昔話『鬼の嫁さん』のあらすじ・内容解説・感想|おすすめ絵本
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 「おにそとふくうち!」
というごえとともに、まめをまく節分せつぶんは、年間ねんかん行事ぎょうじとしてふるくから日本人にっぽんじんしたしまれてきました。そのまめをまく節分せつぶん由来ゆらいとなったおはなしが『おによめさん』です。

 今回こんかいは、『おによめさん』のあらすじと内容ないよう解説かいせつ感想かんそう、おすすめ絵本えほんなどをご紹介しょうかいします!

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概要

 『おによめさん』は、『ふくおに』ともばれ、中部ちゅうぶ地方ちほう位置いちする静岡県しずおかけん伊豆いず地方ちほうつたわる民話みんわで、「おにそとふくうち!」というごえとともに、まめをまく、節分せつぶん由来ゆらいとなったおはなしです。

 関東かんとう地方ちほう位置いちする東京都とうきょうと檜原村ひのはらむら中国ちゅうごく地方ちほう位置いちする山口県やまぐちけん防府市ほうふしにも類似るいじのおはなしつたわることから、日本にっぽん各地かくちにこの民話みんわひろ分布ぶんぷしているとかんがえられます。

 ちなみに、節分せつぶんまめをまく行事ぎょうじは、元々もともと中国ちゅうごく行事ぎょうじで、疫病えきびょうをもたらす「疫鬼えきき」というおに穀物こくもつはらうものでした。

 それが日本にっぽんでは、飛鳥あすか時代じだい役人やくにんほこたてち、貴族きぞくたちがそれにしたがっておにいかける「追儺ついな」とばれる宮中きゅうちゅう行事ぎょうじとなり、平安へいあん時代じだいにはおにまめまきではらう「鬼遣おにやらい」というもよおしに変化へんかし、現在げんざい節分せつぶんかたちになったといわれています。

 絵本えほんおにといりまめ (行事ぎょうじむかしむかし)』は、佼成こうせい出版しゅっぱんしゃから出版しゅっぱんされています。古来こらい日本にっぽんでは、悪者わるもの代表だいひょうとしてえがかれるおにですが、そもそもおにとは、一体いったいなにあらわしているのでしょうか。人間にんげん内面ないめんひそおにを、たに真介しんすけさんのぶん赤坂あかさか三好みよしさんのが、民話みんわらしい雰囲気ふんいきつくげます。節分せつぶん由来ゆらいとともに、おにとはなにかをかんがえるいきっかけになる一冊いっさつです。

 絵本えほんおにのよめさん (みんわ12かげつ)』は、偕成かいせいしゃから出版しゅっぱんされています。きしなみさんのうつくしい日本語にほんごと、どこかせつなさをかんじる福田庄助ふくだしょうすけさんのにより、おはなしおくきがまれ、感情かんじょう移入いにゅうしてしまう絵本えほんです。おにこわくて悪役あくやくのイメージがつよいですが、この絵本えほんなかでは人間にんげんほうがよっぽどおそろしくえがかれています。

 絵本えほんおにはそと! ふくはうち! (いもとようこの日本にっぽんむかしばなし)』は、きんほししゃから出版しゅっぱんされています。節分せつぶんまめまきの由来ゆらいかんするおはなしでありながら、いわゆる行事ぎょうじ由来ゆらいつたえるないようではありません。いもとようこさんは、したしみやすいぶんやわらかく可愛かわいらしいでおはなしいているのに、内容ないようは「本当ほんとうおに人間にんげんではないか」としているのが、とてもシュールで意外いがいせいがあり、いつもは悪役あくやくおにやさしくうつり、不思議ふしぎ面白おもしろさをあじわうことができる絵本えほんです。

 『伊豆いず民話みんわ ([新版しんぱん]日本にっぽん民話みんわ 4)』は、未來社みらいしゃから出版しゅっぱんされています。太平洋たいへいよううみなかに、ずんと片腕かたうでばしたような伊豆いず半島はんとう。そこには、「たぬきの糸車いとぐるま」や「おふくおに」のようなゆたかな自然しぜんめぐまれた生活せいかつ条件じょうけんなかに、あかるくおおらかな風格ふうかくをもつ民話みんわつたわります。人間にんげん本然ほんぜん哀愁あいしゅうなかに、のんびりとしたあかるさがある伊豆いず民話みんわが55へん収録しゅうろくされています。

あらすじ

 むかしむかし、あるやまに、おに一人ひとりらしていました。

 「やっぱり一人ひとりさびしいな」
おにおもっていました。

 いくらおにといえども、やっぱり一人ひとりぼっちはさびしいので、おによめさんをもらおうとかんがえました。

 そこで、おにはぐーんと背伸せのびをして、むら見渡みわたしました。すると、そこに一人ひとり可愛かわいむすめつけました。そのむすめは、ほっぺたがぷっくらふくらんでいて、わらうとちいさなえくぼができる、山本権兵衛やまもとごんべえむすめで、名前なまえをおふくいました。

