祈りの道で、心やすらぐ時を紡ぐ——日本の旅のはじまりは「巡礼」であり、巡礼は「熊野詣」が起源といわれています。古くから、山や森、清流など雄大な自然に囲まれた熊野は、「神々が宿る地」として崇められてきました。熊野を舞台に、神聖なる力を感じられるお話が『黒八大明神』です。
今回は、『黒八大明神』のあらすじと内容解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介します!
概要
近畿地方に属する和歌山県の南東部に位置する熊野地方には、熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社の三つの神社と那智山青岸渡寺の一つの寺院があります。
その三社一寺の総称は「熊野三山」と呼ばれ、古くから熊野信仰の中枢を担い、厚い信仰を集めてきました。
熊野三山に至る熊野参詣道のうち、京都あるいは西日本から参詣する道筋は「中辺路」と呼ばれ、最も頻繁に使われた山岳路です。中辺路は、平安時代から鎌倉時代には、上皇・法皇が延べ100回以上も繰り返したとされる「熊野御幸」では、公式参詣道(御幸道)となりました。
厳しい道を乗り越えて、大自然の中にある「再生の地」と呼ばれる熊野へ詣でることで、来世の幸せを神々に託すという熊野信仰が生まれました。
これが「熊野詣」です。
『黒八大明神』は、熊野三山を巡る熊野参詣道の一つである中辺路が舞台のお話です。
※尚、現時点では『黒八大明神』に関する絵本は存在しません。
『紀州の民話 ([新版]日本の民話 56)』は、未來社から出版されています。古来より、紀伊国と呼ばれた和歌山県は、信仰の地として名高く、数多くの伝説や説話が生まれました。紀伊国を三つの地域に分けて、古くから伝わる104篇の民話と郷土のわらべうたが収録されています。あらすじ
むかしむかし、紀伊国の山奥は、樹木が連なって生い茂り、山や川、木や岩など、自然の中に存在するあらゆる物に、神が宿っていた頃のお話です。
さて、紀伊国の山奥とはいいますが、ここには熊野三山と呼ばれる大きな三つの神社が鎮座していたので、皇族から庶民まで、さまざまな人が参拝のため行き来する参詣道がいつくかありました。
その中の一つの中辺路と呼ばれる山岳路沿いに、黒八というお爺さんが住んでおりました。
この黒八爺さんは、黒八というだけあって、顔の色は真っ黒でしたが、心は混じりっけなしの大変に美しい正直なお爺さんでした。
黒八爺さんは、毎日、朝の早くから山に出かけては芝を刈り集め、夜は夜で遅くまで草鞋を編んでおりました。そして、翌朝になると、黒八爺さんは、編んだ草鞋を家の軒先に吊るし、
「旅のお方で草鞋の破れたお方は、どうぞ使いください。お代は不要です」
と書いた貼紙がしてありました。
草鞋は藁でできているので、とても切れやすいものです。山路を歩いていれば、すぐに擦り切れてしまい履けなくなってしまいます。黒八爺さんの家の前を通った旅人は、皆が貼紙を見て時、喜んで草鞋を履き替えて旅を続けました。
「お代は不要です」
と書いてありますが、旅人は黒八爺さんの優しい心に感心して、滅多に無料で草鞋を履いていく人はなく、何かしらの金品を置いていきました。
ある日、黒八爺さんが山から帰ってくると、草鞋のお礼に「イワシの干物が七尾」「手拭いが一本」「お米が九合と一握り」置いてありました。
「草鞋を履いたお方が、お礼として置いていってくださったのに違いない。ありがたく頂戴いたします」
と旅人に感謝した黒八爺さんは、ニコニコ顔で、そのお米を半分だけ洗ってご飯を炊き、残りを風呂敷に包んで納戸にしまいました。
炊いたご飯で、黒八爺さんはお握りを六つ作り、そのうち三つのお握りを夕食の時に、焼いたイワシ三尾とともに食べました。お腹が満腹になったところで、草鞋を三足編んで寝ました。
翌朝、昨夜の残りのお握りを三つ食べて、残っていたお米でご飯を炊くと、また六つのお握り作り、イワシ四尾を焼いて、それを風呂敷に包んで腰に下げ、新しい手拭いで頬被りをすると、昨夜に編んだ三足の草鞋を家の軒先に吊るして、黒八爺さんは山へ出かけました。
