昔話『キジも鳴かずば』のあらすじ・解説・感想|おすすめ絵本
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 余計よけいなことをったばかりに、みずかわざわいをまねくことのたとえとして、「キジもかずはうたたれまい」ということわざがあります。後悔こうかいしないようにけようなどと、かる感覚かんかくめていたら、じつはこれには大変たいへんおもたい由来ゆらいがありました。『キジもかずば』は、その由来ゆらいのおはなしです。

 今回こんかいは、『キジも鳴かずば』のあらすじと解説かいせつ感想かんそう、おすすめ絵本えほんなどをご紹介しょうかいします!

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概要

 『キジもかずば』は、史実しじつはともかくとして、中部ちゅうぶ地方ちほう位置いちする長野県ながのけんながれる犀川さいがわかる久米路くめじばしにまつわる「犀川さいがわ人柱ひとばしら伝説でんせつ」をもとにした、とてもせつない民話みんわです。

 久米路橋は、平安へいあん時代じだい中期ちゅうき成立せいりつしたと推定すいていされる勅撰ちょくせん和歌集わかしゅう拾遺しゅうい和歌集わかしゅう』のなかで、「埋木うもれぎは なかむしばむといふめれば 久米路くめじはしこころしてゆけ」とまれるほどふるくから存在そんざいするはしです。

 また、長野県歌ながのけんか信濃しなのくに』にも久米路橋はうたわれます。

 かつてテレビで一大いちだいブームをつくった『まんが日本にっぽんむかしばなし』が、二見書房ふたみしょぼうより新装改訂版しんそうかいていばん登場とうじょう。『キジもかずば』のおはなしは『まんが日本昔ばなし だい2かん』のなか収録しゅうろくされています。

 東西とうざいむす位置いちし、日本にっぽん屋根やねといわれる信州しんしゅう自然しぜんのなかで伝承でんしょうされてきた民話みんわんだ『信濃しなの民話みんわ ([新版しんぱん]日本にっぽん民話みんわ 1)』は、自然しぜん人間にんげんたたかいがんだ祖先そせん英知えいち願望がんぼう結晶けっしょうです。

 オンデマンドばん長野県ながのけん民話みんわ (県別けんべつふるさとの民話みんわ)』は偕成社かいせいしゃより出版しゅっぱんされています。信濃国しなののくに(現在げんざい長野県ながのけん)は、神々かみがみ山々やまやまかこまれ、千曲川ちくまがわ天竜川てんりゅうがわながれくだり豊富ほうふみずゆうしています。そのひかかがやかみの水からまれた民話みんわを36へん収録しゅうろくしています。

あらすじ

 むかしむかし、犀川さいかわというかわのほとりに、ちいさなむらがありました。この村では毎年まいとしあきあめ季節きせつになると犀川が氾濫はんらんし、しばしばはしながされ、土手どてくずれ、田畑たはた冠水かんすいしました。そのため、村人むらびとらしはまずしく、年貢ねんぐおさめることもできず、村人は大変たいへんこまっていました。

 さて、この村には、弥平やへいという父親ちちおやと、お千代ちよというちいさいむすめんでいました。
 お千代の母親ははおやは、数年前すうねんまえ発生はっせいした大雨おおあめによる洪水こうずいんでしまいました。
 二人ふたりの暮らしはとても貧しいものでしたが、それでもちちむすめ毎日まいにち仲良なかよしあわせに暮らしていました。

 今年ことしも雨の季節がやってきました。
 そのころ、お千代はおも病気びょうきにかかっていましたが、弥平は貧乏びんぼうだったので医者いしゃぶことも出来できませんでした。
 「お千代、はや元気げんきになれよ。さああわかゆでもべて元気をしなさい」
弥平がお千代に食べさせようとしても、お千代はくびよこるばかりです。
 「ううん。わたし、もう、粟の粥はいらない。わたし、小豆あずきまんまが食べたい」
小豆まんまとは赤飯せきはんのことです。お千代の母親がまだきていたころ、たった一度いちどだけ食べたことがあるごちそうでした。

 弥平はなんとかそのねがいをかなえてやりたいとおもいましたが、こめ小豆あずきいえにあるわけがありません。

 弥平はているお千代のかおつめながら、しばらくかんがえていましたが、やがて決心けっしんするとちあがりました。
 「地主様じぬしさまくらになら、米も小豆もあるはずだ」

