昔話『みょうがの宿』のあらすじ・内容解説・感想|おすすめ絵本
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 あるまずしい宿屋やどやいとなんでいた夫婦ふうふのところに、一晩ひとばんめてほしいと商人しょうにんがやってきます。商人しょうにん女将おかみあずけた荷物にもつなかには、大金たいきんはいっていました。なんとか大金たいきんれたいとおもった夫婦ふうふは、「べるとものわすれをする」とつたえられている“茗荷みょうが”を、商人しょうにんべさせることにしました。『みょうがの宿やど』は、落語らくご演目えんもくにもあるほど人気にんきのある笑話わらいばなしです。

 今回こんかいは、『みょうがの宿やど』のあらすじと内容ないよう解説かいせつ感想かんそう、おすすめ絵本えほんなどをご紹介しょうかいします!

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概要

 『みょうがの宿やど』は、『茗荷みょうがものわすれ』ともばれ、“ものわすれ”を題材だいざいにした笑話わらいばなしです。

 『茗荷宿みょうがやど』や『茗荷屋みょうがや』というはなしで、落語らくごでもえんじられるほど、長年ながねんおおくのひとからあいされている、人気にんきのあるむかしばなしです。

 むかしばなしでは周防国すおうのくに吉敷郡よしきぐん嘉川村かがわむら(現在げんざい山口県やまぐちけん山口市やまぐちし嘉川かがわ)が舞台ぶたいですが、落語らくごでは東海道とうかいどう神奈川宿かながわしゅく(現在げんざい神奈川県かながわけん横浜市よこはまし神奈川区かながわく神奈川本町かながわほんちょう付近ふきん)が舞台ぶたいです。

 絵本えほんみょうがやど (川端かわばたまこと 落語らくご絵本えほん 15)』は、クレヨンハウスから出版しゅっぱんされています。落語らくご絵本えほんなので、まくらで「茗荷みょうがべるとものわすれをする」という、つたえの由来ゆらいかたられ、おはなしはじまります。そして、そのつたえをみにして、茗荷みょうが使つかってわるだくみをかんがえた宿屋やどや夫婦ふうふのおはなしです。その内容ないようはといえば、茗荷みょうが料理りょうり種類しゅるいおおさは勿論もちろんのこと、布団ふとんまくら風呂ふろまでも、とにかく徹底てっていした“茗荷みょうがづくし”で旅人たびびとをもてなし、金品きんぴんわすれてもらおうとします。オチがかりやすく、やはり「わるいことは出来できない」ということをおしえてくれる一冊いっさつです。

 『んであげたいおはなし 上巻じょうかん (松谷まつたにみよ民話みんわ)』は、筑摩ちくま書房しょぼうから出版しゅっぱんされています。ちいさなどもたちにかたかせたい民話みんわを、精選せいせんして100ぺん収録しゅうろくした一冊いっさつです。方言ほうげん口調くちょうかれた文章ぶんしょうは、テンポがく、とてもみやすいです。上巻じょうかんには、「たびびとうま」や「ミョウガ宿やど」などのはるなつ主題しゅだいにした民話みんわ収録しゅうろくされています。

 『周防すおう長門ながと民話みんわ だい2しゅう ([新版しんぱん]日本にっぽん民話みんわ 46)』は、未來社みらいしゃから出版しゅっぱんされています。瀬戸せと内海ないかい日本海にほんかいめんした山口県やまぐちけんを、周防すおう地方ちほう長門ながと地方ちほうけ、「みょうがの宿やど」や「天福てんぷく地福ちふく」など、かた口調くちょうのおもしろさをかしたたのしい民話みんわが89へん郷土きょうどのわらべうたが収録しゅうろくされています。

