昔話『山んばの嫁さん』のあらすじ・内容解説・感想|おすすめ絵本
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 ちちれてもれない
 ちちれてもれない
 『やまんばのよめさん』は、人間にんげんいだく「らくをしたい」という願望がんぼうが、とき予想よそうがい結果けっかまねくことをおしえるとともに、人間にんげん異界いかい存在そんざいとのかかわりをえがいたおはなしです。

 今回こんかいは、『やまんばのよめさん』のあらすじと内容ないよう解説かいせつ感想かんそう、おすすめ絵本えほんなどをご紹介しょうかいします!

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概要

くわずにょうぼう こどものとも傑作集 稲田和子 赤羽末吉 福音館書店 『やまんばのよめさん』は、『くわずにょうぼう』や『山姥やまんば桶屋おけや』ともばれ、日本にっぽん中部ちゅうぶ地方ちほうぞくする福井県ふくいけん若狭わかさ地方ちほう位置いちする遠敷郡おにゅうぐん上中町かみなかちょう新道しんどう(現在げんざい三方上中郡みかたかみなかぐん若狭町わかさちょう新道しんどう)につたわるおはなしです。

 『やまんばのよめさん』は、まずしいおとこが「めしわずにはたらいてくれるよめしい」とねがうと、「めしわなくてもきていける」と不思議ふしぎおんなとの奇妙きみょう出会であいからおはなしはじまります。

 そして、おんなおどろくべき正体しょうたい発覚はっかくと、おとこいのちがけの逃走とうそうげきへと展開てんかいする劇的げきてきでスリリングな結末けつまついたるおはなしです。

 また、おはなしなか登場とうじょうする「ちちれてもれない」という印象いんしょうてきなフレーズは、危機ききてき状況じょうきょうでのユーモアと知恵ちえ象徴しょうちょうしており、よく好奇こうきしん危険きけんせい機転きてん重要じゅうようせいといった教訓きょうくんせいきわたせています。

 『やまんばのよめさん』は、昭和しょうわ52ねん(1977ねん)8がつにテレビアニメ『まんが日本にっぽんむかしばなし』でアニメされ、視聴しちょうしゃこころつよ印象いんしょうのこしました。

 奇妙きみょう山姥やまうば姿すがたは、アニメよりも原話げんわむことでふかみをし、福井県ふくいけん民話みんわおくぶかさに魅了みりょうされます。

 『やまんばのよめさん』 をめば、家族かぞくやお友達ともだちと「そんなバカな!」とわらいながら、むかしばなし魔法まほうひたれること間違まちがいありません。

 さあ山姥やまんば不思議ふしぎなおはなしがあなたをっています!

 絵本えほんくわずにょうぼう (こどものとも傑作けっさくしゅう)』は、福音館ふくいんかん書店しょてんから出版しゅっぱんされています。稲田いなだ和子かずこさんのぶんは、シンプルでリズミカルな文体ぶんたいむかしばなしかたぐち見事みごと再現さいげんし、あたたかみと臨場りんじょうかんちています。そして、リズミカルなぶんりなす世界せかい再現さいげんした赤羽あかば末吉すえきちさんのによって、ちからづよくも繊細せんさい筆致ひっちえがかれた鬼婆おにばばおそろしい姿すがたや、山村さんそん素朴そぼく風景ふうけいは、ページをめくるたびにこころつかまれます。とくに、鬼婆おにばばおおきなくちにぎめしべる場面ばめんは、迫力はくりょくとユーモアが共存きょうそんし、どもたちの想像そうぞうりょく刺激しげきすることでしょう。日本にほんやまおくからとど物語ものがたりが、あなたのこころあらたな冒険ぼうけんこします。

 絵本えほんくわずにょうぼう (行事ぎょうじむかしむかし)』は、佼成こうせい出版しゅっぱんしゃから出版しゅっぱんされています。5がつ5にちの「端午たんご節句せっく」に、菖蒲しょうぶはいるようになった由来ゆらいのおはなしです。たに真介しんすけさんは、むかしばなしかたぐち大切たいせつにしつつ、ぶんみじかくリズミカルにすることで、恐怖きょうふわらいが交錯こうさくする展開てんかいでありながらも、どもでも理解りかいできるよう工夫くふうしています。赤坂あかさか三好みよしさんは、色彩しきさいゆたかなうえきとしているので、山村さんそん風景ふうけい山姥やまんば気味きみ姿すがた版画はんがによってあざやかに表現ひょうげんしています。おそろしい山姥やまうばのおはなしであるのに、ユーモラスであたたかい文体ぶんたい版画はんがりなす雰囲気ふんいきによって、こころかるくなるてん魅力みりょくひとつです。むかしばなし伝統でんとう現代げんだい絵本えほんたのしさが融合ゆうごうしているので、日本にっぽん伝統でんとう文化ぶんかれながら、むかしばなし魔法まほうひたることができる一冊いっさつです。

 かみ芝居しばいくわず女房にょうぼう (民話みんわかみしばい傑作けっさくせん)』は、童心社どうしんしゃから出版しゅっぱんされています。5がつ5にちの「端午たんご節句せっく」に、菖蒲しょうぶはいるようになった由来ゆらいのおはなしです。松谷まつたにみよさんのぶんは、かたぐち丁寧ていねい再現さいげんし、どもたちにもしたしみやすい言葉ことば物語ものがたりつむぎます。そこに、長野ながのヒデさんが、山姥やまんば気味きみさとユーモラスな表情ひょうじょう山村さんそんうつくしさをきとえがいたかさなることで、どもがこわがりすぎない絶妙ぜつみょうなバランスを実現じつげんしています。こえうごきと、どもたちの笑顔えがおおどろきの反応はんのう一体いったいとなるライブかんが、かみ芝居しばいならではの魅力みりょくであり、物語ものがたりをさらにたのしくします。山姥やまんば奇妙きみょう行動こうどう結末けつまつ軽妙けいみょうさによって、最後さいご笑顔えがおになれる紙芝居かみしばいです。

 『若狭わかさ越前えちぜん民話みんわ だい1しゅう ([新版しんぱん]日本にっぽん民話みんわ 44)』は、未來社みらいしゃから出版しゅっぱんされています。話者わしゃかたりを丁寧ていねい収録しゅうろくし、方言ほうげん素朴そぼく表現ひょうげんきとつたわります。ページをめくるたびに、若狭わかさ越前えちぜんやまかわ、そこでらした人々ひとびといきづかいをかんじ、まるでタイムスリップしたような気分きぶんになります。「やまんばのよめさん」など、文化ぶんかかおゆたかな民話みんわ17へん気品きひんあるわらべうた37へん収録しゅうろくされています。どもには不思議ふしぎ冒険ぼうけん物語ものがたりとして、大人おとなには日本にっぽん文化ぶんか遺産いさん先人せんじん知恵ちえれる機会きかいとして、はばひろ世代せだいたのしむことができる一冊いっさつです。

あらすじ

 むかしむかし、若狭国わかさのくに遠敷おにゅうやまおくに、まずしいこりのおとこらしていました。

 おとこは、毎日まいにちやまかけてり、それをまちって生計せいけいてていましたが、かせぎはわずかで、ひと生活せいかつさびしく、まずしさからせずにいました。

 あるおとこはいつものようにやまっていました。

 おとこつかれていたので、
 「めしわずにはたらいてくれるよめがいたらなぁ~」
とためいきまじりにつぶやきました。

 この何気なにげない一言ひとことが、のち不思議ふしぎ出来できごとせるきっかけとなります。

 その夕方ゆうがたおとこいえかえると、らぬおんないえまえっていました。

 おんなうつくしく、おだやかなこえで、
 「おまえさんがめしわずにはたらいてくれるよめしいとったのをいて、やまからてきました。私はめしわずともきていけます。どうか、私をよめにしてください」
おとこたのみました。

 おとこおどろきながらも、まずしいことから、こめあたえる余裕よゆうはなかったので、めしべないという条件じょうけん非常ひじょう魅力みりょくてきでした。

 また、おとこうつくしくおだやかなおんなにもこころかれたので、
 「本当ほんとうめしわなくていいのか」
たずねると、
 「はい、べなくても大丈夫だいじょうぶです」
おんなこたえました。

 半信はんしん半疑はんぎながらも、おんなやさしそうな態度たいどこころうごかされ、おとこおんないえむかれ、夫婦ふうふとしてらすことにしました。

 おんなはたらもので、ちからづよやま仕事しごと家事かじ手伝てつだいました。

 それなのに、おとことの約束やくそくどおり、おんな一切いっさいめしべませんでした。

 おんな一切いっさいめしべないにもかかわらず、はたけたがやし、り、おも荷物にもつはこぶので、おとこおどろくほどらくになり、らしはみるみるゆたかになりました。

 村人むらびとたちも
 「なんてはたらものよめだろう」
感心かんしんし、おとこしあわせをかんじるようになりました。

 しかし、おとここころには、
 「本当ほんとうなにべずにきられるのか?なに秘密ひみつがあるのではないか?」
次第しだい疑問ぎもんはじめました。

 あるおとこは、仕事しごとかけるふりをして、こっそりいえもどり、おんな様子ようすのぞいてみることにしました。

 すると、おんな台所だいどころかくしていた米櫃こめびつけ、大量たいりょうめしき、いくつものにぎめしつくりました。

 そして、おんなたばねていたかみをほどくと、あたまのてっぺんにおおきなくちあらわれました。

 そのくちへ、おんなにぎめしつぎからつぎへとほうんでいきました。

 すっかりにぎめしわると、もとどおりにかみたばねて、もとうつくしくておだやかなおんなもどったのでした。

 その様子ようすて、こわくなったおとこは、
 「こいつは山姥やまんばだったか!はやさなければ!」
おとこおもいました。

 そして、よる仕事しごとからかえったふりをしたおとこは、
 「おまえはうちの女房にょうぼうにはかない。なんでもやるからってくれ」
おんないました。

 「それならきますので、さとかえまえに、どうかおおきなおけをひとつこしらえてください」
おんなおとこいました。

 おんなが、意外いがいにもおとこもうをあっさりれたので、
 「おけならおやす御用ごようだ」
って、おとこおんなのためにおおきなおけつくりました。

 すると山姥やまんばおんなは、出来できがったおおきなおけおとこれると、そのおけをかついでやまかいました。

 おとこは、なんとかおけからそうとこころみましたが、なかなかることができませんでした。

 しばらくすると、山姥やまんば山道やまみちかってやすみました。

 おおきなえだ頭上ずじょうえたので、おとこはそのえだびついて、なんとかおけからすことができました。

 そうとはらず、ひとやすみをえた山姥やまんばは、からっぽのおけかついで、さらにやまおくへズンズンすすんでいきました。

 さとかえると、山姥やまんばは、みんなでおとこべるため、山姥やまんばどもたちをびました。

 しかし、山姥やまんばおけけると、なかからっぽでした。

 おとこげたことにづいた山姥やまんばは、
「おまえってやる!」
さけび、おこりながらすさまじいいきおいでもとみちもどり、おとこいかけました。

 山姥やまんばもどってたことにづいたおとこは、必死ひっしげましたが、
 「このままではいつかれてしまう」
おもい、ちかくのおおきなのぼってかくしました。

 うえにいるおとこつけた山姥やまんばは、するどつめたおそうとしましたが、頑丈がんじょうでなかなかたおれませんでした。

 すると、山姥やまんば自分じぶんおおきなちちすと、そのちちまわし、ろうと、まるでおののようしてちちにぶつけはじめました。

 おとこ恐怖きょうふなかから咄嗟とっさに、
 「ちちれてもれない!ちちれてもれない!」
何度なんどとなえました。

 すると、不思議ふしぎなことに、山姥やまんばちちがブチッと千切ちぎれ、どこかへんでいきました。

 山姥やまんばは、
 「いたいよー!」
さけびながらやまおくへとげていきました。

 おとこいのちたすかりました。

 いえもどったおとこは、米櫃こめびつると、なかはすっかりからっぽになっていました。

 それでも、山姥やまんばはたらいてくれたおかげで、こめたくわえがすこのこっており、おとこはそのもなんとからすことができました。

 そして、おとこは、あの不思議ふしぎよめとの日々ひびおもすたび、
 「めしわずにはたらくなんて、そんな都合つごうのいいはなしはないものだ」
にがわらいするのでした。

解説

 土偶どぐうは、縄文じょうもん時代じだいつくられた、土製どせい人形にんぎょうです。

 乳房にゅうぼう臀部でんぶ誇張こちょうされていることから、土偶どぐうのほとんどは女性じょせいぞうであるとされています。

 そして、土偶どぐうは、生命せいめいはぐく女性じょせい神秘しんぴちから表現ひょうげんし、呪術じゅじゅつ祭祀さいし道具どうぐとして豊穣ほうじょう出産しゅっさんいのるためにもちいられたとかんがえられています。

 土偶どぐうとして表現ひょうげんした、有難ありがた女性じょせい姿すがたを、ただ土偶どぐうによってあらわしただけではなく、色々いろいろ形式けいしき土器どきによっても、表現ひょうげんしていたのではないかとかんがえられています。

 縄文じょうもん時代じだい中期ちゅうきころつくられ、きの用具ようぐかんがえられている「深鉢ふかばち」とばれるかた土器どきなかには、土器どき口縁こうえん土偶どぐうかおとよくひとかおあらわしたかざりがけられたものがあります。

 この深鉢ふかばちは、「顔面がんめん把手とってつき深鉢ふかばちがた土器どき」とばれています。

 さて、『やまんばのよめさん』に登場とうじょうする山姥やまんばは、あたま天辺てっぺんおおきなくちっていて、そこから大量たいりょう食物しょくもつを、あっという身体しんたいなかんでしまうことがかたられています。

 顔面がんめん把手とってつき深鉢ふかばちがた土器どきばれる深鉢ふかばちがた土器どきは、かんがえようによっては、天辺てっぺんおおきくひらいたくちっていて、そこから大量たいりょう食物しょくもつなどを土器どき体内たいないれていたととらえることもできます。

 まさに顔面がんめん把手とってつき深鉢ふかばちがた土器どきは、『やまんばのよめさん』に登場とうじょうする山姥やまんばとピッタリ合致がっちしているのではないでしょうか。

 また、『やまんばのよめさん』に登場とうじょうする山姥やまんばは、巨大きょだい乳房ちぶさち、その乳房ちぶさ使つかってろうとします。

 山姥やまんば乳房ちぶさ絶大ぜつだいちからがあるとかんがえられていたてんでも、縄文じょうもん時代じだい土偶どぐう土器どきあきらかに符合ふごうするところがられます。

 さきにもべたように、縄文じょうもん時代じだい土偶どぐうは、乳房にゅうぼう臀部でんぶ誇張こちょうされてつくられ、「母神ぼしんてき女神めがみ」としてあがめられていました。

 つまり、縄文じょうもん時代じだい中期ちゅうきころに、すでに日本にっぽんあがめられていた母神ぼしんてき女神めがみが、民間みんかんでは山姥やまんばという気味きみ妖怪ようかい変化へんかし、民話みんわとして人々ひとびとあいだくちづたえに脈々みゃくみゃく継承けいしょうされてきたとってもいでしょう。

顔面把手付深鉢型土器 縄文時代
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感想

 『やまんばのよめさん』は、その奇妙きみょうでユーモラスなストーリーの展開てんかいこころつかまれ、もの一気いっき物語ものがたり世界せかいへとまれます。

 それは、「めしわずにはたらいてくれるよめしい」というまずしいおとこ素朴そぼくねがいが、「めしわなくてもきていける」という異界いかい山姥やまんばとの出会であいにつながり、最後さいご恐怖きょうふわらいが交錯こうさくする展開てんかいだからでしょう。

 とくに、クライマックスの「ちちれてもれない」というフレーズは、危機的ききてき状況じょうきょうでのおとこ機転きてんひか瞬間しゅんかんにはこころおどります。

 山姥やまんばちちれるという奇抜きばつ内容ないようは、こわさのなかにもおもわずわらってしまうユーモアがあり、むかしばなしならではの自由じゆう想像そうぞうりょく感動かんどうします。

 この『やまんばのよめさん』は、福井県ふくいけん若狭わかさ地方ちほうやまぶか風土ふうどらしを背景はいけいまれ、まずしさやよく好奇こうきしん危険きけんせいおしえています。

 そして、おとこおんな正体しょうたい山姥やまんばであるとったことで、おとこいのち危機ききひんする展開てんかいは、まさに「らぬがほとけ」と「るが煩悩ぼんのう」というついをなした“ことわざ”をつたえる普遍ふへんてきなテーマもあります。

 現代げんだいきる人々ひとびとにも、「らくもとめるこころ」や「軽率けいそつ行動こうどう」へのいましめとしてひびきます。

 それでいて、山姥やまんば巨大きょだいにぎめしべる場面ばめんちちろうとする姿すがたは、どこか愛嬌あいきょうがあり、恐怖きょうふしたしみやすさが絶妙ぜつみょう共存きょうそんしています。

 福井県ふくいけん若狭わかさ地方ちほう風土ふうどらしが反映はんえいされた民話みんわなので、地域ちいき歴史れきし先人せんじん知恵ちえかんじる貴重きちょう機会きかいであり、奇抜きばつ自由じゆう想像そうぞうりょくちたむかしばなしは、現代げんだいいそがしい日常にちじょういやしとおどろきをもたらします。

 どもから大人おとなまで、んだだれもがおどろきとわらいにつつまれるので、かせやかたいに最適さいてきであり、家族かぞく会話かいわはずむおはなしが『やまんばのよめさん』であるとおもいます。

まんが日本昔ばなし

やまんばのよめさん
放送日: 昭和52年(1977年)08月20日
放送回: 第0157話(0097 Aパート)
語り: 市原悦子・(常田富士男)
出典: 『若狭・越前の民話 第1集 ([新版]日本の民話 44)』 杉原丈夫/石崎直義 (未來社)
演出: 小林三男
文芸: 沖島勲
美術: 仔羊館
作画: 石黒篤
典型: 異類婚姻譚いるいこんいんたん逃竄譚とうざんたん怪異譚かいいたん山姥譚やまんばたん
地域: 中部地方(福井県)

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最後に

 今回こんかいは、『やまんばのよめさん』のあらすじと内容ないよう解説かいせつ感想かんそう、おすすめ絵本えほんなどをご紹介しょうかいしました。

 『やまんばのよめさん』は、「らくはなしにはうらがある」という教訓きょうくんしめした内容ないようであるのに、「ちちれてもれない」というユーモラスな結末けつまつは、一度いちどめばわすれられない強烈きょうれつ印象いんしょうのこします。ぜひれてみてください!

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