子どもたちにいじめられていたところを、人間に助けられた子ダヌキが、父ダヌキから「助けられた恩返しをしないのは、人間よりも劣り、タヌキの道にも反する」と諭されて、恩返しにやって来るお話が、『馬方とタヌキ』です。
今回は、『馬方とタヌキ』のあらすじと内容解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介します!
概要
日本においては『ぶんぶく茶釜』『鶴の恩返し』『浦島太郎』『ききみみ頭巾』のように、動物が助けてもらったお礼に、人間への恩返しとして幸福や名声を報いるという昔話が数多くあります。
さて、落語には、「狸札」「狸賽」「狸鯉」「狸釜」という、タヌキが人間に恩返しをする噺が四つあります。この噺を総称して『たぬき』と呼びます。
落語の『たぬき』が基になっているといわれる『馬方とタヌキ』は、主人公である人間の馬方と子ダヌキの心温まる交流を描いたお話です。
東北地方に伝承するとされる民話です。
あらすじ
むかしむかし、あるところに、ひとりの馬方さんがおりました。
ある日、馬方さんが馬を引いて歩いていると、
「やっちまえ!」
という子どもの声が聞こえてきました。
何やら子どもたちは、動物をいじめている様子でした。
「これこれ、何をしているんだね」
と馬方さんが子どもたちに声をかけると、
「いたずらばっかりするタヌキを懲らしめているんだよ」
と棒キレを振り回しながら子どもたちは答えました。
馬方さんが見ると、子どもたちにいじめられていたタヌキは、まだ子どもで、縄でぐるぐる巻きに縛られていました。
馬方さん、この子ダヌキが、とても可哀想に思えてなりませんでした。
「そんな事をしてはならん。おじさんが、その子ダヌキ買うから、放してやってくれないか」
と馬方さんは言うと、子どもたちにお小遣いを渡しました。
子ダヌキを買い取った馬方さんは、
「可哀想に...いま縄をほどいてやるからな」
と言って子ダヌキの縄をほどいてやりました。
自由になった子ダヌキは、一目散に山へ逃げ帰って行きました。
さて、その日の真夜中、馬方さんは、好きなお酒を飲んで、家で寝ていると、
ドンドンドン
ドンドンドン
誰かが戸を叩く音が聞こえてきました。
その音に目を覚ました馬方さんは、
「誰だ?今日はもう寝ちまったんだ。明日にしてくれ」
と布団の中から言って、再び眠ろうとすると、
ドンドンドン
ドンドンドン
と、あまりにもしつこく戸を叩くので、馬方さんが戸口まで歩いていき、
「いま戸を開けるので、ちょっと待ってなさい」
と言いながら戸を開けると、その途端、何やら丸いものが家に中に転がり込んできました。
「なんだ?タヌキか?」
と言いながら、転がり込んできた丸いものを馬方さんが見ると、それは昼間に助けた子ダヌキでした。
子ダヌキは父ダヌキを連れて、馬方さんの家にやってきたのでした。
父ダヌキは、
「親方に助けて頂いたのは、あっしのせがれでして、恩返しのために、今日からこいつをここに置いては頂けませんか」
と頭を下げながら言って、馬方さんに頼みこみました。
突然のことに、馬方さんが驚いていると、
「恩返しもしないでこのままでは、人間同様の不人情と笑われてしまいます」
と父ダヌキに言われ、その言い分も分からなくはないと思った馬方さんは、
「それなら預かるけど、2~3日したら帰ってくれよ」
と言って、父ダヌキの願いを聞き入れることにしました。
父ダヌキは、ほっと安心したような表情をして、
「しっかりやれよ!」
と子ダヌキに言うと、山へ帰って行きました。
こうして、この日から子ダヌキは、馬方さんの身の回りのお世話をすることになりました。
子ダヌキはクルクルとよく働くので、最初は渋っていた馬方さんも、すっかり子ダヌキことが気に入ってしまいました。
そんなある日、
トントントン
トントントン
馬方さんの家の戸を叩く音が聞こえてきました。
馬方さんは、押入れに隠れているよう子ダヌキに指示すると、
「開いているよ」
と戸に向かって言いました。
すると、戸が開き、キチンとした身なりの老人が家の中に入ってきました。
この老人は、馬方さんがいつもお金を借りている、吉田屋という金貸しの旦那さんでした。
吉田屋の旦那さんは、
「今日来たのは、他でもない。どうしても今日中に利息込みで一両の金を返してもらう。それが無理なら馬をもらっていく」
と言いました。
二人が話していると、
「親方、親方」
と子ダヌキの馬方さんを呼びました。
「おや、誰か居るのかね」
と吉田屋の旦那さんに言われたので、
「友達がきてるもので」
と馬方さんは嘘をつきました。
「それなら、その友達に借金の肩代わりをしてもらえばいい。私はその辺をひと回りしてくるので、その間に話をつけておくれ」
と言うと、吉田屋の旦那さん表へ出ていってしまいました。
馬を持っていかれては、馬方として仕事になりません。馬方さんは、すっかり困ってしまいました。
押入れから出てきた子ダヌキは、
「ボクがお金になります!ボクだってタヌキの端くれ、小判くらいには化けられますよ」
と得意げになって言うと、あっという間に小判に化けました。
吉田屋さんが戻って来たので、馬方さんは慌てて子ダヌキの化けた小判を懐にしまうと、戸口で吉田屋の旦那さんを出迎えました。
「話はつきましたか?」
と吉田屋の旦那さんに言われたので、
「へい、二つ返事で」
と答えた馬方さんは、
「頼んだぞー」
