昔話『ぶんぶく茶釜』のあらすじ・内容解説・感想|おすすめ絵本
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 『ぶんぶく茶釜ちゃがま』は、群馬県ぐんまけん館林市たてばやしし実在じつざいする茂林寺もりんじつたわる伝説でんせつたぬき恩返おんがえしのおはなし融合ゆうごうした、愉快ゆかいだけど、ちょっぴりせつない気持きもちになってしまう物語ものがたりです。

 今回こんかいは、『ぶんぶく茶釜』のあらすじと内容ないよう解説かいせつ感想かんそう、おすすめ絵本えほんなどをご紹介しょうかいします!

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概要

 『ぶんぶく茶釜ちゃがま』は、群馬県館林市ぐんまけんたてばやしし実在じつざいする茂林寺もりんじつたわる民話みんわです。

 『ぶんぶく茶釜』は、江戸時代えどじだい後期こうき肥前国ひぜんのくに(現在げんざい佐賀県さがけん長崎県ながさきけん)平戸藩ひらどはん第九代藩主だいきゅうだいはんしゅ松浦清まつらきよしによりかれた随筆集ずいひつしゅう甲子夜話かっしやわ』に登場とうじょうするだぬきのおはなし茂林寺もりんじかま」が起源きげんといわれています。

 明治時代めいじじだいから大正時代たいしょうじだいにかけて活躍かつやくした児童文学者じどうぶんがくしゃ巖谷小波いわやさざなみによる日本初にほんはつ児童叢書じどうそうしょである『日本昔噺にっぽんむかしばなし』に「文福茶釜ぶんぶくちゃがま」のだい収載しゅうさいされたことにより日本中にっぽんじゅうひろられるようになりました。

 絵本えほんぶんぶく茶釜ちゃがま (せかい童話どうわ図書館としょかん)』は、いずみ書房しょぼうから出版しゅっぱんされています。お人好ひとよしで、楽天家らくてんかで、そのうえおんわすれないタヌキの姿すがたていると、本当ほんとうににやさしい気持きもちになります。

 ポプラしゃより出版されている、絵本『ぶんぶくちゃがま (世界せかい名作めいさくファンタジー 44)』は、平田昭吾ひらたしょうごさんによるみやすいぶんと、高橋信也たかはししんやえがいたたのしいたくさんのによって、幼児期ようじき小学校しょうがっこう低学年ていがくねんどもでも一人ひとり無理むりなくたのしみながら読むことができる、とてもよい絵本です。

 昭和しゅわ10年代ねんだい一流いちりゅう日本画家にほんがかによってすみずみまで丹念たんねんえがかれた「講談社こうだんしゃ絵本えほん」が現代仮名遣げんだいかなづかいいで復刊ふっかんしました。絵本えほんねずみ嫁入よめいり文福茶釜ぶんぶくちゃがま (しん講談社こうだんしゃ絵本えほん)』は、むかしをなつかしむ世代せだいから、精緻せいちうつくしいおどろいたというわか母親層ははおやそうまで、大好評だいこうひょう復刊ふっかんむかえられた絵本えほんです。

 児童文学じどうぶんがく作家さっか斉藤洋さいとうひろしさんによる、ちょっと不思議ふしぎ新感覚しんかんかく日本にっぽんむかしばなしが、『斉藤洋さいとうひろし日本にっぽんむかしばなし (ふしぎなきもののまき)』です。いまきるどもたちのためにおく昔話むかしばなしなので、あさ読書どくしょにも最適さいてきです。新進気鋭しんしんきえいのイラストレーター小中大地こなかだいちさんのイラストも魅力的みりょくてきです。

 どものころ夢中むちゅうになった昔話むかしばなし世界せかいへもう一度いちどおとずれてみませんか。『いまだからみたい 大人おとな昔話むかしばなし』は、一度いちどいたことのある定番ていばんの昔話から、いたりわらったり、はたまたおそれたりする昔話や、られざる名作めいさくの昔話にも出会であうことができます。

あらすじ

 むかしむかし、上野国こうずけのくに茂林寺もりんじというおてらがありました。

 ある和尚おしょうさんがふる茶釜ちゃがまってきて、おかそうとにかけたところ、茶釜が「あつい!」と悲鳴ひめいをあげ、あたま尻尾しっぽしタヌキのような姿すがたうごまわり、お寺の和尚さんや小僧こぞうおどろかせました。

