昔話『無人島に流された男』のあらすじ・内容解説・感想|おすすめ絵本
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 うみ遭難そうなんして無人むじんとうながされた多良間たらま真牛もうしが、なが無人むじんとう生活せいかつのち、フカ(大形おおがたのサメ)にたすけられ、無事ぶじ故郷こきょうへの生還せいかんたします——奇跡きせき実話じつわをもとにした感動かんどうのおはなしが『無人むじんとうながされたおとこ』です。

 今回こんかいは、『無人むじんとうながされたおとこ』のあらすじと内容ないよう解説かいせつ感想かんそう、おすすめ絵本えほんなどをご紹介しょうかいします!

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概要

いのちのまつり ヌチヌグスージ 『無人むじんとうながされたおとこ』は、『ふかすくわれた多良間たらま真牛もうしはなし』や『多良間たらま真牛もうし漂流ひょうりゅう』とばれ、九州きゅうしゅう地方ちほうぞくする沖縄県おきなわけん八重山やえやま諸島しょとうにある黒島くろしまに、「モーシーの伝説でんせつ」としてつたえられているおはなしです。

 主人しゅじんこう多良間たらま真牛もうし実在じつざい人物じんぶつであり、琉球王国りゅうきゅうおうこく時代じだい首里城しゅりじょうかれた行政ぎょうせい機関きかん首里王府しゅりおうふには、この奇蹟きせき出来事できごと報告ほうこくされました。

 その結果けっか、フカ(大形おおがたのサメ)にたすけられた多良間たらま真牛もうしのおはなし公然こうぜんとなり、おおくのはひとたちにられ、黒島くろしまでは『無人むじんとうながされたおとこ』のおはなしとして現在げんざいかたがれています。

なお現時点げんじてんでは『無人むじんとうながされたおとこ』にかんする絵本えほん存在そんざいしません。

 絵本えほんいのちのまつり 「ヌチヌグスージ」』は、サンマーク出版しゅっぱんから出版しゅっぱんされています。「ぼうやにいのちをくれた人は誰ね~」という、おばあさんの問いかけから物語が展開します。沖縄をモチーフにしていて、主人公の男の子が祖先をたどっていく中で、先祖から子孫へと引き継がれている命の尊さに気づかされます。何度でも読み返したくなる一冊です。

 絵本えほんエイサー!ハーリー (きゅーはくの絵本えほん 3 沖縄おきなわまつり)』は、フレーベルかんから出版しゅっぱんされています。九州国立博物館に寄贈された、「ハーリー船」にまつわるお話を解説した絵本です。ハーリー(爬竜)とは、沖縄県各地で行われる、海の神様へ航海の安全と、豊漁を祈願するための御願行事です。山崎克己さんによる鮮やかな色彩と力強い絵により、沖縄県の伝承や文化がとてもよく伝わり、それと同時に自然に対しての畏敬の念を感じ取ることができ、心に響きます。沖縄県の自然や文化について興味が湧いてくる一冊です。

 『マンガ 沖縄おきなわ琉球りゅうきゅう歴史れきし』は、河出かわで書房しょぼう新社しんしゃから出版しゅっぱんされています。学校では全く教わることがない琉球王国の歴史や文化を、子どもも読みやすいようにマンガで説明しています。図が多く、細かい説明もあるので、大人でも非常に参考になることでしょう。この本をきっかけに、さらに沖縄のことを知りたいという気持ちが湧く、沖縄の歴史の入門書として有用な一冊です。

 『沖縄おきなわ民話みんわ ([新版しんぱん]日本にっぽんのむかしばなし 11)』は、未來社みらいしゃから出版しゅっぱんされています。詩人しじんであり童話どうわ作家さっかでもある伊波いば南哲なんてつさんが、近代きんだい感覚かんかくうつくしい言葉ことばで、ふるくは琉球りゅうきゅうばれた沖縄おきなわ伝承でんしょうされてきた民話みんわ現代げんだいふうにアレンジして、民話みんわなかひそ沖縄おきなわ特徴とくちょうりにしています。南国なんごく風物ふうぶつうみそらなどがあやなす、「無人むじんとうながされたおとこ」などの琉球りゅうきゅう諸島しょとう民話みんわが40ぺん収録しゅうろくされています。

