「天狗になれ」とおどされ、山の中にさらわれた小僧の一兆さんは、「わしが負けたら、天狗になってもええ」と言って、天狗たちに得意のコマ回しで勝負を挑みます。静岡県の伊豆地方に伝わる天狗伝説を描いたお話が、『天狗のこま』です。
今回は、『天狗のこま』のあらすじと内容解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介します!
概要
静岡県の東部に位置する伊豆半島には、天狗が出てくる昔話が数多く残されています。『天狗のこま』もそのうちの一つです。
お話の舞台である静岡県伊豆の国市奈古屋(旧・静岡県田方郡韮山町奈古屋)にある国清寺には、天狗にまつわる伝説が三つも伝えられていて、その中でも『天狗にさらわれた一兆さん』として知られる『天狗のこま』は、特に有名なお話です。
ちなみに、主人公である小僧の一兆さんは実在の人物で、後に国清寺に隣接する高岩院の住職となりました。
あらすじ
むかしむかし、まわりを杉の木立の深い緑に囲まれた小さな村に、国清寺というお寺がありました。
国清寺のまわりも高い杉の木立に囲まれ、昼間でも薄暗く、さらにその杉の木立の中には、昔から「天狗の鼻」と呼ばれる、奇妙な形をした岩が祀られていました。
この国清寺には、一兆さんという小僧さんがおりました。
一兆さんはいたずら者で、お寺の仕事はそっちのけ、お経を読むのもいい加減、和尚さんもこれにはほとほと手を焼いていました。
ところが、コマ回しだけは大した腕前で、一兆さんは誰にも負けたことがありませんでした。
一兆さんのコマは強く、他のコマを弾き飛ばしては、そのコマを巻き上げてしまうほどでした。
だから、和尚さんがお出かけで不在の時は、村の子どもたちを集めては、コマ回しをして遊んでばかりいました。
ある晩のこと、厠から戻る途中、一兆さんが長廊下を歩いていると、大きな羽ばたきの音がして、
「小僧、こっちへ来い」
と低い声で言われたかと思うと、あっというまに一兆さんの体は宙に持ち上げられ、真っ暗な場所に連れていかれました。
一兆さんは天狗にさらわれてしまったのでした。
暗闇の中、天狗たちは、いたずら者の一兆さんを天狗に変えようとしていました。
「小僧、天狗になれ」
「天狗にしてあげよう」
とあちこちから声が聞こえてきたので、一兆さんは大勢の天狗に囲まれているようでした。
震えあがった一兆さんは、
「いやじゃ、天狗は嫌いじゃ」
と叫び、抵抗しました。
すると、
「いやでも天狗にしてくれよう」
と天狗が笑いながら言いました。
「天狗にされてはたまったもんじゃない。さて、どうしたものか」
と思いながら、一兆さんが懐に手を当てると、コマが入っていることに気がつきました。
一兆さんは、コマ回しなら誰にも負けない自信があったので、思いきって、
「それならコマ回しで勝負しよう。おいらが負けたら天狗になってもいい」
と天狗たちにコマ回しの勝負を持ちかけました。
「よし、わかった」
と勝負を受けて立った天狗たちは、コマを回して闇の中から次々と投げてきました。
懐からコマを出した一兆さんは、音がする方に夢中でコマを投げました。
コマとコマがぶつかり合い、片方のコマがはじかれた音が闇の中に響き渡りました。
闇に目が慣れてきた一兆さんは、コマを勢いよく回し、次々と投げ、天狗たちが投げるコマをはじき飛ばしていきました。
一兆さんは、天狗たちを相手にコマ回しで勝ちまくりました。
コマ回しでことごとく負けた天狗たちは、負けコマを一兆の懐にむりやりねじ込むと、
「あはははは、小僧にやられたぞ」
と大きな羽ばたきの音と共に天狗笑いで、天狗たちは飛び立っていきました。
気がつくと、すっかり夜は明けており、一兆さんの懐の中のコマは、不思議なことにすべてキノコに変わっていました。
その夜、国清寺では、一兆の話に大笑いしながら、みんなでお腹いっぱいキノコを食べました。
解説