 気味きみわるい茶釜を買ったことをやんだ和尚さんは、茶釜を古道具屋ふるどうぐやおとこにタダでゆずりました。

 やがて、その茶釜はタヌキがけたものだということを古道具屋の男はりました。タヌキは正直しょうじき事情じじょうをすべて男にはなしました。

 茶釜に化けたままもどれなくなってしまったといい、そしてタヌキはみずかげいをしてかせぐからと約束やくそくをし、男のいえにおいてくださいとつたえました。

 茶釜に化けたタヌキが芸をする見世物小屋みせものごや大評判だいひょうばんになり、曲芸きょくげいは大いによろこばれ、古道具屋は大金持おおがねもちになりました。

 ところが、ある日、タヌキは病気びょうきわずらい、茶釜の姿のままんでしまいました。

 一人ひとりのこされた男は、ゆき夜道よみちくずち、夜通よどおきつくしました。

 翌朝よくあさ、古道具屋の男は茶釜をもとのお寺に奉納ほうのう供養くようしてもらいました。男は、これまでのことをすべて和尚さんに話し、茶釜はお寺に安置あんちされることになりました。

解説

 『ぶんぶく茶釜ちゃがま』は、群馬県館林市ぐんまけんたてばやしし実在じつざいする茂林寺もりんじに、ふるくからつたわる伝説でんせつ茶釜ちゃがまです。

 むかしむかし、茂林寺には守鶴しゅかくという優秀ゆうしゅう老僧ろうそうがいました。

 元亀げんき元年がんねん(1570ねん)に茂林寺で千人せんにん法会ほうえもよおされることになり、大勢おおぜい来客らいきゃくまかな湯釜ゆがま必要ひつようとなりました。そのとき、守鶴は一夜いちやのうちに、どこからかひとつの茶釜ちゃがまってきて、茶堂さどうそなえました。ところが、この茶釜は不思議ふしぎなことにいくらくこんでもきることがありませんでした。

 守鶴は、みずからこの茶釜を、ふくあたえる「紫金銅しきんどう分福茶釜ぶんぶくちゃがま」と名付なづけ、この茶釜の湯でのどうるおものは、「開運出世かいうんしゅっせ」や「寿命長久じゅみょうちょうきゅう」などやっつの功徳くどくさずかるといったそうです。

 そんなある、守鶴が昼寝ひるねをしている様子ようすべつそうのぞくと、なんと守鶴のまたからたぬきえていたそうです。

 守鶴の正体しょうたいは狸でした。それも数千年すうせんねんきた狸であり、かつてインドで釈迦しゃか説法せっぽうけ、中国ちゅうごくわたって日本にっぽんました。不思議な茶釜も狸のじゅつによるものでした。

 正体をられた守鶴は、おてらることを決意けついしました。最後さいごわかれの日、守鶴は幻術げんじゅつによって「源平合戦げんぺいがっせん屋島やしまたたかい」や「釈迦しゃか入滅にゅうめつ」を人々ひとびとせたといわれています。

 この説話せつわをもとに、むかしばなしの「分福ぶんぶく茶釜ちゃがま」が創作そうさくされたといわれています。

 それから、「ぶんぶく」という名の由来ゆらいについては諸説しょせつありますが、守鶴がいったと伝わる八つの功徳に授かることから「福を分ける茶釜」という意味いみ分福ぶんぶくというせつと、湯のおと擬声語ぎせいごから分福とばれるようになったという説があります。

感想

 タヌキは、茶釜ちゃがまけてひとだますつもりでしたが、茶釜に化けたままもともどれなくなってしまったことで、人を騙そうとした罪悪感ざいあくかんみずからの生涯しょうがいつみとして認識にんしきし、生涯をけてつぐなうことにします。

 だぬきは、神様かみさまとしてまつられることになりますが、元のタヌキに戻れないまま茶釜として生涯をえたことは、よくよくかんがえてみれば残酷ざんこくなことです。

 『ぶんぶく茶釜ちゃがま』は、動物どうぶつたすけてもらったおんむくいるという内容ないようです。けた恩にたいしては、生涯かけて報いるべきだという、報恩ほうおんおしえをつたえるためにかたがれてきたのでしょう。

 日本人にっぽんじん美徳びとくは、罪悪感ざいあくかん報恩ほうおん精神せいしんといわれています。

 日本人がわすれつつある大切たいせつなことが、『ぶんぶく茶釜』には凝縮ぎょうしゅくされています。

まんが日本昔ばなし

ぶんぶく茶釜ちゃがま
放送日: 昭和50年(1975年)01月28日
放送回: 第0007話(第0004回放送 Aパート)
語り: 常田富士男・(市原悦子)
出典: 表記なし
演出: 星山博之
脚本: 星山博之
美術: 椋尾篁
作画: 菊田武勝
典型: 動物どうぶつ報恩ほうおんくたんたぬきたん
地域: 関東地方(群馬県)

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最後に

 今回こんかいは、『ぶんぶく茶釜ちゃがま』のあらすじと内容ないよう解説かいせつ感想かんそう、おすすめ絵本えほんなどをご紹介しょうかいしました。

 日本人がわすれつつある大切たいせつなことが、『ぶんぶく茶釜ちゃがま』には凝縮ぎょうしゅくされています。ぜひれてみてください!

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