あらすじ

 むかしむかし、沖縄県の八重山諸島にある黒島という島に、多良間真牛という男が住んでいました。

 黒島は、島が小さく、田んぼがないので、この島に住む人々は、近くの西表島に舟で渡って、そこで米を作るならわしでした。

 ある日、真牛は、いつものように種もみを舟に積んで、西表島で米作りをするため、黒島を出発しました。

 しかし、途中で嵐に遭い、船は沈没し、真牛は海へ投げ出されてしまいました。

 真牛は、海に浮かんだ種もみの入った箱にしがみつき、何とかして島へ戻ろうと必死に泳ぎましたが、大きな波をかぶさり、逆に沖へ流されてしまいました。

 しばらく漂流していた真牛ですが、大きな流木を見つけたので、
 「ありがたい。これはしめたぞ」
と思い、天の助けとばかりに喜んで流木に乗ると、それに種もみの箱をくくりつけ、後は波に身を任せ、あてどもなく海上を漂流しました。

 流木に乗って7日間漂流した後、真牛は無人島に辿り着きました。

 この無人島には、色とりどりの花が咲き誇り、たくさんの鳥が生息していました。バナナやパパイヤ、マンゴーなど豊富な果物がなっていました。海岸の浅瀬では、たくさんの魚が泳いでいました。

 「ひとまず食べ物に困ることはなさそうだ」
と思った真牛は、しばらくこの島で暮らすことにしました。

 まず真牛は、木を切り倒して小屋を建てました。小屋の屋根には、切り取った大きな葉っぱを敷き詰めました。

 次に、木の皮を編み、寝床を作ったり、果物や魚を入れる籠を作ったりしました。

 また、真牛は、海に潜り、大きなシャコ貝を取ってきました。シャコ貝は鍋代わりになるので、煮物を作ることができるようになりました。

 さらに、流木にくくりつけていた種もみを植えたことで、米のご飯を食べられるようになりました。

 こうして、真牛の無人島での快適な生活が始まりました。

 しかし、しばらくすると、真牛は、この快適な生活がだんだんと苦痛になってきました。

 真牛の髪や髭は、ボーボーの伸び放題で、もう人間の風貌とは思えないほどになっていました。

 そんなことは、まだ我慢することはできましたが、島には誰も言葉をしゃべる相手がいないということは、真牛にとって一番の苦痛でした。

 また、この頃なると、真牛は、黒島に残してきた妻や子どものことを思うようになっていました。

 寂しさや苦痛を和らげるため、真牛は、鳥や魚に向かって話しかけていました。

 そうしている間に、10年の歳月が瞬く間に過ぎました。

 ある日、無人島の沖に一艘の帆船が通りかかりました。

 真牛は浜辺に出て、
 「お~い!助けてくれ~っ!!」
と声の限りに叫び、助けを求めました。

 しかし、帆船は真牛に気づくことなく、過ぎ去ってしまいました。

 全身の力が抜けて動けなくなった真牛は、その場にへたり込み、砂浜で声を上げて泣きました。

 それからさらに、3年が経ちました。

 あれから船は一艘も通りかかることはありませんでした。

 この頃になると真牛は、日々神様に祈り、心の救いを求めていました。

 すると、ある夜、真牛の夢枕に一人の老人が現れ、
 「明日の朝、海に入り、背の届くところまで進むがよい。そうすれば、海の使いがそちを生まれ故郷まで運ぶであろう。夢疑うことなかれ」
と告げたのでした。

 真牛が目を覚ますと、そこにはもう老人の姿はありませんでした。

 次の朝、真牛は夢のお告げ通り海に入り、背の届くところまで歩きました。

 すると、一匹のフカが現れ、真牛の周りをぐるぐると泳ぎ始めました。

 真牛が恐怖を感じながらも辛抱していると、フカは真牛を背中に乗せ、もの凄い勢いで海を泳ぎ始めました。

 そして、フカは浅瀬まで来ると、背中に乗せていた真牛を降ろし、海の中へ消えて行きました。

 気がついてみれば、そこは真牛の生まれ故郷の黒島でした。

 「神様、ありがとうございます」
と真牛は口に出して言い、神様に感謝を表しました。

 こうして真牛は、実に13年振りに故郷の地に立ったのでした。

 黒島の人々は、真牛の生還を喜び、真牛は英雄として迎えられました。

 こうして、無事に、真牛は妻や子どもとの再会を果たすことができました。

 それ以来、真牛の子孫や親戚はフカに感謝し、決してフカの肉を食べないそうです。

解説

 主人公の多良間真牛は実在の人物であり、琉球王国時代、首里城に置かれた行政機関の首里王府には、この奇蹟の出来事が報告されています。

 その記録によると、

 旧暦の天保14年(1843年)1月25日(新暦:2月23日)に、黒島に住む青年の多良間真牛が、一人でサバニ(木造小型舟)に乗り、西表島へ田植に行く途中、天気の急変にあい遭難する。大きな木にしがみつき、しばらく漂流する。

