
夢の中で出会った不思議な世界——それは、私たち日本人が忘れかけていた“心の宝物”でした。日本人が古くから持っている「自然への畏れ」「異界とのつながり」「夢の意味」を思い出させてくれるお話が『高田六左衛の夢』です。
今回は、『高田六左衛の夢』のあらすじと内容解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介します!
概要
「これって『浦島太郎』では?」「『猿神退治』じゃない?」「隠れ里って何?」と読み始めたあなたは、きっとそう思うでしょう。
そんな疑問から始まるものが、島根県出雲地方に伝わる不思議な昔話『高田六左衛の夢』です。
『高田六左衛の夢』には、とても奥深い魅力が隠されています。
「何か大切なことを、私たちは忘れていないだろうか?」
そんな問いかけを、そっと差し出してくれます。
そして、昔話でありながら、心理的・哲学的なテーマが内包されているので、読めば読むほど味わい深く、現代人の心にも刺さる内容となっています。
読めば心がザワつくけれど、最後にはホッとする、夢の正体を探る旅に出かけましょう。
『出雲の民話 ([新版]日本の民話 12)』は、未來社から出版されています。『古事記』『日本書紀』『出雲国風土記』など、神話のふるさとであり、古代文化の中心地であった出雲国に、古くから伝わる「やまたのおろち」「藁蛇に巻かれた頼太」「えびすさんと鶏」「恩を返したおおかみ」「母の面と鬼の面」など、昔話や伝説、神話が65篇と郷土のわらべうたが収録されています。あらすじ
むかしむかし、出雲国の片田舎の高田余頃というところに、「鬼の穴」と呼ばれる誰も近づかない洞穴がありました。
鬼の穴は、その名の通り、鬼が住んでいると言われる真っ暗な洞穴で、誰も入ったことがないため、奥がどこまで続いているのか誰も知りませんでした。
鬼の穴の近くには、六左衛という名の肝が太い鉄砲撃ちが住んでいました。
六左衛は怖いもの知らずな男で、
「いつか鬼の穴に入ってみたい」
と考えていました。
ある冬の日のこと、
「かあちゃん、オレはあの鬼の穴に入ってみようと思う。弁当を作ってくれ」
と女房に告げました。
女房は驚いて、
「お前さん、何を言っているの!止めてください」
と言って、必死に止めましたが、六左衛は聞く耳を持ちませんでした。
翌朝早く、六左衛は、女房に無理矢理に作らせた弁当を持って、鬼の穴の中へ入っていきました。
洞穴の中は、真っ暗で何も見えませんでしたが、六左衛はまるで気にしないかのように、どんどん奥へと進んでいきました。
およそ一日歩いた頃、遠くにかすかな灯りが見えました。
「ようやく出口を見つけた!」
と思った六左衛は、さらに灯りに向かって進んでいくと、そこは洞穴の出口でした。
洞穴の出口を通過すると、そこは見たことのない山深い場所で、谷あいを縫うように小川が流れ、見事な田畑が広がっていました。
六左衛が小川で水をすくって飲んでいると、椀が一つ流れてきました。
「川上に誰か住んでいるのかな」
と思った六左衛は、小川の岸を上流に向かって上がっていきました。
すると小川の上流には村がありました。
今日は村のお祭りのようで、幟が立ち並び、あちこちで楽しいお囃子が鳴り響いていました。
多くの家で賑やかな酒盛りをしているのに、ある一軒の家だけは人々が泣き悲しんでいました。
不思議な光景だったので、
「どうしたのかね」
と六左衛が事情を聞いてみると、
「氏神様のお祭りでは、毎年、娘を一人、人身御供として捧げることになっています。くじ引きをして、外れた家は喜び、当たった家は悲しみます。今年は、我が家がくじに当たったのです」
と答えました。
可哀想に思った六左衛は、娘を助けてやろうと決心しました。
そして、六左衛は、
「私が娘さんの代わりになろう」
と伝えました。
六左衛は強そうに見えたので、
「これで娘が助かる」
と言って、村の人々は喜びました。
六左衛は、赤い着物を着て女装し、人身御供に使う長持の中に入りました。
