『赤神と黒神』は、どうして津軽(青森県)と蝦夷の地(北海道)が離れ、その間に津軽海峡ができたのかという、日本の土地形成や由来の物語です。
今回は、『赤神と黒神』のあらすじと内容解説、感想などをご紹介します!
概要
『赤神と黒神』は、『赤神と黒神のけんか』とも呼ばれる“赤神と黒神の伝説”です。
東北地方に位置する秋田県の男鹿半島から青森県の竜飛岬と十和田湖に伝わる民話です。
どうして津軽(青森県)と蝦夷の地(北海道)が離れ、その間に津軽海峡ができたのかという、日本の土地形成や由来の物語であり、地方神話の雄大な物語でもあります。
また、季節ごとに彩り豊かな変化を見せる東北地方特有の景観と、その景観に調和しながら登場する神々の揺れ動く心のさまは、とにかく美しいです。
あらすじ
むかしむかし、美しい山に囲まれた十和田湖に、とても美しい女神が住んでいました。女神は、糸を紡ぎ機を織って暮らしていました。
きこたん ぱたとん
きこたん ぱたとん
機の音は、湖の岸辺のブナ森やエゾ松の林に響き、ときおり女神が美しい声で歌う唄は、靄の奥に眠る白い山や黒い谷へも流れていきました。
羽後国の男鹿半島には赤神が住んでいました。赤神は、笛を吹き、鹿の群れを追って暮らす、痩身の美青年でした。
赤神は、女神の美しい声を聞きつけて、雪解けの水が男鹿の海へ注ぐ頃、十和田湖へとやって来ました。そして、一目見るなり、赤神は女神を好きになりました。
それからというもの、赤神は、鹿をお使いにして、毎日、毎日、心優しい手紙を女神に送りました。
そして、手紙の最後には、
「どうか、私の妻になってください」
と必ず書いてありました。
しかし、
「嬉しいお申し出ですが、もう少し待ってください」
と女神はなかなか承知しませんでした。
さて、八甲田山のはるか遠く、陸奥国の竜飛岬には黒神が住んでいました。黒神は、氷で研いだ剣を腰に下げ、いばらのような髭を八方に突きだし、龍を従え、低い空と大地の間を治めていました。
黒神も、女神の歌う唄を聞きつけて、十和田湖へやって来ました。そして、一目見るなり、黒神も女神に魅了されました。
それからというもの、黒神も、毎日、毎日、龍に乗っては、海の幸、山の幸はいうにおよばず、手当たり次第の宝物を担いでは、女神のところを訪ねては、
「どうか、わしの妻になれ」
と言うのでした。
しかし、
「嬉しいお申し出ですが、もう少し待ってください」
と女神はなかなか承知しなかったのでした。
女神は悩みました。
この春、優しい赤神の真心を受けて、また黒神の雄々しい姿を目に浮かべ、女神の心は乱れるばかりでした。
そんな女神の姿を見ているうちに、赤神と黒神は、自分たちが神であることを忘れて、
「十和田の女神は私のものだ」
「いや、わしのものだ」
と声を荒げて争うようになった。
やがて、十和田湖にも夏がやってきた頃、争いは激しい戦に変わりました。
嵐を起こし龍を飛ばして襲ってくる黒神を、数知れぬ鹿の群れを率いて赤神は迎え撃ちました。
その時、みちのくの八百万の神は、津軽の岩木山に集まって、この戦の行く末を見守っていました。いつの間にか見物の神々も二つに分かれ、黒神の味方は山の右側に、赤神の味方は山の左側に集まり、それぞれの応援を始めたのでした。
七対三で黒神を応援する山の右側に陣取る神々の数の方が多く、その神々が手を打ち足を踏み鳴らして騒いだことで、岩木山の右の肩は、踏み崩されてやや低くなってしまいました。
さて、はるか戦の様を眺めると、力の差は歴然で、黒神の剣により燦々たる痛手を受けた赤神は、故郷の男鹿半島に逃げ帰りました。
