古来、日本では、“分銅狐”に憑かれた者は大金持ちになると伝わります。商売をする者の場合には、物を仕入れる際は天秤棒の分銅の下に分銅狐がぶら下がって重くし、売る際は荷物の下に分銅狐ぶら下がって重くします。分銅狐に憑かれた男の末路のお話が『分銅狐』です。
今回は、『分銅狐』のあらすじと内容解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介します!
概要
霊などが乗り移ることを、「憑く」とか「憑依」とかいいますが、人や家に憑く霊を「憑き物」といい、古来、日本では、憑き物は霊力を持つと信じられ、人や家に災いをもたらすと考えられてきました。
憑き物は、自然に人や家に憑くものもあれば、人が求めることで憑かせるものの二種類が存在します。
憑き物の種類には色々なものがありますが、日本各地では狐の霊に憑かれた「狐憑き」が一番多く、その名称は地域によって異なります。
一例を挙げると、
・管狐:北海道、東北地方、関東地方南部、中部地方の一部
・オサキや尾崎狐:関東地方に位置する埼玉県、東京都奥多摩地方、群馬県、栃木県、茨城県、中部地方に位置する長野県の一部
・人狐:近畿地方の一部や中国地方
・野狐:九州地方
などと呼ばれ、狐憑きのお話は日本各地に広くみられます。
『分銅狐』は、中国地方に位置する山口県の南東部の周南市の北部に位置する須金地区に伝わる狐憑きのお話です。
※尚、現時点では『分銅狐』に関する絵本は存在しません。
※稲荷神社とキツネを描いた内容ですが、昔話とはまったく関係ないコミックです。 『周防・長門の民話 第1集 ([新版]日本の民話 29)』は未來社から出版されています。瀬戸内海と日本海に面した山口県を、周防地方と長門地方に分け、「分銅狐」など山口県独自の語り口調のおもしろさを活かした、明るくおおらかな自然に抱かれた楽しい民話70篇とわらべうたが収録されています。
あらすじ
むかしむかし、ある村に吞兵衛という男がおりました。
吞兵衛は、山で和紙の原材料の樹木である「楮」を採り、それを売って生活をしていました。
吞兵衛は、かかあと五人の子どもたちと七人で暮らしていましたが、商いが下手なうえに、お人好しだったので、いつも商いは上手くいかず、貧乏な暮らしをしていました。
ある日、吞兵衛が商いの帰りに村の稲荷明神様をご参拝し、祠の前で一休みしていると、稲荷明神様の使いと名乗る白い狐に呼び止められました。
「オイラにお供え物をしてくれたら、秤の分銅に化けて目方をごまかし、お前が儲かるようにしてやる」
と白い狐は吞兵衛に言いました。
「そんなことができるのか」
と吞兵衛は半信半疑でしたが、儲かるのならばと、毎日、お狐様に握り飯を三個お供えすることを約束しました。
その日から、楮を売る際は、お狐様が秤の分銅に化けて、目方をごまかしてくれるようになったので、楮を実際よりも高値で売ることができるようになり、吞兵衛は儲かるようになりました。
お狐様のおかげで、吞兵衛一家の暮らし向きはだいぶ良くなりました。
そんなある日、お狐様が嫁をもらい受けることになりました。
「オイラが嫁をもらうことになったので、お供えの握り飯を六個に増やせ。そうすればもう少し儲けさせてやる」
とお狐様は吞兵衛に言いました。
もう少し儲けることができるのならばと、吞兵衛は、毎日、お狐様に握り飯を六個お供えすることを約束しました。
お狐様のおかげで、今までよりも少しだけ儲けさせてもらえるようになり、吞兵衛一家の暮らし向きはもっと良くなりました。
暮れも押し詰まったある日、お狐様が、
「嫁との間に九匹の子が生まれたので、お供えの握り飯を三十三個に増やせ。そうすればお前を楮問屋にしてやる」
と吞兵衛に言いました。
「楮問屋になれるのであれば、お狐様の子どもの面倒もみる」
と吞兵衛はお狐様に伝えて、毎日、握り飯を三十三個お供えすることを約束しました。
お狐様のおかげで、商いは益々うまくいき、吞兵衛一家の暮らし向きは、以前とは比べものにならないほど良くなり、少しずつ贅沢ができるほどになりました。
そんなある日、楮問屋となった吞兵衛のところに、白いお狐様が姿を現しました。
「九匹の子どもが嫁をもらい、それぞれに孫が生まれた。オイラの家は百一匹の大所帯になったので、明日からは、毎日、三百三個のお供えの握り飯を持ってこい」
とお狐様は吞兵衛に言いました。
驚いた吞兵衛は、その場にへなへなと座り込んでしまいました。
そして、
「さすがにもうお狐様の面倒をみることはできない」
と思った吞兵衛は、その晩から寝込んでしまいました。
吞兵衛は、かかあに今までのことをすべて打ち明けました。
次の日、吞兵衛は、四代目のお狐様たちの分も含めた、二千七百個の握り飯をお供えし、お祓いをして、築き上げた身代をすべて稲荷明神様にお返しいたしました。
