『かぐや姫』の原話は、平安時代前期に成立した日本最古の物語とされる『竹取物語』です。天上界の女性が地上に降り、再び天上界に帰るという“昇天”を題材にした説話です。
今回は、『かぐや姫』のあらすじと内容解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介します!
概要
『かぐや姫』の原話は、平安時代前期(9世紀後半から10世紀前半頃)に成立したとされる『竹取物語』を子どもにも分かりやすく要約したお話です。
『かぐや姫』は、天上界の女性が地上に降り、再び天上界へと帰って行くという、神の住む天上界への憧れと畏れを描いた物語です。
ちなみに、『竹取物語』の作者は不明で、正確な成立年も未詳です。
平安時代中期(11世紀初め)、紫式部によって創作された日本の長編物語である『源氏物語』には、「物語の出で来はじめの祖なる竹取の翁」とあることから、『竹取物語』は日本最古の物語といわれています。
あらすじ
むかしむかし、竹取りのお爺さんが山で竹を取っていると、一本の光り輝く竹がありました。
不思議に思い、その竹を切ってみると中には三寸ほどの小さな可愛らしい女の子が座っていました。
これは神様からの授かりものに違いないと思い、お爺さんは女の子を家に連れて帰り、かぐや姫と名付けてお婆さんと二人で大切に育てることにしました。
その日からお爺さんが山へ竹を取りに行くと、竹の中に黄金を見つける日が続き、お爺さんとお婆さんは豊かになりました。
かぐや姫はどんどん大きくなり、三ヶ月ほどで美しい娘に成長しました。
美しいかぐや姫の噂は瞬く間に広まり、五人の立派な若者から結婚を申し込まれますが、かぐや姫は結婚の条件としてそれぞれに難題を課しました。
そして結局は、かぐや姫が課した難題をこなした者は誰一人としていませんでした。
また、かぐや姫の美貌に心を奪われた帝は、かぐや姫に宮仕えを命じますが拒否されます。
やがて十五夜が近づくと、かぐや姫は月を見て物思いに耽るようになりました。
お爺さんとお婆さんが理由を聞くと、
「自分が月の都の者であり、十五夜に月から迎えがやって来る」
とかぐや姫から打ち明けられました。
お爺さんとお婆さんは、かぐや姫を月の使者から守るため、帝にお願いをして、十五夜の日にたくさんの軍勢を手配しました。
ところが、月の使者がやって来ると軍勢は動けなくなってしまいました。
かぐや姫はお爺さんに不死の薬を渡して別れを告げ、月の使者とともに月の都へと帰っていきました。
お爺さんは、
「かぐや姫がいないのに長生きしてもしかたがない」
と言いました。
そして、帝も薬をご覧になり、
「かぐや姫に逢えないのに、不死の薬に何の意味があるだろうか」
と言って、臣下に命じ、天に一番近いとされる駿河の山の頂上で、かぐや姫からもらった不死の薬を燃やしてしまいました。
解説
『かぐや姫』の原話は、「今は昔、竹取の翁といふ者ありけり」で始まる『竹取物語』です。
竹取物語
日本人なら誰もが知っている『竹取物語』は、実は童話でもSFでもなく「反権力を風刺した物語」といわれています。
それが如実にあらわれているのが、『竹取物語』のお話の中で、求婚する五人の貴公子と入内させようとした帝を描いた箇所です。
五人の貴公子と帝は、実在した人物を参考にしたといわれています。
帝とは天皇の尊称なので、まさに日本を治める最高の支配者です。そして、五人の貴公子も飛鳥時代から奈良時代初期にかけて、大変に高い位と多くの富を持つ人物です。
では、『竹取物語』に登場する五人の貴公子と帝、そして主人公のかぐや姫がどの様な人物なのかを一人ずつ紐解いていきましょう。
石作皇子
かぐや姫から石作皇子への要望は、天竺にある「仏の御石の鉢」を取ってくるようにいわれますが、大和国十市郡の山寺にあった古い鉢を持参し、見破られてしまいます。
