旅の僧侶である安珍に恋をした清姫は、安珍の跡を追いかけて紀伊国(現在の和歌山県)の道成寺に行き着きます。釣鐘の内に隠れた安珍を求めて、大蛇の姿に変化した清姫が、釣鐘に巻きついて真っ赤な炎を吐き続け、釣鐘ごと安珍を焼き殺すという、凄まじい光景が展開する物語が『安珍清姫』です。
今回は、『安珍清姫』のあらすじと内容解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介します!
概要
『安珍清姫』は、『安珍・清姫伝説』とも呼ばれ、主人公である安珍と清姫の悲恋と情念を主題とした、紀伊国牟婁郡(現在の和歌山県)に伝わる伝説です。
また、悲恋の舞台となった道成寺は、和歌山県日高郡川辺町(現在の日高川町)にあります。
後世、『安珍清姫』の物語は、女の執念の悲劇として戯曲の好題材となり、絵巻物、謡曲、浄瑠璃、舞踊などの素材となり、現在も歌舞伎や能楽、人形浄瑠璃で「道成寺物」として、度々演じられています。
ちなみに、道成寺伝説として伝わる安珍清姫』の物語そのものは、かなり古いですが、安珍と清姫という一対の主人公の名が見られるようになったのは、近世の浄瑠璃以降であり、中世以前の文献には見いだすことができません。主人公の名は、意外にも新しいようです。
絵本『道成寺: 安珍と清姫の物語 (日本の物語絵本 8)』は、ポプラ社より出版されています。能や歌舞伎、浄瑠璃で有名な「安珍清姫の伝説」を松谷みよ子さんによって様々な資料を基に書かれた文に、司修さんの幽艶な絵が調和する美しい絵本です。臨場感あふれる文と想像力を刺激する絵は、何といっていいのか言葉が見つからない程、とても切ない気持ちになり、すべての人の心に響く一冊です。あらすじ
むかしむかし、熊野詣に向かう、安珍という若くて容姿端麗な僧侶がおりました。
安珍は、熊野詣の途中、とっぷりと日が暮れて困っていました。そこで、紀伊国の牟婁郡真砂で、庄屋さんの家に一晩泊めてもらうことになりました。
庄屋さんの家には、清姫という一人娘がおりました。清姫は、疲れた安珍を優しくもてなしました。
清姫は、安珍の話を聞いたり、もてなしたりしているうちに、いつしか安珍を慕うようになりました。
その日の夜半過ぎ、清姫はひそかに安珍の寝所に這いより、眠りこんでいた安珍に添い寝しました。
安珍は目覚め、驚き、畏れおののきました。
すると清姫は、
「私があなたの床に入ったのは、あなたと一緒になりたいと考えたからです」
と正直に自分の気持ちを安珍に打ち明けました。
これを聞いた安珍は、大いに驚き、起きあがって、
「修行中の身であるため、私を想うことはおやめいただきたい」
と清姫に自分の気持ちを伝えました。
安珍は清姫を強く拒みました。そして、さまざまな言葉を並べて、安珍は清姫を説得しました。
しかし、清姫の真剣な言葉と真心に心を打たれた安珍は、
「熊野詣が終わりましたら、あなたをお迎えにまいります」
と約束をしました。
その言葉を聞いた清姫は、自分の寝室に戻りました。
夜が明けると、安珍は庄屋さんの家を出て、熊野へ向かって出発しました。しかし、到着した熊野では、僧侶たちに心の迷いを見抜かれ、安珍は目を覚ませと諭されました。そして、改心した安珍は、熊野で二十一日間の修練を積み、無事に修行を終わらせることができました。
「私は、まだまだ修行中の身、女に心を奪われることなどあってはならない」
と考えて熊野を後にした安珍は、清姫と会わないために、帰り道は、来た時とは違う道を行くことにしました。
そして、途中の日高川を舟で渡る時、
「私が川を渡った後に、若い姫が追ってくると思うので、その時は舟を出さないようお願いいたします」
と安珍は船頭に頼みました。
損なこととは露知らず、清姫は、安珍の帰りを待ちわびていました。
「安珍さまは、どうなされたのかしら」
待ちきれなくなった清姫は、道を行き来する見知らぬ人に声をかけました。
「あの、もし、熊野詣で若いお坊さまに、お会いになりませんでしたか」
「ああ、そのお坊さまなら、別の道を行かれましたよ」
それを聞いた清姫は、矢も盾もたまらず、安珍を追いかけました。
「別の道を行くなんて!あんなに固い約束をしたのに......安珍さまに限って、そんなはずがない」
と思いながら、清姫は夢中で街道を走り続けました。
日高川に清姫が辿り着いた時、
「船頭さん、舟を出してください!早く出してください!」
と船頭を急き立てました。
しかし、船頭は、安珍から「舟を出さないように」と頼まれていたので、
「舟は出すことができない」
と清姫のお願いを断りました。
ここで清姫は、安珍に裏切られたことを知ったのでした。
ザブン~
「それならば泳いで川を渡ります」
と言って、清姫は着物を脱いで、日高川に飛び込みました。
