昔話『あとかくしの雪』のあらすじ・内容解説・感想
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 「滅私めっし奉公ほうこう」という故事こじがあります。これは、「ててこうくす」ことが美徳びとくとされる日本人にっぽんじん精神せいしん意味いみします。『あとかくしのゆき』は、まさにその日本人にっぽんじん精神せいしんである“自己犠牲じこぎせい”を主題しゅだいにしたおばなしです。

 今回こんかいは、『あとかくしのゆき』のあらすじと内容ないよう解説かいせつ感想かんそうなどをご紹介しょうかいします!/p>

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概要

 『あとかくしのゆき』は、中部ちゅうぶ地方ちほう位置いちする新潟県にいがたけん中国ちゅうごく地方ちほう位置いちする広島県ひろしまけんつたわる民話みんわとされます。

 木下順二きのしたじゅんじの『あとかくしのゆき』が小学校しょうがっこう国語こくご教科書きょうかしょ採用さいようされたことにより、日本中にっぽんじゅうひろられるようになりました。

 『あとかくしのゆき』は、『おころもえ』とばれる、いわゆる日本にっぽん各地かくち多数たすう存在そんざいする「空海くうかい(弘法こうぼう大師だいし)伝説でんせつ」のひとつです。

 そして、旧暦きゅうれきの11がつ23にち、つまり冬至とうじばんに、日本にっぽん各地かくちおこなわれる民間みんかん行事ぎょうじ大師講だいしこう」の由来ゆらいのおはなしとして、庶民しょみんこころに、よりひろふか浸透しんとうしています。

『あとかくしのゆき』は、かなしくて、せつなくて、残酷ざんこくなのにうつくしいおばなしです。

あらすじ

 むかしむかし、あるふゆ夕暮ゆうぐれ、一人ひとり旅人たびびとゆきもったちいさなむらにやってきました。

 旅人たびびとは、とぼりとぼりゆきうえあるきながら、一軒いっけん一軒いっけんたずねては、
 「どうか一晩ひとばんだけめてください」
たのんでまわりました。

 しかし、どこのだれともわからない、みすぼらしい旅人たびびといえめるものだれもいませんでした。

 しかも、いまにもゆきしそうなで、野宿のじゅくをするわけにもいきませんでした。

 旅人たびびと最後さいごをたたいたのは、むらでも一番いちばんまずしいいえで、おばあさんがひとりきりでんでいました。

 「なにもいらないから、どうか一晩ひとばんだけめてください」
旅人たびびとたのみこみました。

 おばあさんは、自分じぶんべるものもろくにないくらいまずしいのに、
 「ああ、ええとも。オラのとこは貧乏びんぼうなにもないが、まっていってくれ」
とおばあさんはどく旅人たびびとこころよいえまねきいれました。

 「ありがとうございます。めていただければ、わたしなにもいりません」
って、旅人たびびとはおばあさんのいえにあがりました。

 旅人たびびといえにあげてはみたものの、なにしろこのおばあさんは、なんともかとも貧乏びんぼうで、なにひとつ旅人たびびとをもてなしてやることができませんでした。

 そこで、しかたなく、ばんになってから、おばあさんはとなりおおきないえ大根だいこんばたけき、
 「今日きょうだけは、ゆるしてくだされ」
わせ、そのはたけから大根だいこん一本いっぽんりました。

 ゆきうえには、おばあさんの足跡あしあとがくっきりとついていました。

 いえもどったおばあさんは、ぬすんできた大根だいこん大根だいこんきをつくり、旅人たびびとべさせました。

 なにしろさむばんだったので、
 「うまい、うまい」
旅人たびびとこころからうまそうにしながら、おばあさんのつくった大根だいこんきをべました。

 翌朝よくあさ、おばあさんはまだけぬうちに旅人たびびとこし、早々そうそうたびたせました。

 やがてのぼると、さらさらとゆきってきて、あゆむあとからのように、ゆき地面じめんをすっかりかくしました。

 おばあさんの足跡あしあとゆきがみんなかくしてしまいました。

 このみすぼらしい旅人たびびとは、弘法こうぼう大師だいしというえら僧侶そうりょで、おばあさんのやさしいこころって、法力ほうりょくゆきらせたのでした。

 この旧暦きゅうれきの11がつ23にちだったことから、いまでもその地方ちほうでは、この大根だいこんきをべ、またこのゆきれば、赤飯せきはんいていわいえもあるそうです。

