『赤ん坊になったお婆さん』は、お爺さんが山で湧き水を飲んだら若返ります。それを聞いたお婆さんは、若返りの湧き水を飲みすぎてしまい、赤ん坊になってしまうというお話です。
今回は、『赤ん坊になったお婆さん』のあらすじと内容解説、感想などをご紹介します!
概要
『赤ん坊になったお婆さん』は『若返りの水』とも呼ばれる民話です。
「若返りの水」を主題にした民話は、細部はそれぞれ異なった形ではありますが、東北地方に位置する青森県・山形県、中部地方に位置する山梨県・長野県、関西地方に位置する和歌山県、中国地方に位置する島根県、四国地方に位置する高知県、九州地方に位置する大分県など、類話が日本各地に広く語り伝えられています。
あらすじ
むかしむかし、山のふもとの小さな村に、お爺さんとお婆さんが二人で暮らしておりました。
毎日、お爺さんは山へ行き、山の木を切って、炭を作っていました。炭ができあがると俵に詰めて、それを近くの町に売りに行きました。
しかし、お爺さんはすっかり年を取ってしまい、だんだんと仕事がつらくなっていました。
ある日のこと、お爺さんはいつもの様に炭俵をかついで、山を下りていました。
その日はとても暑く、お爺さんの喉はカラカラに渇いていました。
ふと見ると、道端に突き出た岩から、きれいな水がチョロチョロと湧き出ていました。
「これは、ありがたい」
と思ったお爺さんは、冷たい湧き水をゴクゴクと飲みました。
「なんと美味い水だ!そして腰がシャンと伸びたような気がする」
とお爺さんは思い、先ほどまでの疲れが嘘のように吹っ飛び、不思議と元気になりました。
お爺さんは水のおかげで元気が出たのだと思い、特に深く考えず、山を下りて家に帰りました。
「帰ったよ」
と家に帰ったお爺さんが言うと、お婆さんが目を丸くして驚いているので、
「どうしたんだい?」
とお爺さんが訊ねると、
「お爺さん、あなた若返っているよ!」
とお婆さんに言われました。
とにかく、そこにいたのは、お婆さんがお嫁に来た頃の若かりし頃のお爺さんでした。
お婆さんに言われて初めて、お爺さんは湧き水を飲んだことで、若返ったことに気づきました。
「あれは『若返りの水』だったのか」
と思ったお爺さんは、美味しくて冷たい湧き水のことをお婆さんに話して聞かせました。
「そんな湧き水があるのなら、私も飲んでみたいわ」
と言ったお婆さんは、次の日さっそく山へ出かけて行きました。
お爺さんは、お婆さんが若返って帰ってくることを楽しみしていました。
ところが、昼になっても夜になっても、お婆さんは帰ってきませんでした。
心配したお爺さんは、翌朝、山へお婆さんを探しに出かけました。
しかし、どこにもお婆さんの姿はありませんでした。
お婆さんに教えた湧き水の出ている辺りに、お爺さんが近づくと、そばの草むらから、
「オギャー、オギャー」
と赤ん坊の泣き声が聞こえてきました。
お爺さんが近づいてみると、お婆さんの着物を着た赤ん坊が、顔を真っ赤にして泣きじゃくっていました。
「お婆さんたら、湧き水を飲み過ぎて赤ん坊になってしまった」
と言うと、お爺さんは苦笑いを浮かべながら赤ん坊を抱っこして家に帰りました。
解説
『赤ん坊になったお婆さん』に登場する「若返りの水」は、別名「変若水」と呼ばれ、飲めば若返ると伝わる伝説の霊水です。
古来、日本では、「変若水」は日本神話に登場する月読命という神様が持つとされています。
ツクヨミは月の神であり、『古事記』や『日本書紀』では天照大神の弟神で須佐之男命の兄神に位置づけられています。
『万葉集』には、「変若水」を詠んだ歌がいくつかみられ、その中でもツクヨミは、若返りの霊水である「をち水(変若水)」を持つ者として取り上げられています。
「をち水(変若水)」を求める歌は、いずれも年老いた者を若返らせる切実な心が詠まれています。
月の神であるツクヨミと若返りがつながるのは、満ち欠けを繰り返す月が、人々の“再生への想い”を表現する象徴と考えられているからです。
つまり、暗闇を照らす満月は、苦しみから見える希望の光ということでしょう。
また、「変若水」は神聖な水として崇められるようになります。
旧暦では一年の始まりは「立春」からと考えられていました。
そこで、立春の日の早朝、井戸や湧水から一番はじめに汲んだ水を天皇に献上するようになり、その水のことを「若水」と呼ばれるようになりました。
その後、元日の早朝に初めて汲む水や神棚に供える水のことも「若水」と呼ばれるようになりました。
それから、日本で一番有名な霊水は、中部地方に位置する岐阜県の養老郡養老町に古くから伝わり、水がお酒になった親孝行な子の“孝子伝説”として知られる『養老の滝』ではないでしょうか。
『養老の滝』は、不老長寿の水として、古くから語り継がれる伝説の水です。
感想
水は、人間の生活と深い関わりを持ってきました。
時に狂暴化して洪水となったり、逆に意地悪をして日照りや干ばつをもたらしたり、その姿を変えることから“水神様”として信仰の対象になってきました。
一方、人類は“寿命”や“若さ”といった時間の概念に縛られ日々を過ごしているため、「不老長寿」に対するあくなき願望をもっています。
この二つが結びついたものが、この『赤ん坊になったお婆さん』です。
この『赤ん坊になったお婆さん』の面白いところは、若返りの水を飲みすぎたお婆さんが、赤ん坊にまで遡ってしまうという点です。
女性の「若くありたい」という願望の強さを下敷きにしてみると、そこに“業”というものを感じとることができます。
まんが日本昔ばなし
『赤ん坊になったお婆さん』
放送日: 昭和51年(1976年)09月04日
放送回: 第0080話(第0048回放送 Bパート)
語り: 市原悦子・(常田富士男)
出典: 表記なし
演出: 小林三男
文芸: 境のぶひろ
美術: 青木稔
作画: 高橋信也
典型: 隣の爺型
地域: 九州地方/中部地方(山梨県)
最後に
今回は、『赤ん坊になったお婆さん』のあらすじと内容解説、感想などをご紹介しました。
“不老長寿”や“若返り”の思想は、古来、日本の文化に深く根付いています。立春や正月に初めて汲む水を「若水」と呼び、神棚にお供えしてから料理やお茶に使う風習もあります。『赤ん坊になったお婆さん』のお話は、そんな日本の思想や風習が根底にあるのでしょう。ぜひ触れてみてください!