ケガを負った老人を手当した、心の優しいお婆さんが、老人から一対の男雛と女雛を譲り受けます。ある年の「桃の節句」に、お婆さんが、その雛人形から、不思議な現象を体験するお話が『ひなの夜ばやし』です。
今回は、『ひなの夜ばやし』のあらすじと内容解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介します!
概要
修善寺地域は、静岡県の東部に位置する伊豆半島にあり、緑豊かな自然と温泉に恵まれ、古さと新しさが融合した、魅力ある地域です。
その修善寺は、歴史マニアにとっては、源氏滅亡の場として歴史にその名を残す、とても好奇心を掻き立てられる、魅力の詰まった場所でもあります。
そんな修善寺を舞台にした物語が『ひなの夜ばやし』です。
鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の死後、二代将軍・源頼家のもとで、御家人たちが血で血を洗う争いを繰り返しました。
『ひなの夜ばやし』は、その頃のお話ではないかと考えられます。
絵本『ひなのよばやし (日本のむかしばなしシリーズ)』は、ポプラ社から出版されています。テレビアニメーション『ふるさと再生 日本の昔ばなし』を基に書籍化した、小さなサイズの絵本です。少し難しい内容なので、小さなお子さんでも理解できるよう、ちょうどいい長さの文章と可愛らしい独特なイラストで、物語がリズム良く進むよう工夫してあります。日本の歴史や風習といった、子どもたちに語り継ぎたいことが凝縮された一冊です。あらすじ
むかしむかし、伊豆の修善寺からそれほど遠くないある山の中に、一軒の大きなお屋敷がありました。
そこには、お婆さんが商人たちと、一緒に暮らしていました。
ある日のこと、一人の老人がこの山の中を歩いておりました。
老人は深い傷を負っており、山の中にある大きなお屋敷の前まで来ると、そこでばったり倒れました。
「どうなすったんじゃ」
と商人が慌ててお屋敷から飛び出して、老人に声をかけました。
老人は深い傷により、苦しそうにうめいていました。
ここに住むお婆さんは、とても親切な人なので、老人をお屋敷の中に入れると、手当を行いました。
ちょうどその頃、修善寺で戦が始まったという噂が広まっていました。
お婆さんの看病のおかげで、老人は日増しに快方に向かっていきました。
ある日、老人は布団から起き上がると、何やらノミで木を彫り始めました。
老人が彫っていたものは、一対の男雛と女雛でした。完成した雛は、見事な出来栄えで、男雛は華やかでありながらも静かに語りかける気品の高い雰囲気が漂い、女雛には美しさの中にどこか寂しい影を宿した顔つきでした。
「この男雛はワシのゆかりの若殿にそっくりじゃ。また女雛はワシの縁につながる娘にそっくりじゃ。どうか末永く可愛がって下され」
と老人はお婆さんに言い、雛人形を渡しました。
それから数日後の夜、老人はどこともなく去っていきました。
それからというもの、毎年、お婆さんは桃の節句になると、この雛人形を飾りました。
ところが、ある年の桃の節句、お婆さんは風邪を引いて寝込んでしまいました。
すると、桃の節句が過ぎ去ろうとしている真夜中、蔵の奥で何やらヒソヒソと話す声が聞こえてきました。
「桃の節句だというのに、お婆さんはどうしたんだろう。箱の中なので少し窮屈だけど、お囃子して若君殿を慰めようか」
こうして五人囃子は、にぎやかにお囃子を始めました。
お婆さんは、夢うつつの中で、このお囃子を聴きながらも、お囃子の中に琴の音が欠けていることに気がつきました。
そこで、お婆さんは布団から起き上がると、立てかけてあった琴をお囃子にあわせて弾き始めました。
そうして琴を弾き終えると、いつしかお婆さんは眠りについてしまいました。
翌朝、お婆さんが目を覚ますと、蔵の奥にある雛の箱はめちゃくちゃになっていました。
この状況を見たお婆さんは、
「あの老人が作った雛には魂が乗り移っている」
と悟ったのでした。
それからというもの、この地方では、年に一度は雛を箱から出さないと、その年は不吉なことが起こると伝えられます。
また、老人が彫った男雛は、鎌倉幕府第二代将軍の源頼家公に、女雛はその乳母の娘である桜の前にそっくりだったといわれています。
解説