石作皇子のモデルは多治比嶋(624~701年)といわれています。
多治比嶋は、飛鳥時代後期の公卿で、第28代・宣化天皇の玄孫にあたります。697年に左大臣に任官され、701年(大宝元年)には正二位に叙された人物です。
車持皇子
車持皇子は、かぐや姫から要望された根が銀、茎が金、実が真珠の木の枝である「蓬莱の玉の枝」の贋物を、秘密の工房で千日かけて作らせ持って行きます。翁はすっかり信用して、かぐや姫も諦めかけたところに報酬を支払われていない職人がやってきて嘘がばれ、なんともお粗末な結末に終わります。
車持皇子のモデルは藤原不比等(659~720年)といわれています。
藤原不比等は、飛鳥時代から奈良時代初期にかけての公卿で、父は「大化の改新」の中心人物である藤原鎌足です。第41代・持統天皇に仕え、『大宝律令』や『日本書紀』の編纂に関わりました。708年(和銅元年)に正二位と右大臣に任官され、720年(養老4年)8月3日に死去した際には、正一位と太政大臣を追贈された人物です。
右大臣阿倍御主人
右大臣阿倍御主人は、かぐや姫から要望された、唐土にあり燃えないとされる布「火鼠の裘」を唐の商人から高値で購入しましたが、それは燃えてしまう贋物で、右大臣の願望も燃え尽きてしまいます。
右大臣阿倍御主人(635~703年)は実在の人物です。
阿倍御主人は、飛鳥時代の高官で、最終官位は右大臣従二位です。子孫には平安時代の陰陽師・安倍晴明がいます。また、奈良県高市郡明日香村にあるキトラ古墳の被葬者であるとする説が提唱されています。
大納言大伴御行
大納言大伴御行は、かぐや姫から要望された五色に輝くという「龍の首の珠」を探しに、財をはたき行き先もわからず船出しますが、大嵐に遭い、さらに重病にかかったため諦めてしまいます。
大納言大伴御行(646~701年)は実在の人物です。
大伴御行は、飛鳥時代中期から後期の高官で、有力氏族である大伴氏の氏上です。最終官位は正広肆大納言ですが、701年1月15日に死去した際には、正広弐右大臣を追贈されたほどの人物です。
中納言石上麻呂足
中納言石上麻呂足、かぐや姫から要望された「燕の産んだ子安貝」を取るために籠に乗って大炊寮の小屋の屋根に上ったところ、燕の糞をつかんで転落して腰を打ち、命を落としてしまいます。
中納言石上麻呂足(640~717年)は実在の人物です。
史書では石上麻呂と記され、飛鳥時代から奈良時代にかけての高官です。最終官位は正二位左大臣ですが、死去するまでの数年間は太政官の最高位者でした。717年(霊亀3年)3月 3日に死去した際には、従一位が追贈されています。
帝
かぐや姫を入内させようとし、月へ還ってしまってからも未練心を抱いていた帝とは誰でしょうか。
五人の貴公子が都にいた時の天皇は天武、持統、文武です。このうち持統天皇は女性だから除外します。天武天皇の在位期間に藤原不比等などはまだ若輩で表舞台には現れていません。従って、『竹取物語』に登場する帝とは、第42代・文武天皇(在位697~707年)となります。
文武天皇は、当時としては異例の14歳の若さで即位しますが、朝廷の人事権や政治の実権は祖母である持統上皇が握っていました。
たぶん持統上皇より、「かぐや姫がいくら光り輝く娘だとはいえ、どこの誰かわからない田舎娘を宮中に迎え入れるなんてもってのほかだ」と言われてしまったのでしょう。
文武天皇のやるせない気持ちを、かぐや姫に対して未練たらたらと表現することで、落胆する文武天皇の複雑な感情が物語から手に取るように分かります。
かぐや姫
かぐや姫は五人の貴公子に無理難題を吹っ掛けて退散させ、さらに失敗を嘲笑しています。
その中でも、この世の繁栄を謳歌する車持皇子(藤原不比等)は最も悪く描かれています。
さらに、帝(文武天皇)からの入内命令にも従わず、最後には朝廷から派遣された武力にも屈せず、故郷の月へ還ってしまうというたくましい女性です。
