羅城門は、平安京の中央を南北に走る朱雀大路の南の端に位置し、京の都の入り口を示した平安京の正門です。その羅城門に巣食うとされる伝説の鬼が『羅生門の鬼』です。
今回は、『羅生門の鬼』のあらすじと内容解説、感想などをご紹介します!
概要
平安時代、京の都(現在の京都府)では、「夜な夜な鬼が出て人を喰らう」と人々から恐れられた場所がありました。
そんな奇怪なお話が伝わる場所が平安京の正門の羅城門です。
その羅城門に伝わるお話の中で最も有名なものが、「大江山の鬼退治」で名を馳せた源頼光が率いた家臣で頼光四天王のひとりである渡辺綱の『羅生門の鬼』です。
『羅生門の鬼』は『羅生門の鬼女退治』とも呼ばれ、室町時代の謡曲『羅生門』などが、伝説の逸話をさらに臨場感あふれる物語として伝えています。
芥川龍之介の名作『羅生門』は、『羅生門の鬼』から着想を得て創作されたといわれています。
また、摂津国(現在の大阪府北中部の大半と兵庫県南東部)には、渡辺綱に京の都の一条戻橋で腕を斬り落とされた茨木童子という鬼の伝説が伝わります。
渡辺綱と戦ったということから、本来は別々の鬼であった『羅生門の鬼』と茨木童子が同一視され語り継がれています。
それから、「羅生門」という表記は、「羅城門」が転訛した呼称に対する当て字です。
あらすじ
むかしむかし、今から千年以上も昔。
京の都に酒呑童子という、恐ろしい鬼がおりました。
大江山という山に立てこもり、都へ現れては、さんざん悪いことを重ねた鬼でしたが、この酒呑童子を征伐したのが、あの有名な源頼光の家臣「四天王」の面々でした。渡辺綱、卜部季武、碓井貞光、坂田金時、いずれ劣らぬ豪胆無比の四人でした。
この四人が山伏姿に身を変えて、大江山に立てこもる酒呑童子を見事征伐し、都には元の暮らしが戻ったのでした。
それからしばらくした、ある蒸し暑い夏の夜のことでした。
この四人が集まって酒を飲んでいました。
そのころ京の都では、羅生門というところに、夜な夜な恐ろしい鬼が現れ、悪行の限りを尽くしているという、もっぱらの噂でした。
「のう、各々方、どう思われる」
と大将格の貞光が言いました。
「鬼か、それはあり得ることじゃ」
と季武と金時は、そう言って頷きましたが、最も年の若い渡辺綱だけは、むきになって反対しました。
「まさか!鬼は大江山で全部、退治したじゃありませんか」
「じゃが、取り残したということがあるかもしれん」
「だが、たしかにぜんぶ退治したはず」
話はさんざんに別れましたたが、
「まあまあ、それならいっそ、羅生門に行って確かめてみたらどうじゃ」
ということになり、その代表に渡辺綱が選ばれました。
立ち上がった綱に、仲間の三人はこう言いました。
「いいか、綱よ。本当に羅生門へ行ったかどうか、証拠になる高札を立ててこい」
外はいつの間にか、生温かい雨が降っていました。
その中を綱は、ぽっこりぽっこり馬に乗って出かけていきました。別に怖くも何ともありませんでした。
そのうち、遠くに羅生門が見えてきました。
羅生門の黒々とそびえ立つその姿は、さすがに気味悪く、柱の合間合間に見える景色もなんとも恐ろしいものでした。
綱は羅生門に近づくと、しばらく楼門を見上げ、辺りに目をこらしましたが、誰もいませんでした。
「ふん、誰もおらんじゃないか。みんな噂を聞いて、ただビクビクしておるだけじゃ」
と綱は鼻先でそう笑ったら、約束の高札を、コーンコーンと高い音を立てて、羅生門の門前に打ち立てました。
「源頼光 家人 渡辺綱 約束の義によりて『羅生門』門前に確かに参上す」
