昔話『カジカのびょうぶ』のあらすじ・内容解説・感想
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 天城山あまぎさんは、中部ちゅうぶ地方ちほう位置いちする静岡県しずおかけん伊豆いず半島はんとう中央部ちゅうおうぶ東西とうざいひろがるやまです。「日本にほん百名山ひゃくめいざん」のひとつでもある天城山あまぎさんには、『伊豆いず天城山あまぎさん狩野川かのがわ伝説でんせつ』とばれ、かえるのカジカに懇願こんがんされた人間にんげんが、やままもろうと奮闘ふんとうするこころあたたまる民話 みんわ『カジカのびょうぶ』がつたわります。

 今回こんかいは、『カジカのびょうぶ』のあらすじと内容ないよう解説かいせつ感想かんそうなどをご紹介しょうかいします!

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概要

 『カジカのびょうぶ』の舞台ぶたいは、中部ちゅうぶ地方ちほう位置いちする静岡県しずおかけん伊豆いず半島はんとうといわれています。

 人間にんげんすくわれたカジカガエルが、おれい人間にんげんおんがえしをすることを主題しゅだいにした民話みんわです。

 自然しぜんこえき、自然しぜんとともにきるという、日本人にっぽんじん感性かんせい自然観しぜんかん表現ひょうげんされているのと同時どうじに、一生いっしょうともごした人間にんげんとカジカガエルの、たされた時間じかんかんじることができます。

 あらためて、しあわせとは地道じみちみずからがつくりだすものとづかされる内容ないようです。

 『カジカのびょうぶ』のような人間にんげんすくわれた動物どうぶつが、おれいをするという趣向しゅこうは、『ぶんぶくちゃがま』『つるおんがえし』などおおくのむかしばなし重要じゅうよう要素ようそとなっています。

あらすじ

 むかしむかし、天城山あまぎさんきた狩野かの旧家きゅうか跡取あととりに、菊三郎きくさぶろうというものがおりました。

 菊三郎きくさぶろうまれたいえは、大変たいへんなおかねちで、代々だいだいのご先祖せんぞさまのおかげで、なん苦労くろうもしないで、これからさき安心あんしんしてらせるほど、やま田畑たはたなどをいくつもっていました。

 ところが、菊三郎きくさぶろうはどら息子むすこで、悪気わるぎはないが、はたらくことが大嫌だいきらいななまもの役立やくたたずで、あそんでらして贅沢ぜいたくばかりするうちに、やま田畑たはたりつくしても借金しゃっきんのこるという始末しまつでした。

 そこで、菊三郎きくさぶろうは、最後さいごのこっていた山も手放てばなすことになり、下調したしらべにやまかけていきました。

 やま狩野川かのがわたにはさんで、うつくしい木立こだちひるくらいほどしげっていました。足下あしもと狩野川かのがわは、玉砂利たまじゃりめたようなうつくしい川原かわらと、どこまでもんだつめたく綺麗きれいみずながれるかわでした。

 菊三郎きくさぶろうは、川上かわかみほうへどんどんあるいていきました。

 かわのサラサラという心地ここちながれのおととともに、菊三郎きくさぶろう足音あしおとにもどうぜず、あちこちからあわぶかいカジカのこえむれれをしてうたっていました。

 「そうか、それでこのあたりを河鹿沢かじかざわぶのか」
菊三郎きくさぶろうおもいながら、さらにあるつづけました。

 あさからあるつづけた菊三郎きくさぶろうは、すっかりくたびれてしまいました。
 「どれ、ちっと一眠ひとねむりしようか」
菊三郎きくさぶろうは、河鹿沢かじかざわにあるおおきな一枚いちまいいわうえに、ゴロンとだいになってころびました。

 だいぶつかれていたのでしょう、菊三郎きくさぶろうはウトウトとねむってしまいました。

 やがて、つめたい菊三郎きくさぶろうかたをゆすぶり、
 「もし、だんなさま、だんなさま
と、どこからか菊三郎きくさぶろうこえこえてきました。

 「だんなさま菊三郎きくさぶろうさま
 「うん?だれだ、名前なまえぶのは」
菊三郎きくさぶろうをあけると、いままでにたこともないような奇妙きみょう顔立かおだちをした老人ろうじんっていました。

