ある日、貧しい宿屋を営んでいた夫婦のところに、一晩泊めてほしいと商人がやってきます。商人が女将に預けた荷物の中には、大金が入っていました。なんとか大金を手に入れたいと思った夫婦は、「食べると物忘れをする」と言い伝えられている“茗荷”を、商人に食べさせることにしました。『みょうがの宿』は、落語の演目にもあるほど人気のある笑話です。
今回は、『みょうがの宿』のあらすじと内容解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介します!
概要
『みょうがの宿』は、『茗荷もの忘れ』とも呼ばれ、“物忘れ”を題材にした笑話です。
『茗荷宿』や『茗荷屋』という噺で、落語でも演じられるほど、長年、多くの人から愛されている、人気のある昔話です。
昔話では周防国吉敷郡嘉川村(現在の山口県山口市嘉川)が舞台ですが、落語では東海道の神奈川宿(現在の神奈川県横浜市神奈川区神奈川本町付近)が舞台です。
あらすじ
むかしむかし、周防国は吉敷郡の嘉川という宿場町に、老夫婦が営む大きな宿屋がありました。
老夫婦には一人娘がおりました。宿屋は、代々繁盛していたので、婿養子として、老夫婦は一人娘の婿を迎え入れることにしました。
この婿は、働き者で、客あしらいも良かったことから、宿屋は益々繁盛しました。
ところが、老夫婦が亡くなり、宿屋が若夫婦の代になると、主人は道楽を覚え、商売はそっちのけで、酒色や博打などの遊興にふけるようになりました。
ろくに働かず、主人が遊興に明け暮れているため、商売は傾き、借金がかさみ、雇い人も辞めてしまい、ついには宿屋も人手に渡ってしまいました。
しかし、夫婦は離別することなく、残ったお金を元手に、宿場町から離れた場所で、安い宿屋を始めました。
主人は心を入れ替え、以前のようによく働くようになりましが、宿場町から離れた場所ということもあり、客は少なく、宿賃も安いので、夫婦の暮らしは貧乏でした。
そんな宿屋に、ある日、身なりのよい、年のころは五十位の商人風の旅の男が、一晩泊めてほしいとやってきました。
「一晩やっかいになりますよ」
と男は宿屋の主人に言い、女将にずしりと重い商用の荷物を預けました。
主人はニコニコしながら、
「さあ、どうぞ、どうぞ」
と言いながら、旅の男を客間へ案内しました。
女将がこっそり男の荷物の中身を調べてみると、そこには高価な絹の反物と三百両もの小判が入った財布がありました。
それを聞いた主人は、大金に目がくらみ、台所から出刃包丁を取り出し、男が寝る客間へ向かおうとしましたが、女房に止められ、浅はかな行動を反省し、思い留まりました。
けれども、女将も喉から手が出るほど大金が欲しいので、
「あの大金を獲ることはできんものかね。うっかり大金を忘れてくれればいいんだけど」
と言いながら、夫婦は二人してあれこれ考えました。
しばらくして、主人は膝をポンと打つと、
「そうだ、茗荷を食べさせよう。茗荷を食べると物忘れをするというから、お客には茗荷を食べさせればいい」
と女将に言いました。
こうして夫婦は、その夜、お客には、
「体に良いから」
と言って、茗荷づくしの料理を作って出しました。
その献立はというと、茗荷の串焼き、茗荷の酢の物、茗荷の味噌汁、茗荷の炊き込み御飯、それにお酒を付けた、茗荷づくしの膳でした。
お客は、
「これは、美味い、美味い」
と言いながら、茗荷づくし料理をすべて食べました。
それに喜こんだのは、宿屋の夫婦です。
「明日はきっと、あの荷物を忘れていくに違いない」
と思い、宿屋の夫婦はほくほくしていました。
翌朝、先を急ぐお客は、草鞋も履かずに、宿屋を飛び出ていきました。
「しめた!」
と夫婦が喜んだのもつかの間、先ほどのお客が慌てて戻ってきました。
「道を歩いていると、足の裏が痛いので、宿屋で草鞋を履かずに出発したことに気がついたので戻ってきました」
とお客は宿屋の夫婦に言いました。
客は草鞋を履くと、よほど先を急ぐのでしょう、先ほどと同じように、宿屋を飛び出ていきました。
宿屋の夫婦がホッとしたところに、またお客が戻ってきました。
「道を歩いていると、皆が荷物を持っているのに、私は荷物を持っていないことに気がついたので戻ってきました」
とお客は宿屋の夫婦に言いました。
宿屋の夫婦は、しぶしぶ反物と財布の入った荷物を渡しました。
「あー、当てが外れたね。茗荷の効き目はなかったようだ」
と女将が主人に言うと、主人は答えました。
「いや、茗荷の効き目はあったよ!お客から宿賃いただくのを忘れたよ!」
解説
茗荷に関する最も古い記録は、2~3世紀、当時の日本列島にいた民族・住民の倭人(日本人)の風習などが記された中国の文献で、西晋の陳寿により3世紀後半に成立したとされる『魏志倭人伝』にみることができます。