そして、外の様子が伺えるよう、六左衛は長持に細い穴を開けました。
「明日の朝、太鼓の音が響いたら、私が生きているという合図です。迎えに来てくれるようお願いします」
と六左衛は村の人々に頼みました。
六左衛が入った長持は、村人たちによって山宮へ運ばれました。
長持を山宮の拝殿に置いた村人たちは、逃げるように帰っていきました。
真夜中を過ぎた頃、拝殿の扉が開きました。
六左衛が、外の様子を伺うため、長持に開けた穴から覗いてみると、二匹の化け物が現れました。
化け物が長持の蓋に手を掛けたので、六左衛はここぞとばかりに、長持の穴から鉄砲をぶっ放しました。
一匹の化け物が、
「あっ!」
と叫んだ後に消えてしまいました。
六左衛は、次の弾を込めると、逃げようとするもう一匹の化け物の背中めがけて、また鉄砲をぶっ放しました。
もう一匹の化け物も、
「あっ!」
と叫んだ後に消えてしまいました。
やがて、辺りが水を打ったように静まり返り、聞こえてくるのは六左衛の呼吸だけでした。
六左衛は、息を殺して耳を澄ましましたが、何も起こりませんでした。
そして、夜が明けました。
六左衛は、長持から出ると、村の人々に届くよう、太鼓を精一杯打ち鳴らしました。
すると村人たちが山宮まで登ってきました。
村人たちは、六左衛から夕べのことを聞くと、拝殿から外に点々と血がついているのに気が付いたので、その血痕を辿っていくと、山宮の裏手の洞穴の中に二匹の大きな古狸が息絶えていました。
「これが化け物の正体だったのか」
と六左衛が言うと、
「こんな嬉しいことはありません。ありがとうございます」
と村人たちは口々に六左衛にお礼を伝えると、村中でお祭りをして祝いました。
六左衛が強い人、
「娘の婿になってくれ」
と頼む者も現れましたが、
「家に女房が待っているから、もう帰らなければ」
と言って断りました。
六左衛は、村人たちから感謝され、お礼の品をたくさんもらい、もと来たきた道を引き返しました。
洞穴を抜けて、六左衛が村に帰ってみると、どことなく様子が違うように感じました。
するとどうしたことか、六左衛の家があった辺りは畑になっていました。
六左衛が、畑を耕していたお爺さんに話を聞いてみると、
「そのお爺さんのお爺さんから聞いた話で、昔、ここに六左衛という鉄砲撃ちの家があった」
と言われました。
そして、
「これが六左衛の奥さんの墓だ」
ともお爺さんが教えてくれました。
「たった四、五日のことだったのに……そんな昔のことなのか。こんなことなら鬼の穴なんかに行くんじゃなかった」
と六左衛は言いながら、女房の墓の前で跪くと泣き出しました。
すると、
「お前さん、一体何を言っているのかね」
と女房が六左衛を呼ぶ声が聞こえてきました。
その声で六左衛はパッと目が覚めました。
六左衛は、囲炉裏の前でうたた寝をしていたのでした。
これまでに起きたことは、みんな六左衛がうたた寝で見た夢でした。
この夢を見てから、六左衛は「かあちゃんの傍が一番」と言って、二度と鬼の穴へ行くとは言わなくなったそうです。
解説
「それまでの出来事は、すべて夢だった」という結末の文学作品は、「夢オチ」と呼ばれ、その構造を持つ作品は、古今東西に散見されます。
そして、その夢オチを代表する作品といえば、ルイス・キャロルの児童文学『不思議の国のアリス』ではないでしょうか。
物語のあらすじは割愛しますが、『不思議の国のアリス』に見られる夢オチは、アリスの冒険が、非現実的で奇妙な出来事の連続であるため、読者は物語の論理の破綻を楽しみながらも、その奇抜さに引き込まれます。
最終的に、それが夢であったと明かされることで、読者はアリスが体験した異世界の全てが、現実世界とは切り離された、自由で創造的な想像の産物であったことを理解し、その奇妙さに対する合理的な説明を得ることができます。
つまり、『不思議の国のアリス』では、夢オチが物語の突飛な展開を許容し、読者にカタルシスを与えるための装置としての役割を果たしています。
