『河童のくれた妙薬』は、命を助けられた妖怪の河童が、そのお礼にと、人間に傷によく効く薬をつくる秘伝を教えるというお話です。
今回は、『河童のくれた妙薬』のあらすじと内容解説、感想などをご紹介します!
概要
『河童のくれた妙薬』は、『河童の妙薬』とも呼ばれるお話で、日本の妖怪である河童が持つといわれる伝説上の薬の由来に関するお話です。
東北地方、関東地方、四国地方など日本各地に同様の伝説が広く残されております。
薬の効能は、「打ち身」「火傷」「切り傷」に特に高い効果を発揮するといわれています。
それは、河童は相撲が好きで、怪我が多いため、こうした薬を持っていると考えられていたからです。
また、水の妖怪である河童が、金属を嫌う性質から、刃物による「切創」に効果が高いともいわれています。
それから、河童という名称についてですが、それは河童を「川童」とも呼ぶことに由来します。「かわ(川)」に子どもという意味の「わらは(童)」が組み合わされた「かわわっぱ」が変化したものだといわれています。
芥川龍之介が昭和2年(1927年)に発表した小説『河童』によってその知名度が上がり、その後は代表的な呼び名となり定着しました。
あらすじ
むかしむかし、ある山里の村で、子どもたちが大勢集まり、秋祭りの相撲大会の練習をしていました。
すると、見知らぬ小さな子どもが、相撲を遠くから眺めていました。
それに気づいた村の子どもの一人が相撲を取ると、いとも簡単に投げ飛ばされてしまいました。
村の子どもが、二人でかかっても、三人でかかっても、五人でかかっても勝てませんでした。
「なんて強いんだ!こんな時に五作がおったら」
と村の子どもたちが悔しがっていると、噂の五作がやってきました。
五作は、昨年、村の鎮守さまの子ども相撲で優勝した、村の中では一番相撲の強い子どもでした。
「さあ、オラと勝負だ!」
と五作は言って、見なれない子どもと五作が、がっぷりと四つに組みました。
「えいっ!」
と五作が大きな声を出した瞬間、見なれない子どもは投げ飛ばされていました。
負けた子どもは、ゆっくりと起き上がり、
「明日、仏さんのご飯を食べずに来い。そうしたらオレが勝つ!」
と五作に言いました。
五作は不思議に思いながら、家に帰り、それをお祖父さんに話すと、
「だったら明日は、仏さんのご飯を食べずに行きなさい」
と笑いながらお祖父さんは言いました。
次の日、五作が昨日の子と相撲を取ると、今度は負けてしまいました。
勝ったその子が、
「オレとの約束通り、仏さんのご飯は食ずに来たんだな」
と嬉しそうに言うので、五作もなんだか嬉しくなりました。
「仏さんのご飯なんて言うのはおかしい。お前、もしかして河童じゃないか」
と村の子どもたちが、相撲に勝った子を責めました。
見物していた大人も子どもも、その子に詰め寄り、殴ったり蹴ったりしました。
そして、若者の一人が、木の棒で殴ろうとしたので、
「待ってくれぇ!」
と五作のお祖父さんが、河童と若者の間に飛び込みました。
そして、お祖父さんはみんなをなだめ、河童を助けてあげました。
実は、お祖父さんは、その子が河童であることに気づいていたのでした。
五作とお祖父さんは、四方川の上流にある沼まで河童を連れて行くと、そこに河童を逃がしてやりました。
すると、その晩、五作の家に、河童のお祖父さんが訪ねてきました。
「今日は、可愛い孫の命をお助けくださり、ありがとうございます。そのお礼に、『河童の妙薬』の作り方をお教えいたします」
と河童しか知らない薬の作り方を教えてくれました。
河童が教えてくれた妙薬は、打ち身や捻挫に、非常によく効く薬でした。
村の子どもたちは、五作に妙薬を塗ってもらい、相撲の練習に励んだそうです。
また、たくさんの人たちが五作の家に、河童が教えてくれた妙薬を買いに来るようになり、五作の家はとても裕福になったそうです。
解説
河童は、川や沼の中に住み、泳ぎが得意な妖怪と伝わります。
河童の由来は、大まかに西日本と東日本に分けられます。
西日本では、中国神話の中に登場する黄河の水神である“河伯信仰”に関連する、大陸からの渡来とされています。
しかし、東日本では、平安時代の陰陽師である安倍晴明が操る“式神”と呼ばれる鬼神、飛鳥時代の呪術師である役小角の“護法童子”、それから江戸時代初期に活躍したとされる伝説的な彫刻職人で飛騨の匠と伝わる左甚五郎が、自分の仕事を手伝わせるために作った人形が変じたものとされています。
さて、河童は相撲が大好きで、よく子どもを相撲に誘い、相撲に負けた子どもの肛門の所にあると考えられている「尻子玉」を抜くという伝承があります。
ところが、相撲の勝負に勝つと「河童の妙薬」をもらえるといわれています。
ちなみに、尻子玉を抜かれると腑抜けになってしまうそうです。
河童は人間の大人よりも力が強いが、「仏前に供えたご飯を食べた後に戦えば子どもでも負けない」と伝わります。
また、相撲を取る前にお辞儀をすると河童もお辞儀を返し、それにより頭の皿の水がこぼれてしまうため、力が出せなくなるというお茶目な一面も伝わります。
ちなみに、河童が相撲を好むのは、相撲が元々、水神に奉げる行事だったためといわれています。
感想
河童は、日本人に最もよく知られている妖怪の一つではないでしょうか。
漫画やアニメーションなどの作品に登場するばかりでなく、テレビCMのキャラクターや地方自治体のマスコットにも採用されています。
そうした現象は、多くの日本人が「河童とはこういうものだ」という共通の認識を持っているからでしょう。
日本人がすぐに思い浮かべる“河童像”は、次のようなものではないでしょうか。
童児の姿をし、頭のてっぺんに水をたたえた皿があり、髪の形は、いわゆるおかっぱ頭にしています。
頭上の皿の水は河童の生命の根源で、その水がなくなると死ぬといわれています。
体表に毛はなく体の色は緑色で、口は鳥のクチバシのようにとがっていて、黄色いクチバシとして表現されることもあります。
背中には亀のような甲羅、手足の指には水掻きがあります。
さらに、川や池などの水中に潜み、人間を水中に引きずり込み、溺死させる恐ろしい妖怪といわれています。
しかし、その一方では、この『河童のくれた妙薬』のような民話に登場する河童は、必ずしも恐ろしい妖怪ではなく、恩義に厚く、可愛らしくて、ひょうきんな性格が多いように感じます。
まんが日本昔ばなし
『河童のくれた妙薬』
放送日: 昭和51年(1976年)09月11日
放送回: 第0081話(第0049回放送 Aパート)
語り: 常田富士男・(市原悦子)
出典: 表記なし
演出: 児玉喬夫
文芸: 沖島勲
美術: 山守啓陽
作画: 樋口雅一
典型: 由来譚・河童譚
地域: 九州地方
最後に
今回は、『河童のくれた妙薬』のあらすじと内容解説、感想などをご紹介しました。
河童は恐ろしい妖怪と伝わりますが、昔話に登場する河童は、不思議とひょうきんな性格のものが多いように感じます。『河童のくれた妙薬』も、そんな人間と河童の心の触れ合いが描かれています。ぜひ触れてみてください!