『ねずみ経』は、お経を知らないお坊さんが、ネズミの動きを見ながら、「おんちょろちょろ云々」と思いつきで“でたらめなお経”をお婆さんに教えます。お婆さんがそのお経を唱えている時、泥棒が入りますが、「おんちょろちょろ、出て来られ候」や「おんちょろちょろ、穴覗き候」など、唱えたお経の文句がたまたま泥棒の行動とぴったり符合し、泥棒は恐れて逃げるという展開です。
今回は、『ねずみ経』のあらすじと内容解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介します!
概要
『ねずみ経』は『でたらめ経』や『おんちょろちょろ』とも呼ばれる民話で、偶然、幸せを得ることを主題にした笑い話です。
中国地方に位置する鳥取県に伝わる民話とされますが、東北地方に位置する福島県、中部地方に位置する岐阜県、九州地方に位置する熊本県など、日本各地に類似のお話が広く存在し、登場人物をはじめとした細部に少しずつ違いはありますが、“でたらめなお経”がお婆さんを救うという内容は共通しています。
“意外な言葉”によって救われるというお話は、日本のみならず中国をはじめとしたインドネシアやインドなどのアジアのほかに、ヨーロッパにも存在します。
あらすじ
むかしむかし、ある所に、お婆さんが一人で住んでいました。
このお婆さんは、お爺さんを亡くしたばかりで、一日中、仏壇の前で手を合わせていました。
ただ、お婆さんは読み書きが出来ず、お経を知らないため、いつも誰かにお経を教えてもらいたいと思っていました。
そんなある日の晩、お婆さんの家に一人の旅のお坊さんが訪ねてきて、
「道に迷ってしまい、一つの灯りを頼りにやってきました。どうか一晩泊めていただけないでしょうか」
と頼みました。
お婆さんは、
「どうぞ、泊まっていらしてください」
と気持ちよく引き受け、親切にもてなしました。
お坊さんにご馳走を食べさせ終わると、
「実は、今日はお爺さんの四十九日で、一つお経をあげてくれませんか」
とお婆さんがお坊さんに頼みました。
ところが、それを聞いたお坊さんは困ってしまいました。
このお坊さんは格好ばっかりのいい加減なお坊さんで、お経なんて一つも知らなかったのでした。
しかし、お坊さんなのにお経を知らないとも言えないので、仕方なく仏壇の前に座り、「どうしたものか……」と考えながら鐘を一回叩きました。
すると、目の前の壁の穴から、ネズミが一匹出てきました。
お経が始まるのを待っているお婆さんのために、お坊さんは覚悟を決めて、お経を唱えるような調子で声を出し始めました。
「おんちょろちょろ、出て来られ候」
とお経を唱えるように大声で言いました。
お婆さんが後から続いて、
「おんちょろちょろ、出て来られ候」
と唱えました。
すると、もう一匹のネズミが出てきて穴を覗いたので、
「おんちょろちょろ、穴覗き候」
とお坊さんは大声で言いました。
お婆さんも、
「おんちょろちょろ、穴覗き候」
と続いて唱えました。
今度は二匹のネズミが顔を見合わせて「チューチュー」と鳴いたので、お坊さんは調子に乗って、
「おんちょろちょろ、何やらささやき申され候」
と大声で言うと、その声に驚いたネズミたちは仏壇の陰に隠れました。
「おんちょろちょろ、隠れて候」
隠れたと思ったら、すぐにまたネズミたちが出てきたので、
「おんちょろちょろ、また出て候」
と言うと、二匹のネズミは穴の中に逃げていきました。
「おんちょろちょろ、出ていかれ候、おんちょろちょろ、おんちょろちょろ」
ここまで言うと、お坊さんは鐘を「チーン」と鳴らしてホっと息をつきました。
「お経はこれまでじゃ」
とお坊さんが言うと、お婆さんは大喜びをして、
「ありがたい、ありがたい」
とお坊さんに心からお礼を言いました。
こうして、急ごしらえのお経を、一晩中あげ続けたお坊さんは、翌朝、逃げるように出ていきました。
お坊さんが帰ってからも、そのお経を有難がって、お婆さんはお爺さんのために、朝から晩まで、仏壇の前に座って、「おんちょろちょろ、おんちょろちょろ」と唱え続けました。
ある晩、お婆さんの家に二人の泥棒が忍び込みました。
泥棒が中の様子を伺おうと耳を澄ますと、
「おんちょろちょろ、出て来られ候」
とお婆さんの声が聞こえました。
「おや、おかしなことを言っとるぞ、何を言っているんだろう」
