『蛸八長者』は、蛸八と呼ばれる蛸縄捕りの男が、金刀比羅宮の参詣に出かける途中、船で乗り合わせた長者の旦那さんと話しをするうちに、長者さんの娘を自分の息子の嫁にもらうことになるというお話です。
今回は、『蛸八長者』のあらすじと解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介します!
概要
『蛸八長者』は、『蛸長者』や『北風長者』とも呼ばれ、東北地方に位置する青森県・秋田県、中部地方に位置する新潟県の佐渡島、中国地方に位置する島根県の隠岐諸島、四国地方に位置する愛媛県・香川県の佐柳島・徳島県、九州地方に位置する長崎県の対馬・鹿児島県の種子島などに伝承されており、日本各地に類話が点在していますが、どれも少しずつ内容が異なります。
面白いことに、津軽海峡沿岸から日本海沿岸にかけて類話が集中し、また瀬戸内海周辺にも分布していることから、『蛸八長者』は海岸部を中心に伝承されたものと考えられます。
紙芝居『たこやたこざえもん (紙芝居ベストセレクション 第3集)』は童心社から出版されています。昔話『蛸長者』の紙芝居です。前半は言葉の食い違いや認識・解釈の違いによって、物語が面白おかしく進みますが、後半は化け物が出てくる内容なので、お子はちょっぴり怖い思いをするかもしれませんが、肝が据わったお嫁さんのおかげで、最後は皆が幸せになります。あらすじ
むかしむかし、播磨国の海辺の村に、蛸縄捕りの親子が住んでいました。毎日、蛸を捕って、それを売って暮らしを立てていましたが、生活は楽ではありませんでした。
ある時、息子も二十一歳になったので、讚岐の金刀比羅宮を参詣しようと、蛸縄捕りの親父は四国へ向けて出発しました。
江戸時代、金刀比羅宮の参詣には、金毘羅船と呼ばれる乗り合い船を利用することが一般的でした。
蛸縄捕りの親父が金毘羅船に乗ると、船の中は参詣人で大変な賑わいでした。
大はしゃぎの親父は、
「さぁ旦那、まぁ一杯いきねぇ」
と船の中で知り合った、大金持ちとして有名な大坂の鴻池の長者さんと飲み食いをしながら、あれこれと話をしていました。
鴻池の長者さんは、働き詰めに働く毎日だったが、この度、念願叶ってやっと金刀比羅宮の参詣にやってきたとのことでした。
そうこうしている内に、船は金刀比羅宮の海の玄関口である丸亀港に到着しました。
そして、蛸縄捕りの親父は、金毘羅船の中で知り合った鴻池の長者さんと一緒に、金刀比羅宮の参詣を無事に済ませました。
その夜、宿の湯に二人で浸かっていた時、長者さんが親父に尋ねました。
「わしの屋敷は狭いので、どうもむさ苦しくてかなわん。あなた様の所は、坪はどれほどありますか」
鴻池の長者さんは、「屋敷の広さは何坪あるか」と聞いているのに、親父は蛸縄捕りなので、「蛸壺の数」を聞いているのだと勘違いをして、
「へえ、壺なら、おそらく千ほど」
と答えました。
ちょっと驚いた長者さんは、さらに尋ねました。
「ほお、千とは広いですな。わしの所の屋根は瓦葺きですが、お宅は」
と聞くので、
「胡麻の柱に萱の屋根、月星を眺める、といったところじゃろうか」
と親父は答えました。
長者さんはいよいよ驚いて、
「ほほう、五万本の柱とは大変な物ですな。それに、月や星を眺められるとは、えらく風流な造りですな」
と感心しきりでした。
すると、今度は蛸縄捕りの親父が、
「二十一になる息子が家にいるが、嫁を取るにも釣り合った縁がなくて困っています」
と言いました。
親父は、「自分の家は貧乏なので、来てくれる嫁がいない」と言ったのに、またまた長者さんは勘違いをしました。
「それほどの家柄なら、なかなか釣り合う者はいないでしょう。しかし幸い、うちには娘が三人おるので、末の子はどうじゃ、よろしければ、わしの娘を嫁にもらってくださいな」
と長者さんから頼まれました。
これには、蛸縄捕りの親父も驚き、目をぱちくりしていると、
「あとで、うちの番頭を伺わせるので、あなた様のお名前を教えてくだされ」
と鴻池の長者さんは、蛸縄捕りの親父に言いました。
この時、蛸縄捕りの親父は、鴻池の長者さんが大変な勘違いをしていることに気がつきましたが、今さら自分が貧しい蛸縄捕りの漁師とは言えなくて、口から出まかせに、
「北風じゃ」
と答えたのでした。
こうして二人は別れました。
何から何まで勘違いした長者さんは、大坂の鴻池に帰ると、早速、
「『北風』という名の網元を見て来てくれ」
と番頭に命じました。
播磨国に出かけた番頭は、海の近くの町で出会った人に、
「北風さんのお宅は、ご存じないでしょうか」
と尋ねました。
すると、「北風?」と、一瞬、聞かれた人は首をかしげましたが、尋ねている場所が北風の吹き荒れる漁師町のことだと思い、