黒八爺さんが山をひとつ越えたところで、百姓の萬八に会いました。
「黒八さん、腰に下げてるものは何ですか」
と萬八が尋ねました。
「これか? これはワシの命です!」
と黒八爺さんは答えました。
「命? ハハハッ! 黒八さんの命は、ずいぶんとたくさんありますね」
と言って、笑いながらさっさと畑に向かおうとする萬八を後にして、黒八爺さんは、またとぼとぼと山へ向かって歩き始めました。
黒八爺さんは、この日に限って山の奥の奥の方へ、ずんずんと深く入っていきました。
そして、山の奥深いところで芝を刈り集めたので、そろそろ昼食にしようと思って木の根っこ腰をかけて、腰に下げた風呂敷を広げてお握りを食べようとした時、ガサガサと近くの藪の中で何かが動く音が聞こえてきました。
「何かいるのかな」
とびっくりした黒八爺さんがあたりを見まわすと、藪の中にいたのは大きな狼でした。
ガルルー
ガルルー
お腹を空かしているのか、狼は耳のあたりまで裂けた大きな口を開けて、赤い舌を出し、唸りながら黒八爺さんを睨んでいました。
「早く逃げなければ!」
とさすがの黒八爺さんも慌てましたが、
「どうせ逃げたところで、喰われるのがオチだ」
と思い、黒八爺さんは覚悟を決めました。
そして、狼に向かって、
「おい、狼! ワシに何かご用ですか」
と黒八爺さんは優しく言いました。
狼は言葉を話せないので、
「ガルルー、ガルルー」
と唸るだけでした。
「お前、お腹が空いているのか? もしやワシを喰おうと思っているのか」
「ガルルー」
「ワシは年寄りだから骨と皮ばかりで、旨い肉はちっともない、まるで葛かずらの干物を食べるようなものだ」
「ガルルー、ガルルー」
「もしかして、今朝ほどワシと萬八の話を聞いていたのか」
「ガルルー、ガルルー、ガルルー」
「そうか、それでわかった。お前はワシの命が欲しいのだな。では、その正直に免じて、ワシの命をお前に分けてやろう。さあ、ワシの命を一つ」
黒八爺さんは、そう言いと、近くの岩の上にお握りを一つ置きました。そして、黒八爺さんもお握りを一つ取り出して食べました。
狼はよほどお腹が空いていたようで、ペロリとお握り食べてしまいました。
お握りを食べ終えた黒八爺さんは、
「ワシはこれから山を降りる。ワシの命はあと四つある。これから一里下るごとに、また一緒に食べようではないか」
と狼に言うと、「よっこらせ」と言わんばかりに立ち上がり、刈り集めた芝を背負うと、村に向かって歩き出しました。
後ろを振り向くと、狼は恐ろしい目つきで黒八爺さんを睨みながら、後からついてきました。
黒八爺さんは、恐ろしくてたまりませんでしたが、
「命惜しけりゃ、転ぶな山道。転ぶと命が潰れるぞ」
と元気よく大きな声を出して、歌を歌いながら歩きました。
黒八爺さんの歌があまりにも上手だったので、狼も感心して、ウー、ウーと調子を合わせながら後からついてくるようになりました。
一里ばかり歩いたところで、黒八爺さんは約束通り、お握りを一つ狼に与え、自分も一つ食べました。
そして、また黒八爺さんは歌を歌いながら歩き出しました。
「命はなくなる、もうあと二つ。一つは私の大事な命。あ~ヨイヨイ、ヨイヤサのサッ」
狼も、ウー、ウーと調子を合わせながら、黒八爺さんの後をついてきました。
黒八爺さんは、転んだら狼に喰われると思っていたので、とにかく転ばないよう気をつけて歩き続けました。
そうして、また一里ばかり歩いたので、そこでまた狼にお握りを一つ与え、自分もまた一つ食べました。そして、風呂敷の中は空になりました。
「さぁ命はこれでお終いじゃ。今日のところはこれでお帰り。また明日おいで。そして、また一緒に食べようではないか」
と黒八爺さんが狼に伝えると、
「ウォー」
と狼は、ひときわ大きな声で鳴き、山の中へ走り去っていきました。
「やれやれ、何とか助かった」
と黒八爺さんはホッと胸を撫でおろしながら家に帰ると、今朝、軒先に三足吊るしておいた草鞋が一足だけになっていました。そして、代わりに「米が二升」と「カツ節が一本」置いてありました。
