
長野県の切ない昔話が語る「沈黙の教訓」
キジも鳴かずは撃たれまい──このことわざは、「余計なことを言ったばかりに、自ら災いを招く」という教えで、不必要な発言が招くトラブルを戒める意味があります。『キジも鳴かずば』は、貧しさと洪水の恐怖の中で繰り広げられる、父娘の悲劇を通じて、ことわざの由来とともに、「言葉の重み」を教えてくれます。
今回は、『キジも鳴かずば』のあらすじと解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介します!
概要
『キジも鳴かずば』は、史実はともかくとして、信濃国荻野(現在の長野県長野市信州新町地区)を流れる犀川に架かる久米路橋が舞台です。
その久米路橋にまつわる「犀川の人柱伝説」を基にした、静かな山里の風に、永遠の後悔が囁く、とても切ない民話です。
犀川の氾濫という自然の脅威を背景に、貧しい父娘の純粋な愛が、残酷な運命に翻弄される姿を描きます。
そして、貧困と自然の脅威の中で、無邪気な手毬唄が引き起こす悲劇は、あなたの心に深く刻まれ、胸を締めつけることでしょう。
また、物語に潜む「言葉の棘」が、現代のSNS時代を生きる私たちに、静かな警鐘を鳴らします。
久米路橋は、平安時代中期に成立したと推定される勅撰和歌集『拾遺和歌集』の中で、「埋木は なか蟲ばむといふめれば 久米路の橋は心してゆけ」と詠まれるほど古くから存在する橋なので、このことからも『キジも鳴かずば』は大変に古い民話ということが分かります。
それから、長野県歌『信濃の国』には、「心してゆけ久米路橋」という歌詞が登場することから、久米路橋は長野県を代表するスポットということなのでしょう。
テレビアニメとして放送され、大人気を博し、長寿番組となった『まんが日本昔ばなし』の絵本です。その絵本が、二見書房から新装改訂版として再登場しました。一つのケース(1巻)に一話1冊で4冊のお話が入っています。1巻~15巻が発売されているので、全巻で60話の昔話を楽しむことができます。「キジも鳴かずば」は『まんが日本昔ばなし 第2巻 (新装改訂版)』に収録されています。 『信濃の民話 ([新版]日本の民話 1)』は、未來社から出版されています。信濃の古老や伝承者から収集した物語を、民話研究家の瀬川拓男さんと児童文学作家の松谷みよ子さんが丁寧に編纂しています。民俗学的な視点と親しみやすい語り口が融合したことで、学術的かつ親しみやすい内容に仕上がっています。信濃の神秘的な風土と人々の心を映し出す、「でいだらぼっち・でいらんぼう」「おしになった娘」「野々海の物語」「鯨の夫婦」「きつねのお礼」「山鳥の尾」「子供の好きな薬師さまの話」「百田ばなし」「狐檀家」「力もち権兵衛の話」など、宝物のような民話50篇と郷土のわらべうたが収録されています。 『長野県の民話 (県別ふるさとの民話 24)』は、偕成社より出版されています。日本アルプスの山々に囲まれ、千曲川や天竜川が流れる信濃の風土を背景に、神々や動物が活躍する物語など、自然や信仰に基づいた多彩な民話は、優しさだけではなく、心を揺さぶる深みとともに語りかけます。日本児童文学者協会の皆さんが、地道に長野県内各地を歩き、古老の口から直接聞き、まとめ上げられた本書は、失われた声を救う救急箱といえます。平易な語り口と温かみのある線画の挿絵が一体となって、信濃の空気を立ち昇らせます。「泉小太郎」「黒姫ものがたり」「戸隠の鬼女」「おみわたり」「山鳥の尾」「天福地福」「早太郎」「久米路橋」「玄蕃之丞」など、信濃の自然が、単なる舞台ではなく、物語の魂そのものであり、日常の風景から生まれた不思議な教訓の民話が32篇収録されています。あらすじ
むかしむかし、犀川という川のほとりに、小さな村がありました。この村では毎年、秋の雨の季節になると犀川が氾濫し、しばしば橋が流され、土手は崩れ、田畑は冠水しました。そのため、村人の暮らしは貧しく、年貢を納めることもできず、村人は大変に困っていました。