日本では、すがすがしい芳香と辛みで、かなり古い時代から茗荷は親しまれていたようで、そのことが、奈良県奈良市の東大寺の正倉院に伝わる奈良時代の古文書『正倉院⽂書』や、平安時代中期に編纂された『延喜式』の記述から、宮中料理に用いられていたことが分かる。
ちなみに、日本では歴史が古い茗荷ですが、野菜として栽培されているのは日本だけのようです。
さて、どうして茗荷を食べると、「物忘れがひどくなる」と言われるようになったのでしょうか。
様々な俗説が伝わりますが、ここでは代表的なものを一つ紹介します。
お釈迦様のお弟子さんの中に、周梨槃特という、特に頭の弱い者がおりました。
周梨槃特は、物覚えが極端に悪く、自分の名前すら忘れてしまうため、お釈迦様が「槃特」と書いた旗を作り、背中に背負わせました。
しかし、名前が書かれた旗を背中に背負ったことも忘れてしまい、とうとう死ぬまで名前を覚えることができませんでした。
周梨槃特の死後、墓の周りから⾒慣れない草が生えてきました。
そこで、「周梨槃特は自分の名前を荷なって苦労してきた」ということから、「『名』を『荷う』」に草冠をつけて、この草を「茗荷」と呼ぶようになりました。
なお、茗荷を食べることにより、記憶への悪影響を及ぼすということは、学術的な根拠はなく、栄養学的にもそのような成分は含まれていないそうです。
それどころか、茗荷の香り成分には「集中力を増す効果」があることが明らかになっています。
それから、7世紀後半から8世紀後半にかけて編纂された、現存する日本最古の歌集『万葉集』には、
忘れ草 我が紐に付く 香具山の 古りにし里を 忘れむがため
という、大伴旅人が詠んだ歌がのっています。
この歌は、「香具山のある明日香が懐かしくてたまらないので、その辛さを忘れるため、忘れ草を紐に付けました」という意味で、なんとも言えない悲しさの漂う望郷歌です。
万葉の忘れ草は、「ヤブカンゾウ(藪萱草)」を指していたようで、花を身に着けたり新芽を食べたりすると、辛いことや悲しいことを忘れさせてくれるといわれていました。
ところが、茗荷を食べると、嬉しいことも、悲しいことも、大切なことも、すべて忘れてしまうと伝わります。
そんな俗信によって生み出された昔話が『みょうがの宿』なのでしょう。
感想
日本人の究極の美意識は、卜部兼好(吉田兼好)が書いたとされる鎌倉時代末期の随筆『徒然草』に代表されるような、
あらゆるものは絶えず変化しており、少しも元のまま留まることがない。
という、仏教の基本的な考えである「無常観」ではないでしょうか。
そして、『徒然草』の第217段には、次のような一節があります。
大欲は無欲に似たり。
この言葉には二つの解釈が存在します。
ひとつは、
大きな利益を望む者は、小さな利益など目もくれない。だから、一見すると無欲に見える。
という考えです。
そして、もうひとつは、
欲が深すぎる者は、欲に惑わされて損をする傾向にある。だから、結局は無欲と同じ結果になる。
という考えです。
まったく意味の異なる二つの解釈が存在することは、とても興味深いことです。
さて、『みょうがの宿』を「大欲は無欲に似たり」に当てはめて考えてみると、宿屋の夫婦は「欲が深すぎたことで失敗した」ので、二つ目の解釈に当てはまります。
もしかしたら、宿屋の夫婦は、欲が深すぎたり強すぎたりするため、不満を感じて不幸になっているのかもしれません。
欲をなくすことは、不幸にならない方法ではありますが、そうだからといって無欲では幸せを得られることは少ないともいえます。
つまり、幸せになるためには、不幸になるような深すぎる欲をなくし、身の丈にあったほどほどの欲を持って生きることが良いと『みょうがの宿』は説いています。
まんが日本昔ばなし
『みょうがの宿』
放送日: 昭和52年(1977年)05月21日
放送回: 第0138話(0085 Aパート)
語り: 市原悦子・(常田富士男)
出典: 『周防・長門の民話 第2集 ([新版]日本の民話 46)』 松岡利夫 (未來社)
演出: 芝山努
文芸: 境のぶひろ
美術: 芝山努
作画: 芝山努
典型: 笑話
地域: 中国地方(広島県)
最後に
今回は、『みょうがの宿』のあらすじと内容解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介しました。
『みょうがの宿』は、内容がわかりやすく、面白いので、落語の演目にもあるほど人気のある笑話ですが、実は『徒然草』の一節にある「大欲は無欲に似たり」を題材にした、人間の“欲”と“幸福”との関係を説いた奥が深い昔話です。ぜひ触れてみてください!