 こうして弥平は可愛かわいいお千代のために、まれてはじめてぬすみをはたらきました。
 地主じぬしくらから一掬いっきくの米と小豆を盗んだ弥平は、お千代に小豆まんまを食べさせてやりました。
 「お千代、小豆まんまだよ」
 「この小豆まんまは神様からの贈り物だから、絶対に他の人に言ってはならんぞ」
と言って、弥平はお千代のくちに小豆まんまをはこびました。
 「ありがとう、おとうちゃん。小豆まんまおいしい」

 さて、地主の家では米と小豆が盗まれたことに、すぐにがつきました。たいしたりょうではありませんでしたが、一応いちおう役人やくにんとどけました。

 小豆まんまのおかげか、お千代の病気はすっかりくなり、そとあそべるようになりました。

 弥平がはたけ仕事しごとかけているあいだ、
 トントントン
 おらんちじゃ、おいしいまんま食べたでな
 小豆の入った、小豆まんまを
 トントントン
とお千代は手毬唄てまりうたで、おとうさんが小豆まんまを食べさせてくれたことをうたってしまいました。

 お千代の手毬唄を、ちかくのはたけにいた百姓ひゃくしょういていましたが、さしてにもとめませんでした。

 そのよるからはげしいあめし、犀川はまたたくみずかさをがし、いまにもあふれんばかりになりました。
 村人むらびとたちは、村長そんちょうの家にあつまって相談そうだんしました。
 「人柱ひとばしらてるほかねえ」
と村人の一人ひとりいました。

 人柱とは、災害さいがいなどでくるしんでいる人々ひとびとが、きた人間にんげんをそのままつちなかめて、神様かみさま無事ぶじをおねがいするという、むかしおそろしい習慣しゅうかんです。
 土の中に埋められるのは、たいていなにわることをしたひとでした。

 「そういえば、この村にも悪人あくにんがおった」
と言ったのは、お千代の手毬唄を聞いた百姓でした。
 百姓は、村人たちに自分じぶんの聞いた手毬唄のはなしをしました。

 そのばんのうちに、弥平の家に村人たちがせてきました。有無うむを言わさずに弥平をらえると、乱暴らんぼううししばげました。
 「心配しんぱいするな。じきにかえってくる」
おびえるお千代にたいして弥平は言いましたが、弥平は“人柱”として川のほとりに埋められてしまいました。

 弥平が捕らえられ人柱にされた原因げんいんが、自分が歌った手鞠唄であったことをり、かなしみにくれるお千代は毎日まいにちつづけました。
 やがてある、お千代はくのをやめると、それからはだれとも口をかなくなってしまいました。

 それから何年なんねんもの年月ねんげつが流れました。

 ある日、一人の猟師りょうしがキジをりにやまへとはいりました。猟師がキジのこえを聞きつけて、鉄砲てっぽうとしました。猟師がキジの落ちたところにかうと、お千代がキジをいてっていました。
 「かわいそうに。キジよ、おまえ甲高かんだかこえで鳴いたりしなければ、撃たれることもなかったのに」
と言うと、つづけて、
 「わたしもひとこと言ったばかりにちちころしてしまった」
とつぶやきキジをやさしくなでました。
 猟師がり、
 「お千代、お前は口がきけたのか」
さけんだが、お千代はかえりもしないで、んだキジをむねきかかえたままはやしなかえていきました。

 その日からお千代の姿すがたは村から消え、だれ一人ものはいませんでした。

解説

 「人柱ひとばしら」とは人身御供じんしんくよう一種いっしゅです。はし堤防ていぼうしろなどの大規模だいきぼ建造物けんぞうぶつ災害さいがいによって破壊はかいされないことをかみ祈願きがんする目的もくてきで、建造物けんぞうぶつやその近傍きんぼうにこれとさだめた人間にんげんかしたままで土中どちゅうめたり水中すいちゅうしずめたりする風習ふうしゅういます。

 史実しじつはともかくとして、「人柱ひとばしら伝説でんせつ」は日本各地にっぽんかくちのこされています。
 有名ゆうめいなところでは、今回こんかいのおはなし舞台ぶたいとなった犀川さいがわかる久米路橋くめじばしと、近畿地方きんきちほう位置いちする大阪府おおさかふながれる淀川よどがわに架かる長柄橋ながらばしです。

