『イワナの怪』は、楽をして儲けるために「根流し」と呼ばれる漁法を計画した木こりたちが、それを注意する僧侶の警告を無視して根流しを強行した結果、因果応報の結末を迎えることになる物語です。
今回は、『イワナの怪』のあらすじと解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介します!
概要
『イワナの怪』は福島県南会津郡南会津町の水無川が舞台のお話です。
物語に登場する僧侶は、「岩魚坊主」と呼ばれ、大きな岩魚が化けた日本の妖怪です。
「岩魚坊主」は、江戸時代の随筆『想山著聞奇集』に美濃国恵那郡(現在の岐阜県中津川市・恵那市)の伝承の記述があるほか、福島県や東京都など、日本各地の伝承に登場します。
また、僧侶に化ける魚もイワナに限らず、ヤマメ、ウナギなどのお話も存在します。
大正7年(1918年)に中央公論に掲載された田中貢太郎の『魚の妖・蟲の怪』という怪談話で「岩魚の怪」を取り上げたことにより、このお話は注目を浴びることになります。
昭和49年(1974年)に未來社より発行された片平幸三の『日本の民話 3 福島篇』に、南会津地区のお話として「いわなの怪」が収録されたことで、日本中で広く知れ渡るようになりました。
あらすじ
むかしむかし、ある夏のこと、南会津の山奥に、水無川という川が流れておりました。その水無川の上流では、四人の木こりたちが山へ入り、山小屋に泊りがけで木を切っていました。
暑さが続き仕事に疲れた彼らは、明日は仕事を休んで魚を獲ることにしました。そして、できるだけ楽をして儲けようと、「根流し」という方法で魚を獲ることにしました。
「根流し」というのは、山に自生する毒を含んだ木の根や植物を煮たりすり潰したりして、「根」と呼ばれる毒液を作り、それを川に流して、仮死状態となった大量の魚を一気に獲る方法です。
早速その晩、小屋へ帰り、木の根や葉っぱなどをいっしょに潰して鍋で煮て、「根」を作っていると、山奥にもかかわらず、谷川の方から、一人の僧侶が現れ、木こりたちの方へやって来ました。
「川に毒を流せば小魚まで死んでしまう。人間の子どもが殺されると思ってみなさい。惨いことはやめなされ」
と僧侶は木こりたちに説教を始めました。
木こりたちは、この僧侶を気味悪く思いました。
そこで、木こりの一人が、
「お坊さん、団子でも食わねえか」
と僧侶に言って、持っていたキビ団子を僧侶に差し出しました。
そして続けて、
「お坊さんの言う通り、明日の『根流し』は止めよう」
と仲間たちを説得しました。
それを聞いて、僧侶はすっかり安心したか、深々と木こりたちに頭を下げると、元来た道を引き返していきました。
しかし、木こりたちは根流しを止めるつもりはさらさらなく、翌朝になるとすぐに根を川に流し大量のイワナを獲り始めました。
大漁に気を良くした木こりたちは、もっと大きな魚を獲ろうと、川の上流へ向かいました。
上流は「底無しの淵」と呼ばれ、普段は誰も近寄らないような場所でした。
勢い任せに、底無しの淵に向かって残った根をすべて流し始めました。
やがて、魚がプカプカと浮いてきました。並みの大きさイワナのみならず、見たこともないほど巨大なイワナが白い腹を見せて浮かび上がってきました。
その夜、浮かれた木こりたちが、巨大なイワナの腹を割いてみると、ポロポロと団子が出てきました。
昨夜の僧侶は、この巨大イワナが化けていたのだと木こりたちが察したとたん、「根流し」の中止を提案した木こりはバッタリと倒れて動かなくなりました。それを見た他の者たちは、恐怖にかられてその場から逃げ出しました。
やがて川の水はきれいに戻り、魚も住めるようになりましたが、この不思議な話はいまも人々に語り継がれています。
解説
日本各地に『イワナの怪』の類話が存在しますが、それらに共通しているのは、年老いた巨大な魚が僧侶に化けるという点と、その僧侶に人間が食事を振る舞い、気をよくして僧侶は帰るという点です。
そして、人間が獲った巨大な魚のお腹を割き、そこから人間が僧侶に食べさせたものが出てくることから、ここで僧侶と魚を同一視させるので、最後には必ず死んでしまう、ちょっと可哀想な妖怪という点です。
ちなみに、「根流し」とは、海や河川などに毒を撒いて魚を獲る漁法です。「毒もみ」とか「毒流し」とか呼ぶ地方もあります。
淡水・海水問わず、「根流し」に関しては世界中で歴史上の様々な文章に記されていて、植物の毒を漁に使うことは人類の歴史の中で非常に古い習慣です。
日本では、昭和26年(1951年)施行の「水産資源保護法 第六条」で、調査研究のため農林水産大臣の許可を得た場合を除いて禁止されています。
感想
私たちの社会にはさまざまな「決まり」が存在します。この「決まり」は、私たちの社会をうまく成り立たせ、動かしていくうえで欠かすことのできない仕組みです。
仏教にも、お釈迦様が定められた「戒律」と呼ばれる決まり事があります。その中でも、あらゆる命あるものの「命を奪ってはいけない」という「不殺生戒」は、仏教の戒律の中では最も重要なものの一つです。
この戒律の元になっているものは、「自分がされて嫌なことは、他にしてはならない」という倫理です。
一方、私たちが生きるためには、他の生命を犠牲にしなければなりません。
それを仏教では、その自覚に持って、戒を破らなくては生きられない自分の存在と、生かされている命の意味を知り、自らの生き方を省みて、より良い生き方を求めていくと教えています。
現代社会に目を向けると、近年、あまりにも簡単に人の命を奪う、凄惨な事件が増えています。
自分が作り上げた身勝手な理由で、何のためらいもなく他人の命を奪い、その上、死刑になることもいとわない。
他人の命は言うに及ばす、自らの命でさえ軽んじるような兆しがある今の社会には、『イワナの怪』のような昔話を通して、不殺生の教えの重要性が増していると感じます。
まんが日本昔ばなし
『イワナの怪』
放送日: 昭和51年(1976年)07月17日
放送回: 第0068話(第0041回放送 Aパート)
語り: 市原悦子・(常田富士男)
出典: 表記なし
演出: 小林三男
文芸: 沖島勲
美術: 末永光代
作画: 福田皖
典型: 怪異譚
地域: 東北地方(福島県)
Amazonプライム・ビデオで、『まんが日本昔ばなし』へ、ひとっ飛び。
『イワナの怪』は「DVD-BOX第1集 第5巻」で観ることができます。
最後に
今回は、『イワナの怪』のあらすじと解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介しました。
人間の欲と愚かさを描いた『イワナの怪』は、とても考えさせられる昔話です。ぜひ触れてみてください!