 おに早速さっそく権兵衛ごんべえのところへかけてき、
 「おふくよめにくれ」
たのみました。

 しかし、突然とつぜんおにからむすめをくれとわれて、権兵衛ごんべえはびっくりしました。

 大切たいせつむすめおににやるなんてことは、もちろん出来できませんが、相手あいておになので、ことわりでもしたら、あばれてむらをめちゃくちゃにするかもしれません。

 そこで、権兵衛ごんべえおくさんと相談そうだんして、
 「日照ひでりがつづき、こまっている。あめらせてくれたらむすめよめにやる」
おにうと、
 「なんだ、そんな簡単かんたんなことか。あめらせばいいんだな」
おにうと、
 「うぉー!くもおによ!この村にあめらせよ!」
てんかって大声おおごえさけびました。

 すると、そのとたん、ザーザーと大雨おおあめってきて、カラカラにかわいていたはたけは、たちまちかえりました。

 こうなっては約束やくそくどおどうり、おふくおによめさんにするしかありませんでした。

 やがて、おふくおに嫁入よめいりをするました。

 おかあさんは、
 「このたねをまきながら、やまへおき」
とおふくって、はなたね着物きもののたもとにれました。

 おふくきながら、はなたねすこしずつまき、おにやまのぼってきました。

 一方いっぽうおに大喜おおよろこびでやまへとかえっていきました。

 よめをもらったことがうれしくてたまらないおには、おふくたいして親切しんせつふるまいいました。

 毎日まいにちおには、おふくのためにご馳走ちそうをたくさん用意よういしました。

 しかし、それはとりやネズミの死骸しがいで、おふくにはとてもべられるものではありませんでした。

 よるになると、おには、おふくねむれるようにと子守唄こもりうたうたいました。

 でも、それはあらしよるかみなりのようで、おふくねむるどころかこわくてたまりませんでした。

 おふくは、いえかえりたくて、も、いてばかりいました。

 さて、やまにもはるがやってきました。

 あるそとをぼーっとながめていたおふくは、
 「あっ!」
おおきなこえをあげました。

 そこには、嫁入よめいりのやまへとむかみちにまいたたねが、そだち、はなき、黄色きいろはなみちができていたのでした。

 「あのはなをたどっていけば、むらかえれる」
おもったおふくは、はなみちとおって、むらかいました。

 「おふく、どこへく!て!」
むらかうおふくづいたおには、そうさけびながら、すごいいきおいでおふくいかけました。

 途中とちゅう、おふく何度なんどころびながらも必死ひっしはしり、やっとのおもいでたどりいたいえみました。

 「おふく、よくかえってきた!もう安心あんしんだよ」
とおとうさんとおかあさんはいながら、おふくきしめました。

 そのとき、ドスンとおおきなおとがして、
 「オレのよめさんをかえせ!」
いえこわれそうなほどの大声おおごえおに怒鳴どなりました。

 すると、おとうさんとおかあさんは、台所だいどころからまめはいったなべかかえてし、おにいました。
 「このまめからころ、おふくむかえになさい」
と、よくったまめおにわたしました。

 おには、まめからることをたのしみにしていたが、一年いちねんたってもてこないので、おこっておふく実家じっか怒鳴どなみました。

 すると権兵衛ごんべえは、
 「おにそと!」
いながら、おにかってまめげました。

 「いたい!いたい!こりゃたまらん!」
おにいながら、あたまをかかえてやまげてきました。

 やまもどったおには、自分じぶんまめからまだていなかったことをおもし、それからというもの、おにむらへやってることはありませんでした。

解説

 節分せつぶんとは、本来ほんらいは「季節きせつける」を言葉ことばです。

 むかし季節きせつわり邪気じゃき(おに)がしょうじるとかんがえられ、「立春りっしゅん立夏りっか立秋りっしゅう立冬りっとう」の前日ぜんじつ鬼遣おにやらいの行事ぎょうじがおこなわれていました。

 そのなかでも旧暦きゅうれき大晦日おおみそかにあたる「立春りっしゅん」は、一年いちねん邪気じゃきはらい、あたらしいとしすこやかにむかえるための特別とくべつでした。

 そうした背景はいけいから、いつしか立春りっしゅん前日ぜんじつを「節分せつぶん」とぶようになりました。

 古来こらい日本にっぽんには、中国ちゅうごく行事ぎょうじをルーツとした「追儺ついな」という宮中きゅうちゅう行事ぎょうじがありました。

 「追儺ついな」は「おにやらい」ともばれ、大晦日おおみそかに「邪気じゃき疫鬼やくきはらう」行事ぎょうじのことです。

 この行事ぎょうじが、現在げんざい節分せつぶんもととなったとかんえられています。

 古来こらい日本にっぽんでは、自然しぜん災害さいがい疫病えきびょう飢餓きがなどの不幸ふこう出来事できごと原因げんいんを「おに仕業しわざ」ととらえていました。そのような不幸ふこう出来事できごとしずめるため、おこわれていた行事ぎょうじ節分せつぶん鬼遣おにやらいです。