吞兵衛は、元の貧乏な暮しに戻ってしまいましたが、楮問屋になった時よりも今の暮らしの方が、なんだか温かさを感じていました。
吞兵衛は、相も変わらずお人好しで商い下手でしたが、優しいかかあと元気な子どもたちのために、足を棒にして山を歩き回り、楮を採って暮らしたそうです。
解説
稲荷神は、稲荷大明神、お稲荷様、お稲荷さんとも呼ばれる、稲の精霊で、穀物・食物を司る神様です。
そして、稲荷神をお祀りする稲荷神社は、日本各地にみられる神社で、赤い鳥居を構え、境内に狛狐があることでも知られています。
稲荷神社の数は、全国に三万社とも四万社ともいわれ、江戸時代にはその数の多さから、江戸時代初期のはやり言葉に「伊勢屋、稲荷に犬の糞」といわれるほどでした。
親しみを込めて、人々からお稲荷様と呼ばれる稲荷神社には、狐がつきものです。
しかし、稲荷神は狐の姿をしていません。
狐は、稲荷神のお使いとなる神使なのです。
ちなみに、稲荷神とは、須佐之男命と神大市比売の間に生まれたとされる穀物の神である宇迦之御魂神と同一視され、後に他の穀物の神とも習合しました。
古来、日本では、狐には人の寿命や作物の収穫量などを予知する能力を持ち、人の精気を奪い、あるいは人を化かすなど、神秘的な動物として扱われてきました。
たれ下がった稲穂が尻尾に似ていることや、米を食べるネズミを退治することから、狐は人間の暮らしや稲作と関わりが深く、信仰の対象でもあったため、お稲荷様のお使いに選ばれたのでしょう。
つまり、本来、狐はお稲荷様のお使いなので、神格化された位の高い狐ということになります。
ところが、いつの頃からか神様のふりをして、人々の願いを何でもかんでも聞き入れご利益を授ける、ワル知恵の働く位の低い狐が現れました。
腹黒い狐ですから、それなりの見返りを人々に要求しました。
『分銅狐』も、そういった類の狐と考えられます。
さて、江戸時代、周防国都濃郡徳山(現在の山口県周南市)を治めていたのは、長州藩(萩藩)の支藩である徳山藩でした。
徳山藩では、紙漉きを奨励し、年貢はすべて紙による上納であったと伝わります。
そのため、この地域では和紙の原材料の樹木である「楮」の取引が盛んに行われていました。
周南市須金地区は、明治時代に約400戸の漉き屋が軒を連ねて紙を漉いていたといわれますが、大正時代に入ると機械化により紙漉きは急速に衰退し、昭和時代の初期には紙漉きを行う漉き屋はほとんどなくなりました。
感想
お稲荷様、つまり、本来なら神様となった狐は怖いものではありません。
しかし、お稲荷様の信仰には、「怖い」「危険」「祟りがある」という噂が常に付きまといます。
古来、日本では、動物である狐を神と信じることは、人間の生命に備わる畜生根性を呼び起こすとされてきました。
その結果、そういった人は人格が低落し、他人を欺いてでも自ら金儲けしようとする汚れた心を持つと考えられてきました。
さらに、「狐憑き」という精神的な異常行動と結びつけられて、お稲荷様の信仰は危険だと怖れられてもきました。
『分銅狐』にもある通り、崇敬者に対して、熱烈なまでの信仰心を求めるのがお稲荷様といわれています。
そのことを承知の上で、崇敬者はお稲荷様とは付き合わなければならないと『分銅狐』のお話は伝えているのでしょう。
人間の方も素直で熱意あるといった、お稲荷様と似た者同士ならば馬が合うことでしょう。
しかし、この組み合わせの唯一の欠点は、人間の方が自分を見失ってしまう可能性があり、お稲荷様に過剰に振り回されてしまう恐れがあるということです。
お稲荷様に限らず、神仏とのお付き合いに礼儀を重んじ、幸運のたびに感謝するのはよいことです。
とにかく、何事もやりすぎると、副作用を招くかもしれないということです。
まんが日本昔ばなし
『分銅狐』
放送日: 昭和52年(1977年)04月09日
放送回: 第0129話(0079 Aパート))
語り: 常田富士男・(市原悦子)
出典: 『周防・長門の民話 第1集 ([新版]日本の民話 29)』 松岡利夫 (未來社)
演出: 藤本四郎
文芸: 境のぶひろ
美術: 阿部幸次
作画: 上口照人
典型: 幽霊妖怪譚・稲荷信仰・長者伝説・狐譚
地域: 中国地方(山口県)
最後に
今回は、『分銅狐』のあらすじと内容解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介しました。
信仰とは、本来、人が神様と結ばれている事実そのものなので、自分を見失うことはありません。しかし、お稲荷様は熱烈なまでの信仰心を求めるので、過剰に振り回されてしまう恐れがあります。そのことを承知の上で、お稲荷様とは付き合わなければなりません。「過ぎたるは及ばざるが如し」という言葉にもあるように、何事もやり過ぎは良くないと『分銅狐』は教えています。ぜひ触れてみてください!