 大阪府の淀川に伝承でんしょうされているおはなしは、仁徳天皇にんとくてんのう時代じだいに「淀川よどがわ水害すいがいふせぐために人柱ひとばしらてた」と奈良時代ならじだい成立せいりつした日本にっぽん歴史書れきししょ日本書紀にほんしょき』に記載きさいがあり、これが人柱のはじまりとされています。

 神様かみさまかぞえるさいに“はしら”という言葉ことばもちいるなど、神道しんどうにおいて柱は特別とくべつ意味いみっています。いえ中心ちゅうしんとなるもっと重要じゅうような柱を大黒柱だいこくばしらびますが、これはもともと、柱を七福神しちふくじん一人ひとりとしてられ大黒様だいこくさまとしてしたしまれる大黒天だいこくてんになぞらえているからです。

 人柱にも、たんなるかみへのささげものというだけではなく、「んで霊魂れいこんかみになる」という意味いみふくまれているとかんがえられます。

 つまり人柱は、“ばれし名誉めいよある立場たちば”ということです。ただし、められるものにとっては、たまったものではありませんが。

感想

 「わざわいはくちよりでてやぶる、さいわいはこころよりでてわれをかざる」と鎌倉時代かまくらじだい仏教ぶっきょうそうである日蓮にちれん言葉ことばにあるとおり、ひと自分じぶんう言葉にはあまり敏感びんかんではないようです。そのわり、ひとの言う言葉にはかなり敏感であるようです。

 「後悔こうかいさきたず」という言葉がありますが、そうならないためにも、自分がはっした言葉によって、相手あいてがどのように反応はんのうしているか、見極みきわめながらはなすことが大切たいせつです。発した言葉によって、相手がけげんなかおをしたときは、まさに身をやぶっているのです。だから、顔色かおいろわったら、素早すばやく、謝罪しゃざいし言葉をえるなり相手のこころ暴走ぼうそうさえるよう心掛こころがけましょう。

 「くちわざわいもと」という言葉もありますが、ときにはだまっておいたほうがいいこともあります。『キジもかずば』は、不用意ふようい発言はつげんは、自分自身じぶんじしんわざわいをまね結果けっかになることから、言葉は十分じゅうぶんつつしむべきであるとのいましめのおはなしです。

 どもに「わないほうがいいこともある」とおしえるのはとてもむずかしいことですが、このお話をつたえたうえ説明せつめいをすると、いまちないことかもしれませんが、いつかは納得なっとくする瞬間しゅんかんおとずれることでしょう。これこそがむかしばなしをつうじたこころ教育きょういく面白おもしろいところであり、効果的こうかてきなところでもあります。

 『キジも鳴かずば』は、子どもがきていくために必要ひつよう知恵ちえあたえてくれるお話ということです。

まんが日本昔ばなし

キジもかずば
放送日: 昭和51年(1976年)05月15日
放送回: 第0055話(第0032回放送 Aパート)
語り: 常田富士男・(市原悦子)
出典: 表記なし
演出: まるふしろう
文芸: 沖島勲
美術: 下道文治
作画: 鈴木欽一郎
典型: 由来譚ゆらいたん
地域: 中部地方(長野県)/近畿地方(大阪府)


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 かつてテレビで一大いちだいブームをつくった『まんが日本昔にっぽんむかしばなし』のなかから傑作けっさく101厳選げんせんした書籍しょせき分冊版ぶんさつばん講談社こうだんしゃより出版しゅっぱんされています。『キジもかずば』が収録しゅうろくされています。

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最後に

 今回こんかいは、『キジもかずば』のあらすじと解説かいせつ感想かんそう、おすすめ絵本えほんなどをご紹介しょうかいしました。

 日本にっぽん大雨おおあめ台風たいふうおお地域ちいきには、「人柱ひとばしらたないと梅雨つゆけない」という言葉ことばがあるそうです。近年きんねん、日本では異常いじょう気象きしょう毎年まいとし発生はっせいし、たびたび犠牲者ぎせいしゃます。『キジも鳴かずば』は、防災ぼうさい対策たいさくをさらに前進ぜんしんさせて、人柱ひとばしらというかなしい言葉は死語しごにしたいというねがいがめらたおはなしです。ぜひれてみてください!

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