『さだ六とシロ』は『犬ぼえの森』や『忠犬シロ』とも呼ばれています。江戸時代に実際に起きた事件を基にしたお話です。シロはとても賢い犬で、大変な忠義心の持ち主です。シロが秋田犬の祖といわれています。
今回は、『さだ六とシロ』のあらすじと解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介します!
概要
『さだ六とシロ』は秋田県鹿角市十和田草木に伝わる民話です。『犬ぼえの森』や『忠犬シロ』とも呼ばれています。この民話は実話であるとされ、物語に登場する狩猟免状などが今も残されています。
物語に登場する“さだ六”は、東北地方の方言で猟師を意味する「マタギ」です。マタギの成立に関しては平安時代とも鎌倉時代ともいわれ、今なお定かではありませんが、猟銃を扱うことから、誰でも簡単になれるものではなく、条件や資格、健康や精神状態まで厳しく審査され、狩猟免許や猟銃所持許可証も取得しなければならなかったとの記録があります。
そして、さだ六が飼う“シロ”という名の犬は、「秋田マタギ犬」と呼ばれる猟犬で、秋田犬の祖といわれています。秋田マタギ犬は、山岳地帯でも疲れることなく走り回れる膨大な体力を兼ね備え、勇敢で大型の動物に攻撃を与える闘争本能を持ち、性格そのものは猟犬らしく好戦的といわれています。
あらすじ
むかしむかし、下草木に左多六というマタギ(猟師)が住んでいました。
左多六は日本中どこでも狩猟ができる巻物(免状)を持っていました。これは佐多六の先祖が源頼朝の富士の巻狩りで手柄をたてたことから、南部のお殿様からもらった巻物であり、全国での狩猟が子孫代々まで許される天下御免のマタギの免状でした。
佐多六は、“シロ”という名の、とても賢くて主人思いの秋田マタギ犬の猟犬を飼っていました。
ある年の二月、冬の日としては珍しく晴れた日のことでした。佐多六はシロを連れて猟に出て、特のふもとで大きなカモシカを見つけました。左多六がカモシカを狙って鉄砲の引き金を引くと、カモシカはちょっと棒立ちになりましたが、雪の上に点々と血を落とし逃げていってしまいました。左多六とシロは、血のあとをたどりながらカモシカを追いました。
いつの間にか鹿角と三戸の境の来満峠まで来てしまいました。赤い血の流れは、峠のほら穴に消えていました。左多六は、とどめの一撃を加えました。
その時、三戸の方から来た五人の猟師が、
「おまえの撃ったカモシカは、俺たちが先に撃ったものだ」
と強く迫ってきて、
「おまえはどこの者だ。その境小屋が目にはいらないか。おまえも猟師なら勝手に他の領内で猟をしてはいけないことを知っているだろう」
と佐多六を捕まえようと詰め寄ってきました。
左多六は、鉄砲を振り回して逃げようとし、シロも主人を助けようと五人に向かって吠えましたが、五人に一人ではかなうわけがなく、佐多六は捕らえられて、無理やり三戸城に引き立てられてしまいました。シロは、主人のあとをこっそりとついて行きました。
牢屋に入れられた左多六は、天下御免の巻物を忘れてきたことを後悔し、
「ああ、あの巻物があれば助かるものを…」
とため息をつき、涙を流しました。
他の領内で狩猟をした罪のため、明日にも打ち首になるかもしれないと思うと、左多六は悔しくて仕方がありませんでした。
シロは、牢屋の前に忍び込んで、やつれた左多六を見ると「ワン」と一声吠え、風のように走りだしました。
主人を思うシロは、山も谷も走りに走り、ようやく下草木に到着すると、火がついたかのように吠えたてました。左多六の妻は、帰りの遅い左多六の身を案じていたので、雪だらけのシロを見て驚きましたが、何をすれば良いか分かりませんでした。シロは、また遠い山道を越えて、すごすごと左多六のもとへ戻りました。
左多六は、シロが巻物を持っていないのを見てがっがりしたが、力をふりしぼって、
「シロ、あの巻物、竹筒に入れてある巻物だ、仏さんの引き出しに入れている巻物を持ってきておくれ、頼む」
と目に涙をためて言いました。
シロに左多六の気持ちが伝わったのか、「ワン」と大きく一声吠えて、また下草木へ向かって雪の中を走り出しました。
家に着くとシロはありったけの力をふりしぼって、仏壇へ向かって吠えました。左多六の妻は、ハッと思い急いで引き出しを開けてみると、佐多六が猟にでるときは必ず持って出るはずの巻物がそこにはありました。妻は顔色がサッと変わり、ふるえる手をおさえ、巻物の入った竹筒をシロの首にしっかりと結ぶと、シロの背中をなでながら見送りました。
シロは疲れを忘れ、左多六のために無我夢中で走り続けました。
シロが来満峠を越えたときには、三戸の空は明けようとしていました。明けの鐘とともに左多六の命は、この世から消えてしまいました。
シロが命をかけて牢屋に着いたとき、主人はこの世の人ではなくなっていたのでした。処刑場に横たわる佐多六の姿を見て、シロの悲しみはつきませんでした。恨みはつきませんでした。そして、しばらくは死んだ左多六のそばについていました。