さて、この村には、弥平という父親と、お千代という小さい娘が住んでいました。
お千代の母親は、数年前に発生した大雨による洪水で死んでしまいました。
二人の暮らしはとても貧しいものでしたが、それでも父と娘は毎日仲良く幸せに暮らしていました。
今年も雨の季節がやってきました。
そのころ、お千代は重い病気にかかっていましたが、弥平は貧乏だったので医者を呼ぶことも出来ませんでした。
「お千代、早く元気になれよ。さあ粟の粥でも食べて元気を出しなさい」
弥平がお千代に食べさせようとしても、お千代は首を横に振るばかりです。
「ううん。わたし、もう、粟の粥はいらない。わたし、小豆まんまが食べたい」
小豆まんまとは赤飯のことです。お千代の母親がまだ生きていた頃、たった一度だけ食べたことがあるごちそうでした。
弥平はなんとかその願いを叶えてやりたいと思いましたが、米も小豆も家にあるわけがありません。
弥平は寝ているお千代の顔を見つめながら、しばらく考えていましたが、やがて決心すると立ちあがりました。
「地主様の倉になら、米も小豆もあるはずだ」
こうして弥平は可愛いお千代のために、生まれて初めて盗みをはたらきました。
地主の倉から一掬の米と小豆を盗んだ弥平は、お千代に小豆まんまを食べさせてやりました。
「お千代、小豆まんまだよ」
「この小豆まんまは神様からの贈り物だから、絶対に他の人に言ってはならんぞ」
と言って、弥平はお千代の口に小豆まんまを運びました。
「ありがとう、おとうちゃん。小豆まんまおいしい」
さて、地主の家では米と小豆が盗まれたことに、すぐに気がつきました。たいした量ではありませんでしたが、一応、役人へ届けました。
小豆まんまのおかげか、お千代の病気はすっかり良くなり、外で遊べるようになりました。
弥平が畑仕事に出かけているあいだ、
トントントン
おらんちじゃ、おいしいまんま食べたでな
小豆の入った、小豆まんまを
トントントン
とお千代は手毬唄で、お父さんが小豆まんまを食べさせてくれたことを歌ってしまいました。
お千代の手毬唄を、近くの畑にいた百姓が聞いていましたが、さして気にもとめませんでした。
その夜から激しい雨が降り出し、犀川はまたたく間に水かさをが増し、今にも溢れんばかりになりました。
村人たちは、村長の家に集まって相談しました。
「人柱を立てるほかねえ」
と村人の一人が言いました。
人柱とは、災害などで苦しんでいる人々が、生きた人間をそのまま土の中に埋めて、神様に無事をお願いするという、昔の恐ろしい習慣です。
土の中に埋められるのは、たいてい何か悪い事をした人でした。
「そういえば、この村にも悪人がおった」
と言ったのは、お千代の手毬唄を聞いた百姓でした。
百姓は、村人たちに自分の聞いた手毬唄の話をしました。
その晩のうちに、弥平の家に村人たちが押し寄せてきました。有無を言わさずに弥平を捕らえると、乱暴に後ろ手に縛り上げました。
「心配するな。じきに帰ってくる」
と怯えるお千代に対して弥平は言いましたが、弥平は“人柱”として川のほとりに埋められてしまいました。
弥平が捕らえられ人柱にされた原因が、自分が歌った手鞠唄であったことを知り、悲しみにくれるお千代は毎日泣き続けました。
やがてある日、お千代は泣くのをやめると、それからは誰とも口を利かなくなってしまいました。
それから何年もの年月が流れました。
ある日、一人の猟師がキジを狩りに山へと入りました。猟師がキジの鳴く声を聞きつけて、鉄砲で撃ち落としました。猟師がキジの落ちたところに向かうと、お千代がキジを抱いて立っていました。
「かわいそうに。キジよ、お前も甲高い声で鳴いたりしなければ、撃たれることもなかったのに」
と言うと、続けて、
「私もひとこと言ったばかりに父を殺してしまった」
とつぶやきキジを優しくなでました。
猟師が駆け寄り、
「お千代、お前は口がきけたのか」
と叫んだが、お千代は振り返りもしないで、死んだキジを胸に抱きかかえたまま林の中に消えていきました。
