昔話『牛若丸』のあらすじ・解説・感想|おすすめ絵本
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 『牛若丸うしわかまる』は、平安時代へいあんじだい末期まっき鎌倉時代かまくらじだい初期しょき活躍かつやくした武将ぶしょうである源義経みなもとのよしつね幼名ようみょうです。日本にっぽん歴史上れきしじょうには悲劇ひげきがたくさんありますが、悲劇の英雄えいゆうとしてもっとたか知名度ちめいどほこるのは源義経ではないでしょうか。

 今回こんかいは、『牛若丸』のあらすじと解説かいせつ感想かんそう、おすすめ絵本えほんなどをご紹介しょうかいします!

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概要

 牛若丸うしわかまる源義経みなもとのよしつね幼名ようみょうです。

 源義経とは、平安時代へいあんじだい末期まっき鎌倉時代かまくらじだい初期しょき活躍かつやくした武将ぶしょうです。

 義経よしつねは、平治元年へいじがんねん(1159年)に源義朝みなもとのよしとも九男きゅうなんとしてきょうみやこまれ、幼名を牛若丸い、通称つうしょう九郎くろうばれました。

 はは絶世ぜっせい美女びじょつたわる常盤御前ときわごぜんです。また、鎌倉幕府かまくらばくふ初代しょだい将軍しょうぐん源頼朝みなもとのよりともとは異母弟いぼていです。

 義経の伝記でんき史料しりょうすくなく不明ふめいてんおおいため、牛若丸物語ものがたり鎌倉時代かまくらじだい成立せいりつした歴史書れきししょの『吾妻鏡あづまかがみ』、軍記物ぐんきもの鎌倉時代かまくらじだい前期ぜんきに成立したとされる『平治物語へいじものがたり』や室町時代むろまちじだい中期ちゅうきに成立したとされる『義経記ぎけいき』などにしるされたものがもとになっています。

 牛若丸伝説でんせつなかでも武蔵坊弁慶むさしぼうべんけいとの五条大橋ごじょうおおはしでの出会であいはとく有名ゆうめいで、その出会いをうたった童謡どうよう現在げんざい日本中にっぽんじゅうひろしたしまれています。

 絵本えほん牛若丸うしわかまる (きょう絵本えほん)』はアートデイズから出版しゅっぱんされています。源義経みなもとのよしつねが、まだ牛若丸うしわかまるばれていた幼少期ようしょうき焦点しょうてんてた内容ないようです。日本画にほんが実力派じつりょくはといわれる箱崎睦昌はこざきむつまささんと児童文学じどうぶんがく新鋭しんえいである牧村則村まきむらのりむらさんがつくった、美術本びじゅつぼんとしてもたのしめる絵本です。

 「講談社こうだんしゃ絵本えほん」として昭和しょうわ12ねん(1937年)に刊行かんこうされた『牛若丸うしわかまる』が、平成へいせい13ねん(2001年)に現代げんだい仮名かなづかいで復刻ふっかんしました。一流いちりゅう日本画家にほんがかによって緻密ちみつえがかれたには、とても迫力はくりょくがあります。近藤紫雲こんどうしうんさんのえが牛若丸うしわかまるは、まるで美人画びじんがのようです。『牛若丸うしわかまる (しん講談社こうだんしゃ絵本えほん)』はおすすめの絵本えほんです。

 絵本えほん義経よしつね弁慶べんけい (日本にっぽん物語ものがたり絵本えほん)』はポプラしゃから出版しゅっぱんされています。谷真介たにしんすけさんが源義経みなもとのよしつね一代記いちだいき義経記ぎけいき』を簡潔かんけつにまとめています。そして、赤坂三好あかさかみよしさんによって義経よしつね成長せいちょう様子ようす力強ちからずよ丁寧ていねいえがかれ、まるで時代じだい絵巻物えまきもののような絵本となっています。最期さいごまでちちのようにあにのように義経にしたが弁慶べんけい姿すがたに、どもたちも感動かんどうすることでしょう。

 絵本えほん源平絵巻物語げんぺいえまきものがたり』は偕成社かいせいしゃから全十巻ぜんじゅっかん発売はつばいされています。第一巻だいいっかんの「牛若丸うしわかまる」は、牛若丸の幼名ようみょうられる源義経みなもとのよしつね鞍馬寺くらまでらでの幼年時代ようねんじだいから、打倒だとう平家へいけねがいをこめて奥州藤原氏おうしゅうふじわらしのもとにくだり、元服げんぷくするまでがえがかれています。赤羽末吉あかばすえきちさんのうつくしい今西祐行いまにしすけゆきさんの誠実せいじつかたりをとおして、源義経の生涯しょうがい辿たどることができます。

