昔話『木仏長者』のあらすじ・内容解説・感想|おすすめ絵本
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 きん仏像ぶつぞうみがき、ただ自慢じまんするだけの長者ちょうじゃと、ただのれを仏像ぶつぞうて、日々ひび、それをおが信心しんじんぶかいがまずしいおとことの“い”を対比たいひすることで、信仰しんこうすることの大切たいせつさを、『木仏きぼとけ長者ちょうじゃ』はさとしています。

 今回こんかいは、『木仏きぼとけ長者ちょうじゃ』のあらすじと内容ないよう解説かいせつ感想かんそう、おすすめ絵本えほんなどをご紹介しょうかいします!

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概要

 『木仏きぼとけ長者ちょうじゃ』は『木佛きぶつ長者ちょうじゃ』ともばれ、東北とうほく地方ちほうぞくする岩手県いわてけん上閉伊郡かみへいぐん (現在げんざい岩手県いわてけん遠野市とおのし)に伝承でんしょうされてきた民話みんわとされますが、おなじく東北とうほく地方ちほうぞくする青森県あおもりけん九州きゅうしゅう地方ちほうぞくする大分県おおいたけんにもおなじようなおはなし存在そんざいします。

 昭和しょうわ18ねん(1943ねん)に児童じどう文学ぶんがくしゃ坪田つぼた譲治じょうじが、『しちにん子供こども』の中で「木佛きぶつ長者ちょうじゃ」という題名だいめい紹介しょうかいしたことにより、日本にっぽんじゅうひろられるようになりました。

 「神仏しんぶつあがめて、その威徳いとくたよる」ことが「信仰しんこう」であり、「神仏しんぶつちからこころからとうとび、そのご加護かごねがっていのる」ことが「信心しんじん」であるということをさとしているおはなしが『木仏きぼとけ長者ちょうじゃ』です。

 かつてテレビで一大いちだいブームをつくった『まんが日本にっぽんむかしばなし』が、二見ふたみ書房しょぼうより二見ふたみサラ文庫ぶんことして刊行かんこう。『木仏きぼとけ長者ちょうじゃ』のおはなしは『まんが日本にっぽんむかしばなし だい16かん』のなか収録しゅうろくされています。

 『新版しんぱん 日本にっぽんのむかしばなし 5』は、偕成社かいせいしゃから出版しゅっぱんされています。そうルビと豊富ほうふ挿絵さしえにより、たのしくみやすいシリーズです。ほっぺたにこぶのあるおじいさんが、天狗てんぐうたにつられておどりだす「こぶとりじいさん」のほか「ぼとけ長者ちょうじゃ」など、わらばなしこわはなし、さまざまなあじわいあるむかしばなしが19へん収録しゅうろくされています。

 『みちのくの長者ちょうじゃたち ([新版しんぱん]日本にっぽん民話みんわ 別巻べっかん2)』は、未来社みらいしゃから出版しゅっぱんされています。みちのくは、日本にっぽんはじめて黄金おうごんされた地域ちいきです。その歴史れきしてき背景はいけいにより、長者ちょうじゃ物語ものがたり数多かずおお存在そんざいします。しかし、もともと経済けいざい基盤きばんよわかったことから、一方いっぽうでは民衆みんしゅう困窮こんきゅう問題もんだいつねきまとってきました。「木仏きぼとけ長者ちょうじゃ」など、みちのくにふるくからつたわる貧困ひんこん長者ちょうじゃ対比たいひした物語ものがたりが、福島ふくしま宮城みやぎ岩手いわて山形やまがた秋田あきた青森あおもり各県かくけんけて58ぺん収録しゅうろくされています。

あらすじ

 むかしむかし、あるところに一人ひとり貧乏びんぼう信心しんじんぶかおとこがおりました。そのおとこは、ある長者ちょうじゃさまのいえ奉公ほうこうしていました。

 ところで、そのおとこ奉公ほうこうさきである長者ちょうじゃさまのいえには、立派りっぱきん仏像ぶつぞうさまがありました。

 おとこは、まれつき信心しんじんぶかおとこでしたから、そのきん仏像ぶつぞうさまを「おがみたい、おがみたい」と、いつもおもっていました。

 しかし、そのきん仏像ぶつぞうさまは長者ちょうじゃさまのいえ仏壇ぶつだんおくにしまってあって、いちねんうちかぞえるほどしか、おがむことができませんでした。

 だからおとこは、
 「一生いっしょううち一度いちどでいいから、あのような立派りっぱ仏像ぶつぞうさまを、自分じぶん仏壇ぶつだんいて、こころゆくまでおがんでみたいものだ」
と思いました。

