日本の狩猟を生業とする“マタギ”にとって、磐司は、その先祖と仰がれています。
磐司は、どうして山に入れば、必ず獲物が捕れる狩りの名人になったのか。
磐司は、どうして山々を支配する特権を与えられるようになったのか。
マタギの間で信仰されるようになった、磐司の伝説を紐解く物語が『磐司と桐の花』です。
今回は、『磐司と桐の花』のあらすじと内容解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介します!
概要
『磐司と桐の花』の主人公である磐司は、“マタギ”と呼ばれる日本の狩猟民の先祖といわれ、弓の名人であったと伝わる伝説の人物です。
磐司と磐三郎という、二人の狩人とする伝承が最も古くから伝わるとされますが、兄弟の名は、地方によっては、磐次と磐三郎、万次と万三郎、磐司と万治、大摩と小摩、大汝と小汝などの表現もみられます。
または、磐司(磐次)が姓で磐三郎が名である、磐司磐三郎(磐次磐三郎)という一人の狩人の伝説であるともいわれています。
宮城県と山形県をつなぐ二口峠は、山寺という名で親しまれている、立石寺のお膝元です。
磐司は、この山形県にある立石寺の山中を狩場としていたといわれています。
また、二口峠には、「磐司巌」と呼ばれる巨岩があり、ここが磐司の住処であったと伝わります。
「磐司磐三郎伝説」と呼ばれる『磐司と桐の花』は、東北地方に位置する岩手県・宮城県・山形県などに伝わる民話とされますが、狩猟民たちは、かつては山中を広範囲で漂泊していたため、東北地方から関東地方にかけて広く類話が分布します。
あらすじ
むかしむかし、陸奥国に、万治と磐司という若い狩人の兄弟がいました。
万治は名うての狩人で、山へ入れば必ず獲物を獲ってきました。
一方、磐司は、山へ入っても獲物を一匹も獲れない日ばかりでした。
ある日、万治が山へ入ると、一人の身重の女性が苦しそうにしていました。
「お水を一杯いただけないでしょうか」
と身重の女性は、万治に水を求めました。
ところが、これを聞いた万治は、
「身重の女性に触れることは、死の穢れと同じくらい重いので穢れてします」
と言い、身重の女性を助けずに山を下りてしまいました。
しばらくして、磐司も山に入りました。
磐司も身重の苦しそうな女性を見ると、「身重の女性に触れると穢れてしまう」という風習を破り、急いで水を汲むため谷に下りました。
ところが、磐司が水を汲んでいる間に、その女性は、なんと十二人の赤ん坊を産みました。
女性は、磐司が汲んできた水を飲むと、
「私はこの山の女神である」
と言いました。
身重の女性は、山の女神の化身だったのでした。
そして、
「助けてもらったお礼に、あなたに山の幸を約束しよう」
と山の女神は磐司に言いました。
それからというもの、山の女神のご加護を受けて、磐司は山に入れば必ず獲物が獲れるようになりました。
一方、万治はというと、苦しんでいた山の女神を助けなかったことで、さっぱり獲物が獲れなくなってしまいました。
ある日の真夜中、磐司が住処である早池峰山の小屋で寝ていると、ズーン、ズーンと地響きのような大きな足音が聞こえてきました。
この足音の正体は、日光二荒山の神(日光権現)の化身である一本足に一つ目の“やまんじい”と呼ばれる大きな化け物でした。
「他の山の神が、ワシの山を乗っ取ろうとしている。ワシの山を守ってくだされ」
と磐司は日光権現に頼まれました。
日光権現は、磐司の弓の腕前を見込んで、力を貸して欲しいとお願いに来たのでした。
磐司は、日光権現が可哀想に思えたので、
「私でよければ喜んで加勢させていただきます」
と返答しました。
次の日の夜、百本足に一つ目の“大ムカデ”と呼ばれる、大きな化け物に化身した赤城山の神(赤城明神)が、日光二荒山に攻めてきました。
ついに、日光権現と赤城明神の戦いが始まりました。
磐司が大ムカデに向けて矢を放つと、矢は見事に大ムカデを射抜きました。
赤城明神を退治した磐司は、日光二荒山を守りました。
日光権現は涙を流して喜び、
「磐司よ、そなたに礼がしたい」
と言って、磐司を早池峰山の山奥の洞穴に連れていきました。
そこは川の水が流れ出し、洞穴の中は薄紫色の桐の花が咲く一面の桐林でした。
