主人公の八郎太郎が、「食べ物は必ず分かち合う」という“山の掟”を破り、大きな龍になったことから物語は始まります。『八郎潟の八郎』は、青森県・岩手県・秋田県の北東北三県にまたがり、十和田湖・田沢湖・八郎潟の三つの湖を舞台とした壮大な物語です。
今回は、『八郎潟の八郎』のあらすじと内容解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介します!
概要
『八郎潟の八郎』は『三湖物語』や『三湖伝説』と呼ばれ、東北地方に位置する青森県・岩手県・秋田県にまたがる壮大な伝説です。
主に青森県十和田市と秋田県鹿角郡小坂町にまたがる十和田湖が舞台の中心ではありますが、そこに田沢湖と八郎潟が加わり、まさに秋田県下を股にかける壮大な伝説として、秋田県を始め、北東北三県の全域で語り継がれています。
あらすじ
むかしむかし、鹿角の草木に、力自慢で大男の八郎太郎という若者がおりました。八郎は働き者で、心優しい親孝行の若者でした。
ある日、マダという木の皮を剥ぐため、八郎は仲間の喜藤、三治と一緒に十和田の山奥へと入っていきました。山では、「仲間を置き去りにしない」「食べ物は必ず分かち合う」「収穫は平等に分配する」という三つの掟を守らなければなりませんでした。
十和田の山奥に入って数日が経ったある日、炊事当番の八郎が、川でイワナを三匹捕まえました。八郎はイワナを串に刺して焼きました。やがて美味しそうな香りに我慢できず、仲間の分のイワナまで全部食べてしまいました。
まもなく、焼け付くような喉の乾きが起こり、八郎は川に口をつけて、気がついたら三十三夜も川の水をガブガブ飲み続けていました。ふと、顔を上げて、沢に映った自分の姿を見て、八郎は驚きました。なんと、火の玉のような目で、体がどどっと膨れあり、体中がウロコに覆われた三十三尺の大きな龍に変わっていました。
やがて、戻った仲間は八郎の変わり果てた姿に驚きました。
自分の身に起こった報いを知った八郎は、涙を流し、
「両親のことをよろしく」
と仲間に頼んだ後、仲間に別れを告げました。
そして、沢の流れを堰止め湖を作り、その主となりました。
こうしてできた湖が十和田湖です。
長い年月、八郎は、静かで深く眠るがごとき紺碧の美しい十和田湖で暮らしていました。
そんなある日のこと、南祖坊という修行僧が十和田湖のほとりにやってきました。南祖坊は、「弥勒の出世」を願い、紀州国の熊野で修行を重ね、ついには法力を身につけるほどでした。
満願の夜、とろとろと社前で眠っていると、白髪の老人が現れて、
「お前の願いを聞き届けよう。しかし、そのためにはお前は龍にならねばならぬ。ここに片方の鉄の草鞋と鉄杖を与える。鉄杖に導かれるままに歩き、この鉄の草鞋と同じ物が見つかったら、そこがお前の願いを叶える永住の住処とせよ」
と言って消えました。
南祖坊は諸国を巡り、十和田湖にたどり着きました。ふと見ると、洞窟の中に鉄の草鞋がありました。
南祖坊は、
「ここが神様のお告げの場所か。ここを私の永住の住処とする」
と言い、目の前に広がる十和田湖を永住の地と考え、喜びました。そして、十和田湖の自籠岩に端座した南祖坊は、昼夜にかかわらず、絶えず法華経を唱え続けました。
そこに、八郎が姿を現しました。
「どうしてここへ来た。さっさと立ち去れ!」
と八郎の大きな声が天地にとどろきました。
「神様のお告げに従い、今日から私がこの湖の主となる」
と南祖坊は静かに答え、あわてずに珠数をもみ法華経八巻を唱えると、お経を八郎めがけて投げつけたのでした。
こうして、八郎と南祖坊の激しい戦いが始まったのでした。