 けれども、自分じぶん奉公ほうこうするほどの身分みぶんですから、ただただそうかんがえるばかりでした。

 ところで、あるのこと、おとこやまりにいくと、ちょうど仏像ぶつぞうさまのようなかたちをしたれがひとしたちていました。

 おとこ信心しんじんぶかいので、
 「木仏きぶつさまじゃ。もったいない、もったいない」
って、すぐにそのひろいあげ、よろこんでかえりました。

 いえでは、ている部屋へやたなうえれの仏像ぶつぞうさまをまつって、あさひるばん、ごはんをおそなえして、おがみました。

 ところで、それが本当ほんとう仏像ぶつぞうさまならいいのですが、なにぶん仏像ぶつぞうさまのようなれでしたから、長者ちょうじゃさまをはじめ、ほかのみんなが、本気ほんきおとこおがんでいるのをると、もうおかしくてたまりませんでした。

 しかし、おとこわらわれても、からかわれても、毎日まいにち毎日まいにちれの仏像ぶつぞうさまをおがつづけました。

 さんのおそなえもかすことなくつづけました。

 ところで、長者ちょうじゃさまですが、おとこがとてもやす給料きゅうりょうでよくはたらくものですから、こんないい奉公ほうこうにんは、またといないとかんがえていました。

 そして、もしほかのところへ奉公ほうこうするなどといはしないかと心配しんぱいしていました。

 どうにかして、自分じぶんのところでいつまでもやす給料きゅうりょうはたらかせたいともかんがえていました。

 それについて、かんがえはないかとあたまなやませていました。

 そんなとき仏像ぶつぞうさまのかたちをしたれのことが、ふっとあたまかんだのでした。

 そこで早速さっそく長者ちょうじゃさまは貧乏びんぼうおとこんでこさせ、
 「おまえさんのおがんでいる仏像ぶつぞうさまと、わたしっているきん仏像ぶつぞうさまと、ひとつ、相撲すもうらせてみようではないか。おまえさんの仏像ぶつぞうさまがわたしきん仏像ぶつぞうさまにけたら、おまえさんは、一生いっしょうわたしのところに奉公ほうこうしなければならない。そのわり、わたしきん仏像ぶつぞうさまがおまえさんの仏像ぶつぞうさまにけたなら、わたしっている財産ざいさんはみんなおまえさんにやろう」
いました。

 これをいて、おとこおどろきました。自分じぶんっている仏像ぶつぞうさまは、毎日まいにち毎日まいにちさんのおそなえして、おがんではいますが、元々もともとやましたからひろってきた、ただのれなので、とても長者ちょうじゃさまの立派りっぱきん仏像ぶつぞうさまと相撲すもうれるようなものではありませんでした。

 おとこは、じっとうついたまま、どうってこれをことわろうかとかんがみながら、仏像ぶつぞうさまのまえすわり、わせて、
 「仏像ぶつぞうさま、大変たいへんこときてしまいました。あなたさまときん仏像ぶつぞうさまが、お相撲すもうをおりになるのです。どうしましょう」
っておがみました。

 すると、仏像ぶつぞうさまが、
 「これこれ、さわぐでない」
うので、おどろいておとこあたまげると、
 「心配しんぱいするな。きん仏像ぶつぞうさまはつよ相手あいてだが、わしは勝負しょうぶする」
仏像ぶつぞうさまがいました。

 おとこは、その言葉ことばしんじて、仏像ぶつぞうさまをって長者ちょうじゃさまのところへもどりました。

 かくして、長者ちょうじゃさまのいえでは、にもめずらしい仏像ぶつぞうさまの相撲すもうみがあるとのことで、おおくの奉公ほうこうにん見物けんぶつあつまり、まるになって、相撲すもうみがはじまるのをっていました。そのなかには、きん仏像ぶつぞうさまと仏像ぶつぞうさまがかいってっていました。

 長者ちょうじゃさまがふたつの仏像ぶつぞうさまに、勝負しょうぶけるとどうなるかを説明せつめいし、
 「はっけよい、このった!」
とうちわをげて、相撲すもう開始かいし合図あいずをしました。

