「あにさん、寒かろう」
「おまえ、寒かろう」
寒さに震え、子どもらしいやり方で、お互いをいたわり合いながら訊ね合う幼い子どもの声が、部屋のどこからか聞こえてきたことで『ふとんの話』は幕を開けます。
今回は、『ふとんの話』のあらすじと解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介します!
概要
『ふとんの話』は、明治時代の文豪であるラフカディオ・ハーンこと小泉八雲が明治24年(1841年)のお盆に新婚の妻のセツとともに、伯耆国(現在の鳥取県)にある浜村温泉(現在の鳥取県鳥取市気高町)の旅館に宿泊した際、そこの女中から聞いたとされています。
明治27年(1844年)に出版された『知られぬ日本の面影』の中の「日本海のほとりにて」の章の挿入話「鳥取の蒲団」として紹介されたことにより、『ふとんの話』は日本中で広く知られるようになりました。
大正14年(1925年)に下村千秋が、赤い鳥社の児童雑誌『赤い鳥』に「神様の布団」という題で小泉八雲の「鳥取の蒲団」と同じ内容の作品を発表したことで、大人だけではなく子どもたちにも広く知られるようになりました。
あらすじ
むかしむかし、伯耆国の町にとても小さな宿屋がありました。
そこはまだ開業したばかりの新しい宿屋で、最初の客として行商人を受け入れました。
小さな宿屋に良い評判を立てようという主人の望みによって、行商人は普通より親切に迎えられました。
新しい宿ではありましたが、主人が貧乏なため、家具や調度品は古道具屋から購入して揃えたものがほとんどでしたが、それでも、なにもかもが清潔で快適できれいでした。
客の行商人は思う存分に美味しい料理を食べ、ほどよく温められた酒を存分に飲んだ後、柔らかい床に用意された布団に横になり、うとうとし始めました。
ところが、
「あにさん、寒かろう」
「おまえ、寒かろう」
と部屋の中から、幼い子どもの声が聞こえてきたのでした。
やれやれ、誤って子どもが何人か部屋へ迷い込んだに違いないと思った行商人は、
「ここはおまえたちの部屋ではないよ。自分の部屋にお戻り」
と優しく声を掛けました。
すると、しばらくは子どもの声は聞こえなくなったのですが、やがてまた、
「あにさん、寒かろう」
「おまえ、寒かろう」
と優しくて、か細い、哀れな幼い子どもの声が耳元で訊ね合うのでした。
行商人は布団から起き上がり、行灯に火を灯し、部屋を見回しました。
しかし、部屋には誰もいませんでした。障子は全てが閉まっていました。押し入れを開けて中を見回しても、子どもの姿などありませんでした。
怪しく思いながら、灯りをそのまま点けっぱなしにして再び横になると、すぐに枕元から、
「あにさん、寒かろう」
「おまえ、寒かろう」
と再びもの悲しい子どもの声がしました。
その時、初めて客の行商人は夜の冷え込みではない、忍び寄る寒気を全身で感じました。そして、繰り返し聞こえてくる声は、布団の中からだと分かったのでした。
行商人は慌ただしく少ない所持品をかき集めると、階段を駆け降り、宿の主人を叩き起こし、部屋で起こった事の顛末を伝えました。
すると主人はたいそう腹を立てて、
「大事なお客だから喜んでもらおうともてなしたのに、本当は大事なお客どころか大した大酒呑みで悪い夢でもごらんになられたんでしょう」
と言い返しました。
それでも客の行商人は、さっさと宿代を払って、
「どこか別の宿を探す」
と言い張って出て行ってしまいました。
次の日、ひと部屋泊まれないかと別のお客がやってきました。
夜更けになって、宿の主人は同じ話で泊まり客に叩き起こされました。そして、この泊まり客は、不思議なことに全く酒を飲んでいませんでした。
何かの妬みから宿屋を潰そうと企んでいるのかと主人は疑い、
「縁起でもない。この宿は手前どもの生きる術なんです。そんなありもしないことをおっしゃらないでください」
と主人は感情的に答えました。
これにはお客も怒ってしまい、大声で文句を言いながら宿を出て行ってしまいました。
変なことを言われてはたまらないと主人は憤慨しましたが、お客が去った後、奇妙な出来事が続いたことを不思議に思い、布団を調べるために例の部屋へと向かいました。
部屋に入って、しばらくすると、
「あにさん、寒かろう」
「おまえ、寒かろう」
と子どものもの悲しい声が聞こえてきました。
宿の主人は、その声を聞いて、お客が本当の事を言っていたと気づきました。
そう思いながら、よく声を聞いていると、どうやら呼び掛けるのは、一枚の掛布団であることが分かりました。残りの布団は静かでした。
宿の主人はその掛布団を自分の部屋へ運び、それを掛けて寝ることにしました。
「あにさん、寒かろう」
「おまえ、寒かろう」
その声は、一晩中続き、主人は一睡もできませんでした。
朝になり、この掛布団には、きっと何か訳があるのだろうと思い、宿の主人は布団を購入した古道具屋へ行きました。