八郎に向けて投げつけたお経の八万四千の文字が、一本一本の剣となって八郎に突き刺さりました。さらに法華経を衣の襟にさすと、南祖坊は九つの頭を持つ龍に姿を変え、八郎に向かって行きました。
互いにしのぎを削る二匹の龍の戦いは、七日七晩続きました。
さすがの八郎も南祖坊の法力に負けて、血を流しながら十和田湖を自らの血で真っ赤に染め、御倉山より這い上がり、どこへともなく逃げ去りました。
八郎との戦いに勝った南祖坊は、静かに十和田湖へと入っていきました。そして、十和田湖は南祖坊の永遠の住処となったのでした。
十和田湖を追われた八郎は、生まれ故郷の鹿角の里を見下ろしました。
「小坂川、大湯川、米代川が合流する錦木の雄神と雌神の間を堰止めれば、鹿角の盆地は大きな湖となり、そこを安住の地にできるかもしれない」
と八郎は考えたのでした。
そこで八郎は、毛馬内の茂谷山を縄を使って動かし、川の合流地点を堰止めようとしました。
この計画に驚いた鹿角の四十二柱の神々は、八郎を追い出すための相談をしました。
神々の行動を知った八郎は、
「神様に勝てるわけがない」
と言って、米代川を通って逃げました。
しばらく進むと、北からは籠山が南からは七座山が迫ってきました。そこは大変に景色の良い場所で、八郎は大そう気に入り、きみまち阪付近で米代川を堰止め湖を作り、そこを第二の安住の地にしました。
ところが困ったのは、地元の八柱の神々でした。神々は相談をして、一番賢い七座の天神様に任せることにしました。
七座の天神様は八郎を呼んで、
「八郎よ、力持ちと聞いているが、大きな石を投げて、私と力比べをしよう」
と持ちかけました。
天神様と八郎は近くにあった大きな石を投げ、力比べをしました。八郎が投げた石は米代川の水中に落ちましたが、天神様が投げた石は米代川をはるか越えていきました。
見事に勝った天神様は、弱気になった八郎に、
「米代川の下流の男鹿半島の方に、もっと広い場所がある。そこを住み家にしてはどうだ」
と勧め、
「一夜にして大湖水にしてやる」
と言うと、早速、天神様は、たくさんの使いの白ネズミを集め、八郎が米代川を堰止めて住む湖の堤防に穴を開けさせることにしました。
これに喜んだ下流の猫たちは、三日三晩、白ネズミたちを捕まえようと襲い続けました。
それを見兼ねた天神様は、猫たちを説得して、猫にノミをつけないと約束し、猫を紐で繋ぎ、ようやく白ネズミたちは堤防に穴を開けることができました。
白ネズミたちが開けた穴からは次々に水が流れ出し、それが大洪水となって、八郎は、その水の勢いに乗って米代川の下流へと進みました。
八郎は、日本海附近まで来て、天瀬川で湖を作るのに適した土地をようやく見つけました。
その時、八郎は人間の姿をしていたので、ずぶ濡れのまま、一夜の宿を求めて一軒の農家を訪ねました。年老いた心優しい夫婦が宿を提供してくれたので、八郎はお爺さんとお婆さんに、泊めてくれたことのお礼を述べると、自分が龍であることを伝えました。
さらに八郎は、天神様に言われたことが気になっていたので、
「明日の朝、鶏が鳴くと同時に大地が割れ、ここに大きな湖ができるから避難するように」
と老夫婦に言いました。
大変に驚いた老夫婦は、急いで荷物をまとめ始めました。
翌朝、「コケコッコー」と鶏が鳴くと、それと同時に轟音が響き渡り、地面がぐらぐらと揺れ、あちこちから水が溢れ出し、大洪水となりました。八郎は龍の姿となり、そして大地は瞬く間に大きな湖となりました。
急いで荷物を積み、舟を漕ぎ出そうとした時、お婆さんは糸巻きを家に忘れたことに気がつき、取りに戻ってしまいました。その時、お爺さんを乗せた舟は沖に流され、お婆さんは水に飲み込まれ溺れていました。