 鬼遣おにやらいにまめもちいられるようになった理由りゆうには諸説しょせつありますが、古来こらいより、「こめむぎ・ひえ・あわ・まめ」の五穀ごこくには、穀霊こくれいばれる精霊せいれい宿やどるとかんがえられていました。

 五穀ごこくなかで、もっとつぶおおものがまめで、それを使つかうことがおにはらうのに最適さいてきかんがえられたようです。

 また、「めっする(=魔滅まめ)」という言葉ことばひびきから、語呂ごろわせでまめもちいるようになったとのせつもあります。

 それから、節分せつぶんまめまきにはまめ使つかうのが一般的いっぱんてきです。

 それは、節分せつぶんまめには、「鬼遣おにやらい」や「厄除やくよけ」のねがいがめられています。なままめをまき、ひろわすれたまめからることは縁起えんぎわるいとされたことから、ないようにったまめ使つかうようになりました。

感想

 「おに金棒かなぼう」「おににもなみだ」などのことわざから、「鬼瓦おにがわら」や「鬼婆おにばば」「鬼嫁おによめ」まで、おににまつわる日本語にほんご枚挙まいきょにいとまがありません。

 令和れいわに、一大いちだいブームをこしている『鬼滅きめつやいば』も「おに退治たいじ」のおはなしです。

 おに言葉ことばがそれだけあるということは、それだけおに日本人にほんじんあいされているということでしょう。

 そんな存在そんざいであるにもかかわらず、あかかおつのえたあばれんぼうという典型的てんけいてき印象いんしょうのほかに、おに素性すじょうについて意識いしきすることは意外いがいすくないのではないでしょうか。

 悪者わるものとしてあつかわれることが圧倒的あっとうてきおおおにですが、この『おによめさん』のように、退治たいじされるおにほう同情どうじょうしてしまうという庶民しょみん感情かんじょうもあります。

 それは、きっとおに反人間的はんにんげんてきであり反社会的はんしゃかいてき存在そんざいでありながらも、人間にんげんそのもののうつかがみでもあるからではないでしょうか。

 モラルからはみた「おに」という部分ぶぶんを、人間にんげんならだれしもがこころなかっています。

 人間にんげん抑圧よくあつされた部分ぶぶん代弁だいべんしたり、いましめたりする存在そんざいだからこそ、人間にんげん社会しゃかい存在そんざいするかぎり、おに時代じだいえてかたがれていくことでしょう。

 つまり、おに人間にんげん一心いっしん同体どうたいということです。

 だから、節分せつぶんときくらいは、すぐそばにいるおにねん一度いちどおもし、上手じょうずっていくことをかんがえる機会きかいになればとおもいます。

 とき大正たいしょう時代じだい日本にっぽんすみこころやさしき少年しょうねん竈門かまど炭治郎たんじろうは、あるおに家族かぞくみなごろしにされてしまいます。さらに唯一ゆいいつのこったいもうと禰豆子ねずこは、おに変貌へんぼうしてしまいました。絶望ぜつぼうてき現実げんじつちのめされる炭治郎たんじろうでしたが、いもうと人間にんげんもどし、家族かぞくころしたおにつため、“おにり”のみちすす決意けついをします。ひとおにとがりなすかなしき兄妹けいまい物語ものがたりが、いまはじまります。
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まんが日本昔ばなし

おによめさん
放送日: 昭和52年(1977年)01月29日
放送回: 第0113話(0069 Aパート)
語り: 市原悦子・(常田富士男)
出典: 『伊豆の民話 ([新版]日本の民話 4)』 岸なみ (未來社)
演出: 阿部幸次
文芸: 沖島勲
美術: 阿部幸次
作画: 阿部幸次
典型: 由来譚ゆらいたん鬼譚おにたん
地域: 中部地方(静岡県)

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最後に

 今回こんかいは、『おによめさん』のあらすじと内容ないよう解説かいせつ感想かんそう、おすすめ絵本えほんなどをご紹介しょうかいしました。

 節分せつぶんおこなまめまきにはしたしんでいるけれど、由来ゆらいらないというかたおおいのではないでしょうか。『おによめさん』で知識ちしき意識いしきし、家族かぞく健康けんこうしあわせをねがいながら、まめまきをおこなうと、節分せつぶんがさらにたのしくなりますよ。ぜひれてみてください!

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