あらすじ

 むかしむかし、周防国は吉敷郡の嘉川という宿場町に、老夫婦が営む大きな宿屋がありました。

 老夫婦には一人娘がおりました。宿屋は、代々繁盛していたので、婿養子として、老夫婦は一人娘の婿を迎え入れることにしました。

 この婿は、働き者で、客あしらいも良かったことから、宿屋は益々繁盛しました。

 ところが、老夫婦が亡くなり、宿屋が若夫婦の代になると、主人は道楽を覚え、商売はそっちのけで、酒色や博打などの遊興にふけるようになりました。

 ろくに働かず、主人が遊興に明け暮れているため、商売は傾き、借金がかさみ、雇い人も辞めてしまい、ついには宿屋も人手に渡ってしまいました。

 しかし、夫婦は離別することなく、残ったお金を元手に、宿場町から離れた場所で、安い宿屋を始めました。

 主人は心を入れ替え、以前のようによく働くようになりましが、宿場町から離れた場所ということもあり、客は少なく、宿賃も安いので、夫婦の暮らしは貧乏でした。

 そんな宿屋に、ある日、身なりのよい、年のころは五十位の商人風の旅の男が、一晩泊めてほしいとやってきました。

 「一晩やっかいになりますよ」
と男は宿屋の主人に言い、女将にずしりと重い商用の荷物を預けました。

 主人はニコニコしながら、
 「さあ、どうぞ、どうぞ」
と言いながら、旅の男を客間へ案内しました。

 女将がこっそり男の荷物の中身を調べてみると、そこには高価な絹の反物と三百両もの小判が入った財布がありました。

 それを聞いた主人は、大金に目がくらみ、台所から出刃包丁を取り出し、男が寝る客間へ向かおうとしましたが、女房に止められ、浅はかな行動を反省し、思い留まりました。

 けれども、女将も喉から手が出るほど大金が欲しいので、
 「あの大金を獲ることはできんものかね。うっかり大金を忘れてくれればいいんだけど」
と言いながら、夫婦は二人してあれこれ考えました。

 しばらくして、主人は膝をポンと打つと、
 「そうだ、茗荷を食べさせよう。茗荷を食べると物忘れをするというから、お客には茗荷を食べさせればいい」
と女将に言いました。

 こうして夫婦は、その夜、お客には、
 「体に良いから」
と言って、茗荷づくしの料理を作って出しました。

 その献立はというと、茗荷の串焼き、茗荷の酢の物、茗荷の味噌汁、茗荷の炊き込み御飯、それにお酒を付けた、茗荷づくしの膳でした。

 お客は、
 「これは、美味い、美味い」
と言いながら、茗荷づくし料理をすべて食べました。

 それに喜こんだのは、宿屋の夫婦です。
 「明日はきっと、あの荷物を忘れていくに違いない」
と思い、宿屋の夫婦はほくほくしていました。

 翌朝、先を急ぐお客は、草鞋も履かずに、宿屋を飛び出ていきました。

 「しめた!」
と夫婦が喜んだのもつかの間、先ほどのお客が慌てて戻ってきました。

 「道を歩いていると、足の裏が痛いので、宿屋で草鞋を履かずに出発したことに気がついたので戻ってきました」
とお客は宿屋の夫婦に言いました。

 客は草鞋を履くと、よほど先を急ぐのでしょう、先ほどと同じように、宿屋を飛び出ていきました。

 宿屋の夫婦がホッとしたところに、またお客が戻ってきました。

 「道を歩いていると、皆が荷物を持っているのに、私は荷物を持っていないことに気がついたので戻ってきました」
とお客は宿屋の夫婦に言いました。

 宿屋の夫婦は、しぶしぶ反物と財布の入った荷物を渡しました。

 「あー、当てが外れたね。茗荷の効き目はなかったようだ」
と女将が主人に言うと、主人は答えました。
 「いや、茗荷の効き目はあったよ!お客から宿賃いただくのを忘れたよ!」

解説

 茗荷に関する最も古い記録は、2~3世紀、当時の日本列島にいた民族・住民の倭人(日本人)の風習などが記された中国の文献で、西晋の陳寿により3世紀後半に成立したとされる『魏志倭人伝』にみることができます。

 日本では、すがすがしい芳香と辛みで、かなり古い時代から茗荷は親しまれていたようで、そのことが、奈良県奈良市の東大寺の正倉院に伝わる奈良時代の古文書『正倉院⽂書』や、平安時代中期に編纂された『延喜式』の記述から、宮中料理に用いられていたことが分かる。

