ひのいつ頃ごろかには、とにかくお話はなしを知しっていました。

 日本人にっぽんじんであれば、おそらく例外れいがいなくそう言いうのではないでしょうか。

 そして、不思議ふしぎなことに、その思おもい出でに加くわえて、なにかとても美うつくしい夢ゆめと清きよめられた感情かんじょうとが、ゆっくりと漂ただようような感覚かんかくを、誰だれもが覚おぼえるのではないでしょうか。

 このように、ある民族みんぞくの魂たましいに深ふかく強つよく刻きざみ込こまれ、しかも時代じだいが移うつり変かわっているのに、新あたらしい魅力みりょくの発見はっけんと豊ゆたかな創造そうぞうを駆かり立たてる『かぐや姫ひめ』こそ、日本人にっぽんじんにとって昔話むかしばなしの中なかの昔話むかしばなしではないでしょうか。

 いつどのようにしてか分わからないほど、多様たような形かたちでこのお話はなしは私わたしたち日本人にっぽんじんの魂たましいの中なかに入はいり込こんでいます。

 それほど、『かぐや姫ひめ』は、現代げんだいにおいても輝かがやきを失うしなっていないお話はなしといってよいでしょう。

まんが日本昔ばなし

『かぐや姫ひめ』
放送日: 昭和50年(1975年) 03月11日
放送回: 第0020話(第0010回放送 Bパート)
語り: 市原悦子・(常田富士男)
出典: 表記なし
演出: 児玉喬夫
脚本: 平見修二
美術: 阿部幸次
作画: 樋口雅一
典型: 異世界転生譚いせかいてんせいたん・異常誕生譚いじょうたんじょうたん・贖罪譚しょくざいたん
地域: 中部地方(静岡県)/近畿地方(京都府・奈良県)

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最後に

 今回こんかいは、『かぐや姫ひめ』のあらすじと内容ないよう解説かいせつ、感想かんそう、おすすめ絵本えほんなどをご紹介しょうかいしました。

 『かぐや姫ひめ』は、実じつは貧まずしい暮くらしを強しいられていた竹取たけとりのお爺じいさんに代かわって、かぐや姫ひめが富とみと権力けんりょくを懲こらしめるという権力けんりょく批判ひはんの物語ものがたりといわれています。ぜひ触ふれてみてください!

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