昔話『田植地蔵』のあらすじ・内容解説・感想|おすすめ絵本
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 日本にっぽん各地かくち路傍ろぼうには、お地蔵じぞうさまの石像せきぞう数多かずおおまつられています。路傍のお地蔵さまは様々さまざま祈念きねん対象たいしょうであり、難治なんじ傷病しょうびょう治癒ちゆを祈念すれば成就じょうじゅすると世間せけんひろられ著名ちょめいなお地蔵さまになったり、この『田植地蔵たうえじぞう』のような寓話ぐうわのちひろ童話どうわとしてられたりするお地蔵さまがあります。

 今回こんかいは、『田植地蔵』のあらすじと解説かいせつ感想かんそう、おすすめ絵本えほんなどをご紹介しょうかいします!

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概要

 『田植地蔵たうえじぞう』は東北地方 とうほくちほう位置いちする宮城県みやぎけんつたわる民話みんわといわれています。

 日本にっぽん各地かくち様々さまざま路傍ろぼうでお地蔵じぞうさまをかけます。地図ちずにもっていないようなちいさなほこらなかに、安置あんちされているお地蔵さまの石像せきぞうたことがあるというかたおおいのではないでしょうか。

 お地蔵さまは、正式せいしきには地蔵菩薩じぞうぼさつばれ、仏教ぶっきょう信仰対象しんこうたいしょうである菩薩ぼさつ一尊いっそんです。

 釈迦しゃか入滅にゅうめつしてから弥勒菩薩みろくぼさつ成仏じょうぶつするまでの無仏むぶつ世界せかい衆生しゅじょう救済きゅうさいすることを釈迦からゆだねられたとされます。

 それなのに、仏教ぶっきょう誕生たんじょうしたインドでは、お地蔵さまはほとんど信仰しんこうされていません。

 中国ちゅうごくでもインドと同様どうようにほとんど信仰されていません。

 つまり、地蔵信仰じぞうしんこう日本にっぽん特有とくゆう現象げんしょうであるということです。

 ちなみに、平安時代へいあんじだい末期まっき成立せいりつしたとみられる説話集せつわしゅう今昔物語集こんじゃくものがたりしゅう』のかん十七じゅうななは、お地蔵さまにまつわる不思議ふしぎ出来事できごとばかりをあつめた「地蔵菩薩霊験記じぞうぼさつれいげんき」が三十二さんじゅうに収載しゅうさいされています。約千年やくせんねんまえ日本にっぽんでは、すでにお地蔵さまが信仰しんこう対象たいしょうであったとかんがえられます。

 かつてテレビで一大いちだいブームをつくった『まんが日本にっぽんむかしばなし』が、二見書房ふたみしょぼうより新装改訂版しんそうかいていばん登場とうじょう。『田植地蔵たうえじぞう』のおはなしは『まんが日本昔ばなし<だい15かん> (新装しんそう改訂かいていばん)』のなか収録しゅうろくされています。

 『上州じょうしゅう民話みんわ だい1しゅう ([新版しんぱん]日本にっぽん民話みんわ 20)』は未來社みらいしゃから出版しゅっぱんされています。群馬県ぐんまけんといえば、うつくしい赤城山あかぎさん利根川とねがわ、それからカカア天下でんかにカラッかぜですね。古来こらいより文化的ぶんかてきにもひらけ、自然環境しぜんかんきょうめぐまれた群馬ぐんま風土ふうどそだった「田植地蔵たうえじぞう」はじめとしたたのしい民話みんわ67へんとわらべうた収録しゅうろくされています。

 『今昔物語集こんじゃくものがたりしゅう (角川書店かどかわしょてんへんビギナーズ・クラシックス)』は、現代語訳げんだいごやく古文こぶんきとしたリズムによってだれもが古典こてん世界せかいたのしむことができます。

あらすじ

 むかしむかし、あるところに、はたらもの少年しょうねんちち二人ふたりんでおりました。

 毎日まいにち、二人は仲良なかよんぼにかけ、にしてはたらいていました。

 田んぼへのかえりには、ちいさなお地蔵じぞうさまに二人はわせ、
 「地蔵じぞうさま、いってきます。今日きょう元気げんきで、はたらけますように」
 「地蔵さま、ただいま。今日はこれだけ働くことがきました」
挨拶あいさつ報告ほうこくをしていました。

 やがてはるぎて、田植たうえの時期じきがやってました。

 そんなときちちやまいたおくなってしまいました。

 一人ひとりのこされた少年は、どうやって田植えをしたらいいのかからずなやみ、お地蔵さんに手を合わせて、
 「無事ぶじに田植えをえることができますように」
とおねがいしました。

 しかし、一人ではなかなか田植えがはかどらずこまっていました。

 するとそこへ、見知みしらぬ坊主頭ぼうずあたま元気げんきおとこがやってて、
 「おいらが手伝てつだってやろうか」
い、うま鼻取はなとりを手伝てつだってくれることになりました。

 男の子は、陽気ようきうたうたいながら上手じょうずに馬の手綱てづないてくれたので、少年は大助おおだすかりでした。

 つぎ、少年が田植えをしていると、またあの坊主頭の元気な男の子がやって来て、田植えを手伝ってくれました。

 男の子のおかげで、田植えは随分ずいぶんとはかどりました。

 「田植えがわったから、おいらはかえるね」
と男の子は言い、大急おおいそぎであぜみちして行きました。

 「ちょっとって。まだれいもしていないのに」
と少年は男の子のあといかけましたが、いつものお地蔵さまのところで男の子を見失みうしなってしまいました。

 少年は不思議ふしぎおもいながら、いつものように手を合わせ、お地蔵さまに、
 「お地蔵さま、ここを男の子がとおりませんでしたか」
たずねると、そのお地蔵さまの足元あしもとどろだらけになっていることにがつきました。