 ちなみに、日本では歴史が古い茗荷ですが、野菜として栽培されているのは日本だけのようです。

 さて、どうして茗荷を食べると、「物忘れがひどくなる」と言われるようになったのでしょうか。

 様々な俗説が伝わりますが、ここでは代表的なものを一つ紹介します。

 お釈迦様のお弟子さんの中に、周梨槃特という、特に頭の弱い者がおりました。
 周梨槃特は、物覚えが極端に悪く、自分の名前すら忘れてしまうため、お釈迦様が「槃特」と書いた旗を作り、背中に背負わせました。
 しかし、名前が書かれた旗を背中に背負ったことも忘れてしまい、とうとう死ぬまで名前を覚えることができませんでした。
 周梨槃特の死後、墓の周りから⾒慣れない草が生えてきました。
 そこで、「周梨槃特は自分の名前を荷なって苦労してきた」ということから、「『名』を『荷う』」に草冠をつけて、この草を「茗荷」と呼ぶようになりました。

 なお、茗荷を食べることにより、記憶への悪影響を及ぼすということは、学術的な根拠はなく、栄養学的にもそのような成分は含まれていないそうです。

 それどころか、茗荷の香り成分には「集中力を増す効果」があることが明らかになっています。

 それから、7世紀後半から8世紀後半にかけて編纂された、現存する日本最古の歌集『万葉集』には、
 忘れ草 我が紐に付く 香具山の 古りにし里を 忘れむがため
という、大伴旅人が詠んだ歌がのっています。

 この歌は、「香具山のある明日香が懐かしくてたまらないので、その辛さを忘れるため、忘れ草を紐に付けました」という意味で、なんとも言えない悲しさの漂う望郷歌です。

 万葉の忘れ草は、「ヤブカンゾウ(藪萱草)」を指していたようで、花を身に着けたり新芽を食べたりすると、辛いことや悲しいことを忘れさせてくれるといわれていました。

 ところが、茗荷を食べると、嬉しいことも、悲しいことも、大切なことも、すべて忘れてしまうと伝わります。

 そんな俗信によって生み出された昔話が『みょうがの宿やど』なのでしょう。

感想

 日本人の究極の美意識は、吉田兼好が書いたとされる鎌倉時代末期の随筆『徒然草』に代表されるような、「あらゆるものは絶えず変化しており、少しも元のまま留まることがない」という、仏教的な無常観ではないでしょうか。

 『徒然草』の一節に、「大欲は無欲に似たり」という言葉があります。

 これには二つの解釈があります。

 ひとつは、「大きな利益を望む者は、小さな利益など目もくれない。だから、一見すると無欲に見える」という考えです。

 そしてひとつは、「欲が深すぎる者は、欲に惑わされて損をする傾向にある。だから、結局は無欲と同じ結果になる」という考えです。

 まったく意味の異なる二つの解釈が存在することは、とても興味深いことです。

 さて、『みょうがの宿』を「大欲は無欲に似たり」に当てはめて考えてみると、宿屋の夫婦は「欲が深すぎたことで失敗した」ので、二つ目の解釈に当てはまります。

 もしかしたら、宿屋の夫婦は、欲が深すぎたり強すぎたりするため、不満を感じて不幸になっているのかもしれません。

 欲をなくすことは、不幸にならない方法ではありますが、そうだからといって無欲では幸せを得られることは少ないともいえます。

 つまり、幸せになるためには、不幸になるような深すぎる欲をなくし、身の丈にあったほどほどの欲を持って生きることがいいと『みょうがの宿』は説いています。

まんが日本昔ばなし

みょうがの宿やど
放送日: 昭和52年(1977年)05月21日
放送回: 第0138話(0085 Aパート)
語り: 市原悦子・(常田富士男)
出典: 『周防すおう長門ながと民話みんわ だい2しゅう ([新版しんぱん]日本にっぽん民話みんわ 46)』 松岡まつおか利夫としお (未來社みらいしゃ)
演出: 芝山努
文芸: 境のぶひろ
美術: 芝山努
作画: 芝山努
典型: 笑話わらいばなし
地域: 中国地方(広島県)

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最後に

 今回こんかいは、『みょうがの宿やど』のあらすじと内容ないよう解説かいせつ感想かんそう、おすすめ絵本えほんなどをご紹介しょうかいしました。

 『みょうがの宿やど』は、内容ないようがわかりやすく、面白おもしろいので、落語らくご演目えんもくにもあるほど人気にんきのある笑話わらいばなしですが、じつは『徒然草つれづれぐさ』の一節いっせつにある「大欲たいよく無欲むよくたり」を題材だいざいにした、人間にんげんの“よく”と“幸福こうふく”との関係かんけいいたおくふか昔話むかしばなしです。ぜひれてみてください!

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