『宝の下駄』とは、履いて転ぶと、そのたびに小判が出てくるという不思議な力を持った下駄です。ただし、転んだ数だけ小判は出てきますが、少しずつ背が縮んでしまいます。
今回は、『宝の下駄』のあらすじと内容解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介します!
概要
『宝の下駄』は、中国地方に属する岡山県の北西端部に位置する新見市に伝わる民話といわれていますが、心優しい孝行者が福徳を授かり、欲深い者には罰が下されるという内容の類似のお話は、西日本に広く分布しています。
特に、福岡県の中央部に位置する田川郡添田町では、県内唯一の神宮で、古来より神の山として信仰されてきた英彦山に鎮座する英彦山神宮に伝わる『ごんざ虫』という題で親しまれています。
ちなみに「ごんざ虫」とは、米につくコクゾウムシのことです。
あらすじ
むかしむかし、あるところに、母親と息子が二人で暮らしていました。
家は貧しかったのですが、大変に母親思いの優しい息子は、逆立ちが得意で、いつも逆立ち歩きをして、母親を楽しませていました。
ある日、母親が重い病気になったので、薬を買うお金が必要になりました。
「このままでは、お母さんが死んでしまう。お金持ちの権造おじさんからお金を借りよう」
と思った息子は、権造おじさんのところへ出かけて行き、お金を借りてきました。
やがて、借りたお金を使い果たしてしまったので、息子は、また権造おじさんのところへお金を借りに行きました。
「お前みたいな借りたまんまで返すあてもない者に、もう金を貸すことはできん」
と権造おじさんは強い口調で言い、お金を貸してくれませんでした。
息子は困り果てて、しょんぼりしながらも得意の逆立ち歩きをしながら、権造おじさんの家から帰っていると、いつのまにか村の鎮守様の前に来ていました。
「鎮守さま、なにか良い案を授けてください」
と息子はお詣りをし、その場に座り込むと、疲れが出て、うとうと眠ってしまいました。
カラーン カラーン
カラーン カラーン
どこからともなく、ゲタの音が、息子に近づいてきました。
そして、ひとりの老人が現れました。
老人は、
「この下駄をお前さんにやろう。この下駄を履いて転べば、転ぶたびに小判が出てくる。しかし、転ぶたびに背が低くなる。だから、やたらと転ぶではないぞ」
と言って、息子に一本歯の下駄を渡すと、パッと姿を消してしまいました。
目を覚ました息子は、鎮守様を見上げると、賽銭箱の前に、一本歯の下駄が置いてありました。
息子は、おっかなびっくり、試しにゲタを履いてみました。ところが、一本歯の下駄なので、立つか立たないかのうちに、すってんと転んでしまいました。
「いててててえ」
と息子が言ったとたん、チャリーンと音がして、小判が一枚出てきました。
「本当に小判が出てきた。鎮守さま、ありがとうございます。これで、お母さんの薬を買うことができます」
と息子は何度も何度もお礼を言うと、下駄をかかえて大喜びで家に帰りました。
家に帰った息子は、早速、母親の枕元で、下駄を履いて転んでみせると、また小判が一枚、チャリーンと出てきたので、母親は驚くやら喜ぶやら、家中もう大騒ぎとなりました。
息子が母親に、昼間の出来事を話して聞かせると、母親は涙を流しながら、鎮守様の方角に手を合わせてお礼を何度も言いました。
そして、
「小判の一枚では薬とお米を買い、もう一枚は権造おじさんに返してきなさい」
と母親は息子に言うと、下駄を宝物として神棚に祀りました。
息子が権造おじさんのところへ行き、お金を返すと、権造おじさんはお金の出どころをしつっこく聞いてきました。
しかたなく下駄のことを話すと、
「今まで、お前たちに貸してやった金は返さなくていい。その代わり、その下駄をワシによこせ」
と言うと、息子の家にやって来て、無理やり下駄を持っていってしまいました。
家に戻った権造おじさんは、家中の戸を締めると、大きな風呂敷を広げました。
そして、その風呂敷の上で下駄を履き、
「まずは、ひと転び」
と言って、権造おじさんはすってんと転びました。
すると、チャリーンと小判が一枚出てきました。
「おおっ、小判じゃ、小判じゃ」
と権造おじさんは言うと、それからは小判が欲しいので、夢中になって転びました。