溺れるお婆さんを見つけた八郎は、お婆さんを助けようと水の中に入り、長い足先でお婆さんをすくい上げると、お婆さんは空中に舞い上がり、芦崎というところまで飛んでいきました。
お婆さんは助かりましたが、お爺さんとは離ればなれになってしまいました。
こうして一夜明けると、そこは大きな湖が出来上がり、八郎の永住の地となったことから、八郎潟と呼ばれるようになりました。
八郎潟を安住の地とした八郎でしたが、八郎潟は冬になると凍る湖でした。冬でも凍らない湖はないかと、八郎はあちこちを訪ねと、男鹿半島の北浦には冬も凍らない一の目潟があり、そこには美しい女神が棲んでいることを知りました。
そこで八郎は、一の目潟を冬の間の棲み家にしようと考えました。
一の目潟を訪れた八郎は、女神に心を動かされ、夜な夜な通うようになりました。
ところが女神は、一の目潟を八郎に奪われることを恐れ、京都出身で弓の名手の武内弥五郎真康に、
「八郎を追い払い、男鹿を安泰にして欲しい」
と頼みました。
さらに女神は真康に、
「八郎を追い払うことができたら、雨乞いのお札を授ける」
との約束をしました。
真康は女神の頼みを引き受け、
「八郎を追い払うには、どこに狙いを定めたらよいか」
と女神に尋ねると、
「八郎は寒風山の上から黒雲に乗って現れるので、それを目当てに矢を放てば良い」
と女神は答えました。
真康は先祖伝来の弓矢を携え、一の目潟のほとりの三笠の松に姿を隠し、八郎が現れるのを待ちました。そして、黒雲が現れた時、真康は矢を放ちました。
矢は八郎の左眼を射貫きました。
怒った八郎は体から矢を抜き、
「この恨みは子孫七代まで必ず片眼にする」
と言いながら、矢を真康めがけて投げ返しました。
矢は真康の左眼に当たり、以後、子孫七代まで左眼片眼であったといわれています。
さて、田沢湖のほとりの神成村に辰子という名の娘が暮らしていました。
辰子は類いまれな美しい娘であったが、いつの日か衰えていく若さと美しさを何とか保ちたいと願うようになりました。
そこで、永遠の美しさを手に入れようと、辰子は観音様に百夜の願掛けを始めました。
そして成就の夜、夢枕に観音様が現れて、
「辰子よ、お前の願いは人間として叶うことではないぞ」
と言うので、
「永遠の美しさを手に入れることが出来るのならば、人間でなくていいです」
と辰子が答えると、
「それほど言うのであれば願いを叶えてやる。田沢湖の畔に清い泉があるから、その水を飲めば、永遠の美しさを得られる」
と観音様は告げて姿を消しました。
辰子は泉を探し求め、ついに観音様のお告げの泉を発見し、水をすくって飲みました。すると辰子は、手足が伸びて見るも恐ろしい龍の姿に変わってしまいました。
辰子の母は、山に入ったまま帰らない辰子を何日も探しました。やがて田沢湖の畔で龍になった辰子と母は対面を果たしましたが、変わり果てた辰子は悲しむ母に泣く泣く別れを告げたのでした。
その際、母が別れを告げる辰子を想って投げた松明が、水に入るとクニマスという魚になりました。そして、辰子は田沢湖の主として暮らすようになりました。
ある日のこと、八郎は、八郎潟にやってきた渡り鳥から、田沢湖に人間から龍になった辰子の話を聞きました。八郎は、自分と同じ身の上の辰子に会ってみたいと思うようになりました。
そして、冬も押し迫ったある日、ついに辰子に会いに行こうと決心したのでした。八郎は、八郎潟のほとりで身だしなみを整えた後、川伝いに田沢湖へと向かったのでした。
霜月のあられが降る頃、田沢湖に到着した八郎は、
「田沢湖は水がきれいで、山の姿も素晴らしい。そして辰子姫はもっと美しい。ここで一緒に暮らしたい」
