毎晩、一文の飴を買いに来る女の人の正体は幽霊でした。そして、その女の人のお墓には、亡くなってから産み落とされた赤ん坊が生きていたのでした。怖いというより、わが子への愛情に心が震えるお話が『子育て幽霊』です。
今回は、『子育て幽霊』のあらすじと内容解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介します!
概要
『子育て幽霊』は『飴買い幽霊』とも呼ばれ、落語でも『幽霊飴』という噺で取り上げられている有名な怪談話です。
筋立て、結末などに細かな異同はありますが、類話は日本各地に広く伝えられています。
『子育て幽霊』は、中国・南宋時代の儒学者である洪邁が編纂した志怪小説集『夷堅志』に載っている怪談「飴を買う女」と内容が酷似しているため、もともとは中国の怪談の翻案であったのではないかと考えられています。
また、親の恩を説く内容から、多くの僧侶に説経の素材としても用いられてきました。
あらすじ
むかしむかし、長崎の麹屋町という所に、一軒の飴屋がありました。
ある夏の夜、店の戸をトントンと叩く者がいるので、飴屋の主人が戸を開けると、外にあまり見かけない青白い顔をした若い女の人が立っていました。
「夜分、まことにすみません。これで飴をわけてください」
と女の人は言って、一文を差し出しました。
飴屋の主人は、
「こんな夜遅くにどこの誰だろう。気味が悪い」
と思いながら飴を一つ売りました。
飴屋の主人が飴を手渡すと、女の人は無言で立ち去りました。
それから毎晩、女の人は、決まって夜遅くに飴を買いに来ました。
七日目の夜のことでした。
「すみません。今夜はお金がなくなってしまったので、飴を一つめぐんでもらえませんか」
と女の人が言うので、飴屋の主人は飴を一つめぐんであげました。
毎晩、飴を買いに来る女の人を不思議に思った飴屋の主人は、帰る女の人の後をそっとつけて行きました。
すると、女の人は麹屋町を抜けて光源寺のお墓まで来ると、いつの間にか姿を消してしまいました。
飴屋の主人は辺りを見回しましたが、女の人はどこにもいませんでした。
飴屋が帰ろうとすると、突然、赤ん坊の泣き声が暗闇に響きわたりました。
驚いた飴屋の主人は、お寺の本堂に駆け込み、寝ていた住職を起こしました。
住職も赤ん坊の泣き声に気が付き、二人は泣き声のする方へ向かいました。
すると、その泣き声は、数日前に亡くなった女の人のお墓から聞こえてきました。
二人がそのお墓を掘りかえしてみると、あの女の人が生まれて間もない元気そうな赤ん坊を抱いていました。そして、飴屋の主人が女の人に売った飴を赤ん坊がしゃぶっていたのでした。
飴を買いに来ていた女の人は、この赤ん坊の母親の幽霊だったのでした。
女の人は、お墓に入れてもらった六文銭を一文ずつ使い、赤ん坊に飴を買って食べさせていたのでした。
感心した住職は、赤ん坊を引きとると、亡くなってもなお赤ん坊を育てていた母親を供養しました。
それから数日後、飴屋の主人の枕元に、あの女の幽霊が現れました。
女の幽霊は飴屋の主人に深々と頭を下げると、
「先日は、ありがとうございました。何かお礼をさせてください」
と言いました。
そこで飴屋の主人は、
「麹屋町は昔から水不足で困っています」
と言いました。
すると女の幽霊は、
「明日の朝、この櫛が落ちている場所を掘ってください」
と言い姿を消しました。
翌朝、飴屋の主人は店の近くで一本の櫛を拾いました。
早速、そこを掘ってみると冷たい水がこんこんと湧き出してきました。その湧き水は、いつまでも尽きることがなく、麹屋町の人たちにとても喜ばれたそうです。
解説
この『子育て幽霊』の民話が伝わるお寺は、長崎県長崎市伊良林にある浄土真宗本願寺派の光源寺です。
