『座頭の木』は、供養とは亡き者と生きる者が「共に支えあうことで心が養われる」という意味合いを持つことを、とても詩的に、そして象徴的に、子どもでも理解できるよう伝えた、素晴らしい内容の民話です。
今回は、『座頭の木』のあらすじと解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介します!
概要
『座頭の木』は、東北地方に位置する秋田県に伝わる民話です。
全国でも秋田県のみに伝わり、この一話しか採話されていない、類話が存在しないという大変に珍しい民話です。
『座頭の木』は、大雨や洪水、座頭のご遺体など、恐ろしい内容からお話が始まりますが、座頭を手あつくほうむった渡し守の善行によって、美しく楽しいお話に展開し、子どもの心を豊かに育んでいきます。
昭和43年(1968年)に講談社より発行された、松谷みよ子の『日本のむかし話 1』の中で「座頭の木」の題で紹介されれたことにより日本中で広く知られるようになりました。
あらすじ
むかしむかし、ある大きな川のほとりに、渡し守と呼ばれる渡し船の船頭が住んでいました。
ある年、ひどい雨が降り続いて川の水があふれ出し、近くの村は洪水で大変なことになりました。洪水の後、流れてくる木を拾おうと渡し守が舟を出すと、ちょうど手頃な木が流れてきました。さっそく引き寄せてみるとそれは木ではなく、なんと座頭のご遺体でした。
村の子どもたちに好かれて、座頭が子どもたちに独楽や凧を作っている姿を渡し守も見たことがありました。気の毒に思った渡し守は、畑の中に丁寧に座頭を埋葬しました。
それから数日後、渡し守がお供え物を持って座頭を埋めた場所に行ってみると、そこには木が生えていました。そして、その木は見る見るうちに、大きな木になりました。やがてその大木につぼみがなり、赤や黄や白の大きな花を咲かせました。
ある日、村の子どもが花の中に座頭が座っているのを見つけました。さらに座頭は、笛や太鼓、三味線を鳴らしながら賑やかなお囃子を始めました。
この座頭の木の噂はあっという間に広まり、そのにぎやかな様子や花の色や香りを楽しむ人々が、遠くの町からも毎日のように押し寄せました。
そこで、渡し守は見物客を相手に、饅頭や弁当を売る商売を始めました。洪水で家を流された村人も渡し守も大勢の見物客のおかげで、暮らしがかなり楽になりました。
何日かすると、花が川に散り始めました。花の中の座頭は川に流れながらも賑やかに楽器を打ち鳴らすので、川を流れる花と一緒に座頭のお囃子を楽しみたいという見物客が増えたので、渡し守は舟を出すようになり、本職の渡し船でもお金を稼ぐことができるようになりました。
そして秋になり、中に座頭が座っている花は全て散って見物客はいなくなりました。
やがて雪が舞いはじめ、北風が強くなってきた正月も近い頃、座頭の大木は実をつける代わりに、独楽や鞠や凧や人形など、子どもたちが欲しがるおもちゃを実らせる様になりました。
座頭の木は正月になるまで、村中の子どもたちに欲しい物を贈りました。
これは子ども好きだった座頭から子どもたちへのお正月の贈り物でした。
解説
座頭とは、琵琶法師の座に所属する剃髪した盲人の名称です。中世には琵琶法師の通称となり、近世には琵琶や三味線などを弾いて歌を歌い、物語を語り、按摩、鍼治療、金融などを生業としました。
さて、供養とはもともとは仏教の教えであり、仏に捧げものをすることを指す言葉です。しかし、仏教がインドから日本へ伝わり、長い時間の中で日本の祖先崇拝の風習と合わさっていったことで、だんだんと祖先や故人の冥福を祈る行為全般を供養と呼ぶようになりました。
そして、自然万物のあらゆるものに神様が宿るという日本古来の考え方も重なり合ったことで、今日の日本では供養の対象は先祖や故人の他に、動物や人形、大事な道具なども含むようになりました。
供養には故人の冥福を祈る他にも、一族の絆を深めあったり、自身の人生について考え直したりする目的があります。供養には、さまざまな種類とそれぞれに意味がありますが、いずれにしても最も大切なことは故人の冥福を祈る気持ちです。
感想
孔子が開いた儒教は、次の三つのことを人間の“つとめ”として打ち出しています。
一つ目は、祖先祭祀をすることです。仏教でいうところの先祖供養です。
二つ目は、家庭において子が親を愛し、かつ敬うことです。
三つ目は、子孫一族が続くことです。
そして、この三つの“つとめ”を合わせたものを「孝」と呼びます。
あらゆる人には祖先および子孫というものがありますが、祖先とは過去であり、子孫とは未来です。その過去と未来をつなぐ中間に現在があり、現在は現実の親子によって表わされます。
すなわち、親は将来の祖先であり、子は将来の子孫の出発点です。だから、子の親に対する関係は、子孫の祖先に対する関係でもあります。
つまり、現在を生きている私たちは、自らの生命の糸をたぐっていくと、はるかな過去にも、はるかな未来にも、祖先も子孫も含め、みなと一緒に共に生きていることになります。私たちは個体としての生物ではなく一つの生命として、過去も現在も未来も、一緒に生きるということです。
『座頭の木』は、「遺体」の本当の意味は、文字通り「遺した体」と教えています。
遺体とは、自分がこの世に遺していった体、すなわち「子」ということです。あなたは、あなたの祖先の遺体であり、ご両親の遺体なのです。あなたが、いま生きているということは、祖先やご両親の生命も一緒に生きているということを『座頭の木』は教えています。
まんが日本昔ばなし
『座頭の木』
放送日: 昭和51年(1976年)05月01日
放送回: 第0052話(第0030回放送 Aパート)
語り: 常田富士男・(市原悦子)
出典: 表記なし
演出: 馬郡美保子
文芸: 沖島勲
美術: 馬郡美保子
作画: 福田皖
典型: 奇譚
地域: 東北地方(秋田県)
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『座頭の木』は「DVD-BOX第8集 第36巻」で観ることができます。
最後に
今回は、『座頭の木』のあらすじと解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介しました。
供養とは、亡き者への尊敬の念から、行動(身)と言葉(口)と心(意)の三種の方法によって供物を捧げることを言います。『座頭の木』は、普段は忘れがちな亡き者への感謝を思い出すきっかけとなるとともに、子どもに供養の意義や亡き者に対する感謝の念を教える物語です。ぜひ触れてみてください!