『座敷わらし』は、岩手県を中心に、東北地方に伝わる妖怪の一種です。ところが、豪家の奥座敷または蔵に住む、子どもの姿をした神ともいわれ、座敷わらしが住み着く家は繁栄するが、いなくなると傾くといわれています。
今回は、『座敷わらし』のあらすじと内容解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介します!
概要
『座敷わらし』は、岩手県の北上盆地を中心とする東北地方に伝承される、子どもの姿をした妖怪の一種です。「座敷わらし」の他に、「座敷ぼっこ」「座敷小僧」「御蔵ボッコ」など、地域によって様々な呼ばれ方をされています。
その名の通り、主に奥座敷に現れると伝わりますが、蔵にいる場合もあるといわれます。
年格好は、住み着く家ごとに異なるといわれ、下は三歳程度、上は十五歳程度の例もありますが、一般的には、おかっぱ頭の五~十歳くらいの小童で、性別は男女両方が見られます。
悪戯好きですが、祟ったり、化けたりすることはせず、住み着いているうちは、その家は繁栄しますが、出没しなくなると傾くといわれています。
柳田國男が明治43年(1910年)に発表した、岩手県遠野地方に伝わる逸話、伝承などを記した説話集『遠野物語』で「ザシキワラシ」または「座敷ワラシ」の表記で取り上げたことにより日本中に広く知られるようになりました。
柳田國男の『遠野物語』に題材を提供した佐々木喜善は、大正9年(1920年)に『奥州のザシキワラシの話』を発表しています。
佐々木喜善の『奥州のザシキワラシの話』を目にした、岩手県出身で詩人・童話作家の宮沢賢治は、大正15年(1926年)に雑誌『月曜 2月号』に、「ざしき童子のはなし」という四つの『座敷わらし』にまつわるエピソードをオムニバス形式で紹介した童話作品を発表しています。
絵本『ざしき童子のはなし (宮沢賢治どうわえほん)』は、講談社から出版されています。宮沢賢治氏の代表的な童話を、美しい絵で表現した絵本です。宮沢賢治氏の故郷、岩手県に伝わる四つの「ざしき童子」にまつわる不思議なお話を、オムニバス形式で紹介しています。伊勢英子さんが、季節の変化と岩手県の風土を見事な色調でとらえているので、「やっぱり絵本って良い!」と再確認することができるでしょう。 絵本『ざしき童子のはなし (ガラス絵の宮沢賢治 8)』は、草の根出版会から出版されています。宮沢賢治氏が描く、「『ざしき童子』が家にいると、こんな感じなんだろうな」という日常の場面を、四つのオムニバス形式で紹介しています。児玉房子さんの描くガラス絵は、ほんのりとして、おぼろで、とても温かく、いつまでも眺めていたい気持ちにさせられます。あらすじ
古来、東北地方には、『座敷わらし』という、子どもの姿をした神様のお話が伝わります。
座敷わらしは、古い大きな家の奥座敷に住んでおり、トタトタと駆け回る音をさせたりザワザワとほうきで掃くような音をさせたりするといわれています。
また、お客さんが家に泊まったりすると、布団の上を転げ回ったり、枕返しという悪戯をしたりすることもあるそうです。
座敷わらしを見たという人の話も様々で、ある人の話では、かわいらしいおかっぱ頭の女の子であったと言い、また、ある人は裸ん坊の男の子だったとも言い、赤いちゃんちゃんこを着た十二、三歳の男の子だったと言う人もいます。
座敷わらしについては、こんなお話があります。
むかしむかし、ある大きな屋敷にお嫁さんが来たので、近所の子どもたちがお祝いに呼ばれて、奧の座敷で遊んでいました。
ところが、遊んでいるうちに、どういうわけか子どもの数が一人増えているのに気がつきました。
でも、誰が加わったのかは分かりませんでした。
一人一人の顔を確かめても、知らない顔はありませんでした。
遊び始めた時と同じ子どもたちばかりでした。
でも、数を数えてみると、やっぱり一人増えているのでした。
これは、誰がそうなのか分かりませんが、座敷わらしが子どもたちの中に混じっていたのだといわれています。
また、座敷わらしは、家の守り神だともいわれています。
座敷わらしがその家にいる間は、その家は繁盛していますが、座敷わらしがいなくなると、その家はたちまち落ちぶれてしまうといわれている。