光源寺では『産女の幽霊』として伝わり、境内にはこの伝承を伝える「赤子塚民話の碑」があるほか、幽霊像と伝わる不思議な「木像」と藤原清永の作と伝わる幽霊の「掛け軸」が奉られています。
木像と掛け軸は、毎年8月16日に年に一度御開帳されます。
『子育て幽霊』の類話は日本全国に分布します。その中でも特に有名なものが、京都府京都市東山区と島根県松江市中原町に伝わる民話です。
前者は『飴かい幽霊』として伝わります。
その昔、京都市東山通松原の西の一帯は風葬の地であったため、あの世とこの世の境の“六道の辻”と呼ばれたそうです。そのため、六波羅蜜寺や六皇珍皇寺など多くのお寺があります。
その六道の辻には、夜な夜な女の幽霊が飴を買いに来たと伝わり、日本でもっとも古い飴屋といわれる「みなとや幽霊子育飴本舗」があります。
漫画家の水木しげるさんによる『ゲゲゲの鬼太郎』は、この飴屋から着想を得たことでも有名です。
後者は、『日本の面影』に「水飴を買う女」という題で、明治時代の文豪のラフカディオ・ハーンこと小泉八雲が明治27年(1844年)に紹介したことにより、一躍日本中で広く知られるようになりました。
舞台となったのは、松江市中原町にある大雄寺です。
八雲は物語を、「母の愛は死よりも強いのである」と結んでいます。これは「幼くして母ローザと生き別れた自分の境遇への思いから出た言葉であろう」と大雄寺の山門には記されています。
そういえば、小泉八雲の『知られぬ日本の面影』には「鳥取の蒲団」として紹介された『ふとんの話』も載っています。こちらも胸が締め付けられる内容です。
ちなみに、落語では『幽霊飴』という噺で、舞台は京都府京都市東山区にある高台寺です。そして、最後に幽霊が「子が大事(高台寺)」というのがオチになっています。
感想
古来、日本では、納棺の時、故人と共に一文銭を六枚入れることが習わしとされています。
これは六文銭と呼ばれ、「三途の川」と呼ばれる「黄泉の国」に通じる渡し賃と考えられてきました。
三途の川をはじめ、黄泉の国と呼ばれる死後の世界には六つの道があり、生前にどのような罪や罰を犯したかによって輪廻転生の道が変わるといわれています。
生前の罪が裁かれ、罪がなく、きれいな人生を送ってきたと審判されると、お礼に持っていた六文銭から一文ずつ道に置いていくという風習が仏教ではあります。
さて、『子育て幽霊』に登場するお母さん幽霊は、三途の川を渡る時に使う六文銭を、赤ん坊を育てるため、飴を買うことに使いました。
懸命に赤ん坊を死なせいよう守ります。
物語の途中、七日目の夜にお母さん幽霊が、「すみません。今夜はお金がなくなってしまったので、飴を一つめぐんでもらえませんか」というくだりがありますが、それは六文銭を使い切ってしまったからです。
亡くなってもなお、子どもを守ろうとする母の愛は、どこまでも深いですね。
色々な愛のかたちがありますが、「慈愛」という言葉があるように、親が子どもを慈しみ、可愛がるような深い愛は特別なものですね。
まんが日本昔ばなし
『子育て幽霊』
放送日: 昭和51年(1976年)08月07日
放送回: 第0073話(第0044回放送 Aパート)
語り: 市原悦子・(常田富士男)
出典: 表記なし
演出: 矢沢則夫
文芸: 沖島勲
美術: 小関俊之
作画: 矢沢則夫
典型: 怪異譚・異常誕生譚
地域: 九州地方(長崎県)
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『子育て幽霊』は「DVD-BOX第3集 第12巻」で観ることができます。
最後に
今回は、『子育て幽霊』のあらすじと内容解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介しました。
日本の昔話には、母性や父性に訴えるものがとても多いですが、これほど人の魂を揺さぶりる物語は、『子育て幽霊』だけでしょう。ぜひ触れてみてください!