何日かして、シロは三戸城の見える大きい森の山の頂上に駆け登り、三戸城に向かって恨みの遠吠えを幾日も続けました。
シロが吠え続けたこの森は、今でも「犬吠森」と言われています。
その後、間もなくして、三戸には地震や火事など、災難が続き、人々は「佐多六の祟り」だと噂しました。
佐多六の犯した罪のために、お上のとがめを受けた一家は村に住むことができなくなり、村から出ることになりました。佐多六の妻とシロは、南部領の草木から秋田領の葛原というところに移り住み、村人に親切にされて暮らしました。そして、葛原で暮らしたシロはいつからか「老犬さま」と呼ばれるようになりまた。
あるとき、村人が馬に乗っていると、馬が驚き、どうしても進まない場所がありました。不思議なことだと思い、その周辺を探してみると、シロが死んでいました。哀れに思った村の人々は、シロの亡きがらを南部領の見える小高い丘に葬ったそうです。
現在、その場所には老犬神社があり、シロが祀られています。
解説
『さだ六とシロ』は、実話を基にした民話なので、多くの資料が残されています。
“さだ六”は名跡で代々継承されてきた名前と記録にはあります。初代は、岩手県の二戸地区からやってきたマタギで、右大臣藤原不比等の次男藤原房前を祖とする藤原北家の血筋を引く人物とあります。また、初代は狩りの最中、山から見下ろした鹿角盆地(花輪盆地)の美しさに見とれ、一族を連れて移り住み、秋田県の草木地区を開拓したとあります。
マタギの始まりは平安時代である西暦800年代といわれているので、初代が草木地区に移り住んだのはそれ以降となります。
『さだ六とシロ』のお話に登場するさだ六は、そこからさらに数百年後の子孫で、戦国時代が終わり、江戸幕府の統治が始まった西暦1603年頃ではないかといわれています。
日本中どこでも狩猟ができる大事な巻物(免状)は、鎌倉幕府の初代将軍である源頼朝が在位した鎌倉時代とありますので、西暦1192~1199年の間に、その当時のさだ六が源頼朝の目の前で、大きなイノシシを見事に撃ち取ったので、その功績をたたえて贈られたそうです。
次に、さだ六が飼うシロという名の犬は、「秋田マタギ犬」と呼ばれる猟犬で、秋田犬の祖といわれています。
国の天然記念物に指定されている秋田犬の定義は、今から約100年前に定められました。つまり、江戸時代は秋田犬ではく、秋田マタギ犬と呼ばれる猟犬だったということです。
資料によると、シロは仔牛ほどもある大きな犬だったそうです。混じりっけのない真っ白な毛並みが珍しく、そして秋田マタギ犬の中でも特に優れた犬だったとあります。
また、伝説の秋田マタギ犬であるシロを祀る老犬神社は秋田県大館市葛原に鎮座します。老犬神社の宝物には、古くはマタギは山立と呼ばれていたことから山立家系巻と、狩猟に必要な免状証文の二巻が現在も伝わります。
感想
日本の昔話の多くは仏教思想が根底にあります。この『さだ六とシロ』もそうであり、日本の思想における“殺生”を題材にしたもので、「命はありがたい」といった価値観をあらためて問うお話です。
「命はありがたい」というのは、その通りです。生まれたり死んだりといった生死の営みは、人間のはからいを超えたものです。人間が操作しようとするのは不遜です。人間が本来できるのは命を賜ることです。
それでも命には時として残酷な側面があることも忘れてはなりません。
そもそも生きていくことは大変なことで、理不尽、無慈悲、不平等、不公平は当たり前のことです。
仏教の出発点は、人生は思い通りにはならないという「一切皆苦」を知ることから始まります。そして、その悲観的な考えを受け入れ、心静かに生きていけば苦しみから開放され、心が楽になると仏教では解決方法も示しています。
つまり、
思い通りにならなかったこと → しんどい
ではなく、
思い通りにならなかったこと → 当たり前
と考えると心が軽くなるということです。
理不尽であり無慈悲なことも当たり前と捉え直すことによって、考え方や感じ方、毎日の生活が少しは楽になるということでしょう。
まんが日本昔ばなし
『さだ六とシロ』
放送日: 昭和51年(1976年)06月19日
放送回: 第0062話(第0037回放送 Aパート)
語り: 市原悦子・(常田富士男)
出典: 表記なし
演出: 亜細亜堂
文芸: 沖島勲
美術: 西村邦子
作画: 亜細亜堂
典型: マタギ伝説・由来譚・犬譚
地域: 東北地方(秋田県)
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『さだ六とシロ』は「DVD-BOX第2集 第6巻」で観ることができます。
最後に
今回は、『さだ六とシロ』のあらすじと解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介しました。
『さだ六とシロ』は、誰も救われない、とても理不尽であり無慈悲な物語です。ぜひ触れてみてください!