と小判に話しかけながら、吉田屋の旦那さんに小判を渡すと、受取書まで切ってもらいました。
吉田屋の旦那さんは、不思議に思いながらも小判を受け取ると、巾着袋の中にしました。
馬方さんは、もう気が気ではありませんでした。
「乱暴に扱うと、小判に噛まれますよ」
と変なことを馬方さんが言うので、吉田屋の旦那さんは、小判を調べようと、お日さまに透かしたり裏返したりかじったりしました。
「小判が可哀想だよ!」
という馬方さんに、
「何を馬鹿なことをいっているんだ」
と吉田屋の旦那さんは言って、帰って行きました。
吉田屋の旦那さんの後ろ姿に向かって、
「腹が減ったら何かつまめよ。イヌになんかに噛まれるなよ」
と言いながら、馬方さんは子ダヌキの化けた小判を見送りました。
その夜、馬方さんは、子ダヌキのことが気になって、なかなか寝つかれませんでした。
「子ダヌキのやつ、大丈夫かな。何とか上手く逃げ出してくれ」
と馬方さんが思っていると、窓から小さな影が見えて、それが家の中に転がり込んできまいた。
「子ダヌキか!?」
と思わず叫んだ馬方さんの目の前には、傷だらけの子ダヌキが立っていました。
「親方!」
と言って、馬方さんに抱きついた子ダヌキを、馬方さんもギューっと抱きしめてやりました。
それから、子ダヌキは馬方さんに、吉田屋さんに連れて帰られてからのいきさつを話し始めました。
「親方が妙なことばかり言うもんだから、吉田屋の旦那さんからは何回もかじられ、ひっくり返され、ひっぱたかれました。犬にも追いかけられました。夜になって、みんな寝てしまったので、袋を食いちぎって逃げてきました」
と言う子ダヌキに、馬方さんは、思わずおかしくなって笑ってしまいました。
「笑いごとじゃありませんよ」
と言って、子ダヌキは、馬方さんの前に小判を三枚差し出しました。
そして、
「悔しいから、袋の中に小判が三枚あったので、お土産に持ってまいりました」
と言った子ダヌキに、
「それじゃあ、まるで泥棒だ。そいつは明日、オイラが返しに行ってくる」
と言い、馬方さんは、
「今夜はもうお休み」
と言って、子ダヌキを布団の中に入れてやりました。
そうして、その夜、子ダヌキは馬方さんのそばでグッスリ眠りました。
さんざんな目にあった子ダヌキに、馬方さんは涙を流して感謝し、
「明日になったら、この優しい子ダヌキを父ダヌキのところへ帰らせよう」
と思いながら眠りました。
解説
仏教用語に「善因善果」と「悪因悪果」という言葉があります。
それぞれ、「善い行いをしていれば、いずれ善い結果に報いられる」と、「悪い行為には、必ず悪い結果や報いがある」という意味です。
人生を形成する要素として、二つのものがあるといわれています。
ひとつは「運命」で、もうひとつは「因果応報」です。
人は、毎日、何かを思い、何かを話し、何か行動しています。
その自己の意志と行為を、仏教では「業」と呼び、それが存続することで果報をもたらすとされます。
それを「因果応報」と仏教では表現します。
つまり、人は「因果応報」によって、持って生まれた「運命」をも変えていくことができるというわけです。
人に優しく、人のために善いことをする、ただそれだけで人生は素晴らしいものになっていきます。
つまり、善いことを思い、善いことを話し、善い行動をすれば、「運命」も善い方向へ変えていくことができるのです。
「因果応報」の存在を信じ、毎日を過ごせば、人生の結果は間違いなく善い方へ向かうということです。
感想
『馬方とタヌキ』は、恵みや恩を受けた子ダヌキが、恩返しとしてその人に幸福を報いるというお話です。
馬方さんが、子ダヌキの命をお金で救うくだりは、『浦島太郎』とまったく同じです。
さて、日本の昔話の幸せな結末には、“お金に不自由な生活からの開放”という内容のものが数多く存在します。
そして、そのお話の多くは、結末に至るまで主人公のお金への無執着が描かれています。
このお話でも、主人公の馬方さんは、お金への執着心が薄い存在として描かれています。
つまり、もし馬方さんの代わりに、お金への執着心が強い人間が主人公だったら、同じ結末を迎えることはないということです。
なぜなら、このお話で馬方さんに幸福をもたらしたものは、子ダヌキの善意だからです。
主人公の馬方さんは善意で子ダヌキを助けました。
それに対して、子ダヌキも善意で答えました。
そのことからも、執着から離れ、無執着へと近づいていくことができれば、善意は離れていかないということです。
『馬方とタヌキ』は、ほんのひとしずくの善意や勇気、責任を伝えるお話なのかもしれません。
まんが日本昔ばなし
『馬方とタヌキ』
放送日: 昭和52年(1977年)02月05日
放送回: 第0115話(0070 Aパート)
語り: 市原悦子・(常田富士男)
出典: 表記なし
演出: 樋口雅一
文芸: 沖島勲
美術: 山守啓陽
作画: 上口照人
典型: 動物報恩譚
地域: 東北地方
『馬方とタヌキ』は「DVD-BOX第2集 第8巻」で観ることができます。
最後に
今回は、『馬方とタヌキ』のあらすじと内容解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介しました。
善い行いをすれば、それが元となって、必ず善い報いがあります。日々の生活の中で、思うようにいかないことってありますよね。そんな時に思い出していただきたいお話が、『馬方とタヌキ』です。ぜひ触れてみてください!