しかし、清姫は日高川で溺れてしまいました。
川で溺れる清姫の姿は、いつのまにか恐ろしい大蛇の姿になっていました。
「憎っくき、安珍!」
大蛇になった清姫は、激しく流れている日高川を渡り、安珍を追い続けました。
安珍は清姫から逃げるため、夢中で歩き続けました。
そして、道成寺というお寺に辿り着きました。
「庄屋さんの娘の清姫が、約束を破ったことに怒り、大蛇となって私を追って来ます。どうか私をお助けください」
と安珍は、老僧に清姫とのできごとを話し、匿って欲しいと頼みました。
「それならば」
と言った老僧は、早速、大勢の僧侶に命じ、道成寺の釣鐘を降ろさせました。
そして、安珍は、その釣鐘の中に身を隠し、静かにお経を唱えました。
大蛇になった清姫は、道成寺の石段をうねうねと曲がりながら一気に上ると、山門をくぐり、
「安珍さまをなぜ匿うのですか。お恨み申します」
と言いながら、安珍を探し求めました。
そして、大蛇になった清姫は、ついに安珍が隠れる釣鐘を見つけました。
「見つけたぞ、愛しの安珍さまを。もうあなたを離しません」
と言いながら、安珍が隠れる釣鐘に体をグルグルと巻きつけると、大きな口から真っ赤な炎を吐き続けました。
安珍は、真っ赤に染まる釣鐘の中で、一心にお経を唱え続けました。
半日ほど真っ赤な炎を吐き続けた大蛇は、首をうなだれ、道成寺の前にある池に身を投げてしまいました。
我に返った僧侶たちは、急いで釣鐘に水をかけて冷やし、釣鐘をどかしてみると、すでに安珍は息絶えていました。骨すら残らず、ただただ灰があるばかりでした。
老僧は、これを見て涙を落としました。
その後、ある日のことです。道成寺の老僧の夢の中に、二匹の蛇が現れて、
「私たちは安珍と清姫です。蛇の身で夫婦となりましたが、蛇道の苦しみを受けています」
と語りました。
そこで、道成寺の僧侶たちは協力して、一乗妙法の『法華経』を写経して、法会を営むことにしました。
その夜、老僧の夢に再び安珍と清姫が、美しい天人の姿となって現れました。
「『法華経』の功徳によって、私は熊野権現に、清姫は観音菩薩に転生することができました」
と告げると、それぞれが別れて空に昇って行きました。
老僧は、夢から醒めると、涙を流して喜ぶとともに、さらに『法華経』を尊ぶようになりました。
それにより、道成寺では、現在も『法華経』を読誦する声が響いているそうです。
解説
『安珍清姫』の伝説が道成寺説話の文献に現れる最も早いものは、平安時代中期の長久年間(1040~44年)に比叡山の僧である鎮源によって書かれた仏教説話集『大日本国法華験記』の巻下第百二十九「紀伊国牟婁郡悪女(紀伊國牟婁郡の悪しき女)」であるとされ、この『大日本国法華験記』が原型とされています。
『大日本国法華験記』に収められているものと、ほとんど同じ内容の説話が、平安時代末期に成立したと見られる説話集『今昔物語集』の巻一四第三話に「紀伊国道成寺僧写法花救蛇語」として、鎌倉時代に漢文体で記した日本初の仏教通史『元亨釈書』の巻一九 願雜十之四 靈怪六に「安珍」として収められています。
『大日本国法華験記』と『今昔物語集』の説話には、熊野参詣の僧と、宿の寡婦とだけ記されおり、安珍と清姫という名は言及されていません。
室町時代後期に描かれた絵巻『道成寺縁起』でも、安珍と清姫という名は言及されていません。
安珍という名は『元亨釈書』が初出で、清姫の名は寛保2年(1742年)に初演された並木宗輔作の浄瑠璃『道成寺現在蛇鱗』が初出といわれています。
安珍と清姫という一対の主人公の名が見られるようになったのは、近世の浄瑠璃以降といわれています。
『今昔物語集 (角川書店編ビギナーズ・クラシックス)』は、現代語訳と古文の生き生きとしたリズムによって誰もが古典の世界を楽しむことができます。感想
—制作中—
まんが日本昔ばなし
『安珍清姫』
放送日: 昭和52年(1977年)07月30日
放送回: 第0153話(0094 Bパート)
語り: 常田富士男・(市原悦子)
出典: 表記なし
演出: 馬郡美保子
文芸: 沖島勲
美術: 馬郡美保子
作画: 馬郡美保子
典型: 龍蛇譚・蛇婦譚・異類功徳譚
地域: 近畿地方(和歌山県)
『安珍清姫』は「DVD-BOX第3集 第14巻」で観ることができます。
最後に
今回は、『安珍清姫』のあらすじと内容解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介しました。
真っ直ぐな想いをぶつけた清姫に対して、それと真正面から向き合おうとしなかった安珍の心は、優しいといえるのか、それとも弱いだけなのか、堂々巡りばかりでいつまでも答えが出ない物語が『安珍清姫』です。ぜひ触れてみてください!