古道具屋の店主に布団の出所を訊ねると、
「布団は小さい店から買ったので自分には分からない」
と言われました。
そこで、布団を仕入れた前の店、そのまた前の店というように、宿の主人は次から次へと布団の出所を辿っていくうちに、ついに布団の元の持ち主を突き止めることができました。
その布団の持ち主は、町のはずれにある一軒の小さな借家に暮らす家族でした。
その家族は、大変に貧しく、家賃を払うのがやっとだったところに、父親が死に母親も死に、とうとう身寄りのない小さな兄弟だけになってしまいました。
兄弟は家財道具や着物を売って暮らしていましたが、とうとう一枚の掛布団が残るだけになりました。
寒さが厳しい冬のある日、家賃が払えなくなった兄弟は最後の掛布団を大家に取り上げられ、家から追い出されてしまいました。
何処にも行くあてのない兄弟は、大家が去ると、こっそり元の借家に戻り、そこで寒さによる眠気を感じ、お互いに温まるようしっかりと抱き合って眠りました。
「あにさん、寒かろう」
「おまえ、寒かろう」
眠りについた兄弟に、神様が新しい掛布団を掛けてくれました。
もはや寒さを感じなくなった兄弟は、幾日もそこで眠り続けました。
数日後、二人の遺体が発見されると、兄弟を不憫に思った人々が、千手観音の寺の墓場に二人の新しい寝床を作ってあげました。
この話を聞いた宿の主人は、掛布団を寺に運び、お経をあげてもらいました。
それからは、もうこの掛布団がものを言うことはなくなったそうです。
解説
明治時代の文豪であるラフカディオ・ハーンこと小泉八雲が、帰化前の明治27年(1844年)に出版した『知られぬ日本の面影』の中の「日本海のほとりにて」の章の挿入話として、『ふとんの話』は「鳥取の蒲団」という題で所載されています。
『知られぬ日本の面影』はハーンが来日後初めて著した作品集です。『怪談』『心』と並ぶ小泉八雲の代表作の一つで、島根県の出雲地方での興味深いお話を中心に描かれています。
ハーンは明治23年(1840年)4月4日に日本に上陸します。神秘的なものに惹かれるハーンは、「日本の第一印象を出来るだけ早く書き残しておきたい」という気持ちから、明治24年(1841年)の夏に日本に上陸して最初に滞在した横浜から「神々の国」と呼ばれる島根県の出雲へ人力車を乗り継ぎながら、新婚の妻のセツとともに、四日間の旅をします。
その過程でハーンは、山あいの田んぼ、杉や松の森の薄暗い影、遠くの藍色の山並み、藁葺屋根の連なり、道端の小さなお地蔵様や祠など、日本独特の田舎のやさしい景色を目にします。
出雲大社では、外国人として初めてハーンは本殿への昇殿を許され、宮司に謁見しお話を伺う機会を持ちます。
その後は、山陰地方の神秘的な海辺の村を旅し、そこに伝わる伝説や宗教など興味深いお話を収集します。
そうした日本の文化や生活を綴った随想録が『知られぬ日本の面影』です。
本当によくぞ書き残してくださったと思うほど、180年前の日本を冷静でありながら情熱的に日本の景色、風習、人柄を書き尽くしています。
日本人でも知らない日本を教えてくれる外国人の記録が『知られぬ日本の面影』です。
『日本の面影 ([新編]角川ソフィア文庫)』はKADOKAWAから出版されています。私たち日本人は、本当に日本の良さをわかっているのだろうかと考えさせられる内容です。そのくらい日本と日本人の評価が素晴らしいです。ラフカディオ・ハーン氏が外国人の視点で見つめた、明治時代初期の美しい日本への想いを色濃く伝える11篇が収録されています。感想
とても切ないお話です。
そして、心と心の繋がりといわれる兄弟愛を強く感じる内容です。
兄弟という特別な関係は選べるものではありません。
血は兄弟を結びつけ、年齢や世代、時間を超える絆を作り出します。
血のつながりや共に過ごした時間によって芽生えた絆は、兄弟を集結させます。
そして、子どもの頃の思い出はずっと心に残り、子どもの頃に芽生えた兄弟愛は大人になっても続きます。
兄弟はずっと一緒にいる存在で、常に繋がっているものです。
まんが日本昔ばなし
『ふとんの話』
放送日: 昭和51年(1976年)07月24日
放送回: 第0070話(第0042回放送 Aパート)
語り: 市原悦子・(常田富士男)
出典: 表記なし
演出: 藤本四郎
文芸: 沖島勲
美術: 藤本四郎
作画: 藤本四郎
典型: 怪異譚
地域: 中国地方(鳥取県)
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『ふとんの話』は「DVD-BOX第7集 第32巻」で観ることができます。
最後に
今回は、『ふとんの話』のあらすじと解説、感想、おすすめ絵本などをご紹介しました。
『ふとんの話』は、二人しかいない兄弟の間にかよいあう愛情を、静かに綴った心にしみ入るお話です。ぜひ触れてみてください!