こうして、綱が高札を立てて帰ろうとした、その時、綱は、ふと誰やらの気配を感じて、後ろを振り向くと、暗い柱の陰に、一人の若い娘が立っていました。
「はて、いつのまに。こんな夜更けに、若い娘が一人でどこへ行くのじゃ」
と綱は不思議に思って聞いてみました。
「はい、私はこれから五条の父のところへ戻らねばなりませぬ。でも、雨は降るわ、道はぬかるわで、困っていたのでございます」
「ほほう、五条なら私の帰る方向と同じじゃ。それなら一緒にこの馬に乗って行かれるがよかろう」
そう言って、綱が若い娘に手を差し伸べた時、
「ギャハハハハハッ・・・」
と突然、若い娘は鬼の姿に変化したのかと思えば、綱の後ろに回って、ものすごい力で、綱の首を締め付けました。
そして、綱が手をはなすと、あっという間に、空中高く舞い上がりました。
「おのれ、貴様が羅生門の鬼であったか」
と刀に手をかける綱に、
「アハハハハハッ、いまさらジタバタしても遅いわい!」
と言う鬼に、綱は一瞬の隙を突いて、鬼の腕めがけて切りつけました。
「えい!」
「ウギャァァァァッ!」
綱の刀は、鬼の腕を見事に切り落としました。
「むむっ、くそっ!綱よ、覚えておれ!その腕、七日の間に必ず取り戻しにいくからな!」
鬼はそう叫ぶと、空高く舞い上がっていきました。
ところで、切り落とした鬼の腕は、鋼の様なゴツゴツした太い腕で、針の様な毛が一面に生えていました。
その腕を仲間に見せると、
「ほほう、これは凄い!綱、お主よくぞやったぞ」
と仲間たちは口々に綱を褒め称えました。
だが、綱はこの腕を七日間、鬼から守らなければなりませんでした。
綱は七日の間、警護を厳重にして、表に物忌みの札を貼り、家に閉じこもりました。
鬼の腕は頑丈な木の箱に入れられ、綱自身が四六時中これを見守りました。
そうして、何事もなく七日目を迎えました。
七日目の夜は、美しい月も昇り、爽やかな夜でした。
そんな夜に、一人の老婆が綱の門前を訪ねてきました。
家来たちは老婆に聞くと、老婆は綱の叔母に当たるもので、はるばる難波から綱を訪ねて来たとのことでした。
家来たちは一旦は断りましたが、
「綱に会いたい一心で、わざわざ難波から来たのじゃから、お願いします」
と老婆は必死になって訴えますが、それでも老婆を中に入れないでいると、
「今夜のうちに会わねば、またいつ会えるとも知れぬ身、どうかこの婆の願いを聞き届けてくだされ」
と老婆は泣き出しました。
こうして老婆は、とうとう綱の屋敷の中へ入っていきました。
「綱や、覚えておいでかい、叔母さんじゃよ。お前を子どもの頃、母親代わりに育てた難波の叔母さんじゃよ」
「叔母さん?」
と綱が言うと、
「そうじゃとも。ところでどうしたのじゃ、物忌みの札など貼ってあり、えらく物々しいが、何か悪いことでもあったのかい」
「いえ、別に」
綱は叔母さんのことを思い出せませんでしたが、それでも問われるままに、例の羅生門の鬼のことを老婆に話して聞かせました。
老婆はたいそう喜んで、
「そうかいそうかい、たとえ育ての子とはいえ、そのような手柄を立ててくれたとはのう。うれしゅうてならんわ。ところで綱や、その鬼の腕とやらを、一目だけ叔母さんにも見せてはくれんかのう」
さすがに綱もそれだけは断りました。
「明日ならまだしも、今夜は箱を開けるわけにはいかんのじゃ」
と綱が言うと、老婆は悲しそうな顔をして、
「じゃが、私は今夜のうちにはどうしても難波に帰らねばならんのじゃよ。それに、たとえ鬼が来ても、強い綱がおれば大丈夫じゃ」
そう言われて、さすがの綱も心が緩み、
「それならば、ちょっとだけ」
と綱は木箱を開けて、老婆に鬼の腕を見せました。
「叔母さん、これが鬼の腕です」