と想いを告げました。
辰子は八郎の訪れを喜び、想いを受け入れたのでした。それ以来、八郎は、冬の間は田沢湖を訪れ辰子と共に暮らし、春になると八郎潟に帰るようになりました。
ところがある年の冬、辰子に惹かれた十和田湖の主である南祖坊は、八郎と辰子の仲を引き裂こうと田沢湖に攻めてきました。しかし、辰子を必死で守る八郎の気迫に負けて、逃げていきました。
今でも冬になると、辰子は、八郎潟から会いにくる八郎のことを待ちこがれているそうです。
主の八郎がいなくなった八郎潟は、年を追うごとに浅くなり、逆に八郎と辰子が暮らす田沢湖は、冬でも凍ることなくなり、ますます深くなり、日本で一番深い湖になったそうです。
解説
『三湖物語』や『三湖伝説』と呼ばれる『八郎潟の八郎』は、十一のお話を収めた連作ですが、大きく分けると六つの話型に分類することができます。
まずはじめに、物語の全体像は以下の通りです。
第02話:八郎太郎は龍に姿を変え、仲間に別れを告げた
第03話:諸国を巡った修行僧の南祖坊が、八郎太郎に戦いを挑んだ
第04話:七日七晩の戦いの末、八郎太郎は敗れ去った
第05話:八郎太郎は、鹿角の里を追われた
第06話:八郎太郎は、七座の天神様と力比べをした
第07話:鶏が鳴くと同時に大地が割れ、八郎潟が誕生した
第08話:八郎太郎は、一の目潟の女神に会いに行こうとした
第09話:辰子は、永遠の美しさを求め、大蔵観音に願をかけた
第10話:八郎太郎は身だしなみを整え、辰子に会いに田沢湖へ向かった
第11話:八郎太郎は、辰子がいる田沢湖に入っていった
これを六つの話型に分類すると、以下の通りです。
二型:八郎太郎と南祖坊の戦い(第03話と第04話)
三型:人の心にかえった八郎太郎(第05話と第06話)
四型:八郎潟のできた話(第07話と第08話)
五型:田沢湖の生れた話(第09話)
六型:八郎太郎と辰子(第10話と第11話)
主人公である八郎太郎の悩みや苦しみ、喜びを描いた物語が、『八郎潟の八郎』です。
感想
「後悔をしたことがない」という人は、ほとんどいないでしょう。
生きていれば、何かしらの失敗をして、後悔することが多々あります。大小に関わらず、失敗というものは、思い出すだけで自己嫌悪に陥ります。
しかし、世の中で起きていることは、成功と失敗、喜びと悲しみの交錯ではないでしょうか。
どんなに悔いても過去は変わらないし、どれほど心配したところで未来もどうなるものでもありません。
だから、過去の行動について後悔して、まだ起こってもいない未来を心配するよりも、いま、現在に最善を尽くすことが大切だということです。
まんが日本昔ばなし
『八郎潟の八郎』
放送日: 昭和51年(1976年)11月06日
放送回: 第0093話(第0057回放送 Aパート)
語り: 市原悦子・(常田富士男)
出典: 表記なし
演出: 藤本四郎
文芸: 沖島勲
美術: 阿部幸次
作画: 阿部幸次
典型: 由来譚・変身譚・龍蛇譚・異類婚姻譚
地域: 東北地方(秋田県)
『八郎潟の八郎』は「DVD-BOX第1集 第2巻」で観ることができます。
最後に
今回は、『八郎潟の八郎』のあらすじと内容解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介しました。
伝説の八郎太郎を主役とし、壮大な物語である『八郎潟の八郎』は、決して「めでたしめでたし」で終わるものではありません。八郎の悩みや苦しみ、喜びが、青森県・岩手県・秋田県の北東北三県には、現在に至るまで連綿と語り継がれています。ぜひ触れてみてください!