家に入り、座敷に座ると、腕を組みながら黒八爺さんはしばらく考え込みました。やがて、黒八爺さんは、覚悟を決めたのかのように夕食を済ませると、また草鞋を編んで寝ました。
翌朝、昨日いただいたお米でご飯を炊き、六つのお握り作り、昨夜に編んだ草鞋を家の軒先に吊るすと、黒八爺さんは山へ出かけました。
すると、ちょうどお昼頃になると、藪の中からガサガサと音をさせながら二匹の狼が現れました。
「今日は二匹で来たのか。お前さんたちは夫婦かな」
「ウー、ウー」
「またワシの命が欲しいのかな」
「ウー、ウー」
「よしよし、今日もワシの命をやるぞ」
その日は、二匹の狼にお握りを与えなければならないので、
「これを食べたらワシは山を降りる。一里いったところでまた二つやるから、お前さんたちは、今日はそこで帰るんだよ」
と黒八爺さんは二匹の狼に言うと、近くの岩の上にお握りを二つ置きました。
「ウー、ウー」
と二匹の狼は言いながら、嬉しそうにお握りを食べました。
お握りを食べ終えた黒八爺さんは、昨日と同じように、歌を歌いながら村に向かって歩き出しました。二匹の狼も、ウー、ウーと調子を合わせながら、黒八爺さんの後をついてきました。
一里ばかり歩いたところで、黒八爺さんは、二つのお握りを二匹の狼に与え、自分も一つ食べました。
「今日はこれでお終いじゃ。これでお帰り」
と黒八爺さんが言うと、
「ウォー」
と二匹の狼は大きな声で鳴き、山の中へ走り去っていきました。
黒八爺さんが家に帰ると、今日は草鞋がなくなっていて、「米が三升」置いてありました。
こうして黒八爺さんは、毎日毎日、お握りを作り、草鞋を家の軒先に吊るしてから山へ出かけていき、山で二匹の狼と一緒にお握りを食べてから帰るといった生活を送るようになりました。
そうするうちに、黒八爺さんは二匹の狼と仲良くなり、本当の友達になりました。
そんなある日、二匹の狼が黒八爺さんと一緒に村へ降りてきました。
村の人たちはびっくり仰天して、
「村人が狼に襲われ、喰われてしまったらどうするんじゃ」
と黒八爺さんに抗議をしましたが、
「この狼たちはおとなしいから大丈夫じゃ」
と黒八爺さんは言って、その日から二匹の狼と一緒に暮らし始めました。
さて、この村の山には、鹿や猪、兎などの山の獣がたくさんいて、毎晩、その山の獣たちが村に下りてきては、田畑を荒らしていました。
その山の獣たちに村の人たちは大変に困っていましたが、どうしたものか、二匹の狼が来てからというもの、鹿も猪も兎も村に出てこなくなりました。
その年の秋、村は稀にみる大豊作になりました。それは、黒八爺さんの二匹の狼恐ろしさに、山の獣たちはどこかに逃げていってしまったため、田畑を荒らされなかったからでした。
そこで、村の庄屋様が、村の人たちを集めて、
「黒八爺さんに感謝して、これから、毎日毎日、黒八爺さんにお米を三升あげることにしよう」
と提案しました。
村の人たちは喜んで賛成し、毎日、三升のお米を黒八爺さんに届けました。
それなのに、黒八爺さんは、相変わらず毎晩草鞋を編んで、翌朝には編んだ草鞋を家の軒先に吊るし、山へ出かけていきました。
しかし、その下の貼紙は、
「旅のお方で草鞋の破れたお方は、どうぞ使いください。お代は不要です。お礼もいりません。お礼をされると私の家来が怒ります。ちなみに、私の家来は狼です」
と書き換えられていました。
それからというもの、この貼紙を見た旅の人たちは、無料で草鞋をもらうようになりました。
そして、旅の人たちは、
「ありがとうございます」
と言って、黒八爺さんの家にお辞儀をするのでした。
すると、いつの日からか、村の人たちも黒八爺さんの家の前を通る時は、
「黒八爺さん、ありがとうございます」
と言って、お辞儀をするようになりました。
そうして、黒八爺さんが長生きをして亡くなった際、眠るように安らかな顔をして亡くなっていた黒八爺さんのすぐそばに、二匹の狼もきちんと行儀よく座ったまま亡くなっていました。
村の人たちは、感謝の気持ちを込めて、黒八爺さんを「黒八大明神」として祀ることにしました。そして、宮の前には、石で刻まれた一対の狼像が置かれました。