「ああ、北風なら漁師の道具を一揃え干してあるから、すぐにわかるよ」
と答えました。
それを番頭は、「町の人でも知っているくらいだから、これはよほどの網元だ」と思い、「これなら、わざわざ行くこともあるまい」と大坂の鴻池に帰り、
「北風さんは、とても大きな網元でした」
と長者さんに報告しました。
それを聞いた長者さんは、
「そうか。それならすぐに嫁入りの支度をしないとだな」
と言いました。
いよいよ嫁入りの日、長者さんの娘は、嫁入り道具を荷馬車に山ほど積んで、北風の家に向かいました。
そして着いてみると、なるほど蛸壺は千ほど並べてありましたが、北風の家は、胡麻粒を取る胡麻の木の柱に、むしろを敷いただけのあばら屋で、草葺きの屋根にはたくさんの穴が開いているので、たしかに月星を眺めることが出来る家でした。
娘は悲しくなりましたが、
「これも私が生まれ持ったご縁でしょう」
と言って、北風の家に嫁入りしたのでした。
その後、蛸縄捕りの家は、嫁の持って来たお金を元手に大きな船を買い、船主になって漁を始めました。そして、蛸縄捕りの親子は一生懸命に働いて、持船をどんどん増やしていきました。
それからというもの、何もかもがトントン拍子に上手くいって、やがて貧乏だった蛸縄捕りの家は、後には千石船を四十八隻も持つほどの、本当の長者になりました。
解説
日本各地に点在する『蛸八長者』の類話は、貧しい男が結婚する娘の出身を「大坂の鴻池の娘」と限定し、“大坂と深い関わりがある”としている点が共通しているのに対して、長者の娘と結婚する男の職業は、「蛸縄捕り」とは限定せず、「漁師」や「魚売」など“魚に関わる職業”としています。
この点から、『蛸八長者』は漁民と深い関係がある民話と考えられます。
さて、江戸時代の寛文12年(1672年)に、幕府の命を受けた河村瑞賢によって、日本海沿岸を西廻りに、酒田から佐渡小木・能登福浦・関門海峡を経て瀬戸内海を通って大坂に至り、さらに紀伊半島を迂回して、江戸に至る西廻り航路が整備され、後に航路が陸奥国(現在の福島県・宮城県・岩手県・青森県)や蝦夷の地(現在の北海道)まで延長されました。
不思議なことに『蛸八長者』の分布は、この西廻り航路とほぼ重なっているということです。
つまり、西廻り航路を通じて様々な文化の交流があったと考えられるので、西廻り航路の船乗りたちによって、『蛸八長者』は日本各地に伝えられたのではないでしょうか。
感想
人間にとって最も大切なものは何でしょうか?
それは“感謝”ではないでしょうか。
人間は、この世では一人では生きていけない無力なものです。多くの人たちとのつながりによって、支えられ、育てられています。知り合いだけではなく、生活を支えている様々な仕組みを作り出し動かしている人たち、色々な物を作り出している人たちにも支えられているのです。家族、友達、ご近所、町、国、そして世界中の人たちや組織にも支えられています。
そして、それ以上に、神と呼ばれる大いなる存在こそが人間の源であり、人間を生かしている根本なのです。
その大いなる存在への感謝と畏敬の念を忘れずに、常に感謝することが大切です。
すべてに感謝し、その思いをそのまま祈ると、そこには平和と安らぎがもたらされます。
だから、「ありがとう」という言葉を忘れないようにしましょう。
誰かにお世話になったときには、「ありがとう」と声に出して言いましょう。声に出さない場合でも、心の中で「ありがとう」の言葉を唱えましょう。
それこそが、日々の生活を豊かにしてくれる魔法の言霊なので。
まんが日本昔ばなし
『蛸八長者』
放送日: 昭和51年(1976年)11月13日
放送回: 第0095話(第0058回放送 Aパート)
語り: 市原悦子・(常田富士男)
出典: 表記なし
演出: 小林三男
文芸: 沖島勲
美術: 下道一範(青木稔)
作画: 上口照人
典型: 致富譚
地域: 近畿地方(兵庫県)/四国地方
Amazonプライム・ビデオで、『まんが日本昔ばなし』へ、ひとっ飛び。
『蛸八長者』は「DVD-BOX第6集 第26巻」で観ることができます。
最後に
今回は、『蛸八長者』のあらすじと解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介しました。
貧しい田舎暮らしの男が、大富豪の都会の女と結ばれて、見事に出世する物語が『蛸八長者』です。そして、それと同時に、陸上・海上交通の発達により、伊勢神宮をはじめとする金刀比羅宮や善光寺などへの寺社参詣の広がりという、江戸時代の社会や経済の特徴を色濃く投影した昔話でもあります。ぜひ触れてみてください!