「小判がだんだん大きくなっている。ワシより大きくなっている。ワシは日本一の大金持ちじゃあ」
と興奮しながら大声で叫ぶ権造おじさんは、転ぶたびに自分が小さくなっていることに、まったく気がついていませんでした。
下駄を持って行かれた息子は、
「権造おじさんは、どうしているだろう」
と心配に思いながら、権造おじさんの家にやって来ました。
戸を開けようとしても、戸が開きません。息子が戸を力まかせに開けると、中から大量の小判がジャラジャラと流れ出てきました。そして、権造おじさんの家の中には、びっくりするほどの小判が、山のように積もっていました。
小判を押しのけて家の中へ入った息子は、権造おじさんを探しましたが、姿はどこにも見当たりませんでした。
「権造おじさんは、どこへ行ってしまったのかな」
と息子が探し続けると、部屋の隅に何やら小さいものが動いているのに気がつきました。
「もしかして、転び過ぎてあんなのになってしまったのか」
と思いながら、かがみ込み、よく見てみると、やはり権造おじさんでした。
「こんなに小さくなってしまうと、もう下駄は使えないし、小判もいらないね」
と息子は権造おじさんに伝えると、下駄と小判を持って家に帰りました。
権造おじさんはというと、ピョコンピョコンと動いていたかと思ったら、そのうちにとうとう小さな虫になってしまい、どこかへ飛んでいってしまいました。
これが「ごんぞう虫」の名前の由来です。
さて、家に戻った息子は、持ち帰ったお金で、母親を腕の良い医者に診せることができたので、母親の病気もすっかりよくなり、のちのちまで幸せに暮らしたとのことです。
解説
古代中国の書物『老子』に、
「足るを知る」
という言葉があります。
これは、
「人間の欲望には切りがなく、その欲望が叶った瞬間は満足しても、その満足は長続きせず、次の欲望がわいてくる」
といった意味です。
ところが、実際には、
「足るを知る者は富み、努めて行う者は志有り」
と続くことから、老子は、決してやる気や向上心を否定しているのではなく、まずは自分のことをよく理解し、今あるそのものに満足することの大切さを示唆していると考えられます。
そして、ただ単に欲望を抑えて、ほどほどのところで現状に妥協するという消極的なことではなく、積極的に足るを知って、真の満足を求めることの大切さも示唆していると考えられます。
さて、『宝の下駄』では、「足るを知る」を地で行く権造おじさんが登場します。
そこからも、『宝の下駄』は、生きている限り欲望はつきることがなく、なくすことはできないので、欲望をなるがままに肥大化させるのではなく、正しくコントロールして「足るを知る」なかに幸せを見つけるということの大切さを説いていると考えられます。
感想
願い事を叶えてくれるものは、現実の生活が厳しければ厳しいほど魅力的な存在です。
『宝の下駄』に登場する一本歯の下駄は、転ぶたびに小判が出てくるという不思議な下駄です。
ただし、転びすぎると自分自身が小さくなってしまい元に戻らないという条件付きです。
ケチな権造おじさんは、この下駄を無理やり奪い取り、何度も転んでどっさり小判を手にしますが、体は虫ほどの大きさになってしまいました。
お金は使ってこそ価値があるものであり、また本当に必要とするだけあれば十分だということでしょう。
まんが日本昔ばなし
『宝の下駄』
放送日: 昭和52年(1977年)01月15日
放送回: 第0110話(0067 Aパート)
語り: 常田富士男・(市原悦子)
出典: 表記なし
演出: 小林三男
文芸: 沖島勲
美術: 竹内靖明
作画: スタジオアロー
典型: 呪宝譚
地域: 中国地方(岡山県)/九州地方(福岡県)
『宝の下駄』は「DVD-BOX第2集 第9巻」で観ることができます。
最後に
今回は、『宝の下駄』のあらすじと内容解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介しました。
老子の教えに「足るを知る」というものがあります。人間の欲望にはきりがありませんが、欲深くならず、分相応のところで満足することができる者は、心が富んで豊かであると説いているお話が『宝の下駄』です。ぜひ触れてみてください!