あらすじ

 むかしむかし、およそ八百五十年前はっぴゃくごじゅうねんまえのことです。そのころ、日本にっぽんには源氏げんじ平氏へいしというさむらいたちの二大勢力にだいせいりょくがあり、各地かくちでははげしいたたかいをしていました。

 源氏の総大将そうだいしょうである源義朝みなもとのよしともは、平氏によってたれてしまいました。義朝よしとも側室そくしつである常盤御前ときわごぜんは、まだおさな今若いまわか乙若おとわか、そして牛若うしわか三人さんにんどもをれてげましたが、平氏につかまってしまい、平氏の総大将である平清盛たいらのきよもりまえに連れされました。

 清盛きよもりは、おさなどもたちが義朝よしともであることをると、すぐにくびをはねるようにとめいじましたが、常盤御前の懸命けんめいねがいにより、てらあずけることで子どもたちのいのちたすけてもらえることになりました。

 七歳ななさいの今若と五歳ごさいの乙若はすぐに寺へ預けられ、牛若も七歳になったら寺へ預けられることになりました。

 やがて牛若は七歳となり、約束やくそくどおり寺に預けられ、鞍馬山くらまやまの中にある寺で修行僧しゅぎょうそうとしてきびしい修行生活しゅぎょうせいかつはじまりました。

 あるとき、牛若が一人ひとり勉強べんきょうしていますと、どこからか牛若のこえがしました。そのもの鎌田正近かまたまさちか名乗なのり、牛若が源義朝の子であることをかして、源氏再興さいこう目指めざすようにといました。

 それからというもの牛若は鞍馬山で烏天狗からすてんぐ相手あいてけん修行しゅぎょうはじめます。剣のうで上達じょうたつし、牛若は十五歳じゅうごさいの時に鞍馬山の寺から姿すがたしました。

 そのころきょうみやこでは弁慶べんけいという乱暴者らんぼうものが、道行みちゆく侍からかたなうばっては、千本せんぼんあつめているといううわさひろまっていました。そして今夜こんやが、その千本目せんぼんめでありました。

 弁慶が五条ごじょう大橋おおはしちかまえていると、ふえいてあるいてくるのは、あの牛若でした。弁慶がこしした刀をて、これこそ千本目の刀に相応ふさわしいと言い、牛若に勝負しょうぶいどみました。

 牛若は弁慶のるう長刀なぎなたをヒラリヒラリとわし、ったおうぎを弁慶のひたいげつけると弁慶はひっくりかえってしまいました。弁慶は降参こうさんし、牛若の家来けらいとしてつかえることになりました。

 牛若は牛若丸うしわかまるともばれ、のちに源九郎義経げんくろうよしつね名乗なのり、あにである源頼朝みなもとのよりともちからわせ、ついには壇ノ浦だんのうらたたかいで、平家へいけを討ちほろぼすことに成功せいこうしたのでした。

解説

 源義経みなもとのよしつね鞍馬寺くらまでらにおける生活せいかつ、その東下あずまくだりの事情じじょうなどはいっさい不明ふめいです。

 義経よしつね従者じゅうしゃなどについても詳細しょうさいはまったく不明です。

 また、数奇すうき運命うんめいにもてあそばれていることもあるため、その生涯しょうがいはかっこうの英雄伝説えいゆうでんせつとして物語化ものがたりかされています。

 とく体制たいせい支配者しはいしゃであるあに頼朝よりともによるきびしい追及ついきゅうのもとに窮死きゅうしするそのわか生涯しょうがいへの同情どうじょうは、いわゆる「判官贔屓ほうがんびいき」となって、日本にっぽんにおける代表的だいひょうてき英雄伝説えいゆうでんせつをつくりあげました。

 歴史書れきししょの『吾妻鏡あづまかがみ』、軍記物ぐんきものの『平治物語へいじものがたり』と『平家物語へいけものがたり』、それから『義経記ぎけいき』などは歴史性があり、それと同時に天狗てんぐ剣術指南けんじゅつしなん弁慶べんけいとの出会であい、平安時代へいあんじだい末期まっき伝説的人物でんせつてきじんぶつである金売吉次かねうりきちじとの関係かんけいなど、さまざまな「牛若丸伝説うしわかまるでんせつ」をかましています。

 しかし、それ以降いこうのものにかんしては脚色化きゃくしょくかすすみ、浄瑠璃じょうるり歌舞伎かぶきいたっては完全かんぜんなる創作そうさく世界せかいです。

 徳川家康とくがわいえやす愛読あいどくしていた『吾妻鏡あずまかがみ』は、物語ものがたりというより、政治せいじ話題わだいおおく、出来事できごと記録きろくした資料しりょうといった内容ないようですが、鎌倉時代かまくらじだいるためには必読ひつどくです!『吾妻鏡あずまかがみ (角川書店かどかわしょてんへんビギナーズ・クラシックス)』は、現代語訳げんだいごやく古文こぶんきとしたリズムによってだれもが古典こてん世界せかいたのしむことができます。