そんな、家の守り神といわれる座敷わらしには、こんなお話があります。
むかしむかし、ある春の夕暮れのこと、川縁に、おかっぱ頭の愛らしい二人の女の子が座っておりました。
そこを、町の使いから村へ帰る若者が通りかかりました。
この辺では見かけない娘たちなのと、手に持っている朱塗りのお膳を寂しそうな様子で見くらべていたので、不思議に思って、
「お前さんたちは、どこから来たんだね」
と声を掛けてみました。
すると、二人の女の子は声をそろえて、
「山口の孫左衛門のところにおったんだけど、これから気仙の稲子沢へ行くところなの」
と言いました。
「孫左衛門って、あの大金持ちのお家かな。どうして家を出たんだね」
と若者が尋ねると、
「あの家は、もうすぐつぶれるからだよ」
と、また二人の女の子は声をそろえて言って、若者を見上げると、橋を渡って村を出て行きました。
それを聞いた若者は、この二人の女の子の正体に気がつきました。
「あの女の子たちは、『座敷わらし』に違いない。あの有名な座敷わらしが出ていったとなると、山口の孫左衛門は、もうお終いだ。そして次の長者は、気仙の稲子沢の者に違いない」
と思いました。
それからしばらくすると、孫左衛門の家の庭の梨の木に、見慣れないキノコがたくさん生えてきました。
主人の孫左衛門が、
「得体の知れない物は食べてはいけない」
と言って制止したのに、若い下男が、
「大丈夫だ」
と言い張り、全員がその言葉を信じて、キノコを食べてしまいました。
しかし、そのキノコの食中毒により、主人をはじめ下男・下女の二十人あまりが、悶え苦しんで、のたうち回り、全員が亡くなってしまいました。
孫左衛門が亡くなって家主が不在となった家には、今までに見たことも聞いたこともない親戚が急にたくさん現れ、「生前に遺産をもらう約束をしていた」などと主張して、一切合切の家財を持ち去っていきました。
そして、何代も続いた孫左衛門の家は、あっというまに傾いてしまいました。
その頃、気仙の稲子沢に住む働き者の百姓で、与治右衛門という男が不思議な夢を見ました。
夢枕に、白い装束のお爺さんが立って、
「これからすぐに旅に出よ。山を越えて川を渡り、野原を行くと古い館の跡がある。そこに咲いている三十三の花をつけた山百合の根元に、お前の幸運が埋まっておるぞ」
と、告げたのでした。
目を覚ました与治右衛門は、
「秋の終わりに、百合の花が咲いているのも妙な話だ」
と思いながらも、馬を引いて出かけていきました。
山を越えて北上川を舟で渡り、みぞれ混じりの北風が吹き荒れる野原を与治右衛門が行くと、急に馬が立ち止まりました。見れば、馬の足元に三十三の花をつけた山百合の花が咲いていました。
「これだ!」
と叫んだ与治右衛門は、花の根元を夢中で掘ると、黄金がぎっしり詰まった甕が七つも出てきました。
こうして与治右衛門は、あの二人の女の子の座敷わらしが住み着き、たちまち大金持ちになりました。
ところが、まだそれほど月日の経たない、ある雪の日の朝、与治右衛門の家で働く下男の一人が、おかっぱ頭の愛らしい二人の女の子が家から出ていくのを見かけました。
すると、それから間もなくして、贅沢三昧な暮らしぶりをしていたことから、与治右衛門の家はみるみる傾いてしまい、哀れな最後を迎えました。
また、悪戯好きな座敷わらしには、こんなお話もあります。
むかしむかし、ある小さな宿屋の奥座敷に、一人の力自慢の男が泊まっていました。
男がぐっすりと寝ていると、夜更けに、誰かに突つかれたので、目を覚ましました。すると枕元には、どこから来たのか、赤いちゃんちゃんこを着た小さな男の子が立っていました。
そして、男に、
「おじさん強そうだな。オラに腕相撲で勝てるか」
と男の子が声をかけてきました。
<男の子に誘われるまま、男は腕相撲を始めますが、どうしたことか、男の子は恐ろしく力が強くて、男はねじ伏せられてしまいました。
翌朝、男が宿屋の主人に、昨夜の小さな男の子のことを尋ねますが、そんな男の子のことは、まったく知らないとのことでした。