解説

 日本にっぽん各地かくちには「弘法こうぼう大師だいし伝説でんせつ」が多数たすう存在そんざいします。

 弘法こうぼう大師だいし諡号しごうられる空海くうかいは、平安へいあん時代じだい初期しょきそうで、真言宗しんごんしゅう開祖かいそです。

 空海くうかいは、最新さいしん仏教ぶっきょうである「密教みっきょう」をまなぶため、遣唐使けんとうしとしてとう(現在げんざい中国ちゅうごく)へわたり、密教みっきょうまなんでから帰国きこくしたのちとうまなんできた密教みっきょう日本にっぽんひろめようと日本にっぽん各地かくち行脚あんぎゃしたといわれます。

 そして、弘法こうぼう大師だいしにまつわる伝説でんせつは、きた北海道ほっかいどうからみなみ鹿児島県かごしまけんまでひろ分布ぶんぷしており、そのかずは5000ヶ所かしょ以上いじょうもあるといわれます。

 弘法こうぼう大師だいし信仰しんこうのあるところに弘法こうぼう大師だいし伝説でんせつまれ、弘法こうぼう大師だいし伝説でんせつまれたところに弘法こうぼう大師だいし信仰しんこうは、よりひろふかく、庶民しょみんこころ浸透しんとうしていきました。

感想

 『あとかくしのゆき』ほど、わったあと戸惑とまどってしまうおはなしはありません。

 それは、「ぬすみ」が美談びだんのようにげられているからでしょう。

 もうすこげていうと、「もてなし」という道徳的どうとくてき価値かちと「ぬすみ」というはん道徳的どうとくてき価値かち混在こんざいしているため、道徳性どうとくせいつよいおはなしとなっているからでしょう。

 しかし、『あとかくしのゆき』が、たんぬすみは“い”か“わるい”かをうおはなしではありません。

 なぜなら、たしかにぬすみという行為こういは、とてもめられたものではありませんが、そうれない大切ていせつなことがあるのではないかということに、すぐにづかされるからです。

 それは、おばあさんが単純たんじゅんぬすみをはたらいたわけではないからです。

 葛藤かっとうすえ「しかたがない」と決心けっしんし、おばあさんはぬすみをはたらいたのです。

 まずしさゆえに、やさしさゆえに、わるいとりつつぬすみをはたらかざるをなかったのです。

 そのすべてをていた神様かみさまは、ぬすみという行為こういのみならず、おばあさんのこころまでもつつむように、ゆきらせたのでした。

 つまり、ぬすみをはたらいたおばあさんの足跡あしあとを、ゆきという自然しぜん宿やどかみしたということは、つみおかしたおばあさんのこころとその行為こういに、次元じげん超越ちょうえつした価値かちみとめたからにほかなりません。

 そして、旅人たびびと大切たいせつにするという思想しそう根底こんていにおき、旅人たびびととおばあさんのおたがいをおもいやる心情しんじょうえがくことで、おばあさんのこころぬすみという行為こうい必然性しつぜんせいのあるものにしています。

 『あとかくしのゆき』が、むかしから人々ひとびとなかけとめられ、がれてきたのは、大切たいせつこころが、ひとそだてるこころにつながっていることをかんじるからでしょう。

 あらためて『あとかくしのゆき』は、後世こうせいかたつたえる必要ひつようがある物語ものがたりということをつよかんじます。

まんが日本昔ばなし

『あとかくしのゆき
放送日: 昭和51年(1976年)09月04日
放送回: 第0079話(第0048回放送 Aパート)
語り: 市原悦子・(常田富士男)
出典: 表記なし
演出: 杉田実
文芸: 境のぶひろ
美術: 内田好之
作画: 高橋信也
典型: 自己犠牲譚じこぎせいたん弘法大師伝説こうぼうだいしでんせつ由来譚ゆらいたん
地域: ある所

最後に

 今回こんかいは、『あとかくしのゆき』のあらすじと内容ないよう解説かいせつ感想かんそうなどをご紹介しょうかいしました。

 日本人にっぽんじんにとって最高さいこう美徳びとくは、「自己じこ犠牲ぎせい」にほかなりません。その「自己じこ犠牲ぎせい」を題材だいざいにしたおはなしが『あとかくしのゆき』です。ぜひれてみてください!

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