『河童の雨ごい』は、世の非情さや理不尽さを象徴するお話です。救いがないという辛い内容ですが、逆に考えれば、それだけ死が身近にあるということでものであり、死を“穢れ”の対象とは捉えず、しっかりと向き合い、生きていくために活かすという仏教の教えに通じるお話です。
今回は、『河童の雨ごい』のあらすじと解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介します!
概要
『河童の雨ごい』にあるような、雨乞いをはじめとした、河童が人間の手伝いをする河童伝承の民話は、関東地方に位置する栃木県、群馬県、神奈川県や中部地方に位置する静岡県など、日本各地に類話が存在します。
その中でも特に有名なものが、栃木県芳賀郡益子町にある妙伝寺に伝わる河童伝説です。妙伝寺には雨乞いの河童が供養され、現在も河童のミイラが安置されていると伝わります。
さて、日本には多くの妖怪が存在しますが、河童はその中でも特に知名度の高い妖怪です。
日本の妖怪の中では稀なことではありませんが、河童は恐れられている反面、不思議なほど親近感を持って語られてきました。
親近感が持たれるということは、河童がなんらかの形で人間と交渉を持ってきたことと無関係ではありません。『河童の雨ごい』もそんな人間との交渉を題材にしたお話です。
あらすじ
むかしむかし、あるところに、森に囲まれた小さな村がありました。その森に古い沼があって、一匹の河童が住んでいて、村人たちに悪さばかりしていました。
ある日、旅のお坊さんが河童の住む沼を訪れ、なぜ悪さをするのか聞いてみると、
「自分がこの姿で生まれてきたこと悲しんで暴れまわっているのです」
と河童は答えました。
それを聞いたお坊さんは、
「そんなことをせずに、生きているうちに人の役に立つことをしなさい」
と河童に諭してお坊さんはその場を去りました。
その年の夏、村では日照りが続き、村人たちは毎日のように雨乞いをしましたが、いっこうに効果がありませんでした。
すると、そこへ河童が現れました。
村人たちは、日頃の恨みを果たしてやろうと、狂ったように河童に襲いかかり、殴ったり蹴ったりと河童を打ちのめしました。
しかし、河童は全く抵抗しませんでした。
しばらくして、河童は、荒縄でぐるぐる巻きに縛られて、村人たちの前に放り出されました。
半死半生の目に会わされた河童がやっと顔を上げて、
「一緒に雨乞いをさせて欲しい」
と村人たちに河童は頼みました。
村人たちは、藁にもすがる思いで河童にも雨乞いをお願いしました。
河童は天に向かって雨乞いを始めました。
「神様、お願いです。オラの命と引き換えに、村に雨を降らせてください」
河童の雨乞いは何日も続き、その間、水も食べ物も口にすることはありませんでした。
数日経ったある日、空にゴロゴロと雷が鳴り、大粒の雨がポツポツと降ってきて、雨はみるみる激しさを増し、やがて滝のように降り始めました。
しかし、その時、河童は雨に打たれながら既に死んでいました。
夏も終わり、旅のお坊さんがまた村を訪れ、村人たちから河童の雨乞いの話を聞きました。そして、お坊さんから人間になりたかった河童の話を聞いた村人たちは、沼のそばに小さな河童のお墓を立てて、後々まで語り伝えたのでした。
解説
奈良時代に成立した日本の歴史書『日本書紀』の中に「雨乞い」の記述であるので、日本でもかなり古い時代から雨乞いは行なわれていたと考えられます。
平安時代末期に成立したとされる『今昔物語集』には、干ばつが続いていた天長2年(824年)に弘法大師(空海)が神泉苑(京都府京都市中京区)で「請雨経法」と呼ばれる雨乞いを七日間行ったところ、凡人には見えない霊験あらたかな龍が現れ、無事に雨が降ったと記されています。
ところで、河童は鬼や天狗と並んで日本の妖怪の中で最も有名なものの一つとされます。川や沼の中に住み、体格は子どものようで、全身は緑色または赤色とされ、頭頂部に皿があるとされます。いつも水で濡れており、頭の皿が乾いたり割れたりすると力を失ったり死んだりするといわれています。
河童の好物はキュウリです。これにちなみキュウリを巻いたお寿司のことを「カッパ巻き」と呼ぶようになりました。
ちなみに、なぜ河童がキュウリを好むかというと、キュウリは初なりの野菜として水神信仰の供え物に欠かせないものの一つとされます。水の中に住む河童のキュウリ好きは、それに由来するといわれています。
さて、『河童の雨ごい』は、日本において江戸時代に確立された「穢多」という身分制度が深く関係しているように感じます。
穢多は、江戸時代の政治支配体制である幕藩体制を維持するため、封建的身分制度の最下層に位置づけられてきました。そして、非人道的に身分・職業・住居を固定され、皮革・死刑執行・斃牛馬の処理にあたらされました。
主人公の河童は、そのような賤民階級の家系に生まれた者の象徴として描かれているように感じてなりません。
感想
人が何度も生死を繰り返し、新しい生命に生まれ変わるという思想があります。これは仏教における死生観で、「輪廻転生」や「六道輪廻」と表現されます。
人の運命は、自分の“業”が原因となって、「因果の道理にしたがって生みだしている」と仏教では教えています。
善い行いは善い運命を生みだし、悪い行いは悪い運命を生みだします。
しかし、ひとたび業を造ってしまうと、そこから生み出される運命は避けることができません。
造り出されてしまった業は必ず生えるということです。
つまり、善い行いも悪い行いも、寸分の狂いもなく強烈な力で因果応報の報いを引き起こすということです。
また、仏教では“自業自得”という教えがあります。これは、「自」という漢字が使われているように、「原因はすべて自分にある」という考えです。
ところで、家庭環境が裕福な人もいれば貧しい人もいます。頭の良い人もいれば悪い人もいます。人は生まれながらにして差があり不平等であると感じることがあります。
では、そのような差が生じてしまう原因は何でしょうか。
仏教では、それを「自分の“業”が原因」と教えているのです。
このような仏教の教えに従うと、輪廻転生が本当に行なわれているのではないかと思えてなりません。
つまり、前世の結果が現世なのであれば、河童の来世は幸せということです。
そして、『河童の雨ごい』は、今を精一杯生きることが幸せにつながると教えているのでしょう。
まんが日本昔ばなし
『河童の雨ごい』
放送日: 昭和51年(1976年)06月12日
放送回: 第0061話(第0036回放送 Aパート)
語り: 市原悦子・(常田富士男)
出典: 表記なし
演出: 杉田実
文芸: 沖島勲
美術: まるふしろう
作画: 高橋信也
典型: 因果応報譚・河童譚
地域: -
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『河童の雨ごい』は「DVD-BOX第1集 第1巻」で観ることができます。
最後に
今回は、『河童の雨ごい』のあらすじと解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介しました。
『河童の雨ごい』は、今を精一杯生きることの大切さを考えさせられる物語です。ぜひ触れてみてください!