 翌26日に、波照間島と新城島の中間から東南方向へ流される。

 翌27日の午前10時頃に、遠くの方に小島が見える。

 同日の午後2時頃に、その小島に上陸する。

 上陸した小島は無人島で、大きさは嘉弥真島ほどで、島には小川が流れていたので、水を確保することはできた。また、島には山芋が自生していたので、それが主食とする。

 その島で6ヶ月ほど滞在する。無人島で暮らしている期間は、毎日毎日、黒島に帰りたいと願っていた。

 同年6月26日の夜に、寝ていると、白いあごひげの老人が現れ、「陽が昇る頃、海へ出て背のとどく辺りまで進むがよい」と言われた。

 翌27日の早朝に、言われた通り島の海に出ると、1丈(約3m)ほどのフカ(サメ)が股の間に入ってきた。そのままフカの背中に乗り、半日で黒島に到着する。黒島では、「多良間真牛は海で亡くなった」と考えられていたので、島民は大変に驚いた。

 この奇蹟の出来事が琉球王朝に報告され、国王である尚育王から首里王府に招待される。

 後日、役人と一緒に首里王府へ赴き、国王から国分煙草五斤と白木綿布二反を下賜される。

とあります。

 また、現在、黒島の仲本地区には多良間真牛の博物館があり、島の観光名所となっています。

感想

 「簡単すぎる人生に生きる価値などない」
 これは、かの有名な古代ギリシアの哲学者であるソクラテスの言葉です。

 さて、『無人むじんとうながされたおとこ』の主人公である多良間真牛からは、人間が絶望的な状況に陥った時、どのように行動すれば「希望」を見出すことができるのかと深く考えさせられます。

 それと同時に、人間が絶望的な状況に陥った時でも、どのようにすれば「希望」を持ち続けることができるのかとも考えさせられます。

 「希望」を広辞苑で引いてみると、
 「ある事を成就させようとねがい望むこと。また、その事柄。ねがい。のぞみ」
とあります。

 物語に「日々神様に祈り、心の救いを求めた」とあることから、真牛は何度も何度も「死んでしまいたい」と思ったことが想像できます。

 しかし、それを思いとどまらせたものは、「生きて妻子に会いたい」という強い気持ちだったと思います。

 つまり、「愛する存在」のために生きると真牛は決めたのです。

 「希望を持つ」ことは、とても大切なことです。

 しかし、「希望を持ち続ける」ことは、とても大変なことです。

 そこで重要となるものが「愛する存在」です。

 絶望的な状況に陥った時、自分のために希望を持ち続けることは難しいですが、愛する存在は希望を与えてくれるので、結果として希望を持ち続けることができます。

 そう考えると、「愛する存在」こそが、人間が生きる上での最大の「希望」であると言えます。

まんが日本昔ばなし

無人むじんとうながされたおとこ
放送日: 昭和52年(1977年)07月16日
放送回: 第0151話(0093 Bパート)
語り: 市原悦子・(常田富士男)
出典: 『沖縄おきなわ民話みんわ ([新版しんぱん]日本にっぽんのむかしばなし 11)』 伊波南哲 (未來社)
演出: 小林三男
文芸: 沖島勲
美術: サキスタジオ
作画: 高橋信也
典型: 霊験譚れいげんたん
地域: 九州地方(沖縄県)

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最後に

 今回こんかいは、『無人むじんとうながされたおとこ』のあらすじと内容ないよう解説かいせつ感想かんそう、おすすめ絵本えほんなどをご紹介しょうかいしました。

 『無人むじんとうながされたおとこ』は、「人間にんげんは、どんな状況じょうきょうたされたとしても、希望きぼうてるべきではない。希望きぼうさえつづけていられれば、どんな困難こんなんえることができる」とさとしているとともに、神様かみさまえらばれるただひとつの方法ほうほうは「いのり」であり、神様かみさま存在そんざいしんじることの大切たいせつさも示唆しさしています。ぜひれてみてください!

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