と思った泥棒の一人が、障子の破れ穴から中の様子を覗いてみると、
「おんちょろちょろ、穴覗き候」
泥棒はハッとして、
「オレが穴から覗いていること知っているようだ」
と一人の泥棒が言うと、
「いやいや、そんなことはあるまい」
「しかし、あの婆さん向こうを向いたまま、オレたちのしていることを言い当てた」
と二人の泥棒があっけに取られていると、
「おんちょろちょろ、何やらささやき申され候」
とお婆さんが言うので、泥棒は慌てて物陰に隠れると、
「おんちょろちょろ、隠れて候」
一人の泥棒が障子からスッと顔を出すと、
「おんちょろちょろ、また出て候」
二人の泥棒は気味が悪くなって、
「これはかなわん」
と言って、何も取らずに大慌てで逃げていきまいました。
「おんちょろちょろ、出ていかれ候、おんちょろちょろ、おんちょろちょろ」
と唱えたお婆さんは、「チーン」と鐘を鳴らして、仏壇に手を合わせました。
それからもお婆さんは、仏壇の前に座っては、朝から晩まで、このお経を唱え続けたそうです。
解説
『ねずみ経』の前半部分は、『にわか和尚』と呼ばれる独立した民話として、東北地方に位置する秋田県に伝わります。
『にわか和尚』は、お経も何も知らないが、和尚さんの真似事をするお爺さんが、お葬式でお経を読む代わりに、目の前に見えるものをお経らしく唱えるという内容です。
また、『にわか和尚』の類似するお話が、江戸時代初期の元和9年(1623年)に安楽庵策伝によって成立した咄本『醒睡笑』に記されています。
ちなみに『醒睡笑』は、文字通り「眠りを覚まして笑う」という意味で、庶民の間に広く流行したお話を集めた笑話集です。
『醒睡笑』は、後の咄本や落語に影響を与え、寄席落語の元ネタとして参照されました。そこから『にわか和尚』と同様の内容である、上方落語の『鳥屋坊主』が生まれ、『鳥屋坊主』が後に移植され江戸落語の『万金丹』が生まれました。
『鳥屋坊主』も『万金丹』も、お葬式で“でたらめなお経”を唱えるだけではなく、“でたらめな戒名”をつける段が追加されていて、きめ細かい語りになっています。
安楽庵策伝は落語の祖と位置づけられ、現代でも『醒睡笑』に由来する複数の落とし噺が演じられています。
感想
何事の おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる
これは、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての僧侶であり、歌人として有名な西行法師が、伊勢神宮を参詣した折に詠んだ歌です。
「この神社のご神体がどういうものかは分からないけれども、なんとなくありがたい気持ちになって涙がこぼれる」という意味ですが、この歌こそ、日本人の宗教観を典型的に表しているのではないでしょうか。
日本人は、宗教感情を尊ぶ傾向があります。しかし、わけがわからないものをありがたがるということは、むしろ困ったことではないのでしょうか。
「信じるものは救われる」という言葉がありますが、こういう信仰のあり方は、宗教を盲信しているので、傍から見れば滑稽です。
主人公のお婆さんが、“でたらめなお経”を無批判に受け入れ、本物だと思い込んで唱え続ける姿が、まさにこれに当たります。
つまり、よく混同される“信心”と“信仰”は、決して同じものではないということです。
そして、信心とは「何かを信じる」ということではなく、目覚めや気付きであると『ねずみ経』は説いているのでしょう。
まんが日本昔ばなし
『ねずみ経』
放送日: 昭和51年(1976年)11月20日
放送回: 第0096話(第0059回放送 Aパート)
語り: 市原悦子・(常田富士男)
出典: 表記なし
演出: 高橋良輔
文芸: 沖島勲
美術: 本田幸雄
作画: 岩崎治彦
典型: 笑話
地域: 中国地方(鳥取県)
『ねずみ経』は「DVD-BOX第4集 第17巻」で観ることができます。
最後に
今回は、『ねずみ経』のあらすじと内容解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介しました。
何かを盲目的に信じる熱心な人というのは、他人の目から客観的に見ると、滑稽で哀しく映ったり、逆にいとおしかったりすると『ねずみ経』は教えています。ぜひ触れてみてください!