この場所を気に入った磐司は、自ら“磐司ケ洞”と名付けました。
磐司の死後、桐の花が咲く季節になると、薄紫色の上品な桐の花が川を流れてくるようになりました。
川を流れる桐の花の光景に惹かれた村人は、川を遡って磐司ケ洞を探しましたが、とうとう見つけることはできませんでした。
解説
岩手県遠野市に伝わり、“マタギ”と呼ばれる日本の狩猟民の由来と権威を記した秘伝書とされる『山立根元記』によれば、
万三郎という弓の名人が、日光二荒山の日光権現に味方して、赤城山の赤城明神の化身である大ムカデを射た。
と記されています。
この手柄によって、
万三郎は、山々を知行する特権を与えられた。
とも記されています。
山形県山形市にある立石寺に伝わり、“マタギ”に脈々と受け継がれてきた巻物とされる『山立根元之巻』には、
磐司と磐三郎は、猿王と山姫の間に生まれた兄弟である。
と記されています。
そして、
父の猿王は、日光二荒山の神を助けて、赤城山の神を攻めた功によって狩りの特権を得た。
とも記されています。
また、『山立根元之巻』には、
貞観2年(860年)に清和天皇の勅命で円仁(慈覚大師)が立石寺を開山した際、磐司と磐三郎の兄弟は、円仁から教化を受けて仏法に帰依し、狩りをやめた。
と記されています。
それから、立石寺には、地主として円仁に協力した磐司の人徳を祀った「磐司祠」と「磐司像」があります。
さて、岩手県の県花は「桐」です。
桐は、古くから良質の木材として知られていて、日用品の下駄や箪笥から琴や神楽面など芸術の分野まで、生活や文化に密接に関わり利用されています。
昔から、岩手県は桐の名産地であり、「南部の紫桐」として知られています。東北地方特有の寒暖差が激しいことにより、光沢が強く、淡い紫色を帯びた木目の美しい材となることで有名です。
桐は、5月頃に甘い香りを漂わせながら、薄紫色の美しい花を咲かせます。
感想
日本の昔話は、人間と人間以外の生き物の関係が近く、同じ世界に共存することが不思議なことではなく、自然に受け止められているのが特徴です。
『磐司と桐の花』も、人間が人間以外の生き物とかかわりを持ち、そのことによって幸を得るというお話です。
そして、最後に人間が幸を得るということが、忌み嫌われるお話として捉えていないことも、日本の昔話の特徴です。
日本の昔話の最大の特徴は、万物すべてが人間と同等に並び、女性や自然の美だけが宝物のように存在することです。
古来、日本人が、自然を美として大切に思い、愛する心が非常に強かったことがわかります。
自然愛、そして万物へ対する敬意、八百万の神の国であることの教え、そのすべてがお話の延長線上にみえてきます。
また、日本の昔話は、“無”という概念が非常に強いです。
故に、成功するのは、“無欲”という状態であることが強調されます。
「欲を持つ」「下心がある」といったことが描かれていないため、最後に人間が幸を得ても忌み嫌われることがないのでしょう。
仏教的な背景を含め、“無”という概念を思い、それこそが人生であると『磐司と桐の花』は教えています。
さらに、『磐司と桐の花』は、“自然体”という生き方、考え方が示されているともいえます。
つまり、『磐司と桐の花』は、昔話を通じて受け継がれてきた、日本人の伝統精神であると考えられます。
まんが日本昔ばなし
『磐司と桐の花』
放送日: 昭和52年(1977年)04月09日
放送回: 第0130話(0079 Bパート)
語り: 市原悦子・(常田富士男)
出典: 『松谷みよ子のむかしむかし 一 (日本の昔話 1)』 松谷みよ子 (講談社)
演出: 杉井ギサブロー
文芸: 杉井ギサブロー
美術: 杉井ギサブロー
作画: 杉井ギサブロー
典型: 怪異譚・由来譚・狩猟伝承
地域: 東北地方(岩手県)
最後に
今回は、『磐司と桐の花』のあらすじと内容解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介しました。
『磐司と桐の花』は、日本人の伝統精神である、“無”と“自然体”という生き方と考え方が、お話を通して示されています。そして、それこそが「人生である」と教えています。ぜひ触れてみてください!