『ひなの夜ばやし』にある「男雛の源頼家公」とは、言わずと知れた鎌倉時代の元久元年7月18日(1204年8月14日)に北条時政の密計により、修禅寺門前の虎溪橋際にある中湯(現在の筥湯)で入浴中を襲撃され暗殺された、鎌倉幕府二代将軍の源頼家のことです。
頼家の乳母は、河越重頼の妻の河越尼です。そして、重頼と河越尼の娘は、幼名が『牛若丸』として知られ“悲劇のヒーロー”と呼ばれる源義経の正室である郷御前です。そのことから、『ひなの夜ばやし』にある「女雛は男雛の乳母の娘である桜の前」は郷御前と考えることができます。
鎌倉幕府初代将軍の源頼朝の乳母は比企尼なのですが、比企尼の甥である比企能員は、その縁から鎌倉幕府二代将軍・源頼家の乳母父となり、頼朝の亡き後、二代将軍・頼家の外戚として権勢を強めていきました。しかし、北条時政の謀略によって一族もろとも滅ぼされました。
『ひなの夜ばやし』には、「修善寺で戦が始まった」とありますが、静岡県の伊豆半島の中心部に位置する修善寺の地は、源氏一族の骨肉相食む悲劇の舞台となり、源氏滅亡の場として歴史にその名を残しています。
鎌倉時代の歴史書である『吾妻鏡』によると、頼家が暗殺された六日後に家臣たちは主君の無念を晴らすべく謀反を企てるが、挙兵前にそれが発覚して討ち取られたと記されています。
もしかしたら、『ひなの夜ばやし』に登場する傷を負った老人は、その残党の一人かもしれません。
『源頼家とその時代: 二代目鎌倉殿と宿老たち (歴史文化ライブラリー)』は、吉川弘文館から出版されています。鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の急死に伴い、二代将軍となった源頼家。ところが、北条氏に実権を握られ、遊興に耽り、“暗君”として『吾妻鏡』には描かれています。ところが、近年では、それが見直されつつあります。源頼家は、本当に暗君だったのか、それとも悲劇の将軍か。文書史料を掘り下げ、頼家の実像とその時代に迫る、非常に興味深い一冊です。 徳川家康も愛読していた『吾妻鏡』は、物語というより、政治の話題が多く、出来事を記録した資料といった内容ですが、鎌倉時代を知るためには必読です!『吾妻鏡 (角川書店編ビギナーズ・クラシックス)』は、現代語訳と古文の生き生きとしたリズムによって誰もが古典の世界を楽しむことができます。感想
日本人は古代より、あらゆる自然物を崇拝し、自然万物のあらゆるもの、現象に、神を見出し敬ってきました。
この「モノには魂が宿る」という考え方が、日本人の根底に流れていることから、雛人形や五月人形などのような人の姿をした人形には、ひときわ「魂」のようなものを感じるのです。
さて、人形は「ひとがた」と読むこともできます。
日本には、古代から人の形をかたどった草などに、穢れや厄を移すという習慣があります。これを「形代」と呼び、現在も神社では、毎年、6月30日の「夏越の大祓」と12月31日の「年越の大祓」の前に、氏子の家に人形を配り、それに氏名・年齢を書いてお宮に納めると、神職が祓をして流し、災いを避けるという神事が行われています。
もしかしたら、雛人形や五月人形などを飾る習慣は、その名残ではないかと考えられます。
何千年も前から、日本では、人形は人間の身代わりとして、すべての災厄を引き受けてきました。
だからこそ、『ひなの夜ばやし』にもあるように、年に一度は感謝の気持ちを込めて、雛人形や五月人形などを箱から出し、キレイに拭き、太陽の光を当てて、人形に良い気のエネルギーを与えましょう。
まんが日本昔ばなし
『ひなの夜ばやし』
放送日: 昭和52年(1977年)02月26日
放送回: 第0119話(0073 Aパート)
語り: 市原悦子・(常田富士男)
出典: 『伊豆の民話 ([新版]日本の民話 4)』 岸なみ (未來社)
演出: 馬郡美保子
文芸: 沖島勲
美術: 馬郡美保子
作画: 馬郡美保子
典型: 奇談怪談譚・幽霊妖怪譚・霊験譚
地域: 中部地方(静岡県)
最後に
今回は、『ひなの夜ばやし』のあらすじと内容解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介しました。
「あらゆるものには魂が宿る」という考え方が、日本人の根底に流れていることから、雛人形にも魂が宿り、『ひなの夜ばやし』のようなお話が生まれたのでしょう。ぜひ触れてみてください!