『ぶんぶく茶釜』は、群馬県館林市に実在する茂林寺に伝わる伝説と狸の恩返しのお話が融合した、愉快だけど、ちょっぴり切ない気持ちになってしまう物語です。
今回は、『ぶんぶく茶釜』のあらすじと内容解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介します!
概要
『ぶんぶく茶釜』は、群馬県館林市に実在する茂林寺に伝わる民話です。
『ぶんぶく茶釜』は、江戸時代後期に肥前国(現在の佐賀県と長崎県)平戸藩第九代藩主の松浦清により書かれた随筆集『甲子夜話』に登場する化け狸のお話「茂林寺の釜」が起源といわれています。
明治時代から大正時代にかけて活躍した児童文学者の巖谷小波による日本初児童叢書である『日本昔噺』に「文福茶釜」の題で収載されたことにより日本中で広く知られるようになりました。
あらすじ
むかしむかし、上野国に茂林寺というお寺がありました。
ある日、和尚さんが古い茶釜を買ってきて、お湯を沸かそうと火にかけたところ、茶釜が「熱い!」と悲鳴をあげ、頭や尻尾を出しタヌキのような姿で動き回り、お寺の和尚さんや小僧を驚かせました。
気味が悪い茶釜を買ったことを悔やんだ和尚さんは、茶釜を古道具屋の男にタダで譲りました。
やがて、その茶釜はタヌキが化けたものだということを古道具屋の男は知りました。タヌキは正直に事情をすべて男に話しました。
茶釜に化けたまま戻れなくなってしまったといい、そしてタヌキは自ら芸をして稼ぐからと約束をし、男の家においてくださいと伝えました。
茶釜に化けたタヌキが芸をする見世物小屋は大評判になり、曲芸は大いに喜ばれ、古道具屋は大金持ちになりました。
ところが、ある日、タヌキは病気を患い、茶釜の姿のまま死んでしまいました。
一人残された男は、雪の夜道に崩れ落ち、夜通し泣きつくしました。
翌朝、古道具屋の男は茶釜を元のお寺に奉納し供養してもらいました。男は、これまでのことをすべて和尚さんに話し、茶釜はお寺に安置されることになりました。
解説
『ぶんぶく茶釜』は、群馬県館林市に実在する茂林寺に、古くから伝わる伝説の茶釜です。
むかしむかし、茂林寺には守鶴という優秀な老僧がいました。
元亀元年(1570年)に茂林寺で千人法会が催されることになり、大勢の来客を賄う湯釜が必要となりました。その時、守鶴は一夜のうちに、どこからか一つの茶釜を持ってきて、茶堂に備えました。ところが、この茶釜は不思議なことにいくら湯を汲んでも尽きることがありませんでした。
守鶴は、自らこの茶釜を、福を分け与える「紫金銅分福茶釜」と名付け、この茶釜の湯で喉を潤す者は、「開運出世」や「寿命長久」など八つの功徳に授かるといったそうです。
そんなある日、守鶴が昼寝をしている様子を別の僧が覗くと、なんと守鶴の股から狸の尾が生えていたそうです。
守鶴の正体は狸でした。それも数千年を生きた狸であり、かつてインドで釈迦の説法を受け、中国に渡って日本へ来ました。不思議な茶釜も狸の術によるものでした。
正体を知られた守鶴は、お寺を去ることを決意しました。最後の別れの日、守鶴は幻術によって「源平合戦の屋島の戦い」や「釈迦の入滅」を人々に見せたといわれています。
この説話をもとに、昔ばなしの「分福茶釜」が創作されたといわれています。
それから、「ぶんぶく」という名の由来については諸説ありますが、守鶴がいったと伝わる八つの功徳に授かることから「福を分ける茶釜」という意味で分福という説と、湯の沸く音の擬声語の当て字から分福と呼ばれるようになったという説があります。
感想
タヌキは、茶釜に化けて人を騙すつもりでしたが、茶釜に化けたまま元に戻れなくなってしまったことで、人を騙そうとした罪悪感を自らの生涯の罪として認識し、生涯を賭けて償うことにします。
化け狸は、神様として祀られることになりますが、元のタヌキに戻れないまま茶釜として生涯を終えたことは、よくよく考えてみれば残酷なことです。
『ぶんぶく茶釜』は、動物が助けてもらった恩に報いるという内容です。受けた恩に対しては、生涯かけて報いるべきだという、報恩の教えを伝えるために語り継がれてきたのでしょう。
日本人の美徳は、罪悪感と報恩精神といわれています。
日本人が忘れつつある大切なことが、『ぶんぶく茶釜』には凝縮されています。
まんが日本昔ばなし
『ぶんぶく茶釜』
放送日: 昭和50年(1975年)01月28日
放送回: 第0007話(第0004回放送 Aパート)
語り: 常田富士男・(市原悦子)
出典: 表記なし
演出: 星山博之
脚本: 星山博之
美術: 椋尾篁
作画: 菊田武勝
典型: 動物報恩譚・狸譚
地域: 関東地方(群馬県)
最後に
今回は、『ぶんぶく茶釜』のあらすじと内容解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介しました。
日本人が忘れつつある大切なことが、『ぶんぶく茶釜』には凝縮されています。ぜひ触れてみてください!