 すると、なんとも不思議ふしぎなことに、ふたつの仏像ぶつぞうさまはグラグラとうごし、相撲すもうはじめました。

 長者ちょうじゃさまもおとこも、ハラハラしながら応援おうえんしました。

 「きん仏像ぶつぞうさまけるな!」
 「仏像ぶつぞうさまけるな!」
見物けんぶつにん応援おうえんしました。

 それから、さん時間じかんも続いたおお勝負しょうぶすえ最初さいしょきん仏像ぶつぞうさまが優勢ゆうせいでしたが、そのうちにきん仏像ぶつぞうさまは全身ぜんしんからあせをダラダラながはじめました。

 そして、あせだけでなく、あっちへグラグラ、こっちへグラグラとよろめきはじめました。

 それを長者ちょうじゃさまは、もうではなくて、かおもダンダンとあおくなり、ひたいたまのような汗をかきながら、夢中むちゅうきん仏像ぶつぞうさまの応援おうえんをしました。

 けれども、仏像ぶつぞうさまがドンとついたら、きん仏像ぶつぞうさまはコロリところげてしまいました。

 そして、つかてて、きあがるちからもありませんでした。

 すると、仏像ぶつぞうさまはきん仏像ぶつぞうさまをグングンして、いえそとにまでしてしまいました。

 それから、仏像ぶつぞうさまは、いままできん仏像ぶつぞうさまがまつられていた仏壇ぶつだんうえがって、そこにすわみました。

 それをおとこ見物けんぶつにんは、
 「ありがたい、ありがたい」
わせて仏像ぶつぞうさまをおがみました。

 けた長者ちょうじゃさまは、きん仏像ぶつぞうさまをくと、約束やくそくどおりにいえていきました。

 長者ちょうじゃさまのいえは、そのあといで、貧乏びんぼうおとこ主人しゅじんとなり、あたらしい長者ちょうじゃさまとなりました。

 きん仏像ぶつぞうさまをいたむかし長者ちょうじゃさまは、野原のはらをトボトボとあるいていました。

 そして、きん仏像ぶつぞうさまに、
 「おまえさんは、どうしてあんなれの仏像ぶつぞうさまなんかにけたのだね」
たずねると、
 「相手あいて仏像ぶつぞうさまは木切きぎれだが、毎日まいにち毎日まいにちそなえものにあずかり信心しんじんされていました。それなのに、オレはいちねんに、ほんのさんそなえものにあずかるだけ。それに、おまえさんは信心しんじんもしてくれない。ちからないのは、たりまえではないか」
きん仏像ぶつぞうさまはかなしそうにきながらいました。

 これをいたむかし長者ちょうじゃさまは、かえ言葉ことばがなく、おおきなためいきをついて、信心しんじんりなかったことや、つまらないよくしたことを後悔こうかいしました。

 しかし、もうどうすることもできませんでした。

 ところで、あたらしい長者ちょうじゃさまは、いつまでも信心しんじんわすれず仏像ぶつぞうさまをおがつづけました。

 そして、いつしか「木仏きぼとけ長者ちょうじゃ」とばれ、むらひとたちからしたわれしあわせにらしたそうです。

解説

 「八百萬やおよろずかみ」という言葉ことばがあります。

 古来こらいより、日本人にっぽんじんは、身近みじか自然しぜんぶつのすべてにかみ見出みいだし、感謝かんしゃおそれとともにあゆんできました。

 「八百萬やおよろずかみ」の初見しょけんは『古事記こじき』です。

 『古事記こじき』は、日本にっぽん最古さいこ歴史れきししょであり、神道しんどうつうじる日本にほん神話しんわ数多かずおおしるされています。

 そして、日本人にっぽんじん信仰しんこう原点げんてん神道しんどうです。

 布教ふきょうされたわけでもなければ、強制きょうせいされたわけでもないのに、縄文じょうもんむかしから、やまうみいわなどにかみ存在そんざいかんじとり、そこを聖地せいちとして、日本人にっぽんじんわせてきました。