かぐや姫は決してかよわいお姫様ではありませんでした。
かぐや姫が月へ還ってしまった日
おまけとして、「かぐや姫が月へ還ってしまった日」を検証してみましょう。
「かぐや姫が月へ還ってしまった日」は、文武天皇の在位期間(697~707年)の「中秋の名月」から推定できます。
文武天皇は、697年に14歳の若さで即位しますが、実権は祖母である持統上皇が握っていました。その持統上皇は702年(大宝2年)12月22日に崩御しました。そして、文武天皇は707年(慶雲4年)6月15日に24歳の若さで崩御しました。
つまり、「かぐや姫が月へ還ってしまった日」は、文武天皇が名実ともに祭祀と政治を司ることになった703~706年(大宝3年~慶雲3年) の「中秋の名月」となります。
この時代の「中秋の名月」は旧暦8月15日になります。それを現在の暦に当てはめると、
・703年9月30日
・704年9月18日
・705年9月7日
・706年9月26日
上記のようになります。
あらすじには、「天に一番近いとされる駿河の山の頂上で、かぐや姫からもらった不死の薬を燃やしてしまいました」とあります。
物語に登場する駿河の山は「不死の薬を燃やした山」ということから、「不死山」と呼ばれるようになり、そして現在は日本人なら誰もが知っている「富士山」になりました。
また、飛鳥時代の歌人である柿本人麻呂の撰とされる『柿本集』には700年(文武4年)頃の富士山の火山活動の様子を詠んだ歌があります。
700~1000年代は比較的多くの噴火が富士山では起こっていたようです。
そのことからも、上記の四つの日付は一致するので、そのいずれかの日に、かぐや姫は月へ還っていったと考えられます。
『竹取物語 ([新版]角川ソフィア文庫)』は、角川書店から出版されています。注釈付きの原文が全部・現代語訳が全部・解説が全部という構成になっているため、注釈を参照しつつ原文を丁寧に読み進めることも、現代語訳をみながら原文を読み進めることもも可能です。とても読みやすい構成のため、色々な解釈をめぐることができ、想像力を掻き立てられます。大人も楽しめる一冊といえます。感想
『かぐや姫』は、いつ頃かは分かりませんが、しかし、はるかずっと昔、幼かった日のいつ頃かには、とにかくお話を知っていました。
日本人であれば、おそらく例外なくそう言うのではないでしょうか。
そして、不思議なことに、その思い出に加えて、なにかとても美しい夢と清められた感情とが、ゆっくりと漂うような感覚を、誰もが覚えるのではないでしょうか。
このように、ある民族の魂に深く強く刻み込まれ、しかも時代が移り変わっているのに、新しい魅力の発見と豊かな創造を駆り立てる『かぐや姫』こそ、日本人にとって昔話の中の昔話ではないでしょうか。
いつどのようにしてか分からないほど、多様な形でこのお話は私たち日本人の魂の中に入り込んでいます。
それほど、『かぐや姫』は、現代においても輝きを失っていないお話といってよいでしょう。
まんが日本昔ばなし
『かぐや姫』
放送日: 昭和50年(1975年) 03月11日
放送回: 第0020話(第0010回放送 Bパート)
語り: 市原悦子・(常田富士男)
出典: 表記なし
演出: 児玉喬夫
脚本: 平見修二
美術: 阿部幸次
作画: 樋口雅一
典型: 異世界転生譚・異常誕生譚・贖罪譚
地域: 中部地方(静岡県)/近畿地方(京都府・奈良県)
最後に
今回は、『かぐや姫』のあらすじと内容解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介しました。
『かぐや姫』は、実は貧しい暮らしを強いられていた竹取りのお爺さんに代わって、かぐや姫が富と権力を懲らしめるという権力批判の物語といわれています。ぜひ触れてみてください!