「ほうほう、なんとも凄い腕じゃのう。どれどれ、ちょっと触らせておくれ」
こうして綱が老婆に鬼の腕を差し出した、その時、老婆の優しそうな顔は、あの恐ろしい羅生門の鬼の顔へと変わりました。
「はっ、おのれ貴様」
「綱よ、よいか!七日目の夜、しかとこの腕もらったぞっ!ギャハハハハハッ」
「おのれっ、はかったな!」
「ギャハハハハハッ」
綱が刀を抜くのも間に合わず、鬼は空中高く舞い上がりました。
そうして、鬼はしっかと自分の腕を握ったまま、凄まじい音と稲光を残して、雲の上高く消えてしまいました。
約束通り、鬼は自分の腕を取り戻したのでした。
解説
謡曲『羅生門』は、渡辺綱が羅城門で片腕を斬り落とした鬼が、「時節を待ちて、また取るべし(覚えておれ!近いうちに必ず取り戻しにいくからな!)」と言い残して虚空に消える場面でお話は終わります。
しかし、その後日談が、鎌倉時代に記された軍記『平家物語 上編(剣巻)』に記されています。
それが、綱の叔母と称する老婆が訪ねて来て、鬼の腕を見せてくれるよう所望し、心が緩んだ綱が老婆に鬼の腕を見せてしまい「これは吾が手なれば取るぞよ(しかとこの腕もらったぞっ!)」と叫んで虚空へ飛び去っていく場面です。
つまり、現在、広く知れ渡っている『羅生門の鬼』は、元々は別のお話であったものを一つにしたということです。
また、老婆と化した鬼が腕を取り返しにくる場面は、謡曲『茨木』にも登場します。『茨木』では、その鬼の名が酒呑童子の最も重要な家来である茨木童子としています。そこから、本来は別々の鬼であった『羅生門の鬼』と茨木童子が同一視され語り継がれるようになったと想像します。
また、「茨木童子が渡辺綱に片腕を斬り落とされた後、その腕を取り戻すために茨木童子が綱の元へやってくる」という内容で、渡辺綱と茨木童子の戦いが記されている書物の中で、一番有名なものは鎌倉時代末期から江戸時代初期にかけて成立した『御伽草子』です。しかし、戦いの場所は、同じ京の都ですが、羅城門ではなく一条戻橋です。
それから、「大江山の鬼退治」で、鬼の頭領の酒呑童子と茨木童子をはじめとした手下たちを退治したことで名を馳せた、源頼光が率いる家臣の頼光四天王と呼ばれる面々は、渡辺綱、卜部季武、碓井貞光、坂田金時です。
ちなみに、昔話でお馴染みの『金太郎』は、坂田金時の幼少期と伝えられています。
感想
『羅生門の鬼』は、「“人の噂”と“思い込み”はとても怖いもの」ということを語っています。
さらに、「鬼というのは誰の心にも出現する可能性がある」ということも語られています。
噂というものは、とても不確かなものです。昔も今も誰かの見当違いや勘違いで、鬼だの妖怪だのといった噂は絶えません。
また、人間は目で見ることができない心の中では鬼を作ることが可能です。
つまり、何らかの理由があれば人間は鬼にもなれるということです。
現実の世界では、人間はわからない部分が多いので、鬼よりも恐ろしいということかもしれません。
まんが日本昔ばなし
『羅生門の鬼』
放送日: 昭和51年(1976年)10月09日
放送回: 第0087話(第0053回放送 Aパート)
語り: 市原悦子・(常田富士男)
出典: 表記なし
演出: 前田庸生
文芸: 沖島勲
美術: 三輪孝輝
作画: 三輪孝輝
典型: 幽霊妖怪譚・鬼譚
地域: 近畿地方(京都府)
最後に
今回は、『羅生門の鬼』のあらすじと内容解説、感想などをご紹介しました。
人間が追い出すべき鬼は、誰の心の中にも住んでいます。自分自身の考えや悪習慣こそが、幸福を奪う鬼と『羅生門の鬼』は語っています。ぜひ触れてみてください!