その日からお千代の姿は村から消え、だれ一人見た者はいませんでした。
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解説
「人柱」とは人身御供の一種です。橋や堤防、城などの大規模建造物が災害によって破壊されないことを神に祈願する目的で、建造物やその近傍にこれと定めた人間を生かしたままで土中に埋めたり水中に沈めたりする風習を言います。
史実はともかくとして、「人柱の伝説」は日本各地に残されています。
有名なところでは、今回のお話の舞台となった犀川に架かる久米路橋と、近畿地方に位置する大阪府を流れる淀川に架かる長柄橋です。
大阪府の淀川に伝承されているお話は、仁徳天皇の時代に「淀川の水害を防ぐために人柱を立てた」と奈良時代に成立した日本の歴史書『日本書紀』に記載があり、これが人柱の始まりとされています。
神様を数える際に“柱”という言葉を用いるなど、神道において柱は特別な意味を持っています。家の中心となる最も重要な柱を大黒柱と呼びますが、これはもともと、柱を七福神の一人として知られ大黒様として親しまれる大黒天になぞらえているからです。
人柱にも、単なる神への捧げものというだけではなく、「死んで霊魂が神になる」という意味も含まれていると考えられます。
つまり人柱は、“選ばれし名誉ある立場”ということです。ただし、埋められる者にとっては、たまったものではありませんが。
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感想
「わざわいは口より出でて身を破る、幸いは心より出でて我をかざる」と鎌倉時代の仏教の僧である日蓮の言葉にある通り、人は自分の言う言葉にはあまり敏感ではないようです。その代わり、人の言う言葉にはかなり敏感であるようです。
「後悔先に立たず」という言葉がありますが、そうならないためにも、自分が発した言葉によって、相手がどのように反応しているか、見極めながら話すことが大切です。発した言葉によって、相手がけげんな顔をした時は、まさに身をやぶっているのです。だから、顔色が変わったら、素早く、謝罪し言葉を換えるなり相手の心の暴走を押さえるよう心掛けましょう。
「口は禍の元」という言葉もありますが、時には黙っておいた方がいいこともあります。『キジも鳴かずば』は、不用意な発言は、自分自身に災いを招く結果になることから、言葉は十分に慎むべきであるとの戒めのお話です。
子どもに「言わない方がいいこともある」と教えるのはとても難しいことですが、このお話を伝えた上で説明をすると、今は腑に落ちないことかもしれませんが、いつかは納得する瞬間が訪れることでしょう。これこそが昔ばなしを通じた心の教育の面白いところであり、効果的なところでもあります。
『キジも鳴かずば』は、子どもが生きていくために必要な知恵を与えてくれるお話ということです。
まんが日本昔ばなし
『キジも鳴かずば』
放送日: 昭和51年(1976年)05月15日
放送回: 第0055話(第0032回放送 Aパート)
語り: 常田富士男・(市原悦子)
出典: 表記なし
演出: まるふしろう
文芸: 沖島勲
美術: 下道文治
作画: 鈴木欽一郎
典型: 由来譚
地域: 中部地方(長野県)/近畿地方(大阪府)
『キジも鳴かずば』は「DVD-BOX第7集 第31巻」で観ることができます。
最後に
今回は、『キジも鳴かずば』のあらすじと解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介しました。
『キジも鳴かずば』は、「口は禍の元」を超えた、深い慈悲を教えてくれます。現代を生きる私たちが、SNSなどでつい軽く発するつぶやきや日常の愚痴が、誰かの運命を狂わせるかもしれない──そんな恐怖と共感が静かに広がる物語です。ぜひ触れてみてください!










