この不思議な一件が噂を呼び、小さな男の子に勝負を挑む力自慢の男たちが大勢押しかけ、泊まり込むようになったことで、宿屋はとても繁盛しました。
ところが、男たちが待てど暮らせど、赤いちゃんちゃんこを着た小さな男の子は、現れることはありませんでした。
「きっと、ねじ伏せられるのが怖くて、なりを潜めているのだろう」
と思い、男たちはぐっすりと寝てしまいました。
朝になり、力自慢の男たちが起きようと目を覚ますと、いつの間にか、寝ていた掛け布団は下に、敷き布団は上に、敷き布団と掛け布団が逆になっていました。
その件がさらに話題となり、宿屋はますます繁盛しました。
ある日のこと、夕食の支度でみんなが忙しく働いていると、赤いちゃんちゃんこを着た小さな男の子が、宿屋の玄関から外へ出ていく姿がありました。
ところが、みんな忙しいので、大して気にも留めませんでした。
それから間もなく、腕相撲の強い小さな男の子の噂をする者もいなくなり、宿屋はだんだん客も減り、とうとう立ち行かなくなりました。
座敷わらしは、土蔵の中や納屋の中に現れることもあるそうです。
どこかの物陰から、じっと人々の暮らしを眺め、時には、悪戯をするために出てきたり、仲間に加わって遊んだりすることもあるそうです。
しかし、住み着いた家のことが嫌いになれば、すぐにいなくなってしまいます。
それが、座敷わらしです。
解説
『座敷わらし』の最も特徴的な民間信仰は、『座敷わらし』がいる家は栄え、『座敷わらし』の去った家は衰退するということが挙げられます。
こうした面から、『座敷わらし』は「福の神」のようなもの、または家の盛衰を司る「守護霊」とみなされることもあるようです。
『座敷わらし』の去った家が没落するお話は、「貧乏神」が去った家が裕福になるという伝承と関連しているのではないかという見方もあります。
『座敷わらし』が「子どもの姿」で語られるのは、仏教でいうところの仏法を守る鬼神の「護法童子」が、子どもの姿である童子であるように、子どもが神と人間を繋ぐものとする民間信仰に由来するのではないかという説があります。
また、『座敷わらし』の正体は、「河童」とする説も多く伝承されています。淵に住む河童が、近くの家に上がりこんで悪戯をするものが『座敷わらし』とするお話や、河童が家に住み着いて『座敷わらし』となったお話なども伝わります。
感想
豪家に出没するとされる『座敷わらし』は、その存在の有無が重要とされます。
家に住み着いている時は、繁栄をもたらしますが、家から出て行ってしまうと、その家はあっという間に廃れてしまいます。
考えようによっては、家の栄枯盛衰を見届けるという、なかなかシビアな神様です。
しかし、『座敷わらし』は、なぜそんなことをするのでしょうか。
やはり、それは人間が“欲”という魅惑的な誘惑に、どのように対応するのかを、こっそり覗いて見ているのではないかと考えます。
多くの幸福を呼び込むということは、それ相応に大変であり、心の平穏とはほど遠い可能性があります。
『座敷わらし』が去ってしまうことは、残念なように語られてきましたが、望んでもいないのに、次々と自身が持てる能力で請け負える量を超えた幸福が訪れるのは、これはもう恐怖でしかありません。
つまり、人間の“欲”を叶える者は、誘惑をする者であり、それは悪魔でしかない、ということを『座敷わらし』は伝えているのかもしれません。
まんが日本昔ばなし
『座敷わらし』
放送日: 昭和52年(1977年)01月01日
放送回: 第0106話(第0065回放送 Bパート)
語り: 常田富士男・(市原悦子)
出典: 表記なし
演出: 漉田実
文芸: 漉田実
美術: 阿部幸次
作画: 高橋信也
典型: 霊験譚・致富譚
地域: 東北地方
『座敷わらし』は「DVD-BOX第2集 第9巻」で観ることができます。
最後に
今回は、『座敷わらし』のあらすじと内容解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介しました。
『座敷わらし』は、豪家の奥座敷に出没し、その存在の有無が家の盛衰を司るといわれていることから、手厚く取り扱われ、毎日三食のお膳をお供えする家もあるほどです。ぜひ触れてみてください!