海で遭難して無人島に流された多良間真牛が、長い無人島生活を経た後、フカ(大形のサメ)に助けられ、無事に故郷への生還を果たします——奇跡の実話をもとにした感動のお話が『無人島に流された男』です。
今回は、『無人島に流された男』のあらすじと内容解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介します!
概要
『無人島に流された男』は、『鱶に救われた多良間真牛の話』や『多良間真牛漂流記』と呼ばれ、九州地方に属する沖縄県の八重山諸島にある黒島に、「モーシーの伝説」として伝えられているお話です。
主人公の多良間真牛は実在の人物であり、琉球王国時代、首里城に置かれた行政機関の首里王府には、この奇蹟の出来事が報告されました。
その結果、フカ(大形のサメ)に助けられた多良間真牛のお話は公然となり、多くの人たちに知られ、黒島では『無人島に流された男』のお話として現在も語り継がれています。
※尚、現時点では『無人島に流された男』に関する絵本は存在しません。
あらすじ
むかしむかし、沖縄県の八重山諸島にある黒島という島に、多良間真牛という男が住んでいました。
黒島は、島が小さく、田んぼがないので、この島に住む人々は、近くの西表島に舟で渡って、そこで米を作るならわしでした。
ある日、真牛は、いつものように種もみを舟に積んで、西表島で米作りをするため、黒島を出発しました。
しかし、途中で嵐に遭い、船は沈没し、真牛は海へ投げ出されてしまいました。
真牛は、海に浮かんだ種もみの入った箱にしがみつき、何とかして島へ戻ろうと必死に泳ぎましたが、大きな波をかぶさり、逆に沖へ流されてしまいました。
しばらく漂流していた真牛ですが、大きな流木を見つけたので、
「ありがたい。これはしめたぞ」
と思い、天の助けとばかりに喜んで流木に乗ると、それに種もみの箱をくくりつけ、後は波に身を任せ、あてどもなく海上を漂流しました。
流木に乗って7日間漂流した後、真牛は無人島に辿り着きました。
この無人島には、色とりどりの花が咲き誇り、たくさんの鳥が生息していました。バナナやパパイヤ、マンゴーなど豊富な果物がなっていました。海岸の浅瀬では、たくさんの魚が泳いでいました。
「ひとまず食べ物に困ることはなさそうだ」
と思った真牛は、しばらくこの島で暮らすことにしました。
まず真牛は、木を切り倒して小屋を建てました。小屋の屋根には、切り取った大きな葉っぱを敷き詰めました。
次に、木の皮を編み、寝床を作ったり、果物や魚を入れる籠を作ったりしました。
また、真牛は、海に潜り、大きなシャコ貝を取ってきました。シャコ貝は鍋代わりになるので、煮物を作ることができるようになりました。
さらに、流木にくくりつけていた種もみを植えたことで、米のご飯を食べられるようになりました。
こうして、真牛の無人島での快適な生活が始まりました。
しかし、しばらくすると、真牛は、この快適な生活がだんだんと苦痛になってきました。
真牛の髪や髭は、ボーボーの伸び放題で、もう人間の風貌とは思えないほどになっていました。
そんなことは、まだ我慢することはできましたが、島には誰も言葉をしゃべる相手がいないということは、真牛にとって一番の苦痛でした。
また、この頃なると、真牛は、黒島に残してきた妻や子どものことを思うようになっていました。
寂しさや苦痛を和らげるため、真牛は、鳥や魚に向かって話しかけていました。
そうしている間に、10年の歳月が瞬く間に過ぎました。
ある日、無人島の沖に一艘の帆船が通りかかりました。
真牛は浜辺に出て、
「お~い!助けてくれ~っ!!」
と声の限りに叫び、助けを求めました。
しかし、帆船は真牛に気づくことなく、過ぎ去ってしまいました。
全身の力が抜けて動けなくなった真牛は、その場にへたり込み、砂浜で声を上げて泣きました。
それからさらに、3年が経ちました。
あれから船は一艘も通りかかることはありませんでした。
この頃になると真牛は、日々神様に祈り、心の救いを求めていました。
すると、ある夜、真牛の夢枕に一人の老人が現れ、
「明日の朝、海に入り、背の届くところまで進むがよい。そうすれば、海の使いがそちを生まれ故郷まで運ぶであろう。夢疑うことなかれ」
と告げたのでした。
真牛が目を覚ますと、そこにはもう老人の姿はありませんでした。
次の朝、真牛は夢のお告げ通り海に入り、背の届くところまで歩きました。
すると、一匹のフカが現れ、真牛の周りをぐるぐると泳ぎ始めました。
真牛が恐怖を感じながらも辛抱していると、フカは真牛を背中に乗せ、もの凄い勢いで海を泳ぎ始めました。
そして、フカは浅瀬まで来ると、背中に乗せていた真牛を降ろし、海の中へ消えて行きました。
気がついてみれば、そこは真牛の生まれ故郷の黒島でした。
「神様、ありがとうございます」
と真牛は口に出して言い、神様に感謝を表しました。
こうして真牛は、実に13年振りに故郷の地に立ったのでした。
黒島の人々は、真牛の生還を喜び、真牛は英雄として迎えられました。
こうして、無事に、真牛は妻や子どもとの再会を果たすことができました。
それ以来、真牛の子孫や親戚はフカに感謝し、決してフカの肉を食べないそうです。
解説
主人公の多良間真牛は実在の人物であり、琉球王国時代、首里城に置かれた行政機関の首里王府には、この奇蹟の出来事が報告されています。
その記録によると、
旧暦の天保14年(1843年)1月25日(新暦:2月23日)に、黒島に住む青年の多良間真牛が、一人でサバニ(木造小型舟)に乗り、西表島へ田植に行く途中、天気の急変にあい遭難する。大きな木にしがみつき、しばらく漂流する。
翌26日に、波照間島と新城島の中間から東南方向へ流される。
翌27日の午前10時頃に、遠くの方に小島が見える。
同日の午後2時頃に、その小島に上陸する。
上陸した小島は無人島で、大きさは嘉弥真島ほどで、島には小川が流れていたので、水を確保することはできた。また、島には山芋が自生していたので、それが主食とする。
その島で6ヶ月ほど滞在する。無人島で暮らしている期間は、毎日毎日、黒島に帰りたいと願っていた。
同年6月26日の夜に、寝ていると、白いあごひげの老人が現れ、「陽が昇る頃、海へ出て背のとどく辺りまで進むがよい」と言われた。
翌27日の早朝に、言われた通り島の海に出ると、1丈(約3m)ほどのフカ(サメ)が股の間に入ってきた。そのままフカの背中に乗り、半日で黒島に到着する。黒島では、「多良間真牛は海で亡くなった」と考えられていたので、島民は大変に驚いた。
この奇蹟の出来事が琉球王朝に報告され、国王である尚育王から首里王府に招待される。
後日、役人と一緒に首里王府へ赴き、国王から国分煙草五斤と白木綿布二反を下賜される。
とあります。
また、現在、黒島の仲本地区には多良間真牛の博物館があり、島の観光名所となっています。
感想
「簡単すぎる人生に生きる価値などない」
これは、かの有名な古代ギリシアの哲学者であるソクラテスの言葉です。
さて、『無人島に流された男』の主人公である多良間真牛からは、人間が絶望的な状況に陥った時、どのように行動すれば「希望」を見出すことができるのかと深く考えさせられます。
それと同時に、人間が絶望的な状況に陥った時でも、どのようにすれば「希望」を持ち続けることができるのかとも考えさせられます。
「希望」を広辞苑で引いてみると、
「ある事を成就させようとねがい望むこと。また、その事柄。ねがい。のぞみ」
とあります。
物語に「日々神様に祈り、心の救いを求めた」とあることから、真牛は何度も何度も「死んでしまいたい」と思ったことが想像できます。
しかし、それを思いとどまらせたものは、「生きて妻子に会いたい」という強い気持ちだったと思います。
つまり、「愛する存在」のために生きると真牛は決めたのです。
「希望を持つ」ことは、とても大切なことです。
しかし、「希望を持ち続ける」ことは、とても大変なことです。
そこで重要となるものが「愛する存在」です。
絶望的な状況に陥った時、自分のために希望を持ち続けることは難しいですが、愛する存在は希望を与えてくれるので、結果として希望を持ち続けることができます。
そう考えると、「愛する存在」こそが、人間が生きる上での最大の「希望」であると言えます。
まんが日本昔ばなし
『無人島に流された男』
放送日: 昭和52年(1977年)07月16日
放送回: 第0151話(0093 Bパート)
語り: 市原悦子・(常田富士男)
出典: 『沖縄の民話 ([新版]日本のむかし話 11)』 伊波南哲 (未來社)
演出: 小林三男
文芸: 沖島勲
美術: サキスタジオ
作画: 高橋信也
典型: 霊験譚
地域: 九州地方(沖縄県)
最後に
今回は、『無人島に流された男』のあらすじと内容解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介しました。
『無人島に流された男』は、「人間は、どんな状況に立たされたとしても、希望を捨てるべきではない。希望さえ持ち続けていられれば、どんな困難も乗り越えることができる」と諭しているとともに、神様に選ばれるただひとつの方法は「祈り」であり、神様の存在を信じることの大切さも示唆しています。ぜひ触れてみてください!