 そして、かおをよくると、なんとお地蔵さまの顔は、さっきの元気な男の子にそっくりでした。

 「田植えを手伝ってくれたのは、お地蔵さまでしたか。ありがたやありがたや」
と少年はお地蔵さまに感謝かんしゃしました。

 きっと困っていた少年をみかねて、お地蔵さまが田植えを手伝ってくれたのでしょう。

 これが評判ひょうばんになって、このお地蔵さまを信仰しんこうするものおおくなり、少年もいままで以上いじょうこころめておがみ、いつまでもお地蔵さまを大切たいせつにしたそうです。

解説

 田植たう作業さぎょうなかひとつに、田植えまえ必須ひっす作業さぎょうとして“しろかき”とばれものがあります。

 それは、ひとくわすき使つかってこした田んぼに、みずってたいらにならしていく作業です。

 その代かきをおこなさいむかしは、うしうま馬鍬まぐわかせておこなっていました。そして、牛や馬を先導せんどうする鼻取はなとやくどもたちの仕事しごとでした。

 さて、日本にっぽんにおける地蔵信仰じぞうしんこうは、平安時代へいあんじだい白河上皇しらかわじょうこう勅命ちょくめいにより、平清盛たいらのきよもり京都きょうと六道ろくどう(地獄じごく餓鬼がき畜生ちくしょう修羅しゅら人間にんげん天上てんじょう)をまも要衝ようしょう地蔵堂じぞうどう地蔵菩薩像じぞうぼさつぞう分散ぶんさん安置あんちしたのがはじまりとされます。

 地蔵信仰は、八世紀はっせいきころ、インドでおこり、中国ちゅうごく日本にっぽん伝来でんらいしました。

 地蔵菩薩じぞうぼさつ地獄じごくちてくるしみにあう死者ししゃを、地獄の入口いりぐち救済きゅうさいするとされ、平安時代へいあんじだい末期まっき貴族層きぞくそうひろまりました。

 鎌倉時代かまくらじだいはいると阿弥陀浄土信仰あみだじょうどしんこう融合ゆうごうして、広く民衆みんしゅう普及ふきゅうしました。

 その道祖神信仰どうそじんしんこうともむすき、むら辻々つじつじに地蔵菩薩像が建てられました。

 また、地蔵菩薩とどものれいむすびつき、子どもを救済きゅうさいするという信仰しんこうこったことで、子どもの神様かみさまとする理解りかいつよくなり、あらゆる階層かいそう浸透しんとうしました。

 地蔵菩薩が童形どうぎょうあらわれ、この『田植地蔵たうえじぞう』のように田植たうえなどの農耕のうこう手伝てつだいをしてくれたという伝説でんせつや、子どもの病気びょうき安産あんざん守護神しゅごしんとして広く信仰されるのは、このようなかんがかたもとづきます。

 したしみをめて“お地蔵じぞうさま”とばれる地蔵菩薩にまつわるつたえが、日本にっぽん各地かくちに広く分布ぶんぷしているということを考えても、それだけ地蔵信仰が日本人にっぽんじんこころふかきざみこまれているということでしょう。

感想

 奈良時代ならじだい伝来でんらいした地蔵菩薩じぞうぼさつへの信仰しんこうは、平安時代へいあんじだい末期まっき以降いこう貴族社会きぞくしゃかいから武家社会ぶけしゃかいへ、その道祖神どうそじんなどの日本にっぽん固有こゆう民俗信仰みんぞくしんこうとも習合しゅうごうして、やがて庶民層しょみんそうにまでひろがっていきました。

 そして、地蔵菩薩はどもそのものの姿すがたつくられるようになり、子どものまもがみとなりました。

 なが時間じかんをかけて日本風にほんふう変容へんようしながら、日本人にっぽんじんこころなかふか浸透しんとうしていき、地蔵菩薩はしたしみをめて人々ひとびとから“お地蔵じぞうさん”とばれるようになりました。

 お地蔵さんは、昭和しょうわ30年代ねんだいには流行歌りゅうこうかとして花開はなひらき、現在げんざいでは“あいさつ地蔵じぞう”なるゆるキャラまで登場とうじょうしました。

 こんなにも日本人にっぽんじんあいされている神様かみさまほかにいるでしょうか。

 普段ふだん意識いしきはしなくてもお地蔵さんは、日本人の心にみつき、なくてはならない原風景げんふうけいひとつであるといえます。

 よく「日本人にっぽんじん無宗教むしゅうきょうだ」といわれますが、もっとも日本人的にっぽんじんてきな信仰の象徴しょうちょうこそが地蔵信仰じぞうしんこうではないでしょうか。

まんが日本昔ばなし

田植地蔵たうえじぞう
放送日: 昭和51年(1976年)06月26日
放送回: 第0064話(第0038回放送 Aパート)
語り: 常田富士男・(市原悦子)
出典: 表記なし
演出: 藤本四郎
文芸: 沖島勲
美術: 青木稔
作画: 高橋信也
典型: 地蔵信仰じぞうそんこう
地域: 東北地方(宮城県)


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最後に

 今回こんかいは、『田植地蔵たうえじぞう』のあらすじと解説かいせつ感想かんそう、おすすめ絵本えほんなどをご紹介しょうかいしました。

 田植たう作業さぎょう大変たいへんくるしい労働ろうどうです。それだけに、農民のうみんたちがお地蔵じぞうさまをおがんできたことは、地蔵信仰じぞうしんこうふかさと労働の苦しさをしのばせます。『田植地蔵』は、それがとてもよくかるおはなしです。ぜひれてみてください!

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