そして、地上は、またたく間に赤神の血で紅葉に包まれてしまいました。
赤神は、
「もうこれまでだ。以後、再び世にあらわれることはないだろう」
と言うと、岩屋の中に身を隠してしまいました。
戦に勝った黒神は、急いで龍に飛び乗ると、女神を妻に迎えようと、十和田湖へ向かいました。
ところが、十和田湖のどこにも、女神の姿はありませんでした。
女神は、
「負けた赤神がかわいそう」
と言って、赤神の後を追いかけ、男鹿半島へ行き、赤神と一緒に岩屋の中に隠れてしまったのでした。
それを知った黒神は、石のような重い足取りで、津軽の竜飛岬へ帰って行きました。
戦には勝ちましたが、女神はもういません。
山々はひらひらと木の葉を落とし、空には雪が舞い始めました。
黒神は、優しい女神を忘れることもできず、やがて十和田湖には背を向けて、北へ向かって大きな“ため息”をつきました。
そのため息はもの凄く、大地がメリメリと音を立てて裂け、そこに海の美しい白い泡の波が流れ込み、この時から津軽と蝦夷は離れてしまい、今の津軽海峡が出来ました。
解説
日本地図を広げてみると、秋田県北西部には日本海に突き出した男鹿半島があります。
男鹿半島は、秋田県の中でも最も早く開かれた地域で、歴史も古く、奈良時代に成立した日本で最も古い史書の一つである『日本書紀』にも登場します。
男鹿半島西部の男鹿三山(真山・本山・毛無山)は、山岳信仰の霊場として名高く、貴重な社寺建造物や仏像など県・国指定の文化財が多く残されています。
秋田県に伝わる“なまはげ伝説”もここから生まれました。
男鹿三山は、真山から本山を経て毛無山までは登山道が伸び、縦走することができます。
そして、男鹿三山の本山には、物語に登場する赤神を祀る赤神神社が鎮座します。
赤神神社は、一般には赤神神社五社堂として知られます。赤神神社の拝殿から、鬼が一晩で築き上げたと伝わる九百九十九段の険しい石段を登ると、その先に国の重要文化財に指定されている赤神神社五社堂が現れます。
ちなみに、神社に祀られているのは赤神だけで、黒神と女神は祀られていません。
感想
秋田県には、『赤神と黒神』のような、こんなにも雄大な神々の物語があることに驚き、そして計り知れない魅力を感じます。
その土地の形成や由来に関する物語は数多くありますが、これほど大らかな物語は珍しいのではないでしょうか。
今から約二万年前の氷河期には、海水面が氷結したことで、130~140mほど海水面が下がり、本州と北海道は陸続きになっていたとの説があるそうです。
ところが、縄文時代には、本州と北海道との間には、すでに現在のような津軽海峡が形成され、日本海を北上する対馬海流が分かれ、津軽海峡をとおり黒潮と合流していたそうです。
『赤神と黒神』の中にあるように、黒神が青森県にある津軽半島の竜飛岬へ帰り、北へ向かってついた“ため息”が、氷河期の氷を溶かす暖かな風であったように、古代の日本人の真っ直ぐな心が温かく伝わってくる物語です。
まんが日本昔ばなし
『赤神と黒神』
放送日: 昭和51年(1976年)09月18日
放送回: 第0082話(第0050回放送 Aパート)
語り: 常田富士男・(市原悦子)
出典: 表記なし
演出: 杉田実
文芸: 杉田実
美術: 馬郡美保子
作画: 馬郡美保子
典型: 神話・由来譚
地域: 東北地方(秋田県)
最後に
今回は、『赤神と黒神』のあらすじと内容解説、感想などをご紹介しました。
『赤神と黒神』は、秋田県から青森県の歴史と民話に親しめることと同時に、女神をめぐる赤神と黒神との争いの中で、「真の勇気」とは何かについて考えさられる物語です。ぜひ触れてみてください!