 平氏へいし源氏げんじ明暗めいあんかつことになった「平治へいじらん」を題材だいざいにしたものが『平治物語へいじものがたり』です。『平治物語へいじものがたり (全訳注ぜんやくちゅう)』は、原文げんぶん現代語訳げんだいごやく解説かいせつそろっているため、古典こてん世界せかい簡単かんたんたのしむことができます。原文と現代語訳をると、時空じくうをこえて平安時代へいあんじだい末期まっきの世界にひたることができます。日本語にほんご魅力みりょく存分ぞんぶん体感たいかんすることができます。

 「祇園精舎ぎおんしょうじゃかねこえ」の有名ゆうめい一説いっせつからはじまる『平家物語へいけものがたり』は、日本人にっぽんじんならだれしも一度いちどんでみたいとおも物語ものがたりといわれています。『吉村昭よしむらあきら平家物語へいけものがたり』は、原文げんぶん雰囲気ふんいきのこしながらの現代語訳げんだいごやくでありながら、意外いがいなほどみやすいです。鎌倉時代かまくらじだいの日本人の感性かんせいをうかがいることができ、日本人の精神せいしん根源こんげんかんじることができます。

 『義経記ぎけいき (現代語訳げんだいごやく)』は、現時点げんじてん唯一ゆいつ通常つうじょう購入こうにゅうできる現代語訳げんだいごやくの『義経記ぎけいき』です。『義経記』に源義経みなもとのよしつね英雄えいゆうとしての姿すがたえがかれていません。義経よしつね弁慶べんけい出会であいから、義経が平泉ひらいずみ自害じがいするまでの波乱万丈はらんばんじょう逃亡劇とうぼうげき物語ものがたりです。なぜ義経が伝説でんせつになったのかに興味きょうみがあるようならば、絶対ぜったいむべき物語です。

感想

 英雄えいゆうというのは、いさましく猛々たけだけしいという印象いんしょうがありますが、日本にっぽんの英雄は不思議ふしぎと“美少年びしょうねん”としてえがかれることがおおいようながします。

 牛若丸うしわかまるもそのうちの一人ひとりです。

 わたしが『牛若丸うしわかまる』のおはなしをはじめていたのは、幼児期ようじきちちから絵本えほんんでもらったことでした。

 記憶きおく曖昧あいまいですが、どもながらに弁慶べんけいのことを“おとこらしい”とおもったことだけは、とてもよくおぼえています。

 たぶん、そのときの私は、弁慶は牛若丸のことを最初さいしょおんなだと思い、だからさなかった。

 しかし、男の子だとかってからたたかいをいどむところに、乱暴者らんぼうものとしてえがかれている弁慶のことを、とてもかっこいいとかんじました。

 そして、女にまがうほど牛若丸は美少年だったのだろうとも思ったものです。

 牛若丸も弁慶も、そのちについては不明ふめいてんおおく、ほとんど伝説でんせついきていません。

 それなのに、牛若丸と弁慶の物語ものがたりは子どもけの絵本としてはおなじみです。「きょう五条ごじょうはしうえ~」がうたい出しの『牛若丸』という題名だいめい唱歌しょうかもあります。

 牛若丸と弁慶の物語は、これからもかたがれ、ひろ日本人にっぽんじんしたしまれていくことでしょう。

まんが日本昔ばなし

牛若丸うしわかまる
放送日: 昭和51年(1976年) 01月17日
放送回: 第0030話(第0015回放送 Bパート)
語り: 市原悦子・常田富士男
出典: 表記なし
演出: 児玉喬夫
文芸: 沖島勲
美術: 稲場富恵
作画: 高橋信也
典型: 英雄譚えいゆうたん
地域: 近畿地方(京都府)

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最後に

 今回こんかいは、『牛若丸うしわかまる』のあらすじと解説かいせつ感想かんそう、おすすめ絵本えほんなどをご紹介しょうかいしました。

 あに源頼朝みなもとのよりともと敵対してこの世を去った源義経みなもとのよしつねは、その後さまざまな創作で描かれるようになります。牛若丸うしわかまる弁慶べんけい物語ものがたりをはじめおおくの伝説でんせつつのも、日本人にっぽんじん義経よしつね悲劇ひげき英雄えいゆうとしてたたえたからでしょう。青春時代せいしゅんじだいごし、兄の頼朝よりとも平家へいけ打倒だとう目指めざして旅立たびだった奥州おうしゅうてたことは、まさに因果いんがといえるかもしれません。義経はこれからも悲劇の英雄としてかたがれていくことでしょう。ぜひれてみてください!

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