 おおむかし自然しぜんかいこる「天変てんぺん地異ちい」は、ときとして人々ひとびといのちうばうことさえありました。

 だからこそ、かみ其処そこ彼処かしこ存在そんざいし、人々ひとびとまもっていると日本人にっぽんじんかんがえたのでしょう。

 つまり、日本人にっぽんじんほかではられないほど、かみちかしい気持きもちをもっているということです。

 そして、かみがいれば自然しぜんわせるという、つよ信仰しんこうしんっています。

 『木仏きぼとけ長者ちょうじゃ』は、そんな日本人にっぽんじんこころを、ありのままにきとつたえています。

感想

 鎌倉かまくら時代じだい末期まっき卜部うらべの兼好かねよし(吉田よしだ兼好けんこう)がいたとされる随筆ずいひつ徒然草つれづれぐさ』のだい157だんに、

 外相げそうもしそむかざれば、内証ないしょうかならじゅくす。

とあります。

 これは、

 外見がいけん(なり・い)をきちんとしておけば、中身なかみ(こころ)もそれにともなってじゅくす。

という意味いみです。

 将来しょうらいにわたり、ちからをはぐくむためには、外相げそうととのえることは、とても重要じゅうようなことです。

 「挨拶あいさつをする」「整理せいり整頓せいとんをする」「時間じかんまもる」「ひとには親切しんせつにする」など、それらが大切たいせつ行為こういであることには理由りゆうがあります。

 だからこそ、まずは自然しぜんおこなうことができるよう、習慣しゅうかんにしなくてはなりません。

 たとえば、整理せいり整頓せいとんをしないと、「ものさがすのに時間じかんがかかる」「ものをなくすことがある」「仕事しごと効率こうりつわるくなる」などがこる可能性かのうせいがあります。

 そのことをあたま理解りかいしていたとしても、習慣しゅうかんになっていないと、整理せいり整頓せいとん実践じっせんすることはなかなかむずかしいものです。

 「自然しぜん挨拶あいさつができるひと」や「自然しぜんひと親切しんせつにできるひと」は、まわりからかれ信頼しんらいされます。

 外相げそうととのえ、習慣しゅうかんすることが、ちからたかめるとかんがえます。

 それをかえすことが、個人こじん行動こうどう基準きじゅん形成けいせいすることにつながり、判断はんだんまようような場面ばめんでも、より選択せんたくができるちからとなることでしょう。

 仏像ぶつぞうてたれに信心しんじんはいったように、日々ひびこころをいれておこないをし、内証ないしょうがさらにじゅくすようつとめることが大切たいせつということです。

 『徒然草つれづれぐさ (ちくま学芸がくげい文庫ぶんこ)』は、筑摩ちくま書房しょぼうから出版しゅっぱんされています。随筆ずいひつ徒然草つれづれぐさ』のぜん243だんが、原文げんぶん現代語げんだいごやく解説かいせつじゅん構成こうせいされているので、非常ひじょうみやすく、内容ないようしたしむことができます。島内しまうち裕子ゆうこ先生せんせいふか研究けんきゅううらちされた、丁寧ていねいでありながらもおもった素晴すばらしい意訳いやくにより、原文げんぶん読解どっかい十分じゅうぶんだとしても、内容ないよう正確せいかく把握はあくすることができます。人間にんげんこころ本質ほんしつは、現在げんざい過去かこかわわらないということを、さい発見はっけんすることができます。かわながれるかのようにすす完結かんけつする作品さくひんなため、かくだん連続れんぞくせい意識いしきしてむことをおすすめします。是非ぜひとも通読つうどくを。

まんが日本昔ばなし

木仏長者きぼとけちょうじゃ
放送日: 昭和52年(1977年)01月01日
放送回: 第0105話(第0065回放送 Aパート)
語り: 市原悦子・(常田富士男)
出典: 表記なし
演出: 上口照人
文芸: 沖島勲
美術: 槻間八郎
作画: 高橋信也
典型: 霊験譚れいげんたん致富譚ちふたん
地域: 九州地方(大分県)

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 かつてテレビで一大いちだいブームをつくった『まんが日本にっぽんむかしばなし』のなかから傑作けっさく101厳選げんせんしました!

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 『木仏きぼとけ長者ちょうじゃ』は「DVD-BOXだい7しゅう だい32かん」でることができます。

最後に

 今回こんかいは、『木仏きぼとけ長者ちょうじゃ』のあらすじと内容ないよう解説かいせつ感想かんそう、おすすめ絵本えほんなどをご紹介しょうかいしました。

 古来こらい日本人にっぽんじんやまうみいわなど、身近みじか自然しぜんぶつのすべて、森羅しんら万象ばんしょうなかに、かみほとけかんじ、信仰しんこう対象たいしょうとしてきました。それが、れの仏像ぶつぞうおがむ『木仏きぼとけ長者ちょうじゃ』につながっています。ぜひれてみてください!

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