ところが、日本の昔話『高田六左衛の夢』は、意外性と教訓を同時に与え、主人公の六左衛自身が過ちを認識することで、納得感を得るという構造です。
ここでは夢オチは、六左衛の内面的な変化や、現実世界への警告、あるいは神仏の啓示といった超自然的な要素を作品に導入する手段として機能しています。
つまり、読者にとって夢とは単なる幻想ではなく、深い意味を持つものとして描かれているという点に、畏敬の念と同時に物語の教訓性に対する納得感を覚える装置となっています。
この二作品を比較しただけでも、「夢オチ」という、一見単純な物語構造の背後に潜む、複雑かつ多様な文学的効果が見られます。
それは、「夢」というモチーフが持つ複層的な役割に起因することが考えられます。
読者の期待を裏切る“逃げ”の手法とみなされ、批判されることが多い「夢オチ」ですが、夢オチは単なる物語の終結手法ではなく、文化的・時代的価値観を反映し、読者の感情動線を操作する高度な文学装置です。
文学的視点から、多くの作品を比較し分析すると、新しい発見が得られることが考えられます。
感想
「ねえママ、夢って本当になるの?」
ある朝、子どもにそんなことを聞かれてドキッとしたことはありませんか?
子どもは、まだ空想と現実の境界があいまいです。
そんな大切な時期だからこそ、お子さんに読んでほしい、ちょっと怖いけど不思議で、心に残るお話が『高田六左衛の夢』です。
『高田六左衛の夢』は、出雲の鉄砲撃ちの六左衛が「鬼の穴」に入り、不思議な隠れ里や恐ろしい化け物と出会い、最後はヒーローになります。
ところが、六左衛が自分の村に戻ると、時間が『浦島太郎』のように流れてしまっています。
そして、結末は、なんと「夢オチ」と呼ばれるまさかの展開です。
「え、全部夢だったの!?」と驚きつつも、この『高田六左衛の夢』は、子どもたちに「人間の欲」「勇気と恐れ」「現実と幻想の境界」を深く問いかけています。
「もし、本当に時間が一瞬で過ぎ去ってしまったら?」
「目の前の出来事が夢だったら、何が残るのだろう?」
『高田六左衛の夢』には、表面的な面白さの奥に、「見たい」「知りたい」「手に入れたい」という人間の心境と本質、時間の尊さ、そして現実と非現実の境目について深く考えさせてくれます。
『高田六左衛の夢』を通して、きっと子どもたちは「本当に大切なもの」について考えることでしょう。
それは、家族との時間かもしれませんし、友達との絆かもしれません。あるいは、毎日が当たり前ではないという、時間の尊さかもしれません。
『高田六左衛の夢』から感じ取った「心の動き」や「考えの変化」を、子どもたちが言葉にすること――それこそが、お子さんの豊かな心を育む最高の経験になるはずです。
この不思議な物語は、お子さんが自分自身と向き合い、「何が大切か」を見つけるきっかけを与えてくれます。
現代のスピード社会で、忘れがちな“心の奥の物語”が、ここにはあります。
絵本やアニメとはちょっと違いますが、心を強く動かす昔話が『高田六左衛の夢』です。
まんが日本昔ばなし
『高田六左衛の夢』
放送日: 昭和52年(1977年)08月27日
放送回: 第0159話(0098 Bパート)
語り: 市原悦子・(常田富士男)
出典: 『出雲の民話 ([新版]日本の民話 12)』 石塚尊俊/岡義重/小汀松之進 (未來社)
演出: 久米工
文芸: 境のぶひろ
美術: 久米工
作画: 久米工
典型: 夢譚・冒険譚
地域: 中国地方(島根県)
最後に
今回は、『高田六左衛の夢』のあらすじと内容解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介しました。
壮大な冒険や悲劇が、結局は夢だった……という結末は、日本人特有の「無常観」や「儚さ」の感覚と通じるものがあります。そして、夢と現実の曖昧さが、かえってお話に深い余韻を残します。そんな時間と夢の狭間を旅する日本の昔話が『高田六左衛の夢』です。ぜひ触れてみてください!
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