 「菊三郎きくさぶろうさま、おねがいがあります。どうかこの河鹿沢かじかざわだけは、らないでくだされ」
老人ろうじんは、深々ふかぶかあたまげていました。
 「おまえさんは?」
とそのとき菊三郎きくさぶろう老人ろうじん着物きものそでがぐっしょりれていて、ポタポタとみずしたたるのにづきました。
 「わしはこの河鹿沢かじかざわのカジカの頭領とうりょうじゃ。河鹿沢かじかざわわたされれば、このやま河岸かわぎしられて、たに日照ひでりりにかわき、あめがあれば川床かわどこはにごりみずながされてしまうであろう。そうなれば、我々われわれカジカはむことができなくなってしまうのじゃ」
とカジカの頭領とうりょうは、なみだかべ、何度なんどあたまげていました。
 「なるほど」
菊三郎きくさぶろうおもいました。

 カジカはみどりふかきよらかな谷川たにがわこのんでものでした。

 「なにとぞ、この河鹿沢かじかざわをおりにならんよう、おたのもうげます」
老人ろうじんって、菊三郎きくさぶろうりましたが、そのがあまりにつめたいので、菊三郎きくさぶろうはハッとしてわれかええりました。

 「なんだ、ゆめか」
しかし、カジカの頭領とうりょうれた菊三郎きくさぶろうは、みずでびっしょりとれていました。

 菊三郎きくさぶろうは、
 「かりましたよ、頭領とうりょう
とつぶやくと、そのままいえかえりました。

 いえかえった菊三郎きくさぶろうは、土蔵どぞうなか書画しょが骨董こっとう、あらゆるものをかねえて、どうにか河鹿沢かじかざわ人手ひとでわたさずにみました。

 そのため菊三郎きくさぶろう手元てもとのこったものは、ものにならない二曲にきょくしろ屏風びょうぶ一隻いっせきだけでした。

 そのよるすずしいかぜけるなか菊三郎きくさぶろうは、この屏風びょうぶ枕元まくらもとて、ひっそりとねむりにつきました。

 ゆめなかで、菊三郎きくさぶろうは、たくさんのカジカのごえきました。

 お日様ひさまのぼり、さまました菊三郎きくさぶろうは、がると、
 「あっ!」
おもわずおおきなこえげてしましました。

 枕元まくらもとからえんにかけて点々てんてんとカジカの足跡あしあとつづき、しろ屏風びょうぶには、いつのにかすみいろ生々なまなましく、たくさんのカジカが谷間たにまたわむれているきとえがかれていました。

 「不思議ふしぎじゃ」
そう菊三郎きくさぶろうはつぶやきながら、そのとれてしまいました。

 すみ一色いっしょく濃淡のうたんを、もの見事みごときわけたカジカのたわむれるは、るもののこころ不思議ふしぎ感動かんどうあたえました。

 カジカの屏風びょうぶうわさは、ひとからひとへとつたわり、みやこからはるばるやってきた名高なだか絵師えしは、この屏風びょうぶ感嘆かんたんこえげました。
 なかには、屏風びょうぶってほしいと、千両せんりょうばこをいくつもかさねるひとまであらわれました。

 しかし、菊三郎きくさぶろうはこの屏風びょうぶけっして手放てばなしませんでした。

 そして、この屏風びょうぶらない程度ていどに、菊三郎きくさぶろう仕事しごとせいすようになりました。

 やがて、なが月日つきひち、見事みごといえ再興さいこうした菊三郎きくさぶろうは、いてくなりました。

 不思議ふしぎなことに、菊三郎きくさぶろうくなると屏風びょうぶえがかれたカジカの次第しだいうすれていき、何年なんねんかすると、はとうとうえてしまいました。

 河鹿沢かじかざわという浄蓮じょうれんたきうえほう渓流けいりゅうにやや川床かわどこのひらけたあたりでは、いまでもカジカのごえみみにすることができるそうです。

解説

 中部ちゅうぶ地方ちほう位置いちする静岡県しずおかけん伊豆いず半島はんとう年間ねんかん降水量こうすいりょうもっとたか天城山あまぎさんげんはっし、大小だいしょう支川しせんわせながら北流ほくりゅうし、平安へいあん時代じだい初期しょき大同だいどう2ねん(807ねん)に弘法大師こうぼうだいし(空海くうかい)の開基かいきつたわる修善寺しゅぜんじて、沼津市ぬまづしにおいて駿河湾するがわんそそうつくしい河川かせん狩野川かのがわです。狩野川かのがわは、太平洋たいへいようがわではめずらしい、北流ほくりゅうする一級いっきゅう河川かせんです。