それからというもの、黒八大明神のお祭りでは、村の人たちが大きいお握りを二つずつ持ってきては、それを狼様にお供えをして、
「命惜しけりゃ、転ぶな山道。転ぶと命が潰れるぞ」
と元気よく大きな声を出し、節を面白くして、歌いながら踊るようになりました。
すると、宮司さんは、狼の絵が刷られたお札を村の人たちに配りました。黒八大明神のお祭りでもらったお札を持っている者は、どんな山奥に入っても、決して恐ろしい獣に襲われないといわれています。
解説
熊野三山のひとつである「熊野本宮大社」までの参詣道として、最も多くの人々が歩いたとされている熊野参詣道が「中辺路」です。
その中辺路を舞台としたお話が『黒八大明神』です。
さて、古来、熊野三山への入口として重んじられ、熊野古道に点在する王子社の中でも格式の高い五躰王子のひとつである滝尻王子は、平安時代後期の公卿である藤原宗忠が記した『中右記』にも、「初めて御山の内に入る」との添書きがあるほどの神社です。
滝尻王子には、不思議な民話が伝わります。
奥州平泉の藤原秀衡は、40歳を過ぎても子どもに恵まれないので、熊野権現へ十七日間の参篭をして願をかけました。
その願は叶えられて妻は身篭り、月日は流れて七ヵ月となりました。
熊野権現のあらたかな霊験で懐妊したため、そのお礼詣りにと、秀衡は妻と共に旅立ち永の旅路を重ねようやく滝尻へ到着しました。
王子社に参詣したところ、臨月に達しないうちに、なぜか産気づいてしまいました。
すると不思議にも五大王子が現れ、
「この山上に胎内くぐりとて大きな岩屋がある。汝只今いそぎそこで産されよその子はそこに預けて熊野へ参詣せよ」
とのお告げを受けます。
そこで秀衡と妻は、岩屋で子どもを産み、そのまま寝かせて熊野へと急ぎ旅たちました。
そして、秀衡が熊野参詣を終えて滝尻王子へ戻ると、子どもは山の狼に守られ、岩から滴り落ちる乳を飲んで無事に育っていたそうです。
その子どもこそが、藤原秀衡の三男である藤原忠衡(泉三郎忠衡)です。
熊野信仰がそうであるように、神道は自然崇拝に根ざしています。狼信仰もそうしたもののひとつであると考えられる逸話です。
感想
熊野は「よみがえりの地」といわれ、多くの人が熊野に憧れをいだき、神々の救いを受けるため、蘇りを願って、異郷の地とも思える山深い地を目指しました。
熊野の偉大で険しい自然は、修験者たちの修行の場となりました。平安時代から鎌倉時代には、「浄土への入り口」として、皇族や貴族がこぞって熊野詣を行うようになりました。
熊野詣の道のりは険しいものの、厳しい苦行の果てに悟りが開かれるとされています。
長い時間をかけて、数え切れないほどの多くの人たちが踏みならし、整備してきたからこそ、現在も熊野古道と呼ばれる同じ道を歩き、熊野詣を行うことができるのでしょう。
熊野古道は“信仰の道”というイメージですが、『黒八大明神』にもあるように、古道沿いに点在する集落の“生活の道”でもありました。
熊野古道が単なる信仰の道であったら、きっと忘れ去られていたことでしょう。しかし、熊野古道は今日まで残されてきました。それは、熊野古道とその周辺で、暮らしてきた人々の存在があったからです。
『黒八大明神』は、そんな熊野の地で暮らす人々を肌で感じることができる物語です。
まんが日本昔ばなし
『黒八大明神』
放送日: 昭和52年(1977年)05月21日
放送回: 第0139話(0085 Bパート)
語り: 市原悦子・(常田富士男)
出典: 『紀州の民話 ([新版]日本の民話 56)』 徳山静子 (未來社)
演出: 森田浩光
文芸: 沖島勲
美術: 下道一範
作画: 森田浩光
典型: 致富譚
地域: 近畿地方(和歌山県)
最後に
今回は、『黒八大明神』のあらすじと内容解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介しました。
古来、日本では「よみがえりの地」として知られ、「神々が棲まう聖地」として崇められてきた、熊野を舞台にしたお話が『黒八大明神』です。神秘的な気配に満ち、神聖なる力を感じることができます。ぜひ触れてみてください!