静岡県伊豆の国市奈古屋にある臨済宗の国清寺は、貞治元年(1362年)に室町幕府の有力者である畠山国清が創建したとされ、應安元年(1368年)に関東管領の上杉憲顕によって本格的な臨済宗寺院として修築したお寺です。
最盛期には子院78、末寺300を擁する壮大な伽藍となり、室町幕府三代将軍・足利義満の時には、関東にある臨済宗の十の大きなお寺からなる関東十刹の六番目に列せられました。
仏殿には、鎌倉時代の慶派仏師によるものと考えられている釈迦如来像が安置され、境内には、歯痛と安産にご利益があるとされる、立膝で考え事をしている珍しいお地蔵様があります。
また、今でも修行僧が食べ、神奈川県鎌倉市にある建長寺が発祥とされる「けんちん汁(建長汁)」が元になっていて、「もったいない」と大切にする気持ちで、普段は捨てることが多い野菜のヘタや根、芯、皮などクズの部分を油で炒め、味噌仕立ての汁である「国清汁」は、この国清寺が発祥の地とされます。
それから、小僧の一兆さんは実在の人物で、名を石井一兆といい、後に国清寺に隣接する高岩院の住職となりました。
『天狗のこま』は萬延󠄂元年(1860年)3月のお話と伝わり、一兆さんが14歳の頃とされます。
一兆さんは明治44年(1911年)5月に65歳で亡くなったとの記録が残されていることから、比較的新しい昔話です。
感想
「一芸に秀でる者は多芸に通ず」ということわざがあります。
これは、「何か一つの道を究めた人は、他の多くの事柄も身につけることがたやすくなる」といった意味合いです。
さて、『天狗のこま』の主人公である一兆さんをみていると、誰にも負けたことがないコマ回しという“一芸”から、メンタルと表現される“精神面”や“心の持ちよう”について学ぶことができます。
まず、一兆さんは、「天狗にされたくない」という強い気持ちから、天狗に勝負を挑みます。天狗は妖怪なので、負けるかもしれません。負ければ、ただちに「天狗にされてしまう」ので、この勝負には絶対に勝たなくてはなりません。まさに“背水の陣”です。
そこで、次に一兆さんが取った行動は、得意なコマ回しで天狗と勝負に出ます。誰にも負けたことがないコマ回しは、一兆さんにとって“絶対的な切り札”です。
つまり、一兆さんは、後がない状況で、絶対的な切り札を出し、持てる力を最大限に発揮するため、自分を追い込むということを選択したのです。
一般的には、自分の力を過信することは良くない行動ですが、一兆さんの場合は、自分の力を過信することで、天狗との勝負に勝つことができたということです。
一兆さんは、後に住職となったと伝わります。
コマ回しを究め、それを自分の軸に据えて、他とどのような脈絡でつながっているのか、あるいは全体の中でどのような位置にあるのか、さらには、どのように全体像と関連しているのか、という幅広い視点を養ったことで、いたずら者だったのに住職に就くことができたのでしょう。
専門分野で磨かれた目を持てば、専門以外のものも見えてくるということです。
まんが日本昔ばなし
『天狗のこま』
放送日: 昭和52年(1977年)02月12日
放送回: 第0116話(0071 Aパート)
語り: 市原悦子・(常田富士男)
出典: 『伊豆の民話 ([新版]日本の民話 4)』 岸なみ (未來社)
演出: 小林三男
文芸: 沖島勲
美術: 末永光代
作画: 白梅進
典型: 仙境譚・天狗譚
地域: 中部地方(静岡県)
最後に
今回は、『天狗のこま』のあらすじと内容解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介しました。
「芸は身を助く」ということわざがありますが、身についた技芸があれば、何かの折に役に立ち、時には生計を立てる元になることもあります。どんな分野であれ、他人より秀でる能力があれば、思わぬところで役に立つと、『天狗のこま』は教え諭しています。ぜひ触れてみてください!