 狩野川かのがわ上流部じょうりゅうぶ位置いちする浄蓮じょうれんたきは、「日本にっぽんたき百選ひゃくせん」にえらばれ、石川いしかわさゆりの演歌えんか天城あまぎえ』の歌詞かしにも登場とうじょうするとして、日本中にっぽんじゅうひろられています。

 あめおおあざやかな天城山あまぎさんみみにさわやかな狩野川かのがわのせせらぎ、幽玄ゆうげん華麗かれい浄蓮じょうれんたき、その自然しぜん数々かずかず文人ぶんじん墨客ぼっかくきつけるだけではなく、河鹿かじか(カジカガエル)がすむにとってもてきしているようです。

 古来こらい日本人にっぽんじんあいされるカジカガエルは、「清流せいりゅう歌姫うたひめ」とばれ、そのごえは「フィー、フィー」という鹿しかのようなとてもうつくしいこえきます。

 ちなみに、カジカガエルは、そのごえから「かわ鹿しか」とばれ、カジカガエル(河鹿蛙かじかがえる)と名付なづけられました。

感想

 『カジカのびょうぶ』には、日本人にっぽんじん感性かんせい自然観しぜんかんがとても表現ひょうげんされています。

 そのひとつが、カジカの頭領とうりょう河鹿沢かじかざわらないでしいと、菊三郎きくさぶろう懇願こんがんする場面ばめんでの以下いか台詞せりふです。

られて、たに日照ひでりにかわき、あめがあれば川床かわどこはにごりみずながされてしまうであろう」

 では、なぜもりられると川床かわどこがにごってしまうのでしょうか?

 それは、もりというのは、地中ちちゅうにはりめぐらされた樹木じゅもくによって、土壌どじょう斜面しゃめんにつなぎめる能力のうりょくっているからです。

 また、同時どうじもりは、土壌どじょう表面ひょうめんをおおう落葉らくよう落枝らくし潅木かんぼく下草したくさなどによって、降雨こううなどによる土壌どじょう流出りゅうしゅつおさえ、土砂どしゃくずれなどの土砂どしゃ災害さいがい未然みぜん防止ぼうしちから発揮はっきします。

 もうひとつは、最後さいご菊三郎きくさぶろう手元てもとのこったしろまくら屏風びょうぶえがかれたカジカのについて、

墨一色すみいっしょく濃淡のうたんをものの見事みごとえがきわけたカジカのたわむれる

 では、実際じっさいすみ一色いっしょく濃淡のうたんで、えがきわけることができるのでしょうか?

 たとえすみ一色いっしょくであっても、ものおおきさ、輪郭りんかく光影こうえい質感しつかんなどを濃淡のうたんによってえがきわけることは可能かのうです。それは、すみみずくわえることで色調しきちょうかんじさせる描写びょうしゃ表現ひょうげん可能かのうとなるからです。

 「すみ五彩ごさいあり」といわれますが、すみみずによる濃淡のうたんにじみ、かすれなどを使つかえば、すみ一色いっしょくでもえがきわけることが出来できるということです。

 『カジカのびょうぶ』は、カジカのごえ不思議ふしぎ老人ろうじんたたずまいなど、うつくしい表現ひょうげんかずおおまれているため、みみからの情報じょうほうのみで物語ものがたり理解りかいし、創造そうぞうひろげるちからやしなうことを可能かのうとしています。

 つぎ世代せだい日本人にっぽんじんつたえていきたいおはなしです。

まんが日本昔ばなし

『カジカのびょうぶ』
放送日: 昭和51年(1976年)10月09日
放送回: 第0088話(第0053回放送 Bパート)
語り: 市原悦子・(常田富士男)
出典: 表記なし
演出: 漉田実
文芸: 漉田実
美術: 槻間八郎
作画: 樋口雅一
典型: 動物報恩譚どうぶつほうおんたん
地域: 中部地方(静岡県)

最後に

 今回こんかいは、『カジカのびょうぶ』のあらすじと内容ないよう解説かいせつ感想かんそうなどをご紹介しょうかいしました。

 小鳥ことりごえ小川おがわのせせらぎ、がこすれるおとなど、みみませて自然しぜんこえくと気持きもちがおだやかになります。自然しぜんとともにきる、日本人にっぽんじん感性かんせい自然観しぜんかんあらわされているおはなしが『カジカのびょうぶ』です。つぎ世